「「ほどけた靴紐」から見える人生」マリッジ・ストーリー ありきたりな女さんの映画レビュー(感想・評価)
「ほどけた靴紐」から見える人生
新年一発目の映画始めにとんでもない作品を観てしまった気がする…
私的な話で申し訳ないけれど、現在20代半ばの私は結婚をしたいと思ったことがない。色恋沙汰にも全然興味がないし、縁もないまま生きてきた。
ただ、先の年末にFacebookに連なる「実は今年入籍してました」報告や、世の夫婦という生き物を見ていて、「なぜそんなにみんな番になりたいんだろうか」とぼんやり考えることが多くなった。
だから客観的に結婚という事象に興味がある。
これは事実で、少し前から結婚にまつわる本や映画をあたったり、実際のご夫婦に話を伺ってみたり、私なりに最近結婚について人生史上1番考えていた。
もちろん、この映画にもその答えの1つを求めて観に行ったのが正直なところだった。
結論を言ってしまえば「やっぱりよくわからない」としか言いようがなかった。
劇中何度も「結婚は面白いのかもしれない」「結婚なんか狂気の沙汰だ、同級生もみんな別れるんじゃないか(失礼)」などと、いろんな感情をぐるぐる繰り返しながら観ていたし、
「人生は近くで見れば悲劇で、遠くから見れば喜劇だ」という視点で、完全に他人事として少々冷めた目で面白く見てしまったところもあった。
(チャーリーが一人で歌うシーンなんか私は全然感動しなかったし孤独で何が悪い?と思ってしまった。私情ですみません。)
しかし…そんなものラストシーンで吹っ飛んでしまった。
ほんの少しだけ多くの息子の時間を勝ち得たニコールが、ちょっとだけチャーリーにその時間をオマケする去り際。ほどけた靴紐を結ぶその刹那、スクリーンの前の我々は全てを理解し、そして全てなんて到底わからないのだと思いながら、ただただこみ上げる感情のやり場に困ってしまうのだ。
だからこそNetflix映画だって映画館で観たいし、現実世界に戻るための着陸態勢のためにエンドロールというものが在るのだ、と今日心の底から思った。
いささか脱線してしまったけれど、靴紐の話をしたかったんだ。そう、ニコールから見たチャーリーは「男の人にしては珍しく着るもののセンスがよく、彼の几帳面さに助けられている」と評されていた。
一方のニコールは冒頭を観れば、帰宅して靴や服を床に平気で脱ぎ散らかす様が見て取れる。
そんな男が、靴紐1つに気を取られなくなるほど目の前の生活で余裕がなくなり(髪が伸びてボサボサという指摘も途中であったけれど)、
そんな女が、他人の身だしなみの解れを瞬時に見て取ってしまう。
…あぁその変化こそが「結婚」なんだな。
人生経験の浅い小娘ながら、親や周囲の年長者に説教されるよりも、このたった数秒のシーンの方が私にとっては雄弁に結婚を物語るものだと確信した。
そういえば劇中でも「愛するとは等しいことだ」みたいな台詞あったな。お互いの価値観や癖や生き様や様々なものを等しく交換したり、譲れないものは線引きしたり、その中で折衷点を探る過程が結婚生活のある人生なんだろうな。
それから劇中劇で「嘘みたいで泣けない」と言っていたニコールが、千秋楽の夜、チャーリーにおやすみの挨拶をした後、こみ上げるように涙を流していた、その現実の皮肉も、
冒頭でニコールが読み上げられなかった「お互いの長所」のメモを最後に息子が読み上げているのに加わってチャーリーが泣いてしまうところ(しかもニコールがそっとそれを見ている)も、
互いの立場や耐え難かった環境や感情を、それぞれが追体験するようで悲しくも美しく思った。
そして、そんなことがあったとは後生当の本人たちが知る由はないのである。でも、多分それが人生なんだろうな。知っているのは画面越しの我々だけの特別なのだ。
もちろん、画面を離れた後の生活では、彼ら彼女らと私たちは等しく、悲劇のような喜劇のような人生を歩まねばならないのだが。
コメントありがとうございます。
確かに離婚を経て変われたり気付けたりしたのかもしれませんね。
でも離婚するには結婚しないといけませんからね…笑。
結局結婚ってなんなんでしょうね、みんながしたがる理由もわからないけど、考えるきっかけになったので観て正解でした
エンドロールについては、確かにその通りですね。
だから、喋らないで欲しいと日々、思っています。
「この変化が結婚」ではなく、離婚なのでは?
別れて、やっと変われたんだと思います。
でも、あなたの仰るとおり、なんでみんな結婚するんでしょうね…。
少しだけ、その人の時間を独り占めしたくなるからでは?
でも、それが、苦しくなったりするんでしょうね。
で、別れることで、ようやく、なんで結婚したのかが、少し解って、相手を慮れるのではないでしょうか? いずれにしろ、時間が要る気もしますが。