ミッドナイト・トラベラーのレビュー・感想・評価
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長女が歌うマイケル・ジャクソンの『They Don't Care About Us』に監督の意図が重なる
本作については当サイトの新作評論に寄稿したので、ここでは補足的な観点で書いてみたい。
まず、この「ミッドナイト・トラベラー」が3台のスマホで撮影されたことが強調されているけれど、映像記録デバイスとしてだけでなく、支援者との連絡、情報収集、それに子供たちのエンタメ(遊びや気晴らし)の道具としてスマホが大いに役立っていることも見逃せない。映像は最終的に300時間にも及んだそうだが、ハッサン・ファジリ監督はSDカードに記録した映像データを各国の協力者を介して米国のプロデューサーに送り、データ到着を確認した後にカードのメモリを消去してまた撮影していったという。ブロードバンド回線など望むべくもない過酷な旅でも、スマホとモバイル回線が使えて支援者がいればこんな映像製作が成立するという好例だろう。
長女ナルギスが難民キャンプ内の狭い部屋で、スマホで再生するマイケル・ジャクソンの『Black Or White』と『They Don't Care About Us』のPVに合わせて歌い踊るシーンがある。どちらも差別される側、存在を無視される側からの視点で訴える歌だが、監督はこの2曲の場面を入れることで、イスラム教徒の側面もあるアフガニスタン難民が移動先の外国で受ける扱いを重ねたのだろう。
「奴らは俺たちのことなんか気にしない」とマイケルは歌う。国際社会は、そして私たち一人ひとりは、難民のことを気にかけているだろうか。そんな問いかけが込められているように思う。
A Family's Journey to the Edge of Hell
I often ponder what my purpose in life is, but I seldom take the time to acknowledge that for an entire region of people on this planet, an immediate concern is finding a home with running water that isn't getting artillery shelled. Midnight Traveler is the smartphone-told tale of a filmmaker's escape from the Taliban to Europe. Perhaps the best film showing the crisis from the inside out.
リアリティとは残酷と地獄をも鮮明に描く。
アフガニスタンからタジキスタン、トルコ、ブルガリア、セルビア、ハンガリーと3年かけて難民として移動する様子、日常の様子を描いたもの。
生まれた場所によって、生活どころか命の危険にまでさらされ、親友もあっけなく亡くすというのは日本人であれば全く想像もできないことだ。でも、それで平和ボケしてはいけない。
難民を受け入れることに賛成反対の意見はあるだろうが、まずは難民の現実を知ることが第一歩である。
劣悪な環境の難民キャンプ、ダニがいてもマットレスで寝れるだけマシな生活、不法入国しないと前へ進めない、悪徳業者に全財産取られても生き抜いていかないといけない。知らなかったこともあり、勉強になった。
自分達も通った道で捕まった人たちはどうなったかわからない
タリバンに殺人警告をされた映画監督が、家族とアフガニスタンからヨーロッパに亡命する様子を撮影したドキュメンタリー。映画が公開されても平和な生活が戻ってくるわけではない。何を持って解決と呼ぶのか悩まされる。
ドキュメンタリーofドキュメンタリー
でも映像が取れる時代スマホで誰でもどこ
勿論リアリティーをカメラで撮るだけでは映画とはいえない これは家族のホームビデオを映画監督が撮ったもの まず出だしの詞の朗読から参った よく分からず見てしまった 心の準備がなかった だから、しんどいなとしばらく思った。だが、家族の生活を見るうちに
‥‥そして、最後のシーンと音楽には監督の「生活」への思いが迸るように溢れだす
気楽に人に進められないが 多くの人に観て欲しい映画だ そしたら、この世界が少しだけ優しくなるのではないか‥そして、それが生きるのを活きる 生活というものではないのか
難民とは
難民という人々が
どういう過酷な状況に置かれているのかが
難民側に立って知ることのできる映画でした。
過酷な中でも
笑顔や楽しむことを忘れず
状況を良くしようと
精一杯生きている家族の姿に
安心して幸せに過ごしたいという願いは
私たちと全く同じだと感じました。
弱い立場の人の
尊厳を守れる人でありたいと願いました。
生き地獄にいる難民の実態
タリバン政権の恐ろしさというより、各国で難民がどう扱われるのかという実態の一部を描く映画。
感情と感覚に訴えかけてくる描写なので、細かな点で不明点も多い。
たとえば
・スマホの通信費用は誰が払っているのか(動画は通信しなくてもとれるが、娘はネットでMichael Jacksonを閲覧していたし、ハッサンも電話もかけていたことから通信機能は損なわれていないだろう)
・靴をもらった施設はどこなのか
・トランジットから家族は出ることができたのか
・映像は誰に手渡され、商業ベースにのることができたのか
日本語の持つ曖昧さがそうさせてるのか、訳が悪いのか娘の最後のセリフは過去形なのか現在進行形なのか、わからない。
一番最後にたどりついた場所が、やっと自由への一歩を踏み出せる場所であるはずなのに、監獄を象徴する最低の場所だったという絶望。見終わった後もあの家族はトランジットから無事解放されたのかが気になり、そうか、この曖昧で不安な状態がほんの少しでも難民に近しいのだとしたら、観客がこのまま放り出されるのも意味があるのだな、と思った。
否が応でも日本の入管のことを連想する。ネットなどの書き込みでは不法入国者は犯罪者だと辛辣なコメントも飛び交う。だが、彼らはただ単に「安全な場所で働き、生きたい」と渡ってきただけであり、生来は殆どの日本人となんら代わりのないただの小市民である。言葉のわからない国で、手続きのミスや悪質な斡旋業者のせいで終刊された人もいる。
本来、人間の数が少なければ、移動して好きな土地に住み着くことだって可能だろう。生来、人間も動物であれば、むしろどこに住もうと自由なはずなのだ。ハッサンたちは、国家の枠組みと管理により、「人間」から「難民」にさせられているだけなのだ。
そして盗みなど働かなければ暮らせないような状態に、追い込まれいるだけなのだ。
彼らがアフガンで生まれなければ?同じ映画を撮っても、自由を阻まれることなく暮らしていただろう。
しかし世界が誤解しない方がいいのは、恐らく難民の大多数が愛国心を持っていて、子供への危害や紛争がなければ母国に帰りたいと思っていることである(勿論難民キャンプで生まれた世代ではまた違うだろう)。
なのでシュプレヒコールで「母国へ帰れ!」とうのはとんでもない愚かさだ。ユダヤ人に対して、ナチスの台頭していたドイツに帰れと言うようなものである。
ジャレド・ダイアモンドの著書『危機と人類』の日本の章で、日本の難民の受け入れが低いことに言及、難民を受け入れベビーシッターなどとして雇うことにすれば、女性の産後の社会復帰にも役立つと西洋のモデルを例にしていたが、上の例ではなくてもいいが難民を閉じこめておくのではなく、市民の一部として社会活動に加える枠組みが早急に必要だと思う。
マイケル・ジャクソンは正義や差別や偏見と闘う歌を作ってきた。ハッサンのこどもが、意識的にしろ無意識にしろ、あの状況でマイケル・ジャクソンを選んだ感性が泣けてくる。
ホームビデオ
20年くらい前、某山間の村に存在する手掘り隧道の保管プロジェクトの一環としてドキュメンタリーが製作されることになり携わった。
撮影とは関係なく、村の運動会や夏祭りに参加したりと長期滞在の間に現地の方とはとても近しい関係になり、その後もたびたび訪れ交流は続いた。
そんな中起きた新潟中越地震、良くしてくれた方々の顔が浮かび何か出来ることはないだろうかと考えていた矢先、撮影スタッフらからカメラを持って向かうとの話が持ち上がっていた。
ドキュメンタリー作家ではない私は、取り急ぎ必要なのは直接的な手助けだろうと考えてしまったが、映像で残す事や伝えるのが自分たちに出来る事という彼らの考えに、スッキリしなかったのを思い出す。
この作品も同様に、映像作家としての自分と家族を守るお父さんの狭間で揺れ動く場面が出てくるが、作家とお父さんが一人称であるがためにホームビデオ感が拭いされない効果を生み出している気がしてならない。
iPhoneで撮影された、私たちの日常とはかけ離れてる過酷な場面を作品として観られるのも、監督の作家魂の賜物だろうと思う。
しかしだからといって、ドキュメンタリー作品として面白味があるとは限らない。
スマホの性能から撮るという事のハードルは格段に下がり、今まで見られなかった映像は身近になったが、ただ映像の垂れ流しでは惹きつけられない。
数年前に観たアレッポのドキュメンタリーもそうだったが、ホームビデオに毛が生えた程度に感じる作品が増えた。
映像としては貴重だが、ドキュメンタリーの質は下がっていないだろうか?
日本人には縁遠い難民。
島国育ちの日本人には、難民は馴染みにくいのが正直な私の感想だ。76年前には、大陸からの引揚者が沢山いた。しかし、彼らは同胞だ。
タリバンから死刑判決を受け、アフガニスタンを脱出した映画監督の3年に渡る5千キロの旅をドキュメンタリーにした映画だ。被写体は監督自身やその家族。そのため、眼差しは温かいが現実は厳しい。難民キャンプには、収容所にしかみえない建物がある。安住の地が見つからないので、タイトルは「ミッドナイトトラベラー」と夜明けがみえないまた、見つからないよう移動する難民を表わしている。
スマホでドキュメンタリー映画が撮れるとは、思ってもみなかった。随所に挾まれる自然の風景が美しい。自然は人間を差別などしない。私はもっと突き離したドキュメンタリーを観たかった。
MJの曲に合わせて踊る少女の姿に吐くほど泣かされました
アフガニスタンの映像作家ハッサン・ファジリは国営放送向けにドキュメンタリー番組を制作するがその内容がタリバンの逆鱗に触れ番組に出演した男性は殺害され、ハッサンには死刑宣告が出される。ハッサンは妻と娘2人を守るため自分達を受け入れてくれる国を求めてアフガニスタンを後にする。その5600キロに及ぶ旅と転々と移り住む移民キャンプでの日々を3台のスマホだけで撮影したドキュメンタリー。
タジキスタン、トルコ、ブルガリア、セルビア、ハンガリー・・・難民として公式に受け入れられないがために密入国を繰り返さなければならない凄惨な毎日。同じ境遇の人達と協力しながら次々と窮地を潜り抜けていくが、そんな彼らが持つ現金を根こそぎ奪おうとする密入国斡旋業者、難民達を敵視する民族主義者の市民、冷たい対応で難民を追い払う役人や警官といった魑魅魍魎達が跋扈する世界を捉えた映像は生々しく残酷ですが、そんな地獄のような毎日でも笑顔を振り撒く姉妹ナルギスとザフラの可愛らしさがとにかく印象的。無邪気にはしゃぎ回る姿、疲れ果てて爆睡する姿、退屈過ぎて思わず涙を流す姿、恐怖に手足を震わせる姿、そのどれもが愛おしくて自身の娘の幼い頃を思い出してしまい何度も涙がこぼれました。特に印象的だったのはマイケル・ジャクソンの動画を見ながら無心にダンスをするナルギス。その曲がよりによってBlack or WhiteとThey Don’t Care about Usなので微笑ましいシーンのはずなのに吐くほど泣きました。
ちょっとしたきっかけで始まる夫婦喧嘩や物凄く深刻な事態であるにも関わらずその現場に立ち会って撮影していることに激しく興奮する自分に気づいて激しい自己嫌悪に駆られる様までも赤裸々に捉えた映像の数々は実に辛辣なメッセージを湛えている一方でラブレターのように甘酸っぱいところもあって自身も映画監督であるファティマが時折見せる少女のような笑顔もとてもキュートです。夫婦だけでなく姉妹も撮影テクニックを習得しているそうで、随所に挿入されるリリカルで抒情的な映像も息を呑むほど美しく、終幕に現れるテロップが刻む現実の厳しさとのコントラストに胸が引き裂かれる衝撃的な87分間でした。
逃亡の道行
安住の地を求めてひたすら北を目指す一家の気の遠くなるような旅
小舟で地中海を渡るアフリカの人々 アメリカ国境地帯を彷徨うメキシコの経済難民 敗戦時の満州引き揚げ
生き残りを賭けた行動とはいえ故郷を捨てざるを得ないその哀しみ
慎重且つ大胆な決断 そして僅かな運 先の見えない苦難の一部始終を追体験する
They don’t care about us
を踊りながら歌う娘さんのシーンがとても印象的で間違いなく名シーン。
安田純平さんのお話も聞けて(もっと聞きたかった)
本当に観て良かった作品。
無関係だとは思ってないけど、わたしたちに出来ることってなにかあるのかな。
難民なるということとは
難民という言葉は知っていても、難民を知っているという人は少ないです。
この映画は、難民に降りかかる現実を知ることができるドキュメンタリー映画です。
この映画は、スマートフォンで撮影されています。
上映時間は、87分ですが、映像がブレまくるので、スクリーンから離れた席から鑑賞することをお勧めします。
タリバンは、アフガニスタン国民にタリバンになるか、殺されるか、難民になるかという選択を強いて、支持者を増やし、米国を追い出しました。
米国は、大統領は守りますが、アフガニスタン国民を守れず、アフガニスタンから追い出されました。
登場人物は、このドキュメンタリーを撮影したハッサン・ファジリ、妻で女優のファティマ・フサイニ、長女のナルギスと次女のザフラです。
ハッサン・ファジリは、映画監督になり、カフェを経営し、タリバンから抜けた元タリバン指導者という映像を撮影し、公開し、タリバンから死刑を宣告されます。
この映像に出演した元タリバン指導者は、タリバンにより処刑されます。
ハッサン・ファジリの親友で、タリバンになったハシェミが、ハッサン・ファジリに
身の危険を伝えます。
ハシェミは、投獄され、獄死します。
ハッサン・ファジリ一家は、タジキスタンへ逃亡しますが、難民申請が認められず、アフガニスタンのマザリシャリフに戻ります。
ハッサン・ファジリ一家は、イランのコム、トルコのイスタンブールへ自動車で
移動します。
ハッサン・ファジリ一家は、ブルガリア、セルビアへ徒歩で密入国します。
ハッサン・ファジリ一家は、ハンガリーへ向かいますが、トランジットゾーンで留め置かれます。
トランジットゾーンは、国境沿いの金網に囲まれた幅十数メートルの区域です。
ハンガリー政府は、難民の入国を認めず、難民をトランジットゾーンで、拘束します。
日本政府も同じようなことをしています。
2021年3月6日、名古屋出入国管理局で収用中のスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさん(33)が死亡しました。
国と都市を把握していると、5600kmという距離の遠さが理解できます。
4000ユーロは、約50万円です。
パレスチナ問題を含む、難民問題は、難民だけが居住し、世界が支援する国家でも樹立しない限り、解決策はないと感じています。
日本で観ることのできる奇跡
アフガンの映画作家が、タリバンの指導者を主人公に作品を撮り、文化的なカフェを営業したことで、タリバンから死刑宣告を受け、難民となることを受け入れて家族4人で旅をすることに。走行距離は5600k、期間は3年。
アフガニスタン→イラン→トルコ→セルビア→ブルガリア→ハンガリーと旅するが、待ち受けるのは難民排除の反発と弱味に付け入る密航協力業者たちだ。
撮影は3台のスマートフォンでされ、その都度、デバイスの容量を圧迫しないよう、アメリカの編集者に送られて、この90分のドキュメンタリーが完成した。
ヒリヒリするような命の危険とまさに隣り合わせの、「真夜中の旅」。しかし、さすが映画作家、スマホで撮ったとは思えない自然の美しさや、子供たちの笑顔、妻の魅力をきちんと映像に留めている。「大人になってもヒジャーブで髪の毛を覆わない」と明るく話す長女の姿がイスラム圏の人々のリアルを伝える。
映画の可能性を大いに感じた90分。そして、今まさに大揺れに揺れるアフガニスタンの現実を日本で観ることができる奇跡に感動する。誰も報じない映像を1900円で見ることができる幸せ。本年度ベストワン候補の一作となった。
今後上映館が広がることを切望します。
難民自身が実際の行動を内側から─
正直、決してきれいな映像でもないし楽しいものでもない。作品の大部分は記録を淡々と並べているだけで、鑑賞するには相当な集中力を要する。
しかし、こうして実体験をダイレクトに見せつけられると、どんな情報・報道・ジャーナリズムよりもリアルであり、今まさに話題になっているアフガンとかタリバンのことについても、ホント表層的なことしか理解していないような・・・という思いに─
確かにマスメディアなくしては難民一人一人の真実など知る由もないとは思うけれど、そこで伝いきれないものとか、果たして嘘偽りがないのかとか、世に飛び交う情報を自分自身で判断する材料がめちゃくちゃ増えるような気がするので、こういったスマホで撮った作品のパワーを痛感します。
難しい映画だと思うので、見る前に、不安定の中で記録し続けている苦労と誰が誰を撮っているかということを想像しながら鑑賞すると、作品への興味がなぐっと高まると思います。
ストーリーとしては理解できるが、映像としては、それほど重要な要素は見当たらない。
アフガニスタンのドキュメンタリー映画を作った監督が、タリバンに命を狙われたが、タリバンに転身していた親友から命を狙われているから逃げろと言われ、国外へ脱出するというストーリー。
その様子をスマホで撮り続けた訳だが、映像としては、それほどのものは見当たらない。
野宿をしたり、難民キャンプに身を寄せたりしながら、家族で国を転々とするのだが、移民を排斥する国もあり、落ち着きどころはなかなか見つからない。
確かに、日本にいる我々は何も口は挟めないが、ナレーションを付けて、ニュース映像にすれば、三十分程度の内容だろう。
難民となった家族の物語として観たほうが、しっくりくる作品かもしれない。
倫理上撮り得ない映像
アバンタイトルとして、ソニーの古い家庭用カメラで撮ったとおぼしき家族のプライベートフィルムが挿入される。以降はそうした安らぎとは無縁の映像が続き、冒頭のあれは宙吊りにされ何だったのかと思うのだが、比較的安全なセルビアの難民キャンプでのクリスマスに撮られた家族の雪合戦や花火の場面で、ここと対応していたのかと幾ばくかの感慨を呼び起こす。
とはいえこの映画で一番重要なのは、スマートフォンによってあらゆる状況で映像を撮られるように見える現在にあっても、撮られない/撮り得ない映像もまた存在するのだということだと思う。セルビアで一家を襲う難民排斥派による暴力、娘が行方不明になった際に父親=監督の聞こえたカメラを回せという悪魔の囁き、それらを告げるナレーションは、ひょっとすると流転の家族の悲劇以上に、安全地帯で映画を観る観客を突き刺すのかもしれない。
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