「無修正や裏ビデオを社会的抑圧として捉えよう」春画と日本人 ジャパニーズ先住民さんの映画レビュー(感想・評価)
無修正や裏ビデオを社会的抑圧として捉えよう
日本の伝統的な性表現である春画の歴史と文化的意義を探る、2015年に永青文庫で開催された春画展では、国内外の貴重な春画約120点を展示し、3カ月の会期中に21万人もの来場者を集める大成功を収めた。しかし、開催までの道のりは平坦ではなく、国内の公私立博物館20館への打診がすべて断られるなど、多くの困難がありました。 これを追って社会的な春画の受容を歴史的に俯瞰しようという試み。
春画は中国の「春宮画」に由来し、平安時代から存在していた。江戸時代には町人文化の中で発展し、大名家がパトロンだった。結婚の祝いとして嫁に贈られたり、甲冑の制作時に一緒に春画が制作されるなど、縁起物としての側面も持っていました。
しかし、1722年の享保の改革以降、好色本の発禁令が出され、春画は地下出版へと移行しました。その後も、鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎などの浮世絵師によって、技術的に洗練された作品が生み出された。本編では、鳥居清長の「袖の巻」が特に取り上げられている。また、19世紀の記述『エルベ号艦長幕末記』では、市中での春画の氾濫が記述されており、当時の風習や習俗として根付いていたことがわかります。
明治時代以降、西洋文化の影響を受け、日本では春画が猥褻物として扱われました。一方で、西洋では日本の春画が芸術として評価され、ピカソにもその構図や描線に影響が見られます。日本国内では、出版は許可されても無修正の現物展示が難しい状況が続き、自主規制や警察、社会に対する忖度が存在しました。また、1990年代までは春画の日本への持ち込みが制限され、買い付けた国に送還されていたことにも触れられています。
春画は、農耕民族である日本人の性文化や信仰とも深く結びついており、田植えの際の儀式や、日露戦争までは戦場での玉除けとしても用いられていました。昭和初期まで、春画は日常生活の中で力を持ち続けていました。
映画館での鑑賞が必須と言えない、映像資料