シン・ウルトラマンのレビュー・感想・評価
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映画ウルトラマンではない映画シン・ウルトラマン
過剰に期待しないように、公開からある程度時間が過ぎた頃に、すっごく普通の状態で何気なく適当に映画館に入って「シン・ウルトラマン」を観た。とはいえIMAXで(笑)。ひとこと、映画ですね!ってのが感想。実相寺昭雄演出の作品だけ集めたオムニバスを観た記憶はあるけれど、基本ウルトラマンはテレビでしか観なかったから。いろいろと意見があるとは思うけれど、科特隊が「禍特対」で「禍威獣」とスーツ姿で対峙するっていうところから、やはり「シン」なのだなぁと思った。もう一回観てみようかな、いや、どうだろう、やっぱり観てみようか。特にこの作品は劇場で観る映画だと思うし、家の小さなテレビモニターで観る作品ではない。なぜなら「シン・ウルトラマン」なのだから。
人間愛溢れる大人向け作品
勧善懲悪モノでは無く、異星人(知識のある側)と地球側(知識が無い側)の言い分の狭間にウルトラマンが立っているのが、基本的な構成でしょうか?終盤にゾフィーの言っているセリフが、一方的で且つ、横暴でこんな発言している、いわゆる増長している人達っているなぁ、と思いながらも自分はどうかと考えさせられる。政治ドラマに関しては、賛否両論でしょうが個人的には好きです。
カイジュウは生物兵器で、メフィラス星人が目覚めさせてたのか、と思うと、いわゆる自称インテリと呼ばれる集団の本性が見えました。ヤバくなったら逃げるところなんかが特に(笑)
なお、既存のウルトラマンシリーズを期待して観ると外した感が有ると思います。
おれもオレも俺も!!
おっ、おおおお俺も3日間風呂に入って無い長澤まさみをクンクンしたい!!
序盤の怪獣vs自衛隊はハイライトでは無く時間割いてでも見せて欲しかったな。
中盤以降は宇宙人が日本政府に独自技術の売込み合戦だったので思ってた映画じゃ無かったけど長澤まさみの色気がかなりカバーしていた。
メフィラスとゼットンの扱いは賛否分かれるだろうけど、最後は米津玄師がカッコよく締めたので良いんじゃないかな?
これはヒーロー物では無い
全編CGの戦闘シーンはリアルで迫力がありました。
初代ウルトラマンの好きな人には非常に惹き付けられる出来だったと思います。
そこは良かったので2ポイントです。
でも、全体を通してはがっかりしました。
前半の怪獣との戦いは良かったのですが、面白かったのはそこまで。ザラブの出て来るあたり以降は興覚めでした。
何でこんな政治色が強くて、人間の嫌な部分を全面に押し出したような作り方をするんですかね?
素直に勧善懲悪な話を作った方が良いのではないでしょうか?
こういう話にしないとウケないんですかね?
メフィラスと密約して結果ウルトラマンが悪側になって、しまいにはゼットンで地球を消滅?
ゼットンが光の国の兵器?
何か平成ウルトラセブンの悪い所だけ持って来たような感じで、観終わった後に全く爽快感がありませんでした。
そんな重い話にしている割に、中途半端に遊びの部分が多い。
わざわざカラータイマー無くして、非人間的なウルトラマンにしている癖に、何で猫背でスペシュウム撃つんですか?
あとニセウルトラマン殴った時に、痛がるシーンまで再現して。
あれを痛がるんなら、ネロンガやガボラの光線を平然と受けられる訳が無いでしょ?
ガボラがパラゴンと同じ顔だと言ったり、胴体部は同じで使い回しにしてるとか、当時の製作費不足の苦肉の策に無理矢理理由をこじつけるようなシーンを入れたり。
カルトなウルトラマンファンへの受けを狙ってるんですかね?
それならばまず、「シュワッ!」と叫ばせるべきです。何で無言なの?
そして何より必要なのは、科学特捜隊です。
全員スーツ姿の、直接怪獣と戦わない連中なんて必要ありません!あんな奴らの出動の時に、”科特隊のテーマ”をかけないで欲しい。
ジェットビートルと怪獣との戦いを作って欲しかった。
しょうもない所にこだわるなら、βカプセルを取り難い場所に落として中々変身出来ずに苦労するようなシーンも入れてくれ!
まあ好みは人それぞれなので、この作品に大感激する人も居るでしょう。
ただ、私には受け入れ難い作品でした。
初めてバカにせず観られた特撮
昔特撮系嫌いだった派なんですけど
純粋にかっこいいと思いながら
観ることができた作品です!
庵野監督が日本で培われたいろんな武器を手に
世界と戦ったろうやないかいという
ある種闘争心のようなものを感じました!
かっこいいので次回作もたぶん見ます!
マジ・ウルトラマンだった。
鑑賞しながら延々と呟いてたのは、「これ、ウルトラマンじゃん。」当たり前なんだけど、ホント、この言葉が全て。ウルトラマンなんですよ。
シンって付いてるけど、あの昭和のウルトラマンがそのままにある。時代に合わせたアップデートとかじゃない。観ていて、「え?」ってなる感覚やシュールさを感じる空気感まで、あの頃のウルトラマン。
正直、私自身は40代前半なので、なんとか昭和シリーズの空気感を知っているけれど、平成生まれからすると、この具合、感じ取れ無いのではないだろうか。シン・ゴジラとは意味合いが違いする。
いや、だからこそ、ターゲットはそこじゃないから良いのか。ある意味自身の歳を感じさせられてしまった作品。
好きだけどね。
小学1年生の息子に観せたら意外とハマりそうだな。
やっぱり怪獣が好き
何か……何かいっぱい言いたいことがあったんだけど……
やっぱり怪獣が好き。
見終わったらこれしか言えなくなってしまった……
シンゴジがどんどん過去のものになって行くのが寂しかった。だってあれまだ平成だった。自分の感動がどんどん過去に行ってしまって風で飛んでいくような。
そこに宇宙からまた風が吹いてきたような。
そんな気持ち。
カッコいいです
コンセプトは比較的単純 地球人の情と愛の映画 行政用語とか科学用語が早口で出てくるので難しく感じます。 逆にそこがいいところだと思いました。
前半で 子供を助けたところでもう主人公は死んでいて 宇宙人に乗っ取られていたんですね。
全編に流れる BGM と効果音ですが 最初は一番古い昭和的なもので 物語が進むにつれて 歴代のウルトラマンシリーズのものと進化していきます 最後は最新のもの そして米津玄師で締めくくる。このこだわりは好きでした。
長澤まさみが巨人化する意味わからなかったので もう一度観に行きます(笑)。
セクハラ描写に感じてしまった
ウルトラマンはほぼ見たことがないので、ギャグなのか本気なのかわからない世界線に戸惑いつつ、最後はうっすらと感動しました。
でも、いくつかのセクハラ描写に違和感があります。
全体的に、おじさまたちのノスタルジックなお遊びなのでしょうか。。
日本が誇るコンテンツとして、恥ずかしくない描写をお願いしたいです。
良かった~
観ないと説明できないですね。
お子様には理解できないかも。
怪獣が日本にしか出ない理由もばるほど。
ゼットンの一兆度の火球、マッハ超え飛行の衝撃波などなど、空想科学読本熟読してるな~。
斎藤工のぶっきらぼうな話し方も役にマッチしてて納得。
長澤まさみはいい女。
シンエヴァよりよほど見応えあります。
ただ、1作ではなく、2~3作に分けて欲しいくらい内容駆け足でした。
あのウルトラマンの美しい造形が1作だけで見納めなんて寂しい。
実写版で劣化版のエヴァ
要するにウルトラマンの世界を借りた低予算の実写版エヴァに見えました。
制作陣はウルトラマンが好きなんでしょうね、それは伝わります。
でも、過剰すぎるエヴァ臭。オッサン臭い女性、格言、四字熟語の連発、絶望した人物への謎の上から目線ポジティブアドバイス、変なエロ要素、中ボス・ラスボスの使徒感などなど……。
せめてCGが豪華とか、セットの見応えがあるとかがあれば救われたかも知れないのですが。観ていて何だか恥ずかしくなりました。役者はどんな気持でこれを演じてたんだろう?と。
突然画質が粗くなるのも意味不明。役者同士がスマホで撮影し合っていたそうですが、何の役に立っているのか。そこで気分を削がれるので、映画に全く入り込めず。
メフィラスだけは楽しめました。あれは最高。この映画、山本耕史さんに救われたのではないかと思います。
愛が溢れてる
懐かしい映像をキープしつつ、うまくCGを使っているのがさすが。
庵野秀明展で観た大学時代の映像に、
お金と時間をかけるとこうなるんだなと大きく頷きました。
それでも嫌味でないのは、とにかく庵野さんがウルトラマンが好きで好きで愛情がダダ漏れているから。エンドクレジットにどれだけ細部に渡って庵野さんの名前が入ってるんだか!
シン•ゴジラが面白くなかった(ゴジラファンにとっては)のは、ゴジラへの愛が残念ながら感じられなかった。さすがと言いたくなるような場面もいくつかあるけれど、あの映画で描いていたのは、現象としてのゴジラとそれに翻弄される人々だったから。
アレもアレも出てないし、もっとカイジュウとのバトルを見たかったけど、それを入れるとあの時間ではまとまらないし仕方ない。
ラストのウルトラマンとアレの対話シーンでは涙と震えが止まらなかった。
そう、ウルトラマンはこうなんです。
私たちは守られるべき、守る価値のあるものなのだろうか。そうあらなければいけないとしみじみ思いました。
帰ったらウルトラマン全話を見直したい。
とにかく興奮が止まらない。
また観に行かなきゃ。
この星の生命体は、命を賭すほどの価値があるのか、ウルトラマン?
かいじゅうは怪獣でなく"禍威獣"と書く。かとくたいは科特隊(科学特捜隊)ではなく"禍特対(禍威獣特設対策室専従班)"と書く。TV版に寄せているのかもじっているだけのか、よくわからないが、諸々、非現実的なSF話を、日本政府や自衛隊を出してきて現実的な設定に置き換えているのが、なんかまじめのようで、コメディのようでもいて、好感でしかない。それに、「なぜか我が国にだけしか出没しない」とか「アプリで言語変換している」とか「(飛んで行ったウルトラマンは)中空で消えた」とか、ぼくらが子供の頃、みんなで粗さがしをしてたことをちゃんと解決してくれている。しかも、名だたる役者たちがまたぞろ出まくっていて、しかも大真面目な顔をして(演技なのだから当然なのだが)、カイジュウ、カイジュウ、と慌てふためき、こちらの熱を冷めさせない。禍特対のメンバーも、メフィラスも、政府高官たちも、結構早口でまくし立てるので、半分以上なに言っているかわからないけど、一般人にはわからないことを議論しているって空気がわかればいいんだろう。そして、それぞれにはそれぞれの大義があり、思惑もある。その中でウルトラマンは、まるで、知らない土地に来たにも関わらず言葉少なに任侠の筋を通して弱い立場に肩入れする木枯し紋次郎のように、自己犠牲も厭わず、黙して戦い、そして何も求めず去っていく。多少の無茶があったとしても、結局、こういう話に弱いのよ。なんだか、自分でも何言ってるかわかんなくなってるけど、この話自体がなんだかわかんない話なので、ちょうどいいか。
追記
どこかで感じていた記憶のある既視感は、そうだデビルマンだ。いいのかこんな奴らのためにと問われる主人公。おそらくデビルマンのラストをそのまま移植しても成立しそうだわ。神永にとっては悲しい結末になるだろうけど。
細マッチョウルトラマン
細マッチョのウルトラマンにはカラータイマーもないし、背中の背びれ?(ファスナー線)もない。そして、シュワッチと言って飛ばない。
ある意味斬新なこと
ずいぶんほっそりイメージ。
劇中でそもそも全裸なのか?服着てるのか?
そうか❗️素朴な疑問言うもんだなぁ。
と、変に納得。
それはともかく、子どもの頃のウルトラマンは怪獣が出てきて、科特隊が戦ってダメだというところでウルトラマンが現れるっていうのが定番だったけど、現代のウルトラマンは、もっと背景が複雑なわけね。
ゼットンが当時とは違うスタイルなれど、あの音は昔と一緒だよー
もう一度、「カッコいい」ということを確かめる
いくつものコンテンツを経て大人になった。
ウルトラマンはそんなミームのひとつ。
どっぷりハマった期間があった。
当時、ウルトラマンに夢中になり
何度も何度も地球を救う「ごっこ」に興じた。
やがてウルトラマンから離れた私は現在40歳。
これまで新シリーズをチラ見することはあったが
楽しめるものでは無かった。
当然のように子供向けに作られていて
ウルトラマンは男の子が通過する点のような作品だと
思うようになっていた。
しかし、本作を通して再び熱が蘇った。
素直にカッコいいと思えた。
何より脚本が素晴らしかった。
大人が興醒めしてしまいがちな
欠落していた設定は緻密に補完されていた。
ウルトラ怪獣を見事に配置した地球を救う物語は
完成度が高く
アニメ作品を具現化したような特捜隊のキャラクターは
オタク心をくすぐるエンタメ要素として充分機能していた。
その結果、
ちゃんとウルトラマンなのに
ちゃんと大人が見ても楽しめた。
余談ではあるが見る前は全く期待していなかった
シン仮面ライダーに期待が持てた。
オープニングのワクワク感
オープニングで多数の怪獣のシーンが出てくるのがすごく興奮した。
現代の技術で再現するからもう最高!
しかし、本編に入るとザラブ星人、メフィラス星人と星人ばかりの対決は見てて物足りなく、ガボラに至っては先端がドリルになっていて地中に潜れると言うもう怪獣ではないと心中では叫んでしまった。
ゼットンももはや怪獣ではなく、もっと怪獣との対決を望んでいたのに。カラータイマーは無いけど実質3分以内の対決にしないで科特隊と協力して苦労しながら怪獣を倒すようにして欲しかった。今回は八つ裂き光臨の使用が多かったな。
もう科特隊(禍特対)は存在意味が無かった感じ。
昔でいうキャップ役が西島秀俊さんでやっぱりっていう感じで頂けないし、イデ隊員出してくれよ。
また、流星バッジもただの飾りになってしまった。
それからウルトラマンは声出せよ。「シュワッチ」とか声が無いとすごく無機質な感じ。
なぜ、タイトルバックでウルトラQからウルトラマンに変わりウルトラマンの歌に繋がるのにウルトラマンの歌が無いんだよ。あれが無いとウルトラマンがそもそも始まらない。
最初のワクワク感からは程遠いぼやきになってしまった。
われらは科学特捜隊
ウルトラマンっぽい話しだったよ。
科学特捜隊を禍威獣特設対策室専従班にして禍特対としてたけど、普通に科学特捜隊で良かった気がするな。
地球より優れた文明を持った宇宙人がやってきて、地球人に色々やろうとするよね。
それを「人間は良い奴らだ」みたいに思ったウルトラマンが食い止めてくれるっていう。
原作でも、光の国の人たちは地球を見下してる感あるんだよね。
初代ウルトラマンでバルタン星人が『我々は地球に移住する』って言ったときに、ウルトラマンが『地球人と平和的に共存するなら認めよう』って答えるんだけど、M78星雲から来た奴が勝手に地球代表として答えてんだよって感じがあったの。
その辺の、進んだ文明を持った宇宙人が、まだ劣っている地球人をどう扱うかで意見が分かれたりするところが面白かった。
科特隊を描くところでは、官僚組織の裏側も描いてリアル感出そうとしてたね。
それもあって、スペシウム光線はなんなのか、物理的・科学的に出すことはできるのかって分析もやってる。
でもここはなくても良かったかな。
ゴジラは元から現実に即した対策を打ってるけど、ウルトラマンは少し荒唐無稽だしね。そのまま押し通しても良かった気がする。
ゼットン出てくると寂しいね。「こいつには負けちゃうんだよ」って。
太陽系を滅ぼす最終兵器ってことになってたけど、ゼットンってZから来てるんだっけ。それなら最終兵器でいいね。
色々あっても全体としては、M78星雲からやってきた正義の味方が地球を守ってくれるっていう話で、観てて面白かったよ。
娯楽映画の佳作
自分は、初代ウルトラマンはしっかりファン。
しかしウルトラシリーズのファンではない程度。
頭を空っぽ付近にして観る痛快娯楽映画としては4.0。
脚本的な迫真性や、初代ウルトラマンとの比較ありなら3.5。
どちらにせよ、自分としては、娯楽映画としてもリアリティ映画としてもきびしい出来に見えた「シン・ゴジラ」よりは面白く観られた。
以下、長文にて指摘。
なお、あえて一般的になった旧語を用いる。
<よかった点>
初代ウルトラマンのリビルドが、2022年の映像技術で観られたのは嬉しい。
怪獣や怪人との戦闘は大迫力で、興奮した。
<イマイチだった点>
●ひとつの映画として
・脚本
効果的に繋がっていないと感じる要素が多い。
作戦立案担当官神永(中身はウルトラマン)と分析官浅見は「バディ」を組むことになるが、絆が深まるような段取りがなく、シーンごとに信頼と失望を繰り返すような「制作側の、ご都合言葉としてのバディ」で突き進む。実際、浅見よりも神永の元同僚の方がいつの間にか早く信頼関係が築かれているなどの迷走感がある。
中盤は善のふりをして政府に近づき人類抹殺を狙うザラブ、善のふりをして政府に近づき人類の兵器在庫化を狙うメフィラスが続くが、敵としてスケールアップしているものの直感的には伝わりづらく、中盤同じようなエピソードが繰り返されている印象を持つ人は多いだろう。
結局、メフィラスに人類巨大化装置を返しても「巨大化できる可能性があるので滅ぼす」と決めているゾフィーがいた(浅見が巨大化した時点でこの理論が成立する)ので、メフィラスとの戦いは無意味だった。また、ウルトラマンはゾフィーが現われなければメフィラスに負けていたような描写をされており、ゾフィーに助けられたものの今度はゾフィーがゼットンで太陽系破壊に動くので、茶番に付き合わされている内容になってしまっている。ゼットンはウルトラマンの命と引き換え+人の力で撃退できるが、それだけのことで都合よくゾフィーが心を変えてくれて束の間の平和という結末。後半は茶番的な内容が続いてしまっている。また、作中で描かれたのは「ウルトラマンと科特隊の絆」であり、人間神永と科捜隊の絆が描かれていないから、ラストシーンで「人間の神永」が復活しても、科特隊の面々が手放しで喜ぶとは思えない。新たな怪獣・怪人たちの飛来もゾフィーから示唆されているので、かなり絶望的な状況に思える……という風に、諸々においてうまく流れていない。
なぜ地球1つ潰すために太陽系を消滅させるほどの火球を長々とチャージしてくれるのか、神永のUSBメモリを船緑はなぜ数時間~数日放置していたのか、なぜその解析を待たずにゼットンとの一戦目に向かったのか……などは、「クライマックスを作るため」以外の理由がない(作中世界でのリアリティで考えれば変であり、製作サイドの理由しかない)ので、シンプルに雑。
最後の敵が「太陽系を一射で破壊する宇宙要塞」というのも、盛り上がらないと感じた。様々な作品で大ボスやラスボスを「とにかく大きな敵、言葉上スケールの大きいことをしようとする敵」にしたがるが、「同じぐらいの大きさの人型」より盛り上がる要素がないことは、わかってほしい。
また、光の国が恐るべき思想と約定のもとに宇宙活動をしている組織と発覚するが、そうであるとウルトラマンがなぜここまで地球人に肩入れするようになったのかという点において、遡及して疑問が残る。「弱者をかばって死ぬ生物を、知りたかったから」らしいが、今まで他の星でそのようなことはなかったのだろうかと疑問に思い、没入感を損なった。
・演出
特に後半手前まで顕著だが、浅見に対してなかなか濃い趣味のセクシャルさを感じるシーンが多い。人間が生来的に持つ身体的な美をモチーフにしているのかと思えば、男性や同じ女性である船緑に対してはそういう撮り方がないので、意味不明というか、制作側の下品な趣味要素を見せられたように感じる。そして、そう思えるほどそのやネタが頻度が多い。本筋や映像演出として効果的に絡んでいる要素ではないので、ノイズと感じた。脚本的には尺が足りていない状態なので、浅見の背後を映し続ける登場シーンをあそこまで長々と入れたのは趣味を優先したミスに思う。
●初代ウルトラマンと比較して
初代の脚本や演出をパロディしていた要素は当然に理解する。
しかし、いくらマルチバース世界観?とはいえ、残念に思うアレンジがあった。
・ゼットン
前述の通り、持ち運び可能な、太陽系消滅の超巨大砲台ユニットとなってしまった。
殲滅力は(空想科学読本も踏襲して)スケールアップしたが、初代最終話のゼットンの恐怖感と比べて「怖さ・絶望感」があったかというと、かなり落ちてしまっている。つまり「設定上のもっとすごいものを作ったが、映画上でははるかに弱く見えている」という、55年前の脚本・映像に対する敗北が起きている。
・光の国
各ウルトラマンの故郷だが、本作では「地球人はいずれ自分たちに並ぶ存在になる可能性があるから、大事を取って殲滅することにした」「1億何千万ある、生命を抱える星の1つが消えるだけだ、何も問題はない」という、メフィラスの方がまだ理性的という超理論をぶつけてくる。将来有望な新人がいるから、とりあえず抹殺しておこうという理念で動いているらしいのだ。善悪の段階でわかり合えないのもつらいが、とにかく器の小ささにがっかりする。これだけは、忘れたい出来事。
・結局ウルトラマンの力で勝ったラスト
初代では、ウルトラマンが敗れ、科特隊(人間)がそのゼットンを倒すという結末だった。いわゆる人類の親離れ、独立を描く結末が美しかったと感じている。
しかし本作では、人類も希望を捨てず頑張る展開があるものの、それでなお最終的な決め手はウルトラマン頼みである。外来星人(わかりあうのが困難な相手)と人間の相互理解・共闘による勝利、というテーマに変えたとも見られるが……自分としては、初代のテーマ性の方が好きだった。これは、好みの問題でしかないと自覚する。
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以上となる。
戦闘シーンを楽しみに観る娯楽作と思えば、不満は薄い。
なので、観て後悔したというようなことはまったくない。
光の国の設定が残念すぎるので、このシリーズで続編が出たときに観るかどうかは考えどころ。
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