「映画ドラえもんの続きを観られて嬉しい。でも悲しい。」映画ドラえもん のび太の新恐竜 みずのひろしさんの映画レビュー(感想・評価)
映画ドラえもんの続きを観られて嬉しい。でも悲しい。
コロナ禍の影響により、予定より半年待たされたが、家族全員でやっと観ることができた。まずそれが何より幸せだった。自分自身が子どもの頃から観ていた映画ドラえもん。4歳と2歳の子ども達と、映画の感想を言い合う帰り道が、何よりの制作陣からのプレゼントだと感じた。
でも、映画が終わった瞬間感じたことは、自分が本当に観たい「映画ドラえもん」の新作を、これから観ることは出来ないのかもしれないという、ある種の確信だった。
自分自身が観たい「映画ドラえもん」とは、一言で言うと、藤子Fイズム(進化、政治、宗教、科学をテーマとして、現代社会への問題意識を問いかけながら、子供向けアニメとしてエンターテインメント性も備え、楽しませようとする姿勢)を感じられる作品だ。今回の新恐竜で触れられているテーマとしては、「進化」のみ。エンターテインメント性だけに重きがどんどん置かれているような印象。映画館だからこその、恐竜世界の、隕石激突後の終末世界の、とてつもないスケールを十分楽しませてもらったし、こういう形で楽しめる人(こども)が多いんだろうな、と圧倒される完成度が故に、今後もはや藤子Fイズムを求める顧客は、取り残されるはずだ、という確信めいたものを感じてしまった。
自分は、シンプルかつ強いメッセージを伝えるストーリーを核としながら、そこに複雑で様々な思惑が入り乱れ豊かなバックボーンを感じさせるドラマが好き(藤子F先生原作映画、ジョージルーカス原作スターウォーズなど)ただ、巧妙に伏線を回収するだけのお話は嫌い。というか、いやらしくていけすかない。(伏線回収自体は否定してはない)
まとめると、映画ドラえもんは、原作者が亡きいま「闘い、魂を削った」ような作品は無くなり、観る人をそれなりに最新技術と上手なストーリーで、観客を喜ばせるものが良しとされるのだろうと思う。そもそも何故今回ピー助が主役とならなかったのか(最新研究からフタバスズキリュウは卵から産まれず、胎生だった)という背景、そのピー助が出てくるシーン、ひみつ道具のジオラマが実世界で活躍することが分かるクライマックスシーン(箱庭やジオラマ作りは藤子F先生の趣味)、落ちこぼれだと思われていたキューが、意外にも進化の扉を開いたことなど、本当に色々な所への目配せが凄い。凄いんだけど、目配せとはあくまで主菜ではなく副菜のはず。主菜、核となるメッセージが、自分にとっては凄みを感じるものではなかったなぁ…。