海辺の映画館 キネマの玉手箱のレビュー・感想・評価
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Fans of House Rejoice
I couldn't help but be reminded of the classic comedy horror House when watching this film, and found it actually is by the same director, Nobuhiko Obayashi. The playful edits, colored scenes, and jumbled narrative is the same fun as the former film; however this film is much more epic in length and serious in Japanese wartime subject matter. I enjoyed seeing this director work with modern stars.
映画はこんなにも自由になれる
映画ってこんなに自由でいいのだ。本作と一つ前の『花筐 HANAGATAMI』を見ると、大林宣彦監督は全盛期を迎えていたのではと思わされる。その斬新なセンスの筆がノリまくっているし、とんでもないエネルギーに満ちあふれている。『HOUSE』の頃から実験精神に溢れた作品を作り続けていたが、その精神が晩年ご病気されて衰えるどころか、爆発的に高まっているように思える。
大林監督は「ウソから出たマコト」を追求し続けてきた方だ。そんな監督が最後に選んだ題材が「戦争と映画」だった。戦争を伝えるために多くの作家が映画を使った。しかし、どれだけリアリティを追求しても戦争の本当の悲惨さには届かなかった。大林監督は、リアリティを追求する姿勢とは真逆のアプローチをしかけて、「マコト」を現出させようと試みている。大林監督のアプローチは、映画の可能性を大きく押し広げるものだ。リアリティの枷から解き放たれた時、映画という言語はさらなる発展をするのだと思う。大林監督の残した功績はものすごい大きい。
猛烈な映像と台詞量の波間にもまれながら、偉大な映画人の生き様に思いを馳せる
本作を見ながら私は「まるで遺言だ」と手の震える思いがした。製作当時、闘病のため生死をかけた日々を重ねておられる中で、きっと大林監督の頭にはこの現代人に伝えておくべき膨大な映像と物語とが、かくも尋常ではない猛烈なスピードで脈打ち、駆け巡っていたのだと思う。これは一人の映画作家が「時をかける少女」さながらに時代と記憶と意識の狭間を駆け抜け、生き抜いた証。人の解釈や評価や理解といったものをはるかに超越し、自らの持てる力を振り絞って息を吐き、体内に血液を巡らし、創造力に精一杯の火を灯しながら育まれた3時間かと思う。ある意味、宇宙人からのメッセージのような、人知を超えたところから降り注いでくる存在にさえ思えてならない。閉館する「瀬戸内キネマ」と同様、大林監督にとってもこれが最期の作品となった。当初の公開予定日、4月10日に亡くなられるなど、本当に映画を愛し、映画に愛された方だったことに胸が熱くなる。
自由でポップ、革新、反戦。大林流が詰まった集大成
長く癌と闘い余命宣告も受けた大林宣彦監督が、自らのフィルモグラフィを総括する覚悟で撮りあげた、あっぱれな集大成的遺作だ。初期代表作「時をかける少女」を思わせるタイムリープのギミックを使い、戦争を知らない現代の若者が、白黒サイレント、トーキー、総天然色の映画の世界を次々に巡り、幕末の動乱から広島原爆投下前夜までを体験する構成も見応え十分で飽きさせない。
出演陣も豪華でぜいたく。大林映画に十代で出た尾美としのりや浅野忠信に、ベテラン勢の小林稔侍や常盤貴子、新進の山崎紘菜や満島真之介らが次々に登場して台詞を交わし、例えるなら歴史ある学校の数世代に及ぶ卒業生が一堂に会する大同窓会のような賑わいと懐かしさに、感慨も極まる。
2010年代には戦争3部作を撮るなど、反戦の思いを近年強めていた大林監督。コロナ禍で公開が4月から延期されたが、平和を願う8月に観客に届けられることを天国で喜んでいるはずだ。
大林宣彦監督の遺作、もちろん尾道が中心で. 寓話のように、争いごと...
大林宣彦監督の遺作、もちろん尾道が中心で.
寓話のように、争いごとの歴史を振り返りつつ、
年長者さんのお小言のように、あとで効くであろうお言葉が随所に.
高橋幸宏さんが演者としてご出演、映画館の奥で居眠りされているところ、ただならぬ癒しをいただきました。
玉手箱を開ける開けないのは私たちの考えひとつだと大林監督は言われたのだと思います
2020年7月31日公開
大林宣彦監督は同年4月10日82歳でお亡くなりになりました
つまり監督の死後3ヵ月後の公開です
正に大林宣彦監督の人生の総決算の作品でありました
高橋幸宏が演じた未来人とおぼしき爺ファンタは大林監督が自身が天に召された後の自身の姿のつもりだったのでしょう
ちょいと似ています
声まで似ています
ファンタとはもちろん本作はファンタジーですよということです
大林監督の平和への思い
戦争への嫌悪、なぜ日本は戦争をしたのか?
それを江戸時代から始めて戊辰戦争のこと、明治政府の成り立ちから説き起こしています
そうして日本の歴史の行き着いた果てが広島への原爆投下であるというストーリーです
そして大林監督が自分たちの世代が去ったあと戦争をしない為にどうしたらよいのかを、若い人達に伝えたい
そういう映画です
その色あいは、ある特定政党の主張する政治史観で染め抜かれています
なのでその史観にはちょっとついていけないという人もおられるかと思います
それは人それぞれ
個人の思想信条なのですから、色々な考えが有って当然です
大林宣彦監督は本作で描かれた思想信条を信じて人生を送られて、後進の世代にその思いを伝えたいと思われたと言うことです
大林監督の映画芸術とは別のことです
大林宣彦監督の死後1年10ヶ月、本作の公開の1年7ヶ月後
ウクライナで戦争が起こりました
同様のことがアジアでも起こるかも知れません
核ミサイルが日本に落ちて来る可能性も有りうるのです
その中で本作を観て、あなたが何を考えるのか?
そういうことだと思います
正に、中原中也のあの詩の通りです
人類の背後には
はや暗雲が密集している
多くの人はまだ
そのことに気がつかぬ
気がつかれたら、
諸君ももっと病的になられるであろう
「海辺の映画館」とは?
大林宣彦監督の自身のこと
だから「おのみち映画資料館」の設立の時の行き違いから、数多くの名作を撮った生まれ故郷でありながら20年以上も袂を分かった尾道を最後の作品の舞台とされたのです
沢山の素晴らしい映画を観せて下さいました
ありがとうございました
「キネマの玉手箱」とは?
色々な映画を沢山観て、私達観客自身が映画からどのような思いを受け取り、それでどう私達の考えが変わるのか?
映画を観てどう行動が変わるのか?
それを大林監督は私達に問われているのです
それがタイトル名の意味だと思いました
観客が高みの見物じゃあ、世の中は何も変わりはせんで~!
映画で歴史は変えられんけど、歴史の未来はかえられるんじゃ~!
それをハッピーエンドにするのがワイら観客じゃあ~!
大林宣彦監督が最終的に言われたかったことはこれだったのだと思います
浦島太郎は玉手箱を開けたらならどうなったのでしょうか?
パッと白煙が上がりお爺さんになってしまったのです
玉手箱を開けるのか?開けないのか?
それは、私達観客の考えひとつだということです
時代が変わる
それは一瞬で変わる
竜宮城にいたままの考えでは浦島太郎のようになるのです
そこまで考えて大林監督は玉手箱という言葉を使われたのかも知れません
日本を戦場にしない為に
原爆を落とさせない為に
玉手箱を開ける開けないのは私たちの考えひとつだと大林監督は言われたのだと思います
蛇足
本作にはてとも多くの映画のオマージュが散りばめられています
そのすべてを発見する必要は全くないと思います
ただ本作の物語の展開に置いてけぼりにならない為には次の作品だけは観ていることが必須だと思いました
宮島武蔵 (内田吐夢監督)
戦争と人間(山本薩夫監督)
肉弾(岡本喜八監督)
無法松の一生 1943年版(稲垣浩監督)
黒い雨(今村昌平監督)
2001年宇宙の旅(S.キューブリック監督)
大林監督の映画に対する熱い想いが伝わる作品でした。
内容は、大林宣彦監督の人生観と経験を追体験させられるような独特の世界観に引き込まれ、監督の好きな中原中也に導かれて20世紀の日本の戦争映画を訪ねてみる物語。印象的な言葉は『未来は、もっとハッピーになって欲しい。』最後に囁く大林宣彦監督の言葉は遺言の様に響きました。映画に生きて映画に死んだそんな人生の人を羨ましくも思いますし悲しくも感じました。未来は生きている君達の手にとのメッセージが聞こえて来そうです。ヒューマニズムとしの人類の発生からどんどん時間を超越していきます。気が遠くなる様な時間の流れの中で人類とは争いを常に起こす事を日常とする生き物を肯定するかの様に、独自の解釈である映画こそがタイムマシンであるとの表現には驚いた。もう何でも言い切って下さいと思いました。歴史的に正誤は、不思議とどうでも良くなり感情論が先行する当たりエモーショナルに仕上げて映画を上手く使ってるなと感じましたし。何層にも分けた表現方法は素晴らしいの一言です。大林宣彦監督の人生も幼い時からの戦争の歴史が染み付いていたんだろな。戦争に対する厭世観と人類に対する諦観は痛いほど伝わり希望の子を主人公とする『希子』は、正に映画というパンドラの箱の底に残った希望なのかもしれません。深く考えさせられる事を目的として課題を投げかけられた様な素晴らしい映画です。この映画をおつくりになった。大林宣彦監督のご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
大林宣彦。
編集と色合い。終始暗いテーマを長い時間でも見られるようコミカルに描いている。1945年に終わった戦争だけが戦争ではない。そのずっと前から、現在まで戦争は続いている。今もその世に生きているという事実を突きつけられた気がした。確かに、世界は何も変わらない。映画の歴史と戦争の歴史を組み合わせた超大作。映画は世相を表している。戦争を忘れかけた時これを見返そう。
この妖しさが大林映画
不穏に満ちた、安っぽい合成の妖しい構図、それらが映っているだけで映画(キネマ)を感じる。
映画という芸術が、絶えず人を魅了する戦争という仕組みと表裏一体であり、その哀しさの中で咲いていたことを何度も叫ばざるを得ない大林監督の行為に、真のホラーを感じる。
考えるな、感じろ!!
《お知らせ》
「星のナターシャ」です。
うっかり、自分のアカウントにログインできない状態にしていまいました。(バカ)
前のアカウントの削除や取り消しもできないので、
これからは「星のナターシャnova」
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海辺の小さな古い映画館の最終営業日、
日本の戦争映画をオールナイトで上映する夜。
なぜか映画の世界に引き込まれた三人の青年が
映画の中で戦争というもの体験してしまうお話。
と、とりあえずあらすじは有るんだけど
それに囚われていたらこの映画楽しめないので
考えるな、感じろ!!としか言えません〜〜。
正直、一度見たくらいでは意味が解んないけど、
何回も観たからって解ったと言える映画でもなし〜
ピカソとかダリの絵を初めて観た人々の様に
今までに無かったものにブチ当たった「めまい」を
ぜひ、感じて観てください。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
残念ながら大林監督の遺作となった本作ではありますが
コロナ禍によって世の中が、疑似戦時下の様な空気の
2020年にリアルタイムで観られたことを
人生の一つの大きな出来事だと思います。
大林監督の作品は「時をかける少女」以外は観てなくて、
なぜか最近の
「この空の花 長岡花火物語」から観だした者として
今回はまだ解りやすいかも〜
などと思ってしまった!(笑)
(実際はそんなに深く解って無いですよ)
それほどに大林監督の映画はぶっ飛んでいて
言葉では説明できないけど
監督が伝えたいこと、若者に残しておきたいことは
痛いほど伝わってくる。
戦争は絶対ダメ!だけど
民衆の心は簡単に操られてしまう危ういもの。
正論や正義や同調圧力に流されず
一番大事なのは「人の命」だと
そこだけはぶれてはいけない!
作中で度々引用される中原中也の詩、
とりわけ「野卑[やひ]時代」の中の
「文明開化と人云ふけれど
野蛮開発と僕は呼びます」
痛いです!
そして戦争で命を落とした全ての人々への
鎮魂の塊の様な監督の後ろ姿に泣けてしまった。
めっちゃ怖いシーンだけどね〜〜
ぜひ、劇場で没入して
「訳わからん!でもなんか頭ぐるぐるされた!!」
そんな気持ちになってください。
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いつも「共感!」やフォローをありがとうございます。
人の感想を読んでしまうとすぐ影響されてしまうので
皆さんの評論は遅れて少しづつ拝見してます。
どうぞよろしくお願いします。
痴呆により子供にかえる‼️❓
監督の初期の作品、ハウス、とゆう大場久美子のホラー、に趣向が似ています。
それに、反戦の妄想が調味料となるのですが、ただ、時代考証が無茶苦茶なので、逆効果で、ギャグです、本人にはコメディの気がない、トホホコメディです。
いろんな映画へのノスタルジーがあるのですが、よく記憶してないようです。
とにかく、歴史に疎い人は、この映画はウソなので信じないでくださいね。
映画で歴史は変えられないけど、歴史の続きは変えられる。
閉館記念に戦争映画をオールナイト上映する海辺の映画館で映画の世界に入り込んでしまう3人の男たちの話。
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現実も時間軸もバラバラで、話という話もない。大林監督の頭の戦争や映画に一緒に入り込んでいくような感覚。まさに戦争映画の玉手箱だった。
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基本的にはずっと意味わからないけど、大林監督の映画愛、戦争に対する思いはこの映画から滲み出てくる。映画を心の底から好きな人が作るものってやっぱり全然違う。
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戦争映画オールナイトと聞くと何となく第二次世界大戦のだけと思ってたけど幕末から明治にかけての戊辰戦争やら白虎隊やらの話も出てきて、今の日本の性質は第二次世界大戦後からじゃなくて 明治からずっと地続きなんだと思いました。(書いてるうちに小学校の感想文みたいになった笑).
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あとは戦争の裏では、密かに芸術や文化も潰されていたことも示唆されてて、あぁこれは今のコロナと同じだと。いつの時代も誰にも注目されずに死んでいくのがこの分野なんだな。
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国が文化を軽く見ているからなのか、文化が国を滅ぼすことが分かっているからなのか、とにかく今の政治家は皆映画を倍速で見るような人種なんだろうな。とりあえず政治とか関係なくても2時間も集中できない人は私は信用できない。
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【閉館する「瀬戸内キネマ」に集った若者3人が、日本戦争映画特集のオールナイト上映を鑑賞し、経験し、学んだ事。故、大林監督の強烈な反戦思想を可視化した、実験的風合を帯びた集大作。】
ー 物語は、混乱する幕末期から、戊辰戦争、日中戦争、そして第二次世界大戦の沖縄戦、広島への原爆投下と近代日本で起こった様々な戦争が、劇中劇で描かれる。
そして、観客の若者3人(厚木達郎、細山田孝人、細田善彦)も、いつの間にか、劇中劇で戦争の悲惨さを経験する・・。ー
■感想
・劇中劇の時代変遷につれ、映像もモノクロ無声映画から、トーキー、カラーと変遷していく。
・劇中劇の描き方も、大林監督らしい奇抜な合成がいつもより倍加して、駆使されている。
ー これを、良しとするかどうかが、今作の評価の分かれ目であろう・・。ー
・俳優の数も、ワンシーンだけ出演と言う方も含めて、何名出演されているのか・・。皆、夫々の想いを持って参加したのだろう・・。
ー 但し、役者さんによっては、劇中劇で、一人4役を演じている方もあり、鑑賞側は少し混乱する。ー
・日本が軍国主義に傾倒していく事を憂いながら、多数の詩を残した中原中也の詩が、字句で画面で語られる。
ー 各シーンごとに見合った中原の詩が、効果的に使われている。ー
◆クライマックス
移動劇団「桜隊」を率いる恵子(常盤貴子:後期の大林監督作品の常連である。)と8月初めに邂逅する、3人。彼女達をのせた列車は尾道を越え、広島に向かっていた・・。
8月6日に広島で、劇を公演するという彼女達を、3人は何とか助けようとするが・・。
ー 過去に起こってしまった事は、変えられないが映画の力で未来は良き方向に変えることが出来る!と言う監督のメッセージとして、鑑賞する。ー
<故、大林監督が余命宣告を受けた事で、”二度と戦争を越してはならない”と言う強い想いの元に制作された大林映画の集大成的作品。
戦中の映画「無法松の一生」の一部が、軍の検閲により削除され、戦後もGHQにより削除されたと語られるシーンや、きな臭い現代日本の行く末を危惧する大林監督の想いが込められた作品。>
付和雷同
大林作品全体を通じたエンドロールのようである。やりたい放題で、頻繁に入ってくるテキストや中原中也は、もはやパワポ。話が寄り道だらけで、脈絡なく割り込んで本筋なんだっけ?と、爺さんの話を聴いているようである。介助してくれるのは、ナレーションの広中雅志。映画としてはありえぬ出番数でもはや主演級。最後まで型破りな監督らしい一本で人生の幕も引いた。
希子のことは忘れんよ。
【大根エイハッパ(大本営発表)】
もう随分前に映画館で観て、上手い言葉が見つからなくて、レビューを書いてなかった。
それに、これはレビューとは呼べないかもしれないし、僕のスコアは評価のスコアとは違う意味もあります。
このちょっと長い大林宣彦作品は、強いメッセージが込められていると思う。
録画していた番組を整理しようと思って、NHKのクロ現プラスの大林宣彦の特集を改めて観て、いくつかあった大林宣彦の言葉をレビューに記録したくなった。
黒澤明との約束。
「戦争のいかがわしさを直接知った世代の人間として伝えなくてはならない」
大林宣彦は、この約束を果たすべく、残り短い命の火を、この作品ために燃やしたのだ。
「映画は風化しないジャーナリズムだ。
過去をしたたかに記憶し、記録するだけじゃない記憶のジャーナリズムだ。
表現で過去は変えられないが未来を変えられるんじゃないか。
未来を作る人間の可能性を信じたい。
映画は歴史を変える事は出来ないかもしれないが、未来の歴史を変えることが出来るのではないか。」
「若い人たちは未来を生きているのだ。変えてみせようよ。人間である俺たちよ。それが生きているってことだよ。」
大林宣彦の言葉は重い。
対して、日本の政治家や保守系右派連中の言葉は軽い。
コロナ禍で、自分の言葉で語り、メッセージを届ける諸外国のリーダーとは大違いだ。
責任を他人(ひと)になすりつけ、攻撃し、言葉を曲解し、言い訳を厭わない。
子供たちには決して見せられない😁。
さて、映画で使われた大林宣彦の生家に残っていたピアノ、調律もせず、そのままで。
これは、あるがままで残さなくてはならないものがあるのだという強いメッセージでもあると思う。
良いことも、ダメなことも。
クロ現プラスでは、大林宣彦からメッセージを受け取った岩井俊二のインタビューの言葉も紹介していた。
「クリエーターに何が出来るか分からないが、想像力には限界はないのだから、この世界は変だということを伝えられるかもしれない」
と締め括っていた。
これを見て思い出したことがあった。
最後に紹介したい。
A級戦犯の絞首刑に日本人で唯一立ち会った仏教の教えを説く教誨師・花山信勝氏が、東條英機の語った言葉として、
「人間の欲望というものは本性であって、国家の成立というようなことも『欲』からなるのだし、自国の存在だとか、自衛というようなきれいな言葉でいうこともみな国の欲である。それが結局戦争となるのだ」
と伝えていたのだ。
絞首刑が決まってから、4度目の面談で語られた言葉らしい。
花山氏の講演会の記録テープによるものだが、これを紹介した住職・青木さんは、「宗教的見地から、戦前は気付かなかっただろう『戦争の正体』を指摘した発言は重い」としている。
これを聞いて、人々は何を感じるだろうか。
自ら爆弾や魚雷となった兵士、病死、餓死した兵士、沖縄戦で犠牲になった民間人、空襲・原爆で命を落とした一般の人々、そして、こうした人々の家族、友人、知人は何を思うだろうか。
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