「It is no use crying over split milk.」鼓動 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
It is no use crying over split milk.
故事諺では最も有名な一節であろう。「後悔先に立たず」・・・ まさに人生自体がこの世界観に内包されているかとさえ思える、心から消去できない爪痕に深く浸透している言葉である。本作はそんな諺を、父親息子二組の、一方は父親側、他方は息子側視点で、ストーリーに落とした群像劇である。勿論、映画なのだから観客は俯瞰でスクリーンを目で追うので、何が問題なのかは倫理的にはハッキリしている。しかし、父親と息子という同性故の苦悩と葛藤は普遍なのである。自分のように力強い男、又は成しえなかった夢を受け継いで欲しい父親、だらしない自分の父親に愛想を尽かし反面教師のレッテルを貼り続ける息子。男同士だからこその蟠りをこねくり回さずストレートに表現してみせた本作は、短編ならではのスピーディー感が上手く演出を助け、没入感をより加速させていく。路上で膝をついて四つん這いで泣き叫ぶ初老の男に、父親の叫びを掬い取って上げられなかった後悔に苛まれる若者、それぞれの人生をプレイバックしてゆきながら、それぞれの人生など知る筈もない他人がラストに邂逅する。そして、その後悔を浄化するかの如く、手を差し伸べる若者とその若者に死んでしまった息子の面影を観て、自分勝手な思いを押しつけた悔いを赦されたかのように一気に憑物が取れる初老の男。思いやりが欠如していた自分達の過去の悔いが、こういったことで昇華していく皮肉さ。その何とも概念化不能な沢山の感情を、脚本演出ではなく、俳優達の感情に純粋に従った演技が今作品の白眉であると、アフタートークで監督が語っていたのは、大変印象的であった。勿論、擦り続けられたテーマであるし、解答も又作品それぞれであろう。今作に於いてはそれは“偶然”という神のプレゼントが二人の男を癒すことが出来た。そこには正誤はない。あるのは心臓の鼓動のハーモニクスだけである。短編の中でしっかりとしたカタルシスに帰着できたチャンス取得の妙を大いに感じた作品である。
余談だか、若者の恋人のシングルマザー役である桝田幸希はどこかで見知った女性だと思ったら、元間宮夕貴であった。相変わらずの人目を惹くモデル体型の美しい女優ぶりは健在であるが、折角なのだからベッドでの会話シーンでは、ヌードであればもっとリアリティが演出できたのにと、そこは非常に残念であった。