HOKUSAIのレビュー・感想・評価
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人の心を動かす一本の線。
まるでマイク・タイソンのような獰猛さ。自ら軋轢を呼び込み、ぶつかり合うことで自己確認するかのような絵師。若き日の北斎に扮した柳楽優弥は身体ごとぶつかる芝居を選んだ。
描きたいものを見つけること。どれだけリアルで精緻に再現されようと、内なる衝動がなければ人を惹きつける絵にはならない。遮二無二突き進もうとする青年に絵師としての才気を見出した蔦屋重三郎は、彼だけの絵を生むために必要な衝動へのきっかけを作ろうと、美人画の歌麿、役者たちの個性をデフォルメ画で表現した写楽ら、同時期を生きた絵師を紹介する。だが、宴席で逆ギレした青年は癇癪を起こすだけ。
人の心を動かす絵を描くことは簡単ではない。優れた絵は、なぜ人の心を動かすのか。青年が放浪の果てに見つけた一本の線が、年老いて覚醒する北斎の絵へとつながっていく。
諸説ある北斎の生きた軌跡から浮かび上がる、内なる創作衝動だけが生み出す唯一無二の創造の奇跡。シンプルだけれど根源的なこの問いかけは、どの道にも通じる普遍性を持つことを教えてくれる。
ほぼフィクションの青年期パートが冗長。田中泯の身体表現をもっと見たかった
遅咲きの浮世絵師だった葛飾北斎の人生について、有名になり多くの弟子を抱えていた老年期は資料が多く残るものの、青年期の資料はほぼゼロだという。そこで本作は、柳楽優弥が演じる勝川春朗(のちの北斎)の青年期を創作し、いまだ画風を確立できず貧乏暮らしの日々や、当時すでに売れっ子の歌麿や年下の写楽と宴会に同席した際の焦りやこじらせ具合を描いており、特殊な天才の話ではなく普遍的な成長物語に寄せる意図はうかがえる。にしても、企画当初からダブル主演が既定路線だったのか、この青年期パートが全編のほぼ半分、1時間。これはさすがに長すぎた。
田中泯の老年期パートに入ると、有名な「富嶽三十六景」や「生首の図」の制作過程などで描写ががぜん活き活きとしてくるが、前半の青年期のエピソードが後半に効いてくるかと言えばそうでもない。だったら青年期をせいぜい3分の1程度に抑えて、そのぶん老年期パートで名画やユニークな北斎漫画などの創作の秘密に迫るとか、カメラアイの持ち主だったと言われる北斎からの見え方を凝った映像で再現してみるとか、もっと工夫のしようがあったのではないか。舞踏家でもある田中泯の絵を描いている時の身体パフォーマンスは素晴らしく、それゆえに、たとえば有名な120畳サイズの「巨大だるま絵」を描くシーン(原恵一監督のアニメ映画「百日紅 ~Miss HOKUSAI~」はさすが、この場面をしっかり描いていた)などがあれば、田中の全身を使った圧巻の身体表現を堪能できただろうにと惜しまれる。
俳優陣の演技や意欲的な映像も決して悪くないのだが、構成上のバランスの悪さが響いた。
信州小布施/曹洞宗岩松院の肉筆/北斎の鳳凰
DVDにて鑑賞。
レモンブルーさんの「レビュー」を先に読んだので、映画館に行けなかったことを惜しむ気持ちは消えたけれど。
葛飾北斎の浮世絵については、
たまたまあちこちの画廊などで、有名な刷り物を見ることはあっても、どう言えばよいのだろうか、こちらの感性のレシーバーの周波数が合っていなかったのか。感心こそすれ、それほどまでは惹かれるということもなかった僕だ。
そんな僕が、期せずして出会ったのが、表題に掲げた小布施の古刹の天井画だった。
前任地で大変な失敗をして、逃げるように退職し、少なからぬ傷も負い、あの日は、僕は療養の日々で、冬の北信州をさまよっていた。
そしてたまたま雪の舗道を歩き、徒歩で行き着いたお堂だった。
シーズンオフの平日の昼間だ。
観光客もほとんどおらず、真四角の畳の間に、真ん中に陣どって仰向けに横になる。
疲れていた。
目を閉じていた。
しんしんと冷える極寒の御堂だった。
こんなにも不便で、信濃の國の辺鄙な村に、
何ゆえに北斎翁は、江戸から250キロもの旅を押してやってきたのだろうか・・
画家の「経歴」や「プロフィール」を学習熟知してから作品に触れるのも良いけれど、
ほとんど何の予備知識もなく、ましてやそのお寺に北斎があることさえまったく知らずに、対面した天井画だ。
鳳凰が僕の目を見つめ、僕が鳳凰の目を見つめる。
視界が全部鳳凰だ。
「・・・」
巨大な鳳凰の渦が、もの凄いエネルギーを放って、僕を畳から中空に浮かび上がらせる。
やおら三半規管が回り出し、重力が逆さに逆転して、宇宙から鳳凰を真下に見下ろしているかのような不思議な錯覚が起こる。
非接触充電を受けたような心持ちだ。
「いいものを見た」と思って、歩いて帰った。
― あの体験があるから、
映画化に多少の誤表現があっても、僕はそれほど腹は立たなかったのかもしれない。
「作品=作者との出会い」が先にあったからだ。
葛飾北斎最晩年の大作
「八方睨み大鳳凰図」。完成は嘉永元年(1848)、北斎89歳。
どなたかのレビューに
「役者田中泯に北斎の版画を貼りめぐらした舞台で、彼にコンテンポラリーダンスを踊らせたほうが、北斎の真実に迫ったのでは」というレビューが。なるほどとても面白い。
至極納得だ。
北斎は、
正気とか、正論とか、正確性とは反対側のものを呼び起こす絵だ。
・ ・
前任地を退職することになったのは・・ 、
あれは小生が社内誌に描いたひとつの似顔絵のせいだった。
みんなが面白がってくれるかと思いきや、おふざけが大問題となって、親友を深く傷付け、僕は責任を取って辞表を提出。追われるようにその土地を離れたのだった。
僕ごときを、「浮世の絵」を生涯懸命に描いた老人にた比べるのはおこがましいのだが、
あんなつまらない絵を描いた小男にさえ
「よく来た」と、鳳凰から言ってもらえた気がした。
◆◆◆
『おーい』 と 呼べば あいよ と答える。
『こんな所でうかうかしてられない』
壱の章の最後で蔦屋さんが言う言葉。
こんな狭い日本なのに、日本中にレンタルチェーンを作るから、独自のレンタル店が無くなり、それが封切り映画まで波及して、映画を上映する場所までチェーン化して、見られる映画が限られて、何処でも同じ作品の上映になってしまっている。勿論、動画配信者も同じ。
と言いつつ
本末転倒しているね。配給会社が少ないんだね。
まぁ、『出る杭は打たれる』って当該映画の中でも言っている。
『お栄』てはない。葛飾 応為である。多分、口語で言えば『かつしかおうい』である。つまり『かつしかおーい』なのだ。
彼女の書いた絵が、原宿の美術館に所蔵されている。
北斎は世界に誇れる芸術家ではあろうが、芸術品を金銭的価値として、市場に出した場合。残念ながら錦絵はただの印刷物である。つまり、同じ絵が印刷物として沢山あるし、現在でも版木があれば制作は可能だ。つまり、肉質画でなあいと、市場に出しても価値が落ちる。
先ずはそれを頭にいれておくべきだ。
1年後の旧国営放送の大河ドラマは、どうやら浮世絵関係の誰かが主人公のようだ。蔦屋さんは、浮世絵文化の功労者だとは思うが、残念ながら、芸術家だったとは言えない。
地中海のどこかで写楽の肉筆画が見つかったと報じられているが、芸術性はともかく、写楽と断言して良いか?それはまだ研究の段階である。
この映画は脚本家自身がお栄を演じていたのでストーリーに期待して鑑賞したが、北斎のビックネームに遠慮して、親父の方を主人公にしてしまっている。
また、円山応挙を含めれば、春画から大和絵まで書ける絵師として、円山応挙が江戸時代の代表的絵師と考えている。
円山応挙は春画から大和絵まで書いた画家と僕は決めつけている。
二回目の鑑賞であった。
名作一歩手前かな?
通してみて面白かったです。章立てで作ってありますのでサブスクなどで登場した時もキリの良いところで区切れます。
・表情と光(陰影)の演出が卓越している。特に、田中泯演じる老境の北斎には凄みが溢れていた。旋風での人々の様子を感じ取るところ、北斎の青の完成などはすげえを通り越して呆然としました。ラストの怒涛図を書き込んでいく若い北斎(柳楽優弥)との共演にはホロリとしました。
・一方、圧倒的にダメなのは、筆の音がマジックにしか聞こえない。これは圧倒的にダメだし興ざめ。
・史実は知らないので、アレなんですが、開眼/老境の北斎って、写楽の価値観(感じたことを表現する)、蔦屋の野心を持って絵を描いていった、ということですね。はい。
面白い作品ですのでぜひ観て欲しいです。
がっかり
日本の映画ってまだ進歩しませんね
誰が悪いんだろう。
『表現の自由』が厳しく制限されていた江戸時代という訳のわからない設定がされており、幕府(権力)=悪という左翼的な考え方がいかにもな作品となっております。まずもって今の価値観で評価するのは絶対に辞めてもらいたいし、史実を無視しちゃ駄目だよと言いたいです。
私は葛飾北斎を知ることができる映画だと思っていましたが、実際は北斎のメインじゃない青年期ばかりクローズアップされていて残念に感じました。しかも監督曰く「青年期は資料がないのですが、こんな人だったんじゃないのかなーって思って作りました」と(怒り)
映画の中では田中さんの演技が素晴らしかったけど、それ以外は残念ながら見所無しです。衣装とかも良かったかな。
映画は歴史や史実に基づいて作るか、それが嫌なら史実完全無視のぶっとんだ映画にして欲しいものです。この作り方だとこれが史実だと思っちゃう人が出てくるのが怖いです。
変な
田中泯の凄さよ。
北斎が富士山を描くようになった過程がわかったり、当時の絵が完成す...
当代一
田中泯、阿部寛、柳楽優弥、各世代のmy favorite actor 。
当然ながら映画館で観るつもりだったが、タイミングが合わなかった。
満を持しての観賞。
3人に加えて玉木宏、俳優陣の演技は良かった。
しかし、ストーリーにはなかなか入り込めなかった。
HOKUSAIとあえてアルファベットにしたのは、
ゴッホにも影響を与えたという当代一の国際的アーティストだからでは?
阿部寛が世界地図を広げた時には大きな展開を期待したが、
その後は幕府の圧力に収束。
田中泯の熱演を活かしきれない観があった。
謎の絵師、写楽の設定もピンと来なかったな。
つまらなくはなかったが、期待が大きすぎたか。
4章に分けたのは良かった
映像がとても綺麗で魅入ってしまいました。
初めて予告を見た時から、すごく見たかったのですが延期によって映画館へ観に行く機会がなくて、DVDで鑑賞しました。
俳優陣がても輝いていて、すごく良かったです。柳楽優弥さんが砂浜に絵を描くシーンが1番好きです。勝ち負けで絵を書いていた柳楽優弥さんが『ただ書きたいと思ったものを書くだけだ』と目覚めるシーンは顔つきもガラッと変わって痺れました。
その他にも阿部寛さんや玉木宏さん、永山瑛太さんなど魅力あふれる方々ばかりでとても感動しました。
これで江戸中がうちの出方に目ぇ凝らしやがる
映画「HOKUSAI」(橋本一監督)から。
浮世絵師・葛飾北斎の知られざる生涯、が主題なんだろうが、
どうもピンとこないで終わってしまった感じがする。
私が気に入ってメモしたのは、
喜多川歌麿、東洲斎写楽、そして後の葛飾北斎の才能を
見いだし世に出した希代の版元・蔦屋重三郎(版元)の台詞。
人気浮世絵の販売で、お上に目をつけられた「耕書堂」、
主人は、お上の立ち入りで大騒ぎするところを、
冷静に対処し、慌てずにこう口にした。
「まったくありがてぇもんだ。出る杭は打たれるってな。
つまりうちが江戸で頭1つ抜けた版元だって、
お墨付きをもらったってこった。こいつは恵みの雨ってもんよ。
これで江戸中がうちの出方に目ぇ凝らしやがる」
なるほど・・そういう発想は思いつかなかった。
目立つ、ということは、悪いことではないし、
逆に「打たれるくらいの杭」でなければビジネスはだめだ、
そう教えられた気がする。
それくらい繁盛している証拠だ、自信を持て・・と捉えた主人、
お上から、睨まれれば睨まれるほど、嬉しいんだろうなぁ。(汗)
美術担当さんの本気がやばすぎる
画で世ン中変えられる
江戸の浮世絵師、葛飾北斎。
遺した数々の名画は日本のみならず世界中、後世に多大な影響を与えた。
『北斎漫画』や娘・お栄を主人公にした『百日紅』などの映画他、メディア化も数知れず。
自分だって知っている北斎…の画や名。
が、その人物像は全くと言っていいほど知らない。謎に包まれている点が多いとか。
残された歴史的資料を基に、オリジナル・ストーリーで、その謎多き生涯に迫る…。
後に北斎と改名する貧乏絵師の勝川春朗。なかなか芽が出ない上に素行が悪く、師匠から破門。が、喜多川歌麿や写楽を見出だした版元の蔦屋重三郎に認められ、遂にその才能を開花させる…。
少なからず例外は居るかもしれないが、どんな歴史的偉人だって最初はそう。
認められない。
売れない。
何より自分の表現したいものが表現出来ない。
その渦中。
若き頃はそれと闘って闘って、悩んで悩んで。
才能を認め、引き出し、導く人物の存在。
重三郎の言葉が響く。
海の向こうにも国がある。たくさんの酒や女がある。いつか店を出す。
画で世の中を変えられる。
北斎が羽ばたき始めた瞬間。
作品は四章分け。
先述が一章。
北斎と改名し、売れっ子浮世絵師となった二章。
老年期の三章。
晩年の四章。
その都度その都度、盟友との出会い、時代に翻弄された苦悩、“画狂人”と呼ばれた画への執着が描かれる。
ユニークなのはキャスティング。青年期/老年期で二人一役。
反骨精神ありながら画をストイックに追い求め続ける青年期を、変幻自在な柳楽優弥が巧演。
しかしやはり、老年期を演じた田中泯が圧巻。その佇まいは勿論、画を見出だした時の演技や表情は何かの極みに到達したかのよう。
それぞれの北斎像を体現。
重三郎役の阿部寛、盟友となる戯作者・柳亭種彦役の瑛太も好演。
北斎のみならず、江戸の文化/風俗も興味深い。
そんな文化人たちを苦しめたのは、幕府の政策。
風紀を乱すような書物や画は一斉排除。その作者は対象。
表現の自由が奪われていく…。
実際、北斎の周りの人物たちも…。
それでも北斎は画を描く事を止めない。
こんな時でも。
こんな時代だからこそ。
かつてある人物が言った。
画で世の中変えられる。
それを今尚追い求め続ける。
北斎入門書としては見易い作品。
でもそれはそれで、良でもあり難。
だらだら薄く北斎の生涯を描くのではなく、青年期や老年期、盟友との親交、名画誕生の瞬間にピンポイント。そこから“北斎”を浮かび上がらせる。
しかしその一方、どうしても作品的に重みに欠ける。2時間のSPTVドラマのようでもあり…。この監督(橋本一)には荷が重かったか…?
比較するのは酷だが、往年の名匠だったらもっと見応えある作品になっていたかもしれない。それに北斎の事をじっくり描くなら、大河ドラマ向きかもしれない。
それから少々気になったのは…
江戸幕府の弾圧。歌麿は捕らえられ、種彦に至っては…。その悲しみのシーンはあるが、北斎自身に害は及ばず、ちと説得力が弱い。
晩年、不自由な身体で旅に出る北斎。様々なものを見、感じ、集大成となる画を描くクライマックス!…と思いきや、いつの間にやらあっさり帰宅。
時間経過やメリハリなど、もうちょっと巧みに付けて欲しかった気も…。
北斎や周囲の人物の事も知れて悪くはなかったが…、
細かい事言い出すとキリないのでこの辺で。
荒波、難波、苦波を越えて、
遂に辿り着いた誰もが知っているかの“波”。
夢幻、戯言ではない。
画で世の中変えられる。
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