「二人称単数での語りかけが重い」海辺の映画館 キネマの玉手箱 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
二人称単数での語りかけが重い
驚くほどストレートな反戦メッセージ。
(特に後半は怒涛の畳み掛け)
に見えましたが、実は、
『そこのあなた、映画を見て○○を学んだ』とか『大事なメッセージを受け止めた』とか言ってるようだけども、じゃあ〝今、なすべきことはなにか〟について語るものはあるのか?
と、観客席の不特定多数が相手のはずなのに、二人称単数で直接語りかけられたような重さを感じました。
監督の目には、現代日本人の多くが、空気を読んでばかりで(忖度を優先して)、結果的に付和雷同と言われるような言動を選択しているようにしか見えない、ということなのだと思います。
詩人・中原中也のように近い将来に起こり得るリスクを想像する思考習慣を身につけ、時には自分の中の直観的な違和感をもっと危機感として表現してもいいのではないか。
映画を語る時に、政権や社会への客観的事実に基づく批判ではなく、政治色の強いイデオロギー要素の文脈を取り入れるのは、生理的にあまり好きではないのですが、鑑賞後に少しばかり気になる点を振り返ってみたら、
・明治維新後の長州閥(現首相も山口県にルーツがありますが、伊藤博文や佐藤栄作など在任期間トップ4はすべて山口県出身‼️)の政府要職の独占
・大本営発表のフェイク振り
・現政権の強行的な運営手法(結果的に官邸への忖度が常態化している)
これらのすべてが繋がっているかのように描かれていたと感じられたので、何となく違和感が残りました。監督の意図について実際のところは分かりませんし、ただの思い過ごしかもしれません。
このように、総合芸術である映画にしては、ある意味〝身もふたもない〟ほど直截的メッセージに満ちた作品であるように、私には思えた分、今なすべきことを考えることよりもそちらの印象の方が、最終的には強く残ってしまいました。
作品のあり方として、良いか悪いか、ではなく、一表現者としての監督が、そのようにストレートな表現方法を取らなければならないところまで追い詰められるほど、現状への危機感があったのだと受け止めたいと思います。