マリッジ・ストーリーのレビュー・感想・評価
全156件中、101~120件目を表示
やーよかった
拍手。
スカーレットヨハンソンとアダムドライバーの演技には圧巻
ストーリーを追いながらも、
2人の演技にも注目したくなる。
まあ話してる内容は喧嘩の内容だったりするから
そっこまでストーリーとして重要な内容ではないから大丈夫なんだけど
離婚というものが
どうして人を疲労困憊させるのかを
第三者の目から見ることで、わかりやすかった。
裁判で勝つために、
親権を獲得するために、
そもそもそこまででもなかった相手に対する不満や
気になる点を
必要以上に大袈裟に、"相手の悪い点"として主張するから
余計 喧嘩が悪化する一方なのだ。
そして何より、
相手はそう思っていたのか、と傷つく。
そこには盛って主張しているから誤解も含まれているが、
それは少し誤解だ、と弁解もできない。
裁判に負けてしまうから。
お金もかかるし、傷つくし、
こんなはずじゃなかったのにと
ことが悪化していくさまを、
側から冷静に見れた気がする。
2人の喧嘩シーンは圧巻
シンプルに見たら、ほんとにリアルな夫婦の言い合いなんだけど、
これ、セリフなんだよな、と改めて思うと
間合いとか、テンポ感とかすごい。
頭で考えて、計算して、やってることではないんだろうな、
と思う
そして2人ともかっこいい
すがすがしいテンポでセリフを言う
言い切る
気持ちいい。かっこいい
そして喧嘩した時になる感情のアップダウン
怒りの頂点と、泣き。
スカヨハもアダムドライバーも、
その動きが凄い。
終盤の、
スカヨハが元々書いていた彼の良いところの紙を読むシーン
読んでいって、だんだん感情が紐ほどけていく
ゆっくりと感情が変化していく感じ
"出会った瞬間 2秒で恋をした"
からの、涙を堪えて うっ、となる感じ
あそこは、私も少し泣いてしまった
"矛盾してるけど、これからも私は彼を愛しているだろう"
そういうことなんだろな、
それですべて、包み込まれたというか。
私はこういう、
日常的に起こる人間関係のできごとで
人の感情がどういう風に動くかのストーリー、
映画、ドラマが好きだ
病気なわけでもなく
特別かわいそうなわけでもなく
お涙頂戴映画じゃないのに泣ける映画を見た時に
すっげー得した感というか、
すげんじゃね、となるというか
ズルせずに実力で感動させられた感がすごい。
観れてよかった〜〜〜
残るのは憎しみなのか愛なのか
作り話だからと美化するような要素はない
いろんな夫婦の形があって、いろんな離婚の理由があって、いろんな離婚への道があって、きっとこんな夫婦もいるだろう
後半、ふたりがサシでぶつかり合うところがあるのだけれど、アダムドライバーの、役柄さながらに、今まで実は押し殺していたかのような感情が、徐々に吐き出され高まり、最後に一気に噴出される演技がとにかく素晴らしい
妻であるスカーレットヨハンソンすら、ハッとさせられ、アダムドライバー自身もそのことで我に返るその瞬間、観ているこちらも凍り付く
とにかく悪意のぶつけ合い、みたいな状況に正直疲れるけれど、不思議とラストシーンに向かって、心が穏やかになっていき、そこには元夫婦の穏やかさが残った
「結婚のお話」(子無しの独身者にはわからないお話)
独身主義者で子を設けたことのない私には、この夫婦の感情の縺れ、あや、機微、愛憎などを理解出来たと自信を持って言えない。
独身主義者としては大体生まれも育ちも違う全く赤の他人の二人(男女には限らないが)が何年も一緒に暮らせるというのが或る意味不思議である。(社会の最小単位である夫婦とその家庭とを否定している訳ではない。)よほど忍耐と妥協点とを要求されるものと想像する(まあ、人生も忍耐力と妥協との連続ではあるが)。恋愛の経験はあるので、惚れたはれた(少しでも長く側にいたい、ずっと一緒にいたい)は理解できるが、そういう気持ちは数年しか続かないことも分かっている。既に結婚という(社会的に言うと)契約を交わしてしまったカップルはその後もその形態を続けていくことにどういう折り合いをつけているのだろうか。恐らく各々が結婚という状態を続けていく事が自分にとって何らかの意味や価値やメリットがあると判断するからであろう。勿論、国によっては経済的な問題や、子供の問題(しかし子供というのは敏感なもので、両親間の空気というものを察してしまうものだ。子供にとって大事なのは各々の親から愛されているかどうか、ということだと思う。)、一人でいるのが寂しい、面倒くさいということ含めて…
で、この映画は結婚を続けていくことに意味や価値を見出だせなくなった一組の夫婦(特に妻の方がより)のお話である。しかし離婚を軽く(?)考えていたこの夫婦は、結婚というものが社会の中での一つの契約形態であるからには、それを解消するにも社会が絡んでくるのを良く理解していなかったことから、自分達の思惑を越えて事態は泥沼化していく。また、ローラ・ダーン演じる妻側弁護士の『離婚訴訟に勝つためには、建前でも妻は聖母マリアで有ることが必要なのよ!』という台詞は、「勝つこと」が優先されるUSAで、女性が勝つために求められるのは旧態依然といた処女性というのが、いかにも皮肉で興味深い。他方、離婚を切り出した妻(女性)は結局最後まで強い。ヨヨと泣き崩れたり、バーで『僕は生きている』と歌うのは、ここでは男の方なのだ。映画としては良く出来ている。演技的には、チャーリーがLAに借りた家での互いに相手をメッタギリにする喧嘩シーンがハイライトであろう。ベルイマンの『ある結婚ぬの風景』での凄まじい夫婦喧嘩シーン(特にリヴ・ウルマンの演技とはとても思えない演技)を観た後では、どんな夫婦喧嘩シーンも生ぬるく見えてしまうけれども、このバトルシーンの緊迫感もなかなかのものであった。然し、ヘンリーの為にも仲直りできないかな、と儚い望みを持ちながら観ていたが、あそこまで言い合っちゃうと最早修復は不可能ですな。
※追記:ニコールの母親役の女優、どこかで見た顔だなぁ、と思っていたらジュリー・ハーガティだった。懐かし~
2020年1本目「愛は薄まるが消えない」
Netflixでマリッジストーリーを見た。良い映画だった。離婚を決めたことで、相手を思いやることができるようになれるコトもある。そんな物語。離婚を決めると家族だからこそ傷つける言葉は強くなる、思いやる言葉は軽くなる。でも愛は薄まるが消えはしない。
2019年ベストムービー!⭐️✨
2019年の映画納めはこれ!年の最後の日に良い作品を観れました(笑)
アダム・ドライバーの演技が素敵で、すっかり引き込まれてしまいました。ラスト近く、夫婦が互いの感情をぶつけ合うシーンは涙無くして観れませんでしたね( ; ; )笑
アメリカの恋愛ドラマにしては、どこかウェットな感じで、面白かったです…でも、やっぱりどこかしっくり来ないのは、日本人の方がもっとジトジトしてそうだし、それに比べたら、彼らのやりとりはまだまだドライな印象だったからかも知れません…文化的な違いと言ってしまえばそれまでですが、子どもの親権のためにNYとLAを行き来するなんて…かなり非現実的…(笑)
これもNetflix作品ですが、ミニシアターでなく、普通にシネコンでロードショー上映して欲しいもんです。Netflix…良い作品が多過ぎます(笑)
どちらの立場にも感情移入した
今作は見る人によってどっちかの立場になって見るのかなと思った。
前半の方で、ニコールが弁護士に思いを吐き出す長回しで、彼女側について見ていたが、チャーリーの息子を思う気持ちもよく分かったし、それ故腕切っちゃったり空回りする部分も憎めないなあと思った。
二人の喧嘩シーンで不利な状況であるチャーリーがだんだんと白熱していく様がすごいリアルで良かった。
それと、離婚裁判ではいい人を貶めると言っていた様に、チャイルドシートの取り付け、ワインで酔いすぎたくだりなど、二人がまだ思いあってるんだなと思うシーンが二人の溝を深くしてしまうきっかけになるなんて切ないなと思った。
主演二人の演技がリアルで本当にすごいなと思ったんでアカデミー賞取ると良いなぁと思った。
切ない愛の物語
時が静かに平坦にあっという間に流れてしまう─。セレブの夫婦間闘争で、自分のような凡人には全く無縁のようにも感じてしまうけれど、相手を思う気持ちや反発してしまう感情など共感できる部分が非常に多くて、時に笑い時に涙する、なんとも切ない愛の物語だった。
こうした地味な(といったら失礼だけど)秀作は意外と多く存在するし、この映画での感動は他の作品で補えてしまうような気さえしたけれど、ランディー・ニューマンの優しい調べとともに静かにエンドロールが流れ出すと、ああいい映画だったなー、としみじみ何かをかみしめた。
この作品の何ともいえないアメリカ臭さが嫌なんだけど、それが故の感動もまた否定することはできない。
超メジャーなエンタメ作品で活躍した二人が、一転して超現実的な物静かな映画の主演を見事に演じきっているところも、間違いなく見所の一つ。
一組の離婚夫婦を通じて、男女の相違を鋭く炙り出した名作
ノア・バームバックは常々機能不全に陥った家族や、離婚家族を描いてきた印象がある。それを彼自身の離婚体験と重ねようとするのはあまりにお節介なことという気もするけれど、「イカとクジラ」では離婚する夫婦よりもその息子であるジェシー・アイゼンバーグにバームバック自身の気配を色濃く感じたのに対し、この「マリッジ・ストーリー」ははっきりと離婚する夫婦の目線で離婚が描かれていたのは興味深かった。
最初は冷静さを保ちながら弁護士を入れずに双方の話し合いで離婚をしようとしていたはずの夫婦が、小さな出来事の積み重ねによって弁護士を挟んだ「闘い」のようなものになっていく切なさ。でも同時にそういうすれ違いが、この二人を離婚に至らせたような気もした。話し合いで離婚が出来る二人なら、そもそも離婚はしなかったかもしれない。
お互いがそれぞれに思うことや憤ることや不満に思うことがあって、何方が正しいでも間違っているでもないように感じられるから、本当に苦しい。社会における男女の立場の違いと結婚における男女の目線の違いなどといった非常に細かい男女の相違を、バームバックが実に鋭く解析し、奥深くまで考察した上で、最後に見事に磨き上げたような研ぎ澄まされたストーリー。身近なテーマだからこそ逃げ道のない内容をここまでありありと描写してしまえたことが本当に凄いと思う。はっきり言って観ている間はずっしりと心が重たかった。ある意味「ジョーカー」以上の鬱映画とも言えるのではないかと思うほど。それなのに目を逸らすことは出来なかった。
そして男女のそれぞれの立場を表現したアダム・ドライヴァーとスカーレット・ヨハンソンがまた凄まじかった。怒りと悲しみの奥に辛うじてお互いへの情けがあるような複雑な心理状態を生々しく演じ抜いて、二人が対立するクライマックスの激論のシーンなんて呼吸すら忘れるほどのド迫力だった。一秒ごとに心が揺れて様々な感情が流動的に入り混じって喜怒哀楽だけでは到底説明のつかないような心の内を、勇敢な表現者二人が的確に体現することで、リアルな離婚の現実と渦中にいる人間の心理を思い切り剥き出しにされていたなと思う。そしてそんな胸の詰まる映画の中でローラ・ダーンがシーンをいい意味でぶち壊してくれる痛快さ。登場からして格好よくキマっていたローラ・ダーンはひと度セリフを口にし始めた瞬間にもう愉快痛快。現実では絶対に身近にいてほしくない登場人物だし、なんなら離婚を修羅場に変えた元凶のような存在なのに妙に快哉で妙なインパクトがあってすごく良かった。
物語は相手の長所を綴った「手紙」によって冒頭と結末がブックエンドのように納められている。あの手紙をもし冒頭の時点で読んでいたら・・・?という仮定が思い浮かぶとまた切なくなった。
でももし冒頭であの手紙を読んでいたのだとして、あの時点では夫婦の心には響かなかったかもしれないとも思えて、それもまた切なかった。
憎しみと愛は紙一重
よくある夫婦の物語だ。喧嘩からもう一度やり直すパターンではない。でも自然な流れで落ち着く所に落ち着く。結婚ってほんとに不思議な制度だ。
そして彼らは自分の仕事、がとても大切、アイディンティなのだろう、そして子供はその合間で振り回され、それでも愛してると奪い合う。そこは譲らない。
客観的に観ると、自分勝手。すれ違い始めるともう後戻りできない。
アダムドライバーっていつの間にこんな所迄登ってきたのか、パターソンの印象が強く、普通を演じさせたらこれ程存在感を出せる役者もいないだろう。
妻は、夫の母親じゃないんだからね
ニューヨークで劇団を主宰するチャーリー(アダム・ドライヴァー)と劇団の看板女優ニコール(スカーレット・ヨハンソン)。
ふたりは夫婦で、間には8歳になる息子がいる。
円満だったふたりだったが、西海岸から出てきて現在の地位をなったニコールは、自分のキャリアについてある種のもやもやを引きずっていた。
もう一度、西海岸で女優としてのキャリアを築きたいと感じた彼女をチャーリーは快く送り出したはずだったが、コミュニケーション不足からなのか、夫婦関係に生じた亀裂は徐々に広がり、協議により円満離婚をしようとしていたが・・・
といったところから始まる物語で、シリアスなドラマ・・・ではなく、コメディ。
え、コメディ? と思うひとも多いかもしれませんが、コメディ。
たぶん、米国ではゲラゲラ笑っている観客が多いだろうなぁ、と想像します。
離婚、それも円満な協議離婚でなく裁判沙汰になってしまうと、とかく、本心以上に相手のことを罵って、何が何でも勝とうとする弁護士が登場する。
そこだけが、コメディなんじゃない? と思うかもしれないが、東海岸と西海岸ではまるで考え方や行動様式が異なるようで、西側ではとにかく「ここは広い(英語ではスペース、スペース)」を連呼している。
この西と東の文化の考え方の違いが、全編に散りばめられていて、そこいらあたりで、たぶん米国ではゲラゲラ笑っているだろうなぁと感じました。
まぁ、わたくしはそこまではわからないので、いくつかのシーンが可笑しい程度でしたが。
で、笑いの部分はさておき、夫婦問題の観点からみると、もっと円満で建設的は解決策だってあったろうに、と思わざるを得ません。
ニコールには、劇団を離れてニューヨークで活躍を目指すという道もあったんじゃないかなぁとも思うけれど、そこはそれ、西海岸が生まれ育ったひとは西海岸がいいわけで、日本流にいうと「東男に京女」の結婚みたいなもの。
生まれ育ったところが一番、という想いは捨てきれない、だから、話がややこしくなったのでしょうなぁ。
映画でいちばん唸らされたのは終盤の罵りあいのシーン。
「負けず嫌い」のふたりが、どんどんどんどんエスカーレートして、口汚く罵りあってしまう。
が、最後の最後にチャーリーが「アイム・ソーリー」といって崩れ折れるところ。
『ある愛の詩』では「愛とは、決してソーリーと言わないことです」(後悔しないこと、は飛躍した訳)という名セリフがあるが、「結婚とは、ソーリーと言うことです」と思いました。
ニコールはチャーリーにとって、妻であり、看板女優でもあったけれど、あまり良好でない関係の両親のもとで育った故に、母親でもあったかもしれません(これは、離婚協議のランチの際にチャーリーがメニューを決められなかったり、最後にニコールが彼の靴紐を結んでやるというシーンから読み取れる)。
もしかしたら、ニコールにとっては、この「チャーリーの母親」という役割が嫌だったのかもしれませんね。
ということで、この映画、実は、「妻は、子どもの母親だけれど、夫の母親じゃないんだからね」ってやんわりと教えてくれているのかもしれません。
まだ愛し合っている二人?
スカーレットヨハンソンのファンではなかったけど、違う映画も観てみたいと思いました。見事な長台詞と感情の表現のうまさ! LUXの輝く髪の上品なイメージを一掃してくれました!
離婚に向かう夫婦の話で、泥沼になりかけるのですが、合間合間にお互いまだ愛してる感が見え隠れし、結局は離婚するんだろうか…と余韻を残しつつ迎えるラストも、中途半端でよかったです。
最後の歌に打たれた。
チャーリーが最後にバーで歌う歌詞にこの映画の中身が出ていたと思いました。
「生きている」を感じないのは辛いです。
弁護士は仕事になると相手を叩きのめす事を促すので、本人達の辛さが滲み出てました。
人間も所詮動物だから、自己的、利己的なのは致し方ない
離婚劇は個人的に好きではないが、評価が高かったので観に行ってきました。
人間はほんの少しだけ、相手に歩み寄ることが出来れば変えられることが多いと思うし、そのほんの少しがどの程度なのか人にもよるし、難しい問題だと感じました。
ネットフリックスの作品なので家でも観ることは出来たと思いますが、こういう後味の悪いリアルな話は個人的に避ける傾向があり、途中で観るのを止めてしまう恐れがあるので映画館で観られて良かった。
是枝作品の様!
巧みな構成に感動しました「イカとクジラ」の監督なんですね納得です!
こう言った叙情的な表現が、今のアメリカ映画で観れるとはビックリ!まるで是枝作品の様な細やかな世界観。
アダム・ドライバーの演技は定評ありますが、スカーレット・ヨハンソンは最近ヒーローアクション物が多いので、デビュー当初の演技力をすっかり忘れていましたが、長回しの熱演に改めて凄い役者さんだなと感激しました。
こう言った作品が多くのアメリカ人に伝われば、ハリウッド映画も生き返ると思える、素晴らしい作品。
Netflixで鑑賞してしまいましたが、劇場上映していたのですね… 劇場で観たかった!
こんなはずじゃなかった
こんなはずじゃなかった夫婦の、こんなはずじゃなかった離婚協議のものがたり…
ごく穏やかに別れるはずだったのに、弁護士を立てたばかりに自分でも気付いていなかった本音が引き出され、思ってもいなかったことを口走る。
考えてもいなかったことを言ってしまった後のアダム・ドライバーの慟哭、穏やかなやりとりに別れを実感して思わず流れてしまうスカーレット・ヨハンソンの泪、素晴らしい演技でした。
ネトフリ視聴で済ませるには勿体ない。
他人と生きていくという事
まず、タイトルが秀逸。離婚を決意した夫婦が、カウンセラーの勧めで、互いの長所をリスト化していくシーンから物語が始まる。タイトルからぼんやり思い描いていた『結婚』から、一足飛びに『離婚』に吹っ飛ばされて「えっ!?」と驚かされるが、物語が進んでいく内に合点がいく。離婚に至った2人の気持ちのすれ違いや、エゴのぶつかり合い、単純に割り切れない感情を見せる事で、『結婚』というものの形を掘り下げていく。
人間の心理の描き方がとてもリアル。妻として母親としての役柄のみを求められた女が、一人の自立した人間としての価値や評価を欲する思い。女の感情や感覚面を理解せず、理論と合理性で相対して、それが受け入れられない事に困惑する男の図。間に他人を挟んだ途端、誇張や疑念で事態が想定外に泥沼化していく構図。コントロール出来ずに相手に振り下ろした悪意が、自分をも傷付けて苦しむ辛さ。あるある、解る…、と頷けるものばかり。
それだけに、ああ、それは言ってはいけない一言、踏んではならない地雷、ほんのちょっと譲歩ができたなら…とヤキモキしてしまったが、その理性が働かない程近いのが家族という関係。あまりに苦しさを覚えるのならば、少し離れて距離感を図り直すのも、ひとつの方法なのだろう。
終盤に挟まれる、『Being Alive』の歌詞が奥深い。
誰かが私を求め過ぎ、深く傷付け、椅子を奪い、眠りを妨げる。しかし時に支えもする。孤独は孤独でしかなく、生きているとは言えない。
まさにそれが、『結婚』に限らず、他者の中で生きていくという事だ。
それに疲れ果て、諦め、救われて、誰かの手を取り、振り払い、また求めながら、とぼとぼ歩いていくしかない。
夫婦の立場や思いを対比対立させる方法や、裁判シーンの応酬、冒頭の誉め合いや喧嘩の台詞のやり取りなど、脚本や構成に、とても芝居っぽい印象を受けた。
エピソードやビジュアルをもう少しシェイプアップして、舞台という、余白多めの表現手段を選んでも、違う消化の仕方ができていいのではと思った。
現実的でリアルな台詞に思わず聞き入ってしまう。小さな綻びとその局面...
現実的でリアルな台詞に思わず聞き入ってしまう。小さな綻びとその局面での決断の積み重ねが人生を左右する事になる。私にはほろ苦い結末だった。
全156件中、101~120件目を表示