「容赦のないリアリズム」異端の鳥 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
容赦のないリアリズム
ひと言でいうと-容赦のないリアリズム-である。ナチス・ドイツによる迫害を逃れて両親と離れて疎開しているユダヤ人の少年。小動物を助けようとするような優しい少年だ。ある出来事で放浪の旅を余儀なくされる。ベルリンの壁崩壊までは東ヨーロッパと言われていた地域である。戦争にすべてを持っていかれ、貧しくて逼迫した生活をするしかない人々。口を利かない少年のことを人々は何故かユダヤ人と見抜き、寝場所と食べ物を与える代わりに重労働を課す。
少年は行く先々でさまざまな人に使われる。集落でシャーマンのように崇められている老婆、猜疑心と嫉妬心の塊のような年老いた牧場主、酒を密造しているホモのロリコン男、色情狂の若い女などだ。「十字は切れるのか?」と少年に訊いた鳥飼いの老人の台詞が印象的である。少年は躊躇いなく十字を切り、カトリック教徒を装う。生きるためには宗教も捨て、ユダヤ人であることも捨てるのだ。
欲望や感情をむき出しで生きる人々と接する中で、少年は人生を学んでいく。ときどき飛行機の編隊が空を飛んでいるのが見える。戦争は少年には関係ない。今夜の雨風をしのげる場所と明日のパンがあるかどうかだけなのだ。
映画は、ユダヤ人で差別を受けているからといって少年を正当化したりしない。自分が助かるために人を見殺しにし、旅に必要なものがあれば暴力で奪う。生き延びるためには他人の靴さえ舐めることを厭わない。靴を舐めるのは犬だ。犬は人間ではないから殺されず、放り出されるだけだ。善も悪もひっくるめて少年の人生である。
優しさとの出逢いがまったくなかった訳ではない。年老いた牧場主の妻、カトリックの司祭、年配のナチス・ドイツ兵士などが、一瞬ではあるが情けをかけてくれる。しかし殆どは少年を便利に使ったり、欲望のはけ口にしたりするだけだ。意味なく殴る人間もいる。最初はただ無抵抗に殴られるだけだった少年も、いつしか反撃の手段を得る。迷いも躊躇いもない。
ユダヤ人はナチス・ドイツが支配する地域においては塗料を塗られた鳥と同じだ。仲間に入れてもらえず、迫害されて殺される。だから生き延びるために自分を親戚に預けた両親のことは理解できる。しかしその行動を正当化しようとすることが許せない。それは嘘だからだ。
ラストシーンで漸く少年の心に余裕が生まれる。父の腕に刻まれた数字を見て、少年は少しだけ優しさを取り戻す。過去を正当化することは出来ないが、これからも生き延びることは出来る。重荷を背負って生きていくのだ。原作者のイェジー・コシンスキは1991年に57歳で自殺した。