リンドグレーンのレビュー・感想・評価
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“おはよう”と“ソーダ水”
「どうして子どもの心がわかるの?」という小学生からの質問。それを解き明かすような自叙伝的ストーリー展開でしたが、幼い妹たちよりも自分の子どもを育てる苦労から来てるんだね!と、何を書いてもネタバレになってしまいがち。それよりも邦題のつけ方がニクい。本来の姓から新聞社のブロムブレイになるのかと思わせて、まさか偽名で使ったやつか?と、姓にかかわる興味でワクワク。終盤になってからその秘密が解き明かされる。
1926年という時代が彼女にとって波乱の年だったに違いない。父親のいない子供だという宗教上の問題と、ブロムブレイ氏が実は離婚成立してなくて浮気調査に躍起になっている点で、アストリットは逃亡生活を強いられる。生まれた子供はラッセと名付け、デンマークの里親で育てることになったのですが、スウェーデンとデンマークを行ったり来たりでパスポートがハンコで真っ黒になるほど。「もうお金が無いの」と泣き崩れる姿につい応援したくなってくる。
かん通罪というターニングポイント。彼氏が刑務所に入れられると思っていたのに、呆気ない顛末にアストリットは怒り心頭。それならこんなに苦労することはなかったのに・・・おかげでラッセは里親マリーを母親だと思い込み、スウェーデン語が通じなくなっている。似たような言語だからなんとかなったものの、言語の壁ってのも興味深いところだった。
バンド演奏で「Puttin' On the Ritz 踊るリッツの夜」がかかるのですが、むちゃくちゃ懐かしい気がして一緒に踊りたくなってきました。とは言え、知ってるのはタコのリメイク版でしたが。あのクレイジーな踊りも最高!腋毛も見えちゃってるけど、それも含めて主演のアルバ・アウグストが良かったです。
素晴らしかった
生んだばかりの子を預かってもらう、しかも外国に、断腸の思いであろうことがひしひしと伝わる。その上、物心ついた頃に会いに行くとお母さん扱いしてもらえなくてつらいし、養母が病気になって引き取ると、本当のお母さんに会いたいと言われてしまう。自棄になってパーティで酔っ払ってめちゃくちゃに踊っているのが見ていてつらい。ハッピーエンドで本当によかった。
産みの親と育ての親
特に私が印象に残ったシーンは
リンドグレーンが子どもを産んだあと、おっぱいが張ってとても痛くて
あれにさらしを巻き、産まれたばかりの子どもと別れるというのは相当辛かったと思う。
出産を経験した女性にはこのシーンは痛いほど胸に突き刺さったのではないだろうか。
産みの親と育ての親
リンドグレーンの息子がしばらくマリーをママだと言ってリンドグレーンに懐かなかった。
日本では三歳児神話が今でも根強く残っているが、(産みの母が子どもを3歳までしっかり育てなくてはいけないという思い込み)産みの母、実の母でなくてもそれに代わる人がいれば十分愛着が形成されるというのがよくわかる。
波乱万丈な人生を送った女性である。
リンドグレーンさんと結婚した経緯をもっと描いて欲しかったなぁ。
自分の欲望を知ってる人は強い。
アストリッドは自分のしたいこと、欲しいもの、大事にしたいことが、若い頃からわかっていた人だと思う。
1920年代くらい?で、そんな女の子はそういなかったと思う。
友達の父親に欲情して、自ら誘った彼女はかっこいい。
その結果に苦労があったとしても立ち向かい、クヨクヨして当たり散らしたとしても、前に進んだ。
自分の欲望を自覚して自分勝手に生きる。それでいいと思う。
後悔なんてしない、たぶん。
アストリッドのダンスも良かった。カッコええダンスだった。
あと、年代がわからなかった。電話あるしな、第二次世界大戦前っぽいけど、画面明るいな。とか迷ってた。
観賞後にアストリッドが1907年生まれとWikiさんがゆうてるので、16歳ってことは1923年ね、と。
1923年のスウェーデンを知ってるわけじゃないけど、想像よりも現代っぽい画だったなーと。些末なことだけど。
デンマークでお世話になったマリーがええ人だった。
アストリッドの父と母は、時代を考えれば寄り添ってくれた方だと思うよ。
ラストにラッセを母が抱いて家族で教会に堂々と行くってゆうのが、唐突やなーとは思った。そしてそんなにあっさり?とも思ったけど、まぁ尺の都合かな。
職場の優しげな男性が「リンドグレーンさん」だと知らされて、はぁんこの人と結婚すんのね、と読める展開に、安堵しました。
「長靴下のピッピ」を世に送り出した女性の半生が、とても生き生きと描かれた作品です。
予告編で聞いた歌声の、その寂寥感にあふれたメロディーが頭に残っていました。
「長靴下のピッピ」の作者の半生を描いた作品と知って鑑賞。
と、書いたものの、「長靴下のピッピ」の作者が
「アストリッド・リンドグレーン」という女性であること。
この作品で初めて知りました。
スウェーデンの田舎に生まれ、
古い因習や道徳感に縛られながら
もっと自由に生きようとする主人公が、生き生きと描かれています。
作者の半生といいながら、実際は
16才から10年間位しか描かれておりません。
「長靴下のピッピ」の発表が、作者38才の時(1945年)らしいので
この作品のエンディングから、さらに10年以上先の話になります。
結婚の話や作品誕生の話は一切描かれませんでしたので
その間も色々とあったんだろうなと、あれこれ思いが募ります。
NHK朝の連続ドラマの題材になっても良さそうなお話でした。
見応えありです。
「長靴下のピッピ」も読んでみたくなりました。
余談
ヒロインを演じた役者さん
最初はすごく幼く見えたのが、ラストのほうでは立派な母親を演じていて
なんかすごいなと感じました。
上映館
上映している映画館数をみてみたら、全国で1ケタでした。 少な…
なんかもったいない気がします。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
枕に足をのせて眠りたい
2019年最後に映画館で見たのが、リンドグレーン。
小さい頃、長靴下のピッピが大好きでした。
この映画は、アストリッドがリンドグレーンになる前の若かった日々を丹念に描いています。
こういう人だったんだ、という驚き。
不倫してシングルマザーになるも、ブロムベルイは「姦通罪の罰金が安くすんだ」なんて言う男。
彼の家族と日曜日に教会で顔を合わせるような田舎の土地柄で、アストリッドの両親に子どもが受け入れられるのにも時間がかかります。
預けていた子どもはなかなか懐かないし、のちに結婚することになるリンドグレーン氏と出会うまで、いろいろ大変な人生だったんだな、と思いました。
In my life in all our lives I wish peace on the earth. インタビューを終わる前の言葉。
この映画の始まりは、逆光の中、自宅書斎で手に年齢を感じさせる作家が決してこちらを振り返ることはなく、背を向けて手紙をペンナイフで開けて読むところから幕が開ける。その前に個人的に避けたい映画に対する言葉"Inspired by events in Astrid Lindgren's life"なんてものもあるが...?
多くの手紙の中には、カセットテープも含まれている。その時代を感じさせる。
Happy birthday Astrid from Class 4Aより
Dear Astrid Lindgren.
We're a 4th-year class from Håsthult School.
We want to wish you a happy birthday-
-and thank you for all your stories........
この物語は、主人公のアストリッドが子供の時に住んでいたスウェーデンの片田舎は敬虔な宗教の場であり、その閉鎖されたような村社会から作家自ら”a snake pit”と呼び、風が厳しく台地も物を拒むような寒空を背景にハイティーンから約23~24歳頃ぐらいまでのごく短い期間に彼女が体験する子供の出産から、外見と言葉はいかにも優しく見えるが、それとは裏腹に女性の事を何も理解しない男との決別。そして、愛したくても愛せなかった自分自身の子供の愛を再び勝ち取るまでの半生を中心に描いている。その場面場面のエピソードごとに韻を踏むように子供たちから送られてきた彼女への感謝と誕生日を祝う手紙の内容が、彼女のその時の立場に呼応するように表現されているので、何故、作家が子供たちに生きる勇気や人に対する優しさを描き出すことができたかの変遷的意味合いも含めてつづられている。
1970年の新聞のコラムから「私が子供だったら、子供の立場で本を書く。」と言っていたように1945年から本格的に作家として活動が始まった遅咲きともいえる中に戦中の悲惨さを肌で感じている作家が、彼女の読者である子供たちの考えに大きく影響を与えている。
Dear Astrid. My name is Jenny.
You write a lot about death.
There are lots of dead people in your stories. Pippi's mother...
Jonathan dies, Kari dies. Mio's mother is gone, too.
But when I read about it in your books, I just want to live.
You just want to live.
蒙昧なものにとって、何故この映画の製作者は、視聴制限をPG-12ににして、童話作家のバイオグラフィーの中に性的な表現も含む描き方をしたのか、最初意味が分からなかった。彼女の懺悔的映画と捉えていいのか? 親として里子に出した息子に対して純粋に愛を分け与え、そして彼からの信頼を勝ち取る過程で必要だったのか?
この映画に出てくるデンマークにおける90年前の里親の仕組み。日本では言いにくいが、当時も現在も、そのようなことは闇に葬られ、人として命の大切さを声高に言う割には、多くの生まれてくるはずだった子供たちが犠牲になっている。その当時の事を考えると画期的か?その里親マリー役の方は、つい最近見る機会のあったドイツ映画「ワールドエンド・サーガ」にも出演されていたトリーヌ・ディルホムさん、あなた一体何者? ベルリン映画祭で最優秀女優賞を獲っているのは知っているが、その活動範囲の広さが...スーパーウーマンか? 表現が悪すぎましたすみませんでした。謝るぐらいなら、書くなってか?
The children in your books can overcome almost anything.
Pippi gets along without her mother and father.
Emil is never scared, even when he gets punished
and locked in the woodshed.
Mio is starving and thinks he's going to die,
but he wins out over evil in the end.
That's what I want to be, someone who never gives up-
-but keeps fighting even if I'm hungry and feel alone.
生前、リンドグレーンが英語でインタビューに答えていた。
インタビュアーが、”なぜあなたは、ピッピのキャラクターをとても強いものとしたのですか?”という質問に対して、「とても風変わりな名前に、とても奇妙なことをするピッピを描くことでそうなりました。」
またインタビューアが付け加えるように”社会的にピッピの行動が一般の子供たちに影響があるのではと言われているが?”の問いに「ある教授がそのことについて指摘していたけれども例えばピッピがホールケーキを丸ごと食べちゃうところがそうなのかもしれない。馬を頭より上にあがられるなら、ケーキ丸ごと食べてもよいじゃないのかな。」なんてお茶目な面も...御愛嬌。
しかしそんな中でもリンドグレーンの娘のカレン・ナイマンが2018年8月に、まだ’かんつう罪’という法律があった当時のスウェーデンにおいて母親の未知なところをスキャンダラスに描いた映画として否定するコメントを載せているのも事実。
それとは別に発行部数では群を抜いているイーニッド・ブライトン、ディズニーによって改変された「メリーポピンズ(1899)」の原作者であるP.L.トラバース、リッチマルクロンプトン、スウェーデン系フィン人でムーミンでしられるトーベ・ヤンソンなど一人を除いて児童向け作者であり女流作家の代表である中の一人、リンドグレーン。その彼女たちとは画する特徴として、晩年に穏やかに話す、優しさしか見えない方が日本でも叫ばれている”虐待”をいかなる場合でもいかなる権力の下でも絶対に許さない立場にいる。
余談として、「オズの魔法使い(1939)」で本当は、シャーリー・テンプル女史がドロシー役を務めるはずが、13歳にしてプロデューサーの愛人であった方が主演を射止めたいきさつを口に出したくはないが......それとは180度違い、世界恐慌の影を引きずり続ける”20世紀フォックス社”をその細腕繁盛記の様な細い小さな手でV字回復を成し遂げた功労者で、結婚後はシャーリー・テンプル・ブラック大使となりアメリカに貢献し、絵にかいたような人生を全うした彼女のおかげで、日本でも半世紀以上前にテレビ放映された”The Shirley Temple Show”というテレビ番組で「長くつ下のピッピ(1961)」が「オズの魔法使い」「くまのプーさん」「人魚姫」と肩を並べてみることができた時代がある。それに触れれることができた方はラッキーなのかもしれない。その当時、まだ子育てで忙しい女史が、その合間に出演できるように制作側が気を配り、スケジュールを調整し、前例のない番組作りをされたと聞く。彼女の世の中に対する貢献度がわかるものだが、ただし、制作側も忙しかったのか、大道具さんが映像に映り込んでいるところもあったりしていた。
ただ幸いなことを挙げるなら彼女の作品が、まだディズニーでは映画化されていないのでは...? 大人目線でしか考えない、拝金主義で、ホワイトウォッシングばかり気にして、話や時代や設定を根本から捻じ曲げてでも映像化をしているディズニーだけには、彼女の作品を制作してほしくはないと願う蒙昧な者の小さな希望を許してほしい。
日本のように建物の中で見る一段高いところにある子供演劇もいいけれども、別次元の北欧の野外シアターは子供と親が伸び伸びとしてみることができ、また劇場と観客の隔たりを一切感じさせないものとなっている。それは手作り感があり、地元の方たちの参加型シアターで周りを緑の自然に囲まれているので、その場に溶け込むように演劇がいつの間にか始まっている。環境は...ただただ素晴らしい。
映画「サーミの血(2016)」でも紹介された少数民族サーミ人でもあるスウェーデン出身のANE BRUN が歌う”SPRINGA”。 ♪Take a leap, just dare to a leap Through death into life で始まる曲が流れると同じにするかのように彼女と息子のラース二人が、彼らの幸せな姿を観客に提供しています。
Finally パチパチ
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