男と女 人生最良の日々のレビュー・感想・評価
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年老いて再会した二人の姿に感動
1966年の『男と女』の続編。53年が経ち、アンヌ(アヌーク・エーメ)とジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が再会を果たした。
フランシス・レイの音楽にのせて映像が舞う恋愛映画の金字塔『男と女』。カンヌやアカデミー賞(外国語映画賞)を制し、恋愛映画ながら「傑作」という言葉が似合う稀有な作品だった。
前作のあと二人は別れ、それから二人は会っていなかったようだ。
まともに歩けなくなり、記憶の混濁が激しくなったジャン・ルイ。彼がいる老人ホームを訪れたアンヌは彼女への深い思いを知った。
これは究極のロマンティシズム。散りばめられた過去の映像、若い二人、そしてまだ幼かった彼らの子供たちの姿に落涙。あの音楽が一瞬にして時を引き戻した。
サプライズはジャン・ルイの娘として老人ホームを訪れた『イタリアの宝石』モニカ・ベルッチ!彼女の『美』が今作に花を添えた。
恋
色気がすごい。
さすがはフランスと思えてしまう。
人生に貴重なものなど「恋愛」以外にはないんじゃないだろうかと思える。他者への愛情の解説書みたいな作品だった。
惜しむらくは、俺がその全てに共感できる程には年齢を重ねていない事だ。
今作の和訳を担当してくださった方に心から感謝を述べたい。
もう奇跡みたいな映画で、これは続編にあたるのだ。前作は50年程前になるのだろうか…その間に各々が経てきた人生の全てが作品に反映されてるように思える。
冒頭の長回しが圧巻で…彼の表情を延々と映す。話を聞いているだけ。彼は多分あまり芝居というものを意識してないように思う。
でも、いつしか僕らは気づく。
「ああ、彼にはこれらの記憶は重要ではなく、もっと忘れたくない記憶があるんだろうな」と。…まいった。完敗だ。
この冒頭の何分かで、この作品のなんたるかを教えてもらえたような気にもなる。
宝石のような過去の記憶。
愛して愛された思い出。その時の会話、感情…全てが眩しい。まるで、それらは水分のようで、枯れていた花がみるみる活力を取り戻していく様に見えてくる。
ただ、これにも仕掛けがしてあって、爺さんの妄想なのかとも思えてくるのだ。
そおなると回想の意味合いは若干異なってきて、そこに哀れさのようなスパイスが加味される。この辺りの二面性にフランス映画特有の人への造詣の深さを感じ、中々に味わい深いものがある。
あるのだが…物語的な起伏は少なく眠気に襲われる事もしばしば。
なので、もう一度観たいと思う。
断片的ではあるけれど、素敵な台詞が多く…これから老いていく自分にとっては凄く参考になるような印象がある。
何より残念なのはラストで寝てた事だ。
…何しに映画館まで行ったんだ、このボンクラめ。
爺さんがどおなったのか分からず仕舞いなのだ。なので、近い内にリベンジしたい!
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2回目を鑑賞。
素敵な作品だった。
痴呆症を患ってる男性
最愛の人に再会した女性
稀にみるラブロマンスだった。
男性は他の全てを忘れても、最愛の女性の事だけは忘れない。何をしたか、何をしてたか。目の前の女性がその人であると分からなくても。
女性の方は彼の事も過去の事も克明に覚えてる。幸せだった記憶も切ない記憶も。
そして、彼がどれほど自分の事を愛してたかを告白される事になる。
共有出来ずにいた恋を、彼の口から偽りのない言葉で語られる。
「ずっと彼女の事を思ってた。」
女性は恋に落ちたかのようだった。
間違いなく老婆なのだけど、恋する女性はいくつになってもこんなに可愛いのだろうか?
すごく魅力的だ。
甘ったるい声に伴って柔らかなフランス語が呪文のように俺を魅了していく。
おそらく彼は再会した記憶も忘れている。会う度に初めましてのような事なのだと思う。
積み重なるものはなく、毎回リセットされるような出会いでも2人はとても楽しそうだった。
恋に囚われてる時間に勝るものなどないかのようだった。
50年の時を経た続編。
50年前の映像がしっかりと残っていて、それを本人達の回想として使える奇跡。
その時間を一瞬にして無にしてしまえる「恋」の威力にほだされる。
男性が乗る車椅子を押す女性の背中は、まるで初デートに赴くようで、ウキウキとして若々しくあった。
フランス映画の真髄をみたような作品だった。
運命の人。
自分がボケたり死んだりするちょっと前に思い出したい映画。
とにかくこの映画を観た後に、ツイッタやブログで昔の恋愛語りをおっぱじめてキモがられる系おじさんにだけはなってはならぬ、と固く心に決めて観に行った(笑)。
でも昔の恋愛を懐かしくも切なく思い出して身悶えするような映画ではなくって、むしろ面白いというか、なんなら珍品かとも思うような作品だった。冒頭から長回しでアップになるジャン=ルイ・トランティニャン、むっちゃ鼻毛出てたりとかするし。
53年後のオリジナルキャストということで、アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランティニャンはいくらなんでもさすがにヨロけていたし、撮ってる監督も同じく53年後のオリジナル監督、クロード・ルルーシュ。そのストーリーテリングも演出もそれなりにヨロけていて、「ああ、年老いた人が作った映画だな」ということが伝わってきた。
「若い作り手が今の感性で昔の名作の続編を作る」っていうような企画だったら、きっと「昔の恋愛を懐かしくも切なく思い出して身悶えするような映画」が出来上がっていたかもしれない。
でも僕は、この作品の監督がクロード・ルルーシュで良かったと思ってる。「ああ、年老いた人が作った映画だな」という手触りは、年老いた俳優2人を優しく包んでるみたいな観心地となって、結果良い映画だったなって思ってる自分がいる。
老人ホームでぼっちになりがちなボケはじめの男がいる。正気とボケの狭間は、現実と夢の狭間。そこに生涯でいちばん好きだった女の人が会いに来てくれましたよ。しかも彼女は未だ自分を愛してくれているみたい。というお話。「あぁ、男の人が作った映画だな」という、いかにも老いた男が「最期の理想」として憧れそうなお話だよね。でもそれを可愛らしいと思えるのはやっぱり「あぁ、年老いた人が作った映画だな」っていう手触りがあるからだと思う。
年老いた演者と年老いた監督が映画を作ることや、その映画の中で年老いた男と女が恋愛をすることを、バカにして笑うわけでもないし、年老いても尚の愛だから切なくも美しい!とありがたがるわけでもない。
ただこの映画の「観心地の良さ」に浸り続けるような気分で、良い思い出の中に意識が溶けていくなら、そういう「男と女の終わり」って最高なんだなって思う。それが全て意識が溶けていく途中に見た幻だったとしても。
多くの人にとって「今観なきゃいけない映画」ではないかもしれない。でも「今より後では作れない映画」ではあったから、今観ることにはなった。自分がボケたり死んだりするちょっと前に思い出したい映画である。
フランス映画の極み、恋と愛と男と女
男と女、男と女Ⅱ、そして完結編ともいうべき3作目。ルルーシュ監督ははじめからこうした時間軸で撮ろうと思っていたのだろうか。3部作ですね、やっぱり。ため息が出るほどの美男美女の主役二人が、時を経て、男は枯れ果て、女は深くなっておりました...やはり絶世の美男美女も当然に自然に古びており、そこにリアリティがあります。むしろホッとしました。パソコンに恋をする映画もある今ですから、ある意味、何ら新しいところはない、退屈と言う人もいるかもしれません。が、映画は人生を教えてくれる先生みたいなところもありますね。年老いた時に、思い出したい思い出や人がいるというのが、人生最後に手にする実りであり、財産なのだと、ああやはりフランスの美学、でもとても共感できます。日本は老後2000万円必要とか、年金だけじゃ足りないよとか、70までは働かないと食べていけないよとか、せっせと拝金主義が刷り込まれ、「万引き家族」を観ては身につまされ...歳をとる恐怖、お金がない恐怖、頼る人がいない恐怖を植え付けられ、美しさを語り合う時間も場もない。アンヌだって、芸術系の映画ばっかり撮りすぎて、首が回らなくなっちゃった、とか問わず語りしますし、ジャンもいつも一人で施設でのボケ防止クイズになんかちっとも馴染めない...でもいいんです。若くても歳とっても、やりたいように生きたいように生きるんだなあの人達は、と思いつつ。別に日本人だってそうしていいんだよと一人自分にツッコミ入れました。生まれてから死ぬまでの時間を、何をしてどう過ごすか。失敗も成功も、ない。ただ、やってみるだけ。たまにそこに奇跡のような出会いもある。恋の成就は結婚とは限らない。誠実ではなかったモテ男も、80過ぎてみて、アンヌを思い出す自分をはじめて知る。そこまで生きてみないと、当の二人にすら、あれが愛だったとはわからない。本物かどうかは、時間に試され、最後に炙り出されていくのか...恐れ入りました。
スクリーンが涙で滲む。
2020-016M 「男と女 人生最良の日々」
50年前の作品の舞台を老耄したジャン・ルイを連れてアンヌが訪れる。なにが起きるわけでもなく、過去の映画映像をふんだんに使い、ジャン・ルイが記憶しているだろう愛しあっていた二人の「最良の日々」を今、思い出していく。細かなアンヌのしぐさやジャン・ルイがニッコリする笑顔の素敵さが、ほぼ日本公開から3年後くらいに観た少年観客であった僕を、50年経ても打ちのめす。おそらく塾高で第二外国語にフランス語を選択することを決定づけた作品でもあるしね。娯楽を求める映画ではなく、時間の流れと、愛情は不滅であるということを気持ちよく共感する90分だ。1986年の20 Years Laterの存在は忘れても大丈夫。
過去は美しく、いまは愛おしく
ザ・フランス映画!
小粋な会話に、
そして感情を決して押しつけたりしない、
お互いの全てを受け入れ、思いやる
本当の意味での恋愛映画だと思います。
車椅子を人に押してもらわなければ
ならなくなっても、尚まだ
「俺と寝てみる?」と艶っぽい
ジョークが言えるチャーミングさ。
そんな艶が素直にチャーミングと
思わせてくれる人は、それなりの
素敵な思い出がいっぱい詰まった人生を
歩んで来たからこそじゃないかと思います。
死ぬ前に、家族ではない
心寄せる人に会いたい…
と思えたならば、本当に幸せな
人生ではないかなと…
思わせてくれる作品でした。
静かな映画ですが、
フランス映画の醍醐味を感じました。
それにしても、アヌーク・エーメ
あのお年で、あの美しさ!
憧れます❤︎
認知症は万国共通か? 、
前作を見ていなくても楽しめる
前作から約50年ぶりの作られた作品。(男と女2というのはあるらしいが)
もちろん前作をリアルタイムで見ていたわけでもなく、前作を契約している動画配信サイトから探したところU-NEXT、Hulu、Netflix、Amazonprimeこの辺りは課金含め全て配信されていないかった。
その為前作見ずして鑑賞。
もちろん前作を見ていればより楽しめるのは当たり前の事なんだが、見ていなくても過去を語るシーンや回想シーンがあり、2人が愛し合ったが結ばれなかった事、主人公の2人の性格などはある程度は理解できる。
特にこの作品は会話劇がメインのため丁寧に言葉として描いてくれるので、前作を見ずしてもそれなりに楽しめると思う。
自分はまだ死を意識する事もなければ、悲しいことにおそらく彼らのように人生1番愛し愛されたという意識もないのだろう。
その為会話劇に若干の退屈さを感じてしまい最後の数十分くらいは寝てしまった。
ただ彼らのように運命はどうであれ、人生を存分に生きて過ごす事で最期は幸せに迎えることができる。
しっかり生き抜く事が笑って終われる事なんだという事は強く伝わった。
「男と女」の完璧な続編。
TOHOシネマズ シャンテで、クロード・ルルーシュ監督の「男と女 人生最良の日々」を観る。
若干28歳、無名の若手映画作家だったルルーシュが、ズタ袋にフイルム缶を入れ、カンヌ映画祭に一人で乗り込んでいきなりパルムドールを受賞し、時代の寵児となった伝説の映画「男と女」の正統な続編である。
その時の主人公二人、アヌーク・エーメとジャン=ルイ・トランテイニャンが半世紀の年月を経て再び主人公を演じ、それぞれの子供役だった俳優もまた再登場、監督は勿論、「ダバダバダ、、、」の歌声がいつまでも耳に残る名曲を書いたフランシス・レイの遺作でもある。
今まで、数多くの名作映画の続編がつくられたが、ゴッドファーザー2作目とスターウォーズ2作目、ジェームズ・ボンド2作目を除いては、ほとんど期待外れのものが多かった中で、本作は続編としてはほぼ完ぺきな出来、「男と女」が好きな人は、必見である。
特に、アヌーク・エーメ、87歳とは思えない、綺麗なこと。90歳のトランテイニャンも達者なこと。そして、フランシス・レイの音楽に陶酔しながら、旧作の名場面がカットバックとして登場する、そのエスプリ。
主人公たちの人生の想いに、自分の老いも感じたりして、映画的感興に浸る90分であった。当然、5つ星。 ただ、本作を観るなら、「男と女」を観るのが先。
老いても
【奇跡の映画 大切な想いを抱えて生きる事の大切さと、年齢を重ねる事はとても美しきことなのだという当たり前のことを思い出させてくれた作品。】
ー 数十年前、名画座で。そしてつい最近、DVDにて"男と女"を再鑑賞した上でのレビューです。ー
主要キャラクターが53年前と同じ。
あの海岸で戯れていた幼子二人もだそうだ。驚く。
主要キャラクターを演じた
・アヌーク・エーメ(アンヌ)
53年前の映像の中の彼女は、信じ難い程の美しさ。
今作では、その美しさに加え、慈母の様な優しさが滲み出ている。
・ジャン=ルイ・トランティニャン(ジャン・ルイ)
53年前は、レーサーとして出演。
今作では、多少ボケた”フリ?”をしながらも、相変わらずハンサム(で、ちょっと変わり者)。
そして、彼ら、彼女らの子供。”私たち、兄妹になり損ねたね”の二人。
クロード・ルルーシュ監督も変わらず。(一体、何歳であの映画を撮ったのか?)
信じがたい・・・。
それにしても、アヌーク・エーメと、擁護施設に入居したジャン=ルイ・トランティニャン(これ以降、一部役名ではなく実名で記載する)との会話の粋な事と二人の衣裳の素敵な事。(取り分け、アヌーク・エーメ)
そして、アヌーク・エーメのロングヘアをかき上げる仕種を眩しそうに見ながら、ジャン・ルイは徐々に、過去の忘れ難き彼のミューズを思い出す・・。(この辺り、私の推測がかなり混ざっています・・。)
そもそも、素敵なのはジャン・ルイの息子の頼みで、彼に会いに行くアヌーク・エーメの姿である。
普通は躊躇うでしょう・・。
けれど、彼女は足を運ぶのである。
そして、ジャン・ルイの観る”現か幻か分からない”光景の数々。
二人で訪れる13×2の26号室・・。
そして、ジャン・ルイを訪れるもう一人の美女。
誰の娘かも覚えていないジャン・ルイに妖艶な美女は微笑みながら、”エ・レ・ナ”と囁く・・。モニカ・ベルッチである・・。
これ以上の、最良の人生があるだろうか・・・。
<最後半の、若きジャン・ルイが”遅刻は嫌いだ”という言葉とともに、アンヌを迎えに、早朝のパリを200キロで十数か所の赤信号と一時停止を無視して、”吹っ飛ばす”車のフロントからのローアングルの長回し映像は、その迫力と共に、あるレーサーの”人生”を暗喩で描いたのではないかと思った。
そして、フランス映画の懐の深さに敬意を覚えた作品である。>
ー追記ー
<出来れば、1966年の「男と女」の粗筋を思い出しておくと、より今作に入り込みやすいかと、私は思いました。>
美しい記憶
本当に好きな人に巡り合うのに年齢は関係ない気がする。
家庭や子供があって、たとえ許されなくても…。
そして、その想いを振り払っても、そんな事実は消えない。
「ブレーキが壊れてるかもしれないの」
「じゃあ、アクセルを踏もう」
なんでも、そんなふうに思い切って出来たら自由で良いのかもしれない。
でも、全部が思い通りにならない方が、思い出も美しかったりすると思うのだ。
全編に流れるシャンソンの「男と女」の、♬ダバダバダ♪ダバダバダ🎶は、懐かしい思い出を軽やかにさせる。
信号を無視して、加速して、ブレーキなど踏まず、パリの街を走り回る。
年齢を重ねて、思い出ばかりになって、もうこの先が、たとえ長くないとしても、夕陽が水平線に沈む時の「グリーンフラッシュ」に何かを祈ったって良いのだ。
思い出がずっと美しいようにとか。
テーマは、もしかしたら、人生を、精一杯生きた方への、尊厳と愛情の配り方。
(フランス映画祭2019 横浜 で鑑賞)
不思議と、ゆっくりとした足取りで、ほおぅ、ほおぅ、と、力むことなく、ある意味、コメディー作品として、最後まで楽しむことができました。
英国作品等とは、また、一味違った、仕上がりでした。
もちろん、みんながみんな、これだけ恵まれた人生を送ることができるとは限らないのですが、無理をしてまで、ハッピーエンドとしない・・・・・、
自然と湧き上がってくる、人間ならではの機転と愛情に沿った、フランス人らしい生き方の提言なのかなあ、と感じていました。
それから、
この作品の最後に、フランスで、「自分は、このあとどうなるのかなあ」と不安を抱えながら、一人ぼっちで、精一杯頑張っていた人にとっては、物凄いご褒美の映像があります。
これを眺めながら、1980年代後半のパリのマクドナルドでは、サラダ・メニューが充実していたことなどを思い出して、時間ができるとひたすら歩きまわっていたなつかしさを、味わうことができました。
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