ジョアン・ジルベルトを探してのレビュー・感想・評価
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意外にもミステリー映画だった
ミュージシャンを扱ったドキュメンタリーは近年すごく多いのだけど、これはその中でもかなり異色な作品だった。まず、ジョアン・ジルベルトという、隠居した伝説のボサノヴァミュージシャンを探す監督の旅を捉えた作品なのだが、一向に見つかる気配がなく、本当に存在しているのかという気分になる。まるで、ありもしない都市伝説でも追いかけているんじゃないのかという思えてくる。監督がジルベルトを探すために参考にするのが、かつて同じようにジルベルトを探していたドイツ人ジャーナリストの本なのだが、このジャーナリストが本の刊行後すぐに自殺しているという事実が明かされると、映画はミステリーの様相を呈してくる。ジルベルトを知る人物の1人は彼に近づくことは危険だと告げたりもする。
一体ジョアン・ジルベルトは何ものなのだと、ボサノヴァに詳しくない人でも引き込まれていく。ラストの終わり方も味がある。音楽家よりも、音楽家に魅せられた人の心の迷宮を描いたような作品だ。
著:マーク・フィッシャーの軌跡
2年ほど前にネット記事が目に止まり、とてもとても観たかった作品。
やはり地元の映画館ではスルーされ、やっとAmazon primeで鑑賞。
人前に出ることを避けたミステリアスなジョアンを探し求めたマーク・フィッシャーさんは、
彼に会うことも叶わず中途で自ら命を断ってしまう。
その追跡の記録に強く感動したガショ監督が、彼の意思を継ぐ形で
このドキュメンタリー作品が生まれた。
背景に流れるジョアンの歌声が、風のようにブラジルの空を流れている。
ラストは号泣してしまった。
ロードムービー
まだカフェミュージックのコンピなんてない二十数年前にSambaとbossa novaが流行りましたよね。友人にジョアン・ジルベルトのCDを借りて聴いてました。好きです。
本作はジョアン・ジルベルトのドキュメンタリーだと思い込んでいたので、想像とちょっと違いました。でも、ジョアンの曲で清々しい気持ちになることは間違いないと思います。
ジョアン・ジルベルトはほんのひと月ほど前、 2019年7月16日に亡くなられたそうだ。
鶫の囀りのような呟き。
ジョアン・ジルベルトのボサノヴァは、そんな音楽。
鶫を探しにドイツからリオ・デ・ジャネイロを訪れる。
マーク・フィッシャーは、そんなジャーナリスト。
鶫の仲間たち、鶫のいる場所。
マークは街中のすべてを訪ねるが、鶫はいつも姿を見せない。
聞こえるのは鶉の囀りだけ。
マークはそんな鶫探しの記録を本に残し、この世を去る。
ジョルジュ・ガショは、そんなマークの鶫探しを映画にした。
探し物好き、いや、ボサノヴァ好き、そんな観客で今日はいっぱい。
世界にボサノバという余韻を残した男
オープニングからジョビンの「デサフィナード」で惹きつけられる。今年七月、残念ながらこの星を発ってしまったジョアン・ジルベルト。彼の音楽の虜になった世界中の人々に観てほしいドキュメンタリー。ドイツ人作家マーク・フィッシャーのジョアンを探す旅がベースになっていて(残念ながらマークはジョアンには会えず本が出版される直前に自死された)それを引き継いだ形で監督がメガホンをとっている。たった一人でトイレに篭り世界を変えた男。ボサノバの神と言われた男。この映画を観ると、一緒にジョアンを探しているような、いないはずのジョアンが自分の傍らにいるような、そんな錯覚を覚えました。彼は本当に神だったのか... そんな問いすら馬鹿げてしまえる旅。ドキュメンタリーでありながらロードムービー。ボサノバの心地よさはもちろん、陽射しや風、波の音、ホテルの小部屋、街角の音、すべてのリオの空気がジョアンという男とボサノバという音楽を創り出したのだ。少なくともその気配を感じる映画だった。
【ジョアン・ジルベルトに魅せられた男が、ブラジル各所のジョアン所縁の人達・場所を訪ね歩く】
ドイツ人ジャーナリスト、マーク・フィッシャーが遺したジョアン・ジルベルトに会えなかった経緯を記した本を読んだジョルジュ・ガシュ監督が遺志を継ぎ、所縁の人々、場所を訪ね歩く異色のドキュメンタリー。
2008年以降、公の場から姿を消したジョアン・ジルベルトは人々の言葉を聞くと相当な変わり者であったようであるが、そのような人々の記憶の中にある彼の姿を思い描きながら、随所で流れるボサノヴァ(印象的なのは、”オバララ”:フィッシャーが遺した本のタイトルでもある)をバックにジョアン所縁の場所や人々が彼について話す姿が映し出される。
ジョアンについて音楽関係者以外の人々が話す内容が面白い。
・10年以上彼の食事を作っていた老料理人の言葉
・彼の髪を時折整える理容師の言葉
又、後半ガシュが訪れた、ジョアンが精神的に不安定だった時期に引き籠って曲を弾いていたという小さなバスルームの青い手洗い所も印象的である。
”ジョアンの呪い”など、気になるワードは出てくるが(実際、フィッシャーはジョアンに会うために数度リオを訪れ、会えることなく自死している)、私はそのような観方はせずに、偉大なボサノヴァの神様を探す異色のドキュメンタリー&ロードムービーとして今作を堪能した。
また観たくなる
面白かった。曲は言うまでもなく、緩いミステリー仕立ての中主人公が彷徨うストーリーも良かったし、ラストも余韻があって好き。
そしてリオ始めブラジルの風景が素晴らしい。海辺の石畳からして可愛すぎる。ホテルからの街並、水面に映る影、懐かしくも素敵な風情のカフェ、鬱蒼と茂る熱帯植物、そして海。すごく暮らしてみたくなった。エレンコのデザイナーさんが出られてたのも感動しました。
ブラジルの音楽、最高!
あまり個々のアーティストの事は良く知しりません。でも、好きな音楽を聴きたい、生で聴きたい、アーティストと会いたいという気持ちだけで、ブラジルまで行ってしまう本の作家と映画監督には強く共感できるものがありました。
音楽、ミューズの神がなせる技かな?
音楽がとても心地よい映画で、リオの日差しや風、海の波を感じた。
オープニングの「デサフィナード」はちょっとずるい
ボサノヴァのスタンダード曲ともなっている、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲によるデサフィナード。最も有名なアルバム「ゲッツ/ジルベルト」にも収録されているし、個人的にもボサノヴァでは一番好きな曲。このオープニングナンバーだけでグイグイと惹きつけられ、気分はもうコパカバーナになるのです。
そんなジョン・ジルベルト。ボサノヴァの神、ボサノヴァの法王とも呼ばれているのですが、映画の中では「ホバララ」に執着しているようで、マーク・フィッシャーもガショ監督も一番好きな曲なんだな~と感じる。何度も登場するコパカバーナホテルが映し出される度にバリー・マニロウの「コパカバーナ」が頭の中で再生されたのは、純粋にボサノヴァ・ファンじゃないことを証明してるんじゃないかと自己嫌悪に陥ってしまいます。
ブラジル音楽といえば、伝統的なサンバがあるのですが、このリズムを半分にしてゆったりした感じにしたのがボサノヴァなんだと思ってました。ただ、ジョアンのギター伴奏を聴けばわかるように、ベース音は2/2が4/4になっただけのように思わせておいて、和音部分がシンコペーションだらけのリズムなのです。ピアノの伴奏と比べてみても、違いがわかります。詳細は『ディス・イズ・ボサノヴァ』のレビュー参照。
ノーベル音楽賞というものがあれば、ブラジルからはまさしくアントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトに与えたくなるのですが、このボサノヴァが誕生した秘話として、“実は便器の上で生まれた!”と聞くと、ちょっと敬遠される方もいるのではないか・・・と感じました。
ドキュメンタリーでありながら、どことなくロード・ムービー風。マーク・フィッシャーと通訳も務める女性がシャーロック・ホームズとワトソンの関係だったという主軸で話が進むところもユニーク。惜しくも亡くなったフィッシャーの無念を晴らそうとする監督の意気込みをも感じるのですが、全般的にボサノヴァ初心者の方には向いてないと思った・・・機会があればぜひ『ディス・イズ・ボサノヴァ』を♪
マーク・フィッシャーをたどる
映画が進むうち、この人は、ジョアン・ジルベルトに会う方法を探りながらも、実は、マーク・フィッシャーのたどった足跡を感じたいのではないかと思ってしまう。
ジョアン・ジルベルトに本当に会ったらどうなるだろうかと逡巡するあたりも、マーク・フィッシャーと同じようだ。
ジョアン・ジルベルトのボサノヴァはとても心地よい。映画に出てくるブラジル人たちが口ずさんでも、何か優しい感じだ。
劇中のボサノヴァを聴きながらも、やはり、何かを求めて、自分の前から、ふと消えてしまった友人を想い、そして、探しているように感じてしまう。
どこか、村上春樹さんの小説を読んでるような感じに近いかもしれない。
そういえば、先月、「スタン・ゲッツー音楽を生きるー」 ドナルド・L・マギン(著)という本が出版された。訳は村上春樹さん。タモリさんもネットで寄稿を寄せています。
スタン・ゲッツは、劇中でも紹介されるアルバム「ゲッツ/ジルベルト」をジョアン・ジルベルトと制作した世界的なジャズ テナー奏者。
ホバララは入ってないけど、ダウンロード出来るので、興味のある人は聴きてみて下さい、
ところで、ボサノヴァは、動物に例えると何?って質問が気になってるんですが、鳥ですか?
当然、魚ではないと思うけど…、ツグミかあ?
自分のイマジネーション力の無さに、ちょっと嫌気がさす(笑)。
柔らかくて優しいアイスクリームのような声
自分自身、「イパネマの娘」など、ジョアン・ジルベルトは数え切れないほど聴いてきた。「デザフィナード」は、ジョアン以外には考えられないほどだ。
にもかかわらず、有名なボサノヴァ誕生のエピソードよりも後の時代の、ジョアンの活動についてはよく知らなかったので、伝記的要素を盛り込んだ音楽ドキュメンタリーを期待して観に行った。
だが、ジョアンの人生や音楽活動の歴史の話は、ほとんど、いや、全くなかった。
「そんなことは、十分知っているよ」という“ハイレベル”な観客のための映画で、ちょっと面食らってしまった。
映画の元となった本の著書だけでなく、監督自身もボサノヴァのファンなので、ファン目線で描かれたマニアックな作品である。音楽ドキュメンタリーの体裁はなしておらず、一般の観客など黙殺している。
“ホームズ”が“ワトソン”とともに、ジョアンの具体的な痕跡を探してかぎ回るような展開がダラダラと続くので、いささか眠くなる。
とはいえ、ジアマンチーナの町で「便器の上で生まれたボサノヴァ」を体感したり、マルコス・ヴァーリ(!)からジョアン体験談を聞くところなどは良かった。
「を探して」が題名だが、おそらく意図的なミスリードだ。「に会いたい」とした方が、内容的には正しい。監督は、最も身近な関係者にさえ、問題なく会えているのだ。
「最後の一歩」がどうしても届かないという、もどかしさが全編を貫く。
「会えないから、“憧れ”や伝説となっている」という、歪んだ構図はむなしい。
また、選曲も「オバララ Ho-Ba-La-La」や「想いあふれて」等だけで、他の名曲・名唱の多くが流されないというのも寂しい。
この映画で、ジョアンの歌の素晴らしさが伝わるはずはなく、“ボサノヴァ人気再燃”は来そうにもない。
ドキュメンタリーとは別物
アイデアも音楽も素晴らしいもので、超期待しただけに、少し物足りなかった。
とにかく映像に退屈感を覚える。捨てカットのような映像が長く連なる印象。語りに合わせて映像を叙情的に─という意図なのかどうか・・・にしても雑だったような・・・。
その分、ドキュメント的な部分(インタビューや取材)を計画的にしっかりと作り込んでいる印象だったけれど、それゆえにわざとらしさを強く感じてしまい、映画にうまく入り込めなかった。
でも、もとになった本を読んでみたいと思ったし、ジョアン・ジルベルトの音楽やら映像を見直したいと思えたのは、この作品に秘められている情熱からなのだろう。
冗長にして退屈、そして苦痛の後に
最初にこの映画にジョアンジルベルト本人は出てきません
それを知っていても「ジョアンジルベルトを探したマークフィッシャーを探して」
とタイトルにしたいくらい迷走した作品でした
ボサノヴァファンでも出演者が豪華でも退屈にして苦痛の展開が待ち受けてました、が
ラストのシーンは今まで見てきた映画の中でも観たことないような不思議な終わり方で
そこで救われた気がしますがそれはドMが好きな手法でもあるのでもやもやします
伝説の巨人をガチで探して歩く珍道中ドキュメンタリー
2018年6月、サンパウロで開催された音楽ドキュメンタリー映画祭で鑑賞しました。
ジョアン・ジルベルトといえば泣く子も黙るボサノヴァの生き神様。泣く子も黙るどころか本人が来日公演中に黙ってしまって観客が騒然となったという伝説があるレジェンド中のレジェンド。そんなレジェンドに感銘を受け本人に直接会って生で"Hô-bá-lá-lá"を聴かせてもらいたいと何のツテもないのにリオを訪れてジョアンを探すノンフィクションを書いたドイツの作家マーク・フィッシャーはその本が出版される数日前に亡くなっていた。じゃあ彼の足取りを追ってジョアンに会おうじゃないかとリオにやってきたのがスイス人の映画監督ジョルジュ・ガショー。
リオでマークの助手を務めたハケウさんとともにマークが遺した情報の断片を追ってジョアンを知る人達に片っ端から会いに行くジョルジュさん。ミウシャ、ジョアン・ドナート、マルコス・ヴァリ、ホベルト・メネスカウといったボサノヴァの巨人達からショボいレストランのシェフ、床屋の親父、ジョアンの旧友達といった怪しい人々まで会いまくるのですがなんせ全員ブラジル人の爺さん婆さんなのでそりゃあもうエライ目に遭うという、ブラジルあるあるがパンパンに詰まった大爆笑のドキュメンタリー。果たしてジョアンに会えたのかは書けませんがブラジルってそういう国だね!というのがストンと胸に落ちる驚愕のラストであることだけ言っておきましょう。これはスゴイわ、参りました。
この映画祭、何気にジョルジュさんの作品が特集されていて他にも面白そうな作品がいっぱいあったのですが観れなかったのが残念。本編上映前にはご本人も登場して挨拶されましたが、上映後外に出るとご本人がシレッと立っていたので思わず最高でした!と握手してもらって写真も撮らせて頂きました。当たり前ですが作品中のご本人と同じく物静かで優しげな方でした。
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