劇場公開日 2020年2月21日

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「アリ・アスター監督の長編第二作、最低二回は観る価値があるのでは?」ミッドサマー sarugakuさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0アリ・アスター監督の長編第二作、最低二回は観る価値があるのでは?

2022年11月5日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

喜怒哀楽の感情は脳内で起こるが、それを徹底的に解析し、インパクトある映像に再現する才能において、アリ・アスター監督の右に出るものはいない。

肉親喪失の失意の時期に寄り添ってくれなかった元恋人という監督の実体験、その感情から映画は生まれたのでは?と考えた。

緻密なセリフやプロットの積み重ねと、それを支える独自の舞台設定、さらに技術よりも本能で演じることができるキャスト(フローレンス・ビュー)が加わり、すべてが異常なレベルとなった作品である。

アリ・アスター作品の主役クラスは、出演後にメンタル・ケアが必要なほど、究極の感情表現に追い込まれていそうだが、ダニエル役のビューは違っていたようだ。

劇中、狂気一歩手前の世界でもがくダニエルは、最終的に狂気の世界(ある意味、解放と充足と復讐の境地)まで行く。家族を突然失ったという喪失感から、新たな家族を手に入れ、立ち直れたのである。

しかし、このシーンでのビュー自身のコメントは「ドラッグによって混乱している」という的外れなもので、これぞ本能で演じることのできる役者なのではと思う。

確かにドラッグ始まりで、ダニエルたちは陽光と狂気の異世界に迷い込むが、そのスウェーデンのホルガ村は、60年代のヒッピーたちによるカルト共同体のようなイメージもある。

ひらひら衣装と真ん中分けロング・ヘア、それに花飾りとドラッグとフリー・セックスは、そうした時代につながる。なによりもラブ&ピースな感情やトリップの共有体験は、いかにもヒッピー共同体的な発想である。

アメリカ最強の価値観を信じながらもどこかで疑っている全米の観客に、60年代とカルトのネタで揺さぶりをかけ、脳内に自身の強い感情を植えつけることができたアリ・アスター監督の快心の意欲作である。

で、この作品が好きだと公言しているアリアナ・グランデは、あの「女王のための花のガウン」を手に入れることはできたのか?

クラウディア🫶