「前作は序章に過ぎなかった」トップガン マーヴェリック アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
前作は序章に過ぎなかった
字幕版を鑑賞。字幕担当が戸田奈津子だったので不安だったが、空自の専門家が監修していたお陰でことなきを得ていたようだった。1986 年のトム・クルーズの出世作「トップガン」の 36 年目の続編である。ここまで続編が作られなかったのは、1作目のテイストを損なうような続編が作られるのを恐れて、トム・クルーズが「続編製作権」を買い取っていたせいだという話である。トムの入れ込み様は半端なく、冒頭などに登場する第2次大戦時のレシプロ機 P-51 は、トムの個人所有のものだそうである。
前作も米海軍の全面的協力を得て、登場する戦闘機は全て本物で特撮なしというのが売り文句で、物凄い爆音が響き渡るのを経験したが、話は必ずしも褒められたものではなく、無茶をする若いパイロットの話で、同僚がそのせいで殉職しているという記憶くらいしか残っていなかった。CG が飛躍的に進化した現代では、どんな無理のあるシーンでも見せることができるようになっているが、本作はそれでも CG なしの完全実写で制作されたらしい。
この続編の成功は、何と言っても優秀な脚本の手柄であると思う。続編の話は 2008 年頃から出ていたが、ここまで練り上げるのに時間を要したということではないかと思う。現代風なミッションを若いパイロットに教えるという立場の変化は、自分が操縦して作戦を遂行するのとは次元の違う難しさがある。自分でやって見せた方が早いというのは、大学で院生の修論発表や4年生の卒研発表の指導でいつもイライラさせられるのと同じ話であろう。
ミッションの成功までという明確な目標があり、しかもそれだけで終わっていないところが実に秀逸である。前作で殉職した元同僚グースの遺児が主要キャストで登場し、その軋轢を内包した人間関係の重さは、まるで星飛雄馬の大リーグボールギブスのように大きな負のスタートとして機能するが、その行先も大変なカタルシスを伴っていた。F/A-18 は爆撃機であり、戦闘能力で第5世代戦闘機とドッグファイトを行うわけにはいかないと言いながら、さらに古い F-14 が出て来るところなどは実に絶妙だった。F-14 は主人公が前作で乗っていた戦闘機である。
敵国は明示されていないが、核燃料を武器化されると厄介で、MI-24 ハインド・ヘリや第5世代戦闘機をロシアから提供されている国となると、イランであろう。ミッションの困難さは映画で描かれている通りであるが、トマホークの攻撃が迎撃されないのであれば、あれを目標に向かって撃てば良かったのではないかという素朴な疑問が生じた。弾道弾のように成層圏まで打ち上げれば、地上に戻って来る時はマッハ 30 ほどにもなるので、ミサイルでの迎撃は不可能である。
マーヴェリックは相変わらず無茶な男だというのを示すために、スティルス機でマッハ 10 を出すという冒頭のエピソードは必ずしも必要だったのかという疑問が抜けなかったし、国民の血税で購入した 200 億円もする機体を自己満足のために使うというのでは全く同情の余地がないと思った。マッハ 10 では緊急脱出も不可能であり、非常にウソくさい話になるのは避けられない。
還暦を迎えたトム・クルーズが変わらぬ若さを見せていたのが素晴らしく、グースの遺児役のマイルズ・テラーは、よく見るとあまりグースには似てないのだが、雰囲気をよく出していた。ジェニファー・コネリーが演じたペニーは、前作のシャーロットの代わりの人物なのであろうが、既に 51 歳になっており、トムとのシーンは高齢カップルと呼ぶべきであろうが、見た目の若さは流石であった。バーのオーナーでポルシェに乗れるほど羽振りがいいのは謎だったが。また、アイスマン役のヴァル・キルマーは、自身の癌闘病において気管切開を行なったために声を失っており、今回の役柄となったようだ。本当に痛々しい話である。
音楽は何と言ってもハンス・ジマーの劇伴の曲がいずれも素晴らしく、各時点での登場人物の思いを雄弁に物語っており、映画音楽の手本のように非常に良くできていた。公開前にトムが昔羽織っていたジャケットの背中の模様から日章旗と台湾国旗が変更されたという腹立たしいニュースを見たが、元に戻されていたのには胸を撫で下ろした。資金提供にものを言わせて身勝手な変更を強いて来る 47 人は映画界から追放して欲しいものである。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点