ウエスト・サイド・ストーリーのレビュー・感想・評価
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自分はオリジナルのほうが好きだった
1961年に映画化された「ウエスト・サイド物語」を観たのは大学時代、1980年頃のリバイバル上映だったかと。上空からマンハッタンを真下に見下ろすオープニングに度肝を抜かれた。全身鳥肌が立った。 60年のインターバルを置いたスピルバーグによるリメイクは変化球なしのストレート勝負。思いのほかオーソドックスだった。 自分的には淡々と反芻していたイメージ。 全身に鳥肌が立つことはなかった。 . . 61年版でアニタを演じたレジェンド、リタ・モレノに👏👏👏
バレンタインデーにドンピシャ
間もなくのバレンタインデーにドンピシャで合わせてきた配給会社。 恋人たちが寄り添い、鑑賞する至極の時間の物語。 愛する人と鑑賞し、不朽の名曲『Tonight』が互いに耳鳴りする恋人たちの夜をお迎え下さい。
野郎で集まりバカ騒ぎ
オリジナルを未鑑賞でも知っている曲が何曲かあった。 ミュージカルとラブロマンスが半々くらいだが、ミュージカルシーンにパワーがあるだけに話の軸となるラブロマンスが消化試合気味に。 警察署のシーンが個人的にはツボ。
巨匠の本気を見た
これだけ名作の呼び名も高いこの物語を一体どうやって料理するのか?
ただ、スピルバーグ監督はオリジナル版を愛し、深い敬意を払っていると聞くから不安はあまりなかった。
また、スタッフ&キャストも長い年月、オリジナル版を大切に思ってきたメンバーばかりが集ったようである。
若い世代が受け付けにくい古臭さを現代風にするのかな?それとも完全に現代版?
などと考えているところに映し出されるはリンカーン・センター。
あぁ現代版かぁ、と思わせておいて実は精巧な絵。
未来の完成予想図であり、時代背景はやっぱりオリジナル版と同じ1957年のようだ。
タイトルシークェンスでは壊れた非常階段の映像。都市再開発の為に壊されていく街並みの中で生きねばならない人々の暮らしや人間関係までもが破壊されている象徴なのか。
振り付けは、ジャスティン・ベックのオリジナルだが、ジェローム・ロビンスを彷彿とさせる動きが頻繁に入るので違和感なく観ていられる。
最も有名だと思われる「例のポーズ」は思い切って割愛。
手にするはバスケットボールではなくペンキ缶。なるほど、なるほど?
(あのポーズ、バレエの「バットマン」というんですが。ここで削った代わりか全然別の箇所に「バットマン」って台詞が入りましたネ(笑))
最初の違和感はベルナルド。
「髭は要らないだろー」と思った。しかし、これこそが重要だったのだ!
(いや、別に髭の有無ではなくて)
スピルバーグ版は可能な限りの「リアリズムの追求」を重視していると思われた。
オリジナル版は、良くも悪くも「銀幕スターの映画」
なればこそ、ジョージ・チャキリスはめちゃくちゃカッコいい。当時、踊って演じられるプエルトリコ系役者が非常に少なかったという事情はあるが、実際にプエルトリコ系は2〜3人しか出演していなかったのだ。
また、街路はゴミどころか塵一つなくきれい。撮影は屋外よりも室内シーンが多い。ブロードウェイの「舞台」ではないが、「銀幕」の中もまた舞台に近い「非日常」の一つであったと言えるだろう。だからベルナルドは女性の熱視線が集まるようなイケメンが望まれた。
しかし、チャキリスはギリシャ系アメリカ人でありプエルトリコではない。リアリズムを求めるならばシャークスをまとめ上げるリーダーにはイケメンよりもパワフルでエネルギッシュなタイプこそが相応しいと言えるだろう。(髭ある方がそれっぽい)デビッド・アルバレスはまさにハマリ役である。
スピルバーグ版では、街路は敢えて埃にまみれさせ、人々の喧騒も生々しい。(今の時代では見かける事もない当時の外置きゴミ箱を200個集めるのに、古物商、フリマ、ネットオークション、スタッフは相当奔走したとか)
オリジナルでは夜の屋上だった「アメリカ」を昼の路上に引っ張り出し、最後には街中のプエルトリコ移民を巻き込んでの一大ダンスが繰り広げられる様は実に圧巻だ。本作は「人々の生の暮らし」が実に丁寧に描き込まれているのだ。
スピルバーグ監督は本作では「映画にしか出来ない事」「映画ならではの強みと魅力」「舞台では絶対に出来ない事」に非常にこだわっていると強く感じる。
また、今回はトニーがめちゃくちゃカッコいい。オリジナルではベルナルド&アニタが目立ちすぎてトニー&マリアに感情移入しにくかった。トニーはただの良い子ちゃんだし、マリアもウブな小娘だった。
しかしながらスピルバーグ版は違う!
トニーはリフ達同様荒んだ家庭環境の犠牲者であり、あわや人を殺す手前というトラウマ経験を持ち、刑務所で初めて「生きる意味」のようなもののカケラを意識する。なればこそ、「マリアとの出逢い」がより一層輝く。
「クール」をトニーに歌わせたか〜!
これは監督に喝采を贈りたくなった。
クレイグ・ボンドのようなパルクールを彷彿とさせる波止場での格闘は実にカッコいい。オリジナル版ではリフを殺されたジェッツを落ち着かせる為にアイスが歌うところだが、この場面で使ってくるとは。今回のトニーの高身長も旧作のアイスが重なる。
この場面によって、トニーが決闘現場に行かざるを得ない理由が生まれる。
この部分、マリアもオリジナル版より好感度が高い。旧作ではトニーになんとしてでも決闘を止めてくれるように頼むが、本作では一度は口にしても、その後トニーの身を案じて近づかないようにと心を変えた。清純な中にも若芽のような意志の強さが感じられて非常に良い。
トニーのみならず、今回はシャークスもジェッツも、いや、実は端役1人1人に至るまでも、詳細な人物設計、人生背景が創られている。
シャークスはアメリカで一旗揚げたいと夢を持って移り住んできた若者達だ。みんな、何らかの仕事を持ち働いている。
対して、ジェッツは白人系移民の子(主にポーランド。次にイタリア系が中心と思われ)。通常、白人達はとっくに良い仕事と生活環境を手に入れてこの街を立ち去っている。しかし、ジェッツはそうならなかった親の子供達だ。アル中、ヤク中、まともな仕事に就いていない親達に、愛される事なく育った子供達。だからジェッツの服装はゴロツキ風だし、シャークスの方がまだ身なりが良い。
オリジナル版はこのような詳細設定がなかったから、単に「反目しあう若者達というありがちな構図」「敵対関係の中で翻弄される悲恋」「憎しみあう事の虚しさ」「根深い人種差別」くらいの主題で終わっていたが
スピルバーグ版はそこに「人間として生きること」という深いテーマを織り込んだ。
「ジー・オフィサー・クラプキ」の歌はノリの良いコミカルパートとして捉えられがちだが、歌詞は虐待を受けている子供達を救うはずのシステムが、子供達をたらい回しにするのみで結局は機能していない事を痛烈に皮肉っている。旧作では路上で歌うが、本作ではポリスオフィスにてジェッツメンバーが「ちゃんと見てくれ、ちゃんと聞いてくれ」と大人に懇願する。ふざけていても、そこには彼らの本心が隠れている。オリジナル版と違い、ゆっくりとしたピアノ弾き語りから曲に入るので、笑わせるだけの場面ではないと気付いてくれる観客は増えるのではないだろうか。
カメラワークも良い!
オリジナル版はほとんど固定カメラなので、本作は比較にならない自由度の高さで新しい映像を切り取っている。
「ワンハンド・ワンハート」の教会シーン。「ダンス・アット・ザ・ジム」の色の洪水。いや「アメリカ」や「クール」の炎天下自然光でも、ヤヌス・カミンスキー撮影監督は光と影と色の魔術師か!と感嘆を禁じ得ない。
今回、全部フィルムで撮ってるんですよね。スピルバーグ&カミンスキーのタッグだから安心して見ていられますね。フィルム時代を生きてきた人達だもの。
「ダンス・アット・ザ・ジム」はマリアは白のドレスが当然だけど、アニタの黒も良かったねー。
他の女性が色とりどりの色彩だから、2人が見事に浮き立った。アニタのキャミソールの赤がチラ見えするのも「内に秘めた情熱」を思わせてgood。
コンクリートの廃墟で育ったジェッツは寒色、灼熱の太陽の元で育ったシャークスは暖色。無彩色はマリアとアニタだけだ。惹き立たせる意味もあるが「どちらの色にも染まらない」マリアとアニタの柔軟な感性、相手を受け入れる懐の広さ、深さを表していると思うのは考え過ぎだろうか?
音楽も、かつてバーンスタインが率いたニューヨークフィルだが、ドゥダメルが引き出すバックビートが柱となり、ジェッツはビー・バップに、シャークスはカリビアンミュージックになっている。
衣装やメイクの1つ1つのこだわりもオリジナル版とは違い、深堀りされた意味が加わっていて素晴らしい。
長くなってしまったけれど、最後にもう一つ言及したいのが「女性の描き方」
オリジナル版はどうしても男尊女卑の時代。女性の幸せは結婚がゴールで、社会を動かすのは男ばかりだった。
キャラが立っているのはアニタとマリア程度で他の女性は添え物程度だった。
しかし、本作では女性達もまた男性同様にしっかりと自分自身を持っている。「アメリカ」でも「アイ・フィール・プリティ」でも女性達の考え方や働き方が描かれているし、アニタがジェッツに襲われかけた時、グラツィエラが必死で助けようとする場面も実に考えさせられる。
性別と言えば、男子の仲間入りがしたい女の子だっただけのエニーボディズが本作ではノンバイナリーとして描かれているのは時代を感じた。
デビッド・アルバレス(ベルナルド)始め、皆、プエルトリコの歴史について非常によく勉強したそうだ。自分達のルーツについて誇りを持つ人が増えた事だろう。ロケを見学に来ていた役者さんのお母さんには、当時の苦労を思い出して号泣する人もいたそうだ。
ラストシーン。ジェッツもシャークスも協力してトニーを担ぐ。
愛を知らず、闇の中を手探りで進むように身近な「仲間」だけを頼りにしてきた彼ら。
そんな彼らの心に、初めて「光」が見えたのだろうか。
歩を進めるうちに、夜明けの光が彼らを照らしていく。
旧作では救いようのなかった悲劇の物語だが、スピルバーグは彼らの未来に希望という光を投げかけたのではないだろうか、、、。
他にもリタ・モレノについてなど、まだまだ書きたい事は尽きないが、今はこれで筆を置こう。
スピルバーグ監督、本当に素晴らしい新作をありがとう!
オリジナル版が吉兆の湯木貞一や北大路魯山人のように「日本料理の見事な型」を作ったとすれば、スピルバーグは山岡士郎や海原雄山のように、米一粒、大豆一粒、野菜も魚も真っ当に育った「本物」の食材集めに全力を注いだ。
「ご飯、味噌汁、鰯の塩焼き、漬物」献立の至高のメニューがオーバーラップした。
オリジナル版という金字塔の制約があるからこそ「映画を創る」とはこういう事なのか〜!という新たな視点・観点を学ぶことが出来た。
巨匠スピルバーグに脱帽である♪
かなわぬ願いとわかっているが、トニーもベルナルドもリフも死なない、幸せバージョンも観てみたかったなーw
バーンスタインの名曲そのまま
3連休と言う事もあって、昨日のドライブマイカーに続いて今日観て来た。両日とも座席は満席で、何とか前2列目で観られた。 今回は、1961年公開のオリジナル版をスピルバーグ監督が超えられるかがテーマなんだろうね。圧巻は両作品に出演したリタモレノ。スピルバーグ版でもなかなかな役どころだったよ。ダンスシーンや決闘シーンなどでオリジナル版を上回る演出があったと思うし、3万人から選ばれたと言うレイチェルゼグラーも歌上手かったし熱演だったが、肝はアニータ役のアリアナデボーズだったね。 基本的にはバーンスタインの名曲そのままにシチュエーションが多少変わっていた程度でスピルバーグ版は立派にリモデルされていたとは思うが、オリジナル版の極めつけの良さはナタリーウッドの煌めく様な可憐さが目玉だし、ジョージチャキリスのスター性も含めて昭和者の私はやっぱりオリジナル版に軍配を上げざるを得ないね。
トゥナイト♪クラシックミュージカル × スピルバーグ = 現代社会
幼少時代から慣れ親しんできた作品、バーンスタイン&ソンドハイムの名曲たちを再び映画館のスクリーンで見られる日が来るなんて!それもみんな大好きスピルバーグの手によって!大好きなマンボやアメリカが!! ベルナルドはやっぱりジョージ・チャキリスなんだけど、本作のアニータよかった。 他者を排斥する仲間意識、有色人種はすぐブチ込まれる縄張り意識、それらによる時を越えても変わらぬ対立構造。まさしく現代社会。トランプ政権下で文字通りの壁建設など如実な形で表れ益々深まった憎しみとそれによる団結、LGBTQや性の多様性も叫ばれるようになった昨今に作り直される価値のあった作品で題材。作られた分断、暴力による解決しか無理なのか?負の連鎖は断ち切れないのか? エネルギー迸っていた!あらすじ内容自体はロミオとジュリエットの翻訳に社会問題を絡めたオリジナルをしっかりと踏襲しながら、本当になんでも撮れる映画の神様スピルバーグ御大によるパブリックイメージの大部分を占めそうなエンタメ性と特に今世紀以降にそちらに主軸を移した感もある社会性の両輪の素晴らしさたるや。本作ではその両面が見事な形で結実して、今の時代に生まれるべくして生まれた傑作となっていた。流石にべらぼうに素晴らしい演出で何度鳥肌立ってしまったことか…。トニーとマリアが初めて目を合わせるシーンや、トニーの歌うマリア等々に名曲トゥナイトもやばかった。ライティングやグレーディング等は近年の社会派作品らしさの暗さもありつつ、それが本作の舞台にすごく合っていて、かつ時にはカラフル幻想的に記憶に残る画を作り上げていて印象的だった。 コロナ前からだろうか本作の存在を知ってからずっと見たかった作品だけど、期待に違わず始終これこれこれ!見入ってしまうほどダイナミックなダンスシーンに聴き入ってしまうほどエモーショナル・ムービングな歌唱シーン(アンセル・エルゴート喉仏震えすぎ!)が名作なオリジナルの核の部分を損なうことなく見事に僕らの記憶を更新してみせた。なんなら箇所箇所によっては超えているのではないかというくらいに、また違った味付けで最大化する!最後に両サイドの人物で抱えるのが…。
名作復活
ストーリーと歌とダンス、ミュージカル映画として十分な出来だったと思います。 前作リスペクトも感じられましたし、確りとストーリーに入り込めました。前半部分がややもったり鈍重できれががなかった点は気になりましたが、後半は文句ない出来。
スピルバーグである必要あるの?
オリジナル観たことない状態で鑑賞。 近年ミュージカルムービーはハイレベルに なってきている様に感じる。 昨年のインザハイツはまさに白眉であった。 それに比べると本作は、余りにも鈍重で ミュージカル苦手なひとが感じる、 歌唱のたびにストーリーがとまる、を 何もアップデートせずに敢行してしまう。 そして60年代ならいざ知らず、 チンピラたちの浅慮には開いたクチが塞がらない。 そりゃそうなるよね。てか、勝手にボディ動かすなよ。 スピルバーグが何もしたいか全くわからずに 長くて退屈だった。 やはり巨匠たるものミュージカルも 撮っておかなければな、とでも思ったのか。 晩節を汚すことにならなければいいが。
最高傑作は盛り過ぎでしょう
スピルバーグには"激突""ジョーズ""未知との遭遇"(古い作品ばかりですいません)など幾多の傑作(傑出した作品)があります。ただ残念ながら、今作はそれらに匹敵する程の作品とは思えませんでした。 確かに、大人数での躍動感あふれるダンスシーンを、大画面で堪能できる満足感はありました(それだけで星3つ)。逆に言えばソレだけです。 LGBTの要素を加味したようですが、その為だけに映画1本リメイクしてしまうのは豪気過ぎでは? さらにセットが出来過ぎで、"cool"のシーンなんかはまるでSF映画のセットで撮影してるかの様。。。画像が綺麗過ぎて、オリジナルが持っていた"画面からにじみ出るホコリっぽさ•汗臭さ"が感じられませんでした。 映画終了後に私はオリジナルの見直しを渇望、オリジナルの完成度を再認識する機会となりました。
スピルバーグはミュージカルをもっと信じるべき。
言わずと知れたストリートミュージカルの金字塔で不朽の名作「ウエストサイド物語」のリメイク版。 (いつからオリジナルは「ウエストサイド物語」で本作リメイク版は「ウエストサイドストーリー」になったのかw) 自分自身にとっても幼少期に母がよくサントラを聴いていた事もあり、特別な映画の一つである。 そう言った意味でも、いかに巨匠スピルバーグと言えども勇気があるなと思いつつの鑑賞だったが、やはりオリジナルと比べざるを得ず、いただけない部分にどうしても目がいってしまった。 特にオリジナルでは説明不足(とは全く思わないが)な部分をドラマパートで補完しようとした事はミュージカルを信じる事ができない演出家の臆病なところかなと感じた。 警察やドラッグストアのシーンは全くもって不要で、LGBTの子に至っては何の効果を狙ったのかが全く理解できず、上映時間をただ長くしただけにしか感じられなかった。 エグゼクティブプロデューサーとして名を連ねていたオリジナル版の主要キャストだったリタ・モレノ(ご存命だったとは)がジェット団が出入りするドラッグストアの女主人を演じており、仮に彼女へのリスペクトだとしても時間を割き過ぎた感は否めない。(お前が歌うんかい!と言うのも含め) オリジナルではキレッキレのダンスと高く上がった脚で世に強烈なインパクトを残したベルナルド役のジョージ・チャキリスとラテンのノリで明るいダンスを披露したアニタ役のリタ・モレノが完全に主演の2人を喰ってしまった印象(2人ともアカデミー助演賞を獲得)があるが、それらはあくまでも偶然の産物であり、本作では意図通り全体にバランスの取れた配分となっているが、その分無難な印象を受けた。 ただ、そうは言ってもミュージカルパートになるとやはり胸が熱くなり「マンボ」、「トゥナイト」、「アメリカ」(脳が痺れた!)、「クール」、「マリア」では鳥肌が止まらないほどの感動を覚えた。 特にアニータ 役の アリアナ・デボーズのダンスとマリア役のレイチェル・ゼグラーの歌唱は目を惹くものがあり、今後注目していきたい女優になった。 またオープンセットや空撮シーンはオリジナルよりも完成度が高く思え、それだけでも十分見る価値のある映画だと思った。
スピルバーグが込めたモノ
スピルバーグが、1961年に映画化されたブロード・ウエイの名作『ウエスト・サイド・ストーリー』を、60年の時を超えて新たな命を吹き込んだ。ミュージカルは、それほど好みではないが、2時間40分の長さを感じさせずに、一流の歌とダンスを堪能した。そして、ストーリーの結末は分かっていても、十分楽しめる作品となっており、数多くのアカデミー賞候補に挙がっているのも頷ける。 オリジナルを大切にしながらもスピルバーグがこの作品に込めた思いが、随所に感じられる演出となっている。彼自身もユダヤ系ということで、迫害の過去を受け継ぐ者として、本作を単なる当時の若者の島争いとしてではなく、現代社会の中で渦巻いている、宗教や思想の違いによるテロ、国益を巡る抗争、未だ残る人種差別問題、そしてジェンダー問題までにも、警鐘を突き付けてくる内容となっている。 ストーリーは、夢を追いかけてニューヨークに移民してきた、プエルトリコ系のジェッツとポーランド系のシャークスの若者達が、互いのプライドと自由を賭けて、対立し合う物語。しかし、その対立の基盤には、移民に対する社会的差別や貧困が根強い、アメリカの黒歴史が横たわっている。 そんな、シャークスの嘗てのリーダー・トニーとジェッツのリーダーの妹のマリアが、禁断の恋に落ち、その過酷な運命に抗いながらも、真実の愛を貫こうとする究極のラブ・ストーリー。1950年代の『ロメオとジュリエット』といった内容。 マリア役のレイチェル・ゼグラーは、3万人のオーディションから選ばれたシンデレラ・ガール。スピルバーグ自らが、彼女のところに出向いて、「僕のマリアになってください」とお願いしたというだけあり、その歌声は見事で、プエルトリコ系の愁いを湛えている黒い瞳が印象的。これからの活躍も期待できる新人女優である。そして、61年版の映画を愛する人にしてみたら、当時のアニータ役だったリタ・モレノが出演しているのも、懐かしさが増すだろう。 本作では、当時のニューヨークを再現するかのように、道を走るクラッシックカー、レンガ造りの街並み、当時の衣装から全ての小物に至るまで、オールド・ファッションで埋め尽くされており、スピルバーグの細かなところまで行き届いた演出が際立っていた。
キャスティングミス?
この話の主人公は、男はカッコ良くてちょい悪。女は可憐な美女でなくてはいけないのでは? それを男は不良の要素が一ミリもない文系優等生キャラのアンセルくん。女はあんまり可愛くないデコッパチガール。 これではいくら内容が良くても説得力ゼロですよ。 大体半殺しにして刑務所入ってた不良がチノパンなんて履くか? ダンスシーンとか良かっただけに主人公のミスキャストが勿体ない。 特に義理のお姉さんのダンスは圧巻でした。
あー、映画見たー、って感じ
娘、妻と家族で観ました 映画観たなーって。 誰にとっても悲劇になってしまう。 ちょっとした偶然やプライドや。 分断は、幸せを産まないって、スピルバーグは言いたくて創ったんだろうと家族で話しました 1961年版も、以前に2回ほど観ましたが、観た時の年齢や人生経験もあったのかあまり感激しなかった気がしますが、スピルバーグ版の今回のは、胸が締め付けられる思いだった
ミュージカル映画の王道
初公開から60年以上経ってあらためて作られたこの作品を見て、脚本、音楽、ダンスどれをとっても素晴らしいの一言。 スピルバーグ監督が、どんな批判を受けようともこの作品を残すっていう気概を感じた。 自分自身も、今更この作品を作る意味あるのかって思っていたから… だけど、時が経ってもいい作品はやっぱりいい。 これぞミュージカル映画!
スピルバーグがつくる、157分のミュージックビデオ
誰もが知っているミュージカルのクラシック。 ミュージカル映画として、楽曲を目と耳で存分に感じることができる作品だった。 それは作品すべてが何本ものミュージックビデオで構成されているようだった。素晴らしい歌唱と、多くの人間やセットが音楽に連動する様は、高揚感にあふれる体験だった。imaxレーザーでの鑑賞がよりその体験価値を高めてくれた。 負の連鎖を断ち切るためには誰かが「許す」ということを行わないといけない。そして愛の力は理屈じゃないもの。なによりも強いもの。だと改めて感じさせられたストーリーだった。
『アメリカ』の群舞シーンは1961年版超えだと思う。主役の二人も1961年版より良い。しかしラストで腰砕け。ウルウルの眼も乾いてしまった。
①名作「ウェスト・サイド物語」をリメイクするなんて勇気があるなぁ、しかも監督がスピルバーグとは(私はスピルバーグは映画作りが巧いのが災いして子器用な監督になってしまったとあまり評価していません)どうなることやら、と思っていたら、USAでの評価は大変良く、スピルバーグ見直しの機会になるかと観に行って来ました。確かに映画としての質は1961年版に負けないとは思う。(1961年版は監督のロバート・ワイズも名匠とは言えないし共同演出ではあるけれども)。②1961年版は、それまで舞台・スタジオセットで作られていたミュージカル映画を実際の街の中で撮影した画期的なミュージカル映画だったので、今回も何か画期的な創意が有るのかと期待したが残念ながらそれはなかった。③群舞シーンはどれも素晴らしい。振り付け師の才能であるし、カメラワークの巧さのせいでもあるが、USAのミュージカルダンサーの層の厚さにはいつも感心させられる。④肌を浅黒く塗っただけでどうしてもプエルトリコ娘に見えなかった1961年版のナタリー・ウッドに比べ、母親がコロンビア人だけあってレイチェル・ゼグラーのマリアは不自然さはない。ミュージカル映画は本人が歌えるのに越したことないし。アンセル・エルゴートも、どうしても更正した元不良少年に見えなかった1961年版のリチャード・ベイカーに比べ元ストリートギャングらしい雰囲気を漂わせている。難しい振り付けの躍りはスタントにしたみたいだけど。⑤ジェット団とシャーク団との決闘の後(「死人は出さないぞ」と言っときながら出してしまった警察は何してたんでしょうね。)、恋人たちを待ち受ける苛烈な運命を知っているからこそ、ラストに向けてどう盛り上げていくかが見処なのに、畳み掛けるようにして盛り上げるというより拙速して失速した感じになってしまった。ラストだけ取って付けたように舞台風になってしまったし。これならいっそこのミュージカルの元ネタである『ロミオとジュリエット』のようにマリアがトニーの後を追う結末にした方が劇的効果は上がったかも。⑥恋人たちが辿る悲しい運命によって対立し憎み合うことの愚かしさを浮き彫りにした1961年版から60年余が過ぎても世界から不寛容、差別、対立や分断、それによる争いは減っていない。否、増えていると言っても良いかも知れない。そういう現代にこのミュージカルを甦らせるにはそれ相応の意味があるべき。しかし1961年版やオリジナルのミュージカルには無いようなメッセージは感じ取れなかった。プエリトリカンであっても白人と結婚し街の母となったヴァレンチーノの人生をミュージカルにした方が現代に寛容と融和の尊さを訴える映画になったかも知れない。
スピルバーグらしさ
オリジナルは昔、年末にNHKとかでやってて、見た記憶があった(基本吹き替えで歌だけオリジナルだったような) スピルバーグがリメイクということでどーだろうと思ったけど、誰もが知ってるスタンダードなので、スピルバーグらしい演出が際立って面白かった。 ミュージカルあまり得意でないけどダンスとかパワフルだった スピルバーグはやってないジャンルを次々と監督してる感じだなあ
2時間で収めようよ。
ジェット団よりシャーク団より歌とダンスは女優陣が圧勝ね。 でもそれだけ。 以下悪口注意‼︎ 笑。 とにかく要らないシーンが多くて無駄に長い。 選んだ俺が悪いのね…と諦めましたわ。
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