「家族が何かって?わかるわけないじゃない、説明できないんだから。でも私ね、あなたたちと家族になれたこと、後悔してないの。」最初の晩餐 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
家族が何かって?わかるわけないじゃない、説明できないんだから。でも私ね、あなたたちと家族になれたこと、後悔してないの。
スロースタートでじんわりじんわり物語は進んでいき、佳境に入ってもギヤはトップに入らない。時々ドタバタはあるが、総じて淡々と物語は進んでいく。その過不足のない匙加減が見事で、気が付くと琴線を刺激されていて、こちらはとめどなく涙がこぼれ出てこらえきれない。それはひとえに、役者陣の技量のたしかさゆえの心地よさ。そして出しゃばらないカメラの絶妙なるアシスト。演者とストーリーのみならず、制作側もいい仕事をしているゆえだろう。
ゆっくりゆっくりと明かされていくエピソード。最後に特大なのがいくつも。そのたびに、静かに静かに、役者同士の激しくも見えない火花がバチバチいっている。そのひた隠しの闘志のような熱意が、びんびんとこちらに伝わってくる。彼らが父の葬儀のわずかな時間に、大人のくせに急激に人間としての成長を見せる。特に、美也子と凛太郎が。美也子は夫と、凛太郎は恋人と、その関係が自分の心の持ちようによってかけがえのない絆で結ばれていくのが目に見えるようだ。
久しぶりにやって来たシュンは、演じる窪塚洋介が画面に出て来ただけで泣けてきた。そこまでストーリーを積み上げた監督がすごいのか、窪塚のその存在自体がすごいのか、もうなんだかわからないくらいに逞しく見えた。この時の窪塚は、全部持って行っちゃった感じだった。彼も二人の弟妹同様に嫁との距離は微妙なのかも知れない。妻が同行しないことで、この夫婦にも何がしかの問題を抱えていることが想像できるからだ。しかしシュンは、台所に立つ姿が父にかぶったり、病弱の父に穏やかに寄り添ったりなど、見事に長兄としての確かな役回りで仕切ってみせるのだから頼り甲斐がある。
アキコは、懺悔するように二人に過去を告白する。彼女が今までずっとその罪悪感を背負ってこの家で暮らしてきたと思うとたまらなかった。彼女の言動は、性格的な慎ましさではなくて、子供たちに対する背徳感からだったのだと思うと苦しくなった。「全部の責任をあの人が負ってくれた。」と言うが、いやあなたも一緒に背負ってきたでしょうに、って弁護したくて仕方がなかった。「でも私ね、あなたたちと家族になれたこと、後悔してないの。」と笑顔を見せる彼女に涙が止まらない。ああ、斉藤由貴を起用したわけは間違いなくここだなって思えた。
「俺たちは互いに知らないことだらけだ。」と凛太郎は独白する。そう、誰しも家族にさえ隠していることはある。むしろ、家族だからこそ隠してきたことがある。それは、自分を削ってまで守ろうとするからだ。それに気づいた凛太郎と美也子は、自分を見つめ直していく。素直な気持ちで。そうか、シュンはすでにその境地を乗り越えてここに来たのだ。だから達観したような振る舞いでいられるのだ。
この家族を演じた四人の役者はみな、バケモノだった。
最後まで何とも言えない感情が心の中を押し寄せる。すべてが世間に顔向けできることばかりではない。だけどこの、壊れかけながらも何とか取り繕うことのできたラストの清涼感はなんだ?そうだ、「鈴木家の嘘」と同質のやつだ。
美也子が、母さん、なんで?と問い詰めながらも、今のわが身と重ねると、その身勝手さに気付き、母の人生を思い返したときに感謝しか湧いてこない。そう、”あとみよそわか”を思い出したときに。これは幸田露伴が娘の躾の際に教えた呪文。アヤコもそれと同じくらい愛おしく美也子を見つめていたのだ。そう知った時に美也子が流したように、僕の頬にもまた涙がこぼれてきた。