背徳と貴婦人のレビュー・感想・評価
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世界史未修了
社会は政治経済だったので、世界史や日本史はトンと知らない。今作の清の乾隆帝の時代は、日本では江戸時代徳川吉宗の享保の改革の頃だったようである。そんな中国宮廷ドラマである、日本で言うところの大奥的世界観を、フランス的に描いてみせた体ということである。ネットで調べると、今作の主人公である乾隆帝の第2代皇后ホイファナラ氏の謎めいた史実を独自の見解で紐解く作りとなっている。この説が学術的に正当性があるのか、それともトンデモ話なのかは知る由もないのだが、こういう話が好きな人ならば垂涎モノであろうと思ったりする。フランス人修道士との関係性を匂わせていてもそれ以上は踏み込まない浅さと、いわゆる籠の中の鳥状態の境遇など、深くは切り込んでいないあやふやさが拭えないストーリー展開を、どう捉えるのかは観る人の熱量以外にないだろう。主演のファン・ビンビンの美しさは否定しないが、それ以上のゴシップ的要素の濃さに、余計な思いを重ねてしまうのは残念なことである。総じて“温い”と一言で片付けてしまうのは残念だけど本音なのである。ここに主役の濡れ場やオールヌードが設えてあれば、もっと奥深さが演出されていたのだろうが・・・
光と陰
妃の肖像画は西洋風に陰影法を用いて描かれる。フランス人の修道画家によって。
肖像画を描くという行為によって、妃と画家は互いに惹かれていく、見る画家と見られる女、描く画家と描かれる女。
陰影法を用いた西洋の肖像画を見て、宦官たちは「顔にシミがあるようだ」と笑う。陰、という概念がない。陰がわからないものたちにはきっと光も、わからないのだろう、と思う。
まるで生きているかのような肖像画を見た皇帝は画家を戦地に飛ばす、皇帝はそこになにを読み取ったのか。ふたりの淡い恋かもしれないし、まるで生きているかのような肖像画に、死んだ前の妃がもう存在しないことを改めて実感させられたのかもしれない。もしくは、西洋と東洋に光と陰を見たのかもしれない。
戦争をみた画家は、神などいないのではないかと、自分の信仰に揺らぎを覚える。
愛されない妃は、皇帝の死後にしか許されない行為である、髪を剃ることをしてしまう、彼女は自分の中で皇帝を殺したのだろう、皇帝が生き続ける限り彼女に心の平安は訪れることはないのだから、
権力のある皇帝が光だとすれば、その犠牲になっている妃や画家が陰なのだろう、
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