オフィサー・アンド・スパイのレビュー・感想・評価
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抑えた演出、それがいい。
まずお話(史実に忠実なんですよねぇ〜?どうなのかな?)自体が面白いというか、スペクタクルなんですよね。時代的に軍、司法、国家も巻き込んでいるかな?それらの組織全体を敵に回すという壮大な1人対組織という物語。会社という組織に属している自分からしたら、ピカールすげえ、、、の一言です。尊敬するけど、友達にはなれないかなぁ(笑)だって、最高に偏屈っぽいし、心開く人じゃない=ワキが甘くない人っぽいし。そんな方が負けが見えている戦いに自身のポリシーを守るために挑むってのが熱いじゃないすか!
本作この逆転劇(と言っていのかなぁ?)にエンタメ要素を盛り込んでいないところが良いですね。意図的なドラマティック演出がなく、非常に抑えている雰囲気です。けどねそれが良いと思うのです。映像は綺麗なんだけどずーーーーっと暗い。どんよりと重苦しい。これも時代つてことなんでしょうかねぇ。劇的な展開ではあるものの、語りたいのはそこじゃなくって作品全体にずーっとある反ユダヤ主義とナショナリズムのテーマを語りたかったのかなぁ?なんて思います。そこを強く出したかったからこその、非ドラマティック展開だったのでないかなぁ?終始「おかしいじゃん!こんなの」なオンパレードで。
ピカールはまぁ道義的に「?」がつく女性関係はあるにせよ(フランスは寛大なのかな?)偏見を持たない男。周りに流されない芯の強さと妥協をしない強さを持っています。彼だからできたのでしょう。けどね、彼のような想いは多くの人々が持っていなければならないはずなんだけどなぁ。なぜに安定を手に入れるとそれを壊さないようにするために、やってはならないことをやり始めるのか?正直になれなくなるのか?悲しいですよね。
本作は社会派ドラマとして秀逸だと思いますし、そこそこ長いのですが気にならない面白味はあります。ですが、過去の性暴力事件の前科があり嫌疑が多いポランスキーの作品ということで評価は下げてます。芸術家の前に、人間でなければならないと僕は思うのです。はい。
嘘と真実の戦い
本作品は、嘘を吐いて他人を貶める人たちと、真実に忠実な人たちの戦いの物語である。原題はエミール・ゾラの「私は告発する」という弾劾文書のタイトルで、邦題もそのままのほうがよかったと思う。
大抵の人は、嘘を吐くのはよくないことだと教えられて育っている。そんなふうに教えるのは、子供に嘘を吐かれると大人が困るからだ。だから嘘を吐くことには子供の頃に刷り込まれた罪悪感が伴う。世界のどこでも同じだと思う。嘘は悪いことだというパラダイムがワールドワイドに続いている。
ところが、嘘を吐くことにまったく罪悪感を感じない人間もいる。自己愛性パーソナリティ障害でおなじみの元総理大臣がその典型で、国会で118回も嘘の答弁をしても反省も何もなく、総理大臣を辞めたあとも「日銀は政府の子会社」などという嘘を平気で吐いている。彼と仲よしのトランプもプーチンも嘘を吐いて世界に大きな被害を与えている。どうやら嘘を吐いても平気な人間でなければ権力者にはなれないようだ。
権力を支えるのは役人と軍人である。それぞれ、役所と軍隊の利権を守るのが仕事だ。組織を守るためには、間違いは認められない。つまり組織ごと、自己愛性パーソナリティ障害に陥っていると言っていい。
しかし中には自分は嘘を吐けないという役人や軍人がいる。そういう人は強要や脅迫の被害者となり、場合によっては左遷や減俸の憂き目に遭う。日本では公文書の改竄を命じられて自殺した赤木俊夫さんがいた。本作品では主人公のジョルジュ・ピカールである。彼は軍律に従いながらも、真実に忠実な毅然とした態度を崩さない。この難役を、映画「アーティスト」で米アカデミー主演男優賞を受賞したジャン・デュジャルダンが見事に演じている。
虚偽を排して真実だけを口にする人は、心が穏やかな日々を送ることができる。しかし嘘を並べ立てて虚偽に生きる人は、常に不安である。本作品で描かれる裁判のシーンでは、落ち着いた表情のピカールに対して、将軍や大臣の不安そうな顔が強調されている。この演出は上手い。
軍の名誉などといった意味不明の概念のために、世界中でどれだけの嘘が積み重ねられているかを想像すると、軍そのものが嘘で塗り固められていると感じる。
第二次大戦中の日本では、軍の名誉のために一億玉砕というスローガンまで生み出され、国民はお国のために死ぬことが善であるという嘘を信じ込まされた。何より恐ろしいのは、2022年の現在も、死んだ兵士を「英霊」などという嘘の概念で祀り上げていることだ。あの戦争は全部が嘘だったと認めなければ、日本に平安が訪れることはない。
人類は進歩しているのか
19世紀末のフランスで起きた有名なでっち上げ事件が舞台。
本映画は①人種差別と②権力者の横暴が主題。
①もともとフランスは差別がきつい国である。
フランス革命で「自由・平等・博愛」を標榜していても、あくまでそれはガリア人が対象であって、辺境のビスケー(バスク)やアルザス・ロレーヌ地方の種族は対象外。
ましてやユダヤ人やロマ人(ジプシー)は論外。
近年でも繰り返されるフランス政府によるロマ人の国外追放はEU諸国から度々非難されているほどである。120年後の現在でも差別が歴然と残っているのである。
現代の我が国においても人種やその他の差別は潜在的に残っているのが実状である。
これは他人事ではないし、我々も他国の人から色眼鏡で見られているのである。
薄まることはあってもこの問題は永遠に解消されないのかもしれない。
②国家(為政者、権力者)は自分の意図する方向に物事が進まない時は、法・真実を曲げてでも無理やり力ずくでその方向を自己の都合のよい方に向かわせることがある。
古今東西そのような例は枚挙にいとまがない。
特に最近のポピュリズム政治家にその傾向が顕著である。
それを解消・阻止するにはどうしたら良いのか。
それを考えさせるためにポランスキーはこのテーマを選んだのだろうか。
さて映画としては後半部分で若干の盛り上がりがあったものの不完全燃焼で終ってしまった。
なぜ部下たちが虚偽の工作をしたり証言をしたのか。
それは上層部からの指示に基づいて行ったのか。
なぜ部下は最期に真実を自白したのか。
そんな事が分からず終いでした。
それにしても邦題のネーミングはひどい。 これじゃ売れるものも売れない。
名匠らしい風格
ポランスキー選手だからてっきり英語のアメリカ映画と思ったら、フランスが招いたフランス語によるフランス映画でした。しかし、画面の雰囲気や映像のカンジは完全にアメリカ映画のノリです。
さすがの名匠なので格調高い大作風ですが、淡々としたサスペンスでケレンやスリラーはありません。
欧米人には有名な事件なので事前にドレフィス事件は調べておいて真犯人の名前は覚えておいた方がいいでしょう。
映画では軍上層部の隠匿と横暴を主題に描いていますが、歴史的にはむしろ欧州におけるユダヤ人差別が大きな要因になった事件なので、そちらの側面をもう少し強調する脚本と演出が望ましいですね。
真実が脅かされたとき
ドレフュス事件
19世紀末普仏戦争で
プロイセン帝国に負けるも
その後の経済復興に沸くフランスで
起こった国家権力の腐敗を
露にした冤罪事件
背景には敗戦からくるプロイセンへの
憎悪を煽る急進右派と
宗教的背景からくる
ユダヤ系移民に対する元来的な
レイシズムが引き起こしており
この事件後にユダヤ系移民で
起こったエルサレムの地を
取り戻してユダヤ人の権利を
侵されぬ国を持とうという
「シオニズム運動」から
イスラエル建国につながった
事件と言える
ユダヤ系出身のロマン・ポランスキー
が扱うのは当然であろうテーマで
世界史の教科書で見たような
サーベルを公衆の面前で折られる
有名なカットを完全再現するなど
していました
国家権力の暴走がもたらす
恐ろしい事を多面的に内包しており
非常に考えさせられる映画でした
話は
国家機密漏洩罪で有罪となり
軍籍を剥奪されたユダヤ人の
ドレフュス大尉が無実を訴えつつ
孤島に収監されるシーンから始まり
その様子を複雑に見つめる
軍学校でドレフュスに指導していた
ジョルジュ・ピカール大佐の姿から
話が始まっていきます
ドレフュスはピカールにとって
軍学校で点数を低くつけた時に
私がユダヤ人だからかと問い詰めて
きたりする「めんどい生徒」で
あった事を覚えているものの
自分としてはそんなつもりはなく
公平に務めていたつもり
そんなドレフュスがその
機密漏洩に関する疑惑を持った時も
ピカールはそうなのだろうと
思っていましたが
そんな彼に防諜部トップへの
転属指令が来ます
前任者が梅毒になり
業務不能となった事に
よるものです
防諜部はその名の通り
フランス軍の機密漏洩に関して
目を光らせる部署ですが
ピカールが着任してすぐ気が付いた
のは役立たずの守衛や昼間から
遊んでいる工作員等の姿
前任者から続く部下アンリも
独自に私文書を入手し処理
しているなどどうも怪しい感じ
ピカールは前任者を訪ねると
病床ながら調査に関する資金と
スパイ疑惑のある軍人のリストを
渡され「真実を暴け」という
ニュアンスの助言を受けます
手始めにピカールは
・役立たずの守衛や工作員はクビ
・文書はまず自分の所に持ってくること
・信頼できる警察官と組む事
など組織改革を行います
ピカールが調査を進めると
そもそもドレフュスが対外的に送った
軍事機密に関するメモは筆跡鑑定人が
ドレフュスと一致したからという理由で
有罪となったと言われているが
調べていくとスパイリストにもあった
エステラジーという軍人の書いたもの
であるという事実をピカールが
突き止めます
そもそもドレフュスがスパイに加担する
金銭的問題を抱えていたわけでもなく
そのメモ以外何ら証拠がなく有罪に
された事について驚きます
ちなみに軍がドレフュスを陥れようと
するシーンについてはもう客に
明かされてしまいます
上層部もアンリもグルで
ユダヤ人のドレフュスに罪を
擦り付ける気マンマンなとこは
ハッキリしてます
(このシーンの挿入については
もっと後でよかったかな)
ピカールは真実の追及に基づき
エステラジーが追及されず
ドレフュスが陥れられた理由を
たどっていくと将軍に呼ばれ
この件に触れるなという
「命令」を受けます
ピカールは真実を曲げることは
できないと突っぱねると将軍は
防諜部に来てドレフュス
(が書いたことになってる)
メモをアンリと組んで持っていき
翌日に新聞の一面にその文書が
大々的に公開されピカールは
「機密を漏洩させた罪」に問われ
査問を受けます
そしてかねてより関係があった
外務大臣の嫁さんとの関係も
暴露され完全に報復を受けます
国家権力が完全に腐敗して暴走
それでも自分が軍人ですから
八方ふさがりと思ったピカール
ですがそこで名乗り上げたのが
ユダヤ人作家のエミール・ゾラや
オーロール紙などの民間メディアが
ずっと名誉回復運動を続けていた
ドレフュスの弟などと共に協力を
申し出ます
もはや自浄が困難な巨大組織の
是正は外的に行うしかありません
この時にゾラがオーロール紙一面に
乗せたフランス軍を相手取った
この冤罪事件に対する告発文
「J`Accuse(私は弾劾する!)」
によって世論はフランス軍が正しいか
真実の追及かと二分されます
(原題がこのJ`Accuseなんですよね)
月日は費やしたものの
これらの努力によりピカールらは
ドレフュスの再審まで勝ち取ります
とはいえ
19世紀といってもまだ原始的であり
ピカールがアンリが文書を捏造したと主張
アンリは捏造などしていないという主張
の正解を「決闘」で決めるなど原始的な
事が行われます
結局ピカールはそれでも勝ちますが
アンリは収監先で自殺し真相は闇の中
状況的には完全に軍の捏造で裁判を
進めれば進めるほど軍が不利なのに
弁護士を暗殺されたりして
結局ドレフュスは完全な無罪を勝ち取れず
禁固刑を食らいます
印象的だったのは
もう罪を認めた方がドレフュスは早く
家族に会えるのにと言われても
ピカールは
「それでは意味がない彼は無実なのだから」
と意に介さなかった部分
月日を惜しんで真実を曲げてしまう
可能性もある場合があると言う
恐ろしさも描写しています
ドレフュスは禁固刑後軍務に復帰し
大臣となったピカールに面会を求め
要求した事は「剥奪期間中の階級の回復」
あんたその間に大臣になったんだから
という事で相変わらずの「めんどくさい奴」
ぶりを発揮しながら変わっていない姿に
ピカールは私の立場は「君のおかげ」と
不思議な感謝をして終わります
この事件の要点をまとめておくと
この事件のポイントは
・ドレフュスは完全に証拠不十分の冤罪
・軍は機密情報漏洩を盾に罪を着せた
・では何が機密情報かは客観性ナシ
・真犯人は国外逃亡
と国家のさじ加減でどうにでもなってしまう
民主主義国家であっても十分ありえる
事が19世紀にもう起こっていたこと
今でも国税局の職員の給付金詐欺の
真犯人なんて納税してる立場からすれば
なにがなんでも見つけ出して晒しものにしろ
と思ってしまいますが
どーせ公務員は保護されます
なんか最近だとマスコミも
擁護するじゃないですか
マスコミは一回滅ばないといけません
身内の不祥事に甘い奴らなんて現代も
変わらないのだからこの映画を観ると
昔の話ながら全く身に迫る思いに
なってしまうと思います
いつでもどの国でも同じようなもの?
裁判にかかる年月の長いことにまずビックリ!
19世紀ですよね、平均寿命だって今より相当短いはず、関係者に亡くなる方はいなかったのかなんて要らぬ心配。
作品の展開が日付の出ない時に、いつの場面なのか理解できないときがあってモヤモヤした。
国や組織の体面を守ることが真実の解明よりも優先したり、人種に対する偏見、ポピュリズムに走りがち、など今もよく目にする光景に辟易としました。
しかし、真実を明らかにしようとする不屈の精神を持ち合わせる面々がいることに救われました。
骨太の作品でした。
偏見と差別は今も変わらない!
邦題では何の映画かわからなかったが「ドレフェス事件」の映画化。ここのところ19世紀の物語りばかりを読んでいたので、早速、出掛けた。描かれるのは19世紀の末のフランス国民。軍と政府は事なかれ主義に溺れる。そんな権力を応援する反ユダヤ主義。パリは20世紀のベルリン(ナチス)を非難できない。ポランスキーは敢然と不正を暴くピカール中佐と反ユダヤ主義を批判し、真実を貫き、大衆に非難されるエミール・ゾラの戸惑いを映像化する。
戦場のピアニストと並ぶポランスキーの正統派映画!
ポランスキーが亡くなったら、戦場のピアニストと共に代表作として紹介されるでしょう!今撮っておきたかったという意欲は感じるのですが・・真面目すぎる!もっと不真面目なポランスキーも観たい!女性にお勧めがはばかられるロ―ズマリーの赤ちゃんや反発、子どもが観てはいけないおとなのけんかや毛皮のビ―ナス、劇場公開すらされなかった欲望の館やテナント、みたいのがみたい!
ポランスキーはイ―ストウッドと並んで60年代から活躍しているから、また何かやってくれるでしょう!
ところでパーティーのシーンで、チラッと出てましたね、ポランスキー!
ユダヤ人描写の変化=監督の心境の変化??
同じユダヤ人迫害系だと、この監督は「戦場のピアニスト」を撮ってますが、
あの映画は、「ユダヤ人って、とってもかわいそう!かわいそう!」一辺倒だったのに対し、
今回は、ユダヤ人のド厚かましさも描いていて。
まさかの「階級あげてくれ〜!」にドン引き…。
なんとなくユダヤ人が好かれていない理由が透けて見えるような描写が散見されました。
自身もユダヤ人であるのに、割と客観的なユダヤ人描写になって来たのは、
やはり88歳になって、お迎えが近づいて来た事とも関係あるのか、ないのか。
知りませんけど、心境に変化があったのは確かでしょう。
ここで逃亡生活をやめて、アメリカに戻って罪を贖う事を選択したなら、、、
そういう心境の変化であるなら良いですよね。
だって今のままだと、「自分のこと棚にあげた作品ばっかり撮ってた監督」て評価で終わりますよね笑
フランス人の2つの側面を想起
「最後の決闘裁判」を観たときになんて強引な裁判だと感じた。時代が時代だから仕方ないが、暴力ですべてを解決する中世のフランス(フランスだけではないが)を怖く感じたことを覚えている。あの映画の時代から500年がたった時代が本作の舞台。
この手の冤罪事件を扱う映画だと、権力者たちの保身やいい加減さが描かれるものだと思っていたが、もう完全に予想通り。あの手この手で自分たちが下した判断は間違っていない!と主張し工作する姿は醜悪でしかない。
でも予想外の展開となったのが決闘シーンがあったこと。500年もたっているのにまだこんなことやってたのか!フランス人はどれだけ決闘好きなんだよ!
たとえ自分が間違っていても納得のいかない結論になるなら暴力で解決しようとする。この発想は時代も地域も超えて、DVを繰り返す男たちに脈々と受け継がれているのが恐ろしい。
この話をただの友情物語にしなかったのも憎らしい演出。フランス人は正義のために行動するのだ!みたいな監督のドヤ顔を想像してしまった。ま、暴力で解決しようとしたのも、正義のために行動したのもどちらもフランス人の側面と言える。そんなフランス人感を考えさせられた映画だった。
ポランスキー監督に敬意を表して
史実に基づく物語り。との事。
でですね。
「これは過去の物語りでは無い」と言う謳い文句。
国家権力による事実の隠蔽。情報の改竄。
って事を言いたいんでしょうけど。
それだけじゃねーよ。
国家機密情報の漏洩。これ、現在の日本から、あっちゃこっちゃに漏れまくり。のみならず。工作員もワンサカ活動中。
って事で。「スパイ」も過去の物語り、他人事じゃないですもんね。
映画本編は、ピカール中佐を軸として、テンポよく淡々と進んでいきます。見やすくて分かりやすい、親切設計です。電子データによる通信が存在しない時代、アナクロで現物主義。証人による証言に頼る裁判は中世的でもあり、権力者の思い通りに進むだけやん!と言う絶望感に満たされて行きます。
劇中、速射能力が向上した75mm野砲が登場しますが、年代的にはM1897 75mm野砲と思われ。これは、砲撃の反動を、砲身のみを後方にスライドさせることで減衰すると言う、革命的な野砲で、フランスで開発・製造されていました。ドイツが開発した野砲は、砲身のスライドに液圧とバネを使うハイブリッド方式。フランスの気圧式に比べて、大型で重量がありました。野砲は軽量であればあるほど機動力が高いため、フランスの野砲はドイツ製に比べ、運用上圧倒的なアドバンテージを有していました。
ドイツは、その設計情報が、のどから手が出るほど欲しかったと思われ。結局、設計情報は得られないまま、もしくは手に入ったが製造に成功しないまま、第一次世界大戦に突入します。
ちょっと意外だったのは、これほどの機密情報を漏らした(冤罪じゃあるけれど)にも関らず、軍法裁判の判決は禁固刑なんだ、と言う事でした。これが帝国陸軍なら切腹ですもん、確実に。
贅肉無しでサクサク進む物語りは、リアリティに富んでいて好印象ですし、顛末のビターな感じも、個人的には好き。野戦では戦況を左右しかねない機密だったと思うんですが、演出がサクサクし過ぎてて、そこんとこもサクサクと流れてしまった点が、ちょっぴり残念ではありましたが。
良かった。普通に。
現代日本
100年以上前にフランスで起きた事件ですが、現代の日本と重なる部分が多すぎて・・・
映画はスリリングなポリティカルサスペンス仕立てでエンタメとしても非常に優れていると思います。
安倍晋三をはじめとする自民党の御歴々に是非観ていただきたいです😊
軍への忠誠か自らの正義か
19世紀末のフランス。ユダヤ系のドレフュス中尉は機密漏洩容疑で離島の監獄送りになった。士官学校で彼の教官だったピカールは、反ユダヤだが正義感が強い男で、ドレフュスの無実の証拠を見つけた為、軍の上層部に再審を提言する。だが事無かれ主義の軍に相手にされず、独自に調査を続けていくと、書類の捏造が判明する。しかし・・・
フランス国内を騒然とさせた有名な冤罪事件らしいです。
知らない事件だから退屈するかもと思いましたが、複雑な事件を分かりやすく整理して見せ、緊迫する場面が続いて目が離せなかったです。
ほぼ同じ服装(軍だから)の似たようなおじさんが何人も出てきて誰だっけ、となりましたし、時間も前後するのですが、今は何年の何月かという点を注意していれば混乱しません。
この時代でもユダヤ人は疎まれていたのはなぜなのかと思いましたが、ドレフュスはおそらく優秀で、忖度せずに自分の意見をはっきり言うタイプ。それはピカールも同じなのですが、フランス人じゃない事で、無実の罪に陥れられ、証拠まででっち上げられます。もしかしたら宗教的な確執もあるのでしょうか。
自分達とは違うからと差別したり、目障りな人間を排除しようとする構図は、日本でも、関東大震災のあとに朝鮮人がいわれなく殺害されたという話を思い出すし、現代のいじめにも通じる気もします。
本作は、分かっている事実のみから真実を導き出そうとする重厚な映画でした。
ピカールは情ではなく信念で行動する男なので、ドレフュスとの距離感が縮まったりはせず、無理に感動的にはしません。
権威に弱い人々の中にあっても、不正は許さないという熱い想いの人々もおり、マスコミも奮闘しました。ペンは剣より強し、ですね。見ごたえがありました。
Dの奴
軍法会議の結審が誤りだったことに気付いた陸軍中佐で諜報部長の男が隠蔽しようとする上層部と対峙する史実に基づく話。
1895年1月、スパイ容疑でユダヤ系フランス陸軍大尉が軍籍剥奪と終身禁固刑を言い渡され巻き起こっていくストーリー。
ユダヤ人という偏見と決めつけから、都合の良い解釈で決めつけられて、あっと言う間に結審し投獄とか、時代背景もあるとはいえ恐ろし過ぎる…まあ、今でもそして世界中のどこでも冤罪と隠蔽は沢山あるけれど。勿論日本でも。
この事件を知らずに観賞したけれど、それでも結末は判りきっている訳で、そこに向かってどうみせるのかと思ったら、そこで終わりですか!?
字幕処理されても何でそうなったのかは不明のままって。
強い信念を持つ上に有能なピカールの戸惑いと抗いと、それでもハマっていく様は見応えあったけれど、題材にしても内容にしても、ある意味目新しさもなければ衝撃もなく、まあこんなものなのかなという感じ。
真面目な映画だが、内容に乏しい
自分は、大佛次郎の「ドレフュス事件」で予習して、映画を観に行った。
昭和5年という、時代の転換点(翌年は「満州事変」)に書かれたこのノンフィクションは、「社会講談」と著者が謙遜するものの、この事件を平易かつ網羅的に教えてくれて、とても有り難かった。
ゾラの「弾劾文」の全文が載っているという点も素晴らしい。
この映画は、脚本に参加しているロバート・ハリスという英国人の小説を原作にしているが、観に行く前の印象は「ピカール中佐が主人公で、映画になるのか?」だった。
そして、観た後の感想は、「やっぱりピカール中佐では、映画にならない(笑)」だ。
正義と軍人という立場の間で引き裂かれた良心の人であるが、「ドレフュス事件」を描くには、取りこぼしが多すぎるのではないか?
もちろん、2時間の映画で「ドレフュス事件」を描くのは不可能だ。しかし、この事件を社会問題にした、もっと大きな流れが、ほぼ描かれていない。
反ユダヤ主義、軍国的な風潮と反ドイツ感情、新聞を使ったプロパガンダ、殺気立った国粋派の群衆、そういう社会背景描写がない。
弁護士ラボリは目立つが、ゾラを始め、落選中のクレマンソーなど、再審を求める側の活動は、ほとんど出てこない。エンタメなのだから、画家モネや小説家プルーストくらい、ちょい役で登場させても良いだろうに。
本作においては、“正義”はピカール中佐だけに集約され、他の“正義”は蚊帳の外という異例の展開だ。
何より、それほどまでに登場人物や社会背景描写を切り捨て、限定したわりには、主人公ピカールの人物造形が浅すぎる。
エリートだったのに左遷され、1年も投獄されたピカールの怒りが伝わってこない。ピカールの後任の参謀本部情報部長アンリに決闘を申し込んだのは、ピカールなのだ。
そして、勝手な創作にすぎない、ポーリーヌとの“ロマンス”を延々と描いて、お茶を濁すのである。
こういう感じがポランスキーの映像美学なのかもしれないが、実在の事件を描くには不適当だと言わざるを得ない。
ピカール中佐を主人公にするなら、最も描かれるべきは、組織防衛のために嘘と隠蔽に追われた軍内部の動きであろう。
彼らにもフランス軍の尊厳を守るという、大義があったことを忘れてはならない。
しかし具体性を欠き、誰が誰だか分からないような、ステレオタイプ的描写に終始しているのは残念だ。
また、獄中のアンリが、なぜカミソリで自殺できたのか、そのカミソリは何処から来たのかという疑問にも、答えようとしていない。
真面目な映画である点は、好感がもてる。
「モリカケサクラ」の某元首相を告発できない、腐敗した司法のもとにある日本においては、ちょとした清涼剤となる作品かもしれない。
しかし、内容に乏しく、たいした映画ではなかった。
全109件中、61~80件目を表示