「Jumpscare」ブライトバーン 恐怖の拡散者 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
Jumpscare
『観客を驚かせ恐がらせることを意図して主に大きな叫び声などの恐ろしい音と共に画像(映像)や出来事を突然変化させるテクニック』wiki抜粋
今作品をホラー映画たらしめている要素がこれに依存してると言っては過言かも知れないが、冒頭から隕石の落下爆発音に眼球が震えた自分は、その後に訪れる眼球刺突でもうスクリーンを凝視できる事は不可能になった。だからだろうか、ラストのテレビニュース映像での活躍?(苦笑)振りの男の子のカットとエンドロールの間に在ったと言われる続編期待シーンは全く確認出来なかったのだが、ほんとにそんなカットあったのだろうか?確認した人がいたらご教示下さい。
さて、どのレビューにも感想サイトにも記載されている通り、スーパーマンダークサイド版、若しくはヒーローペスミスティック版と言った喩えのみで説明出来る、単純明快ストーリー構築である。宣伝に一切“スーパーマン”がフィーチャーされず、匂いさえも表現していないから、最大のネタバレ、いや“出オチ”レベルを避けたのは理解出来る。というのもこれまた一切のヒネりが無いのも今作の特徴だからだ。映画作品だからの当たり前である、“超能力は正義にこそ使われる“というクリシェを、現実では180度ベクトルが違うという至極当然な顛末を、血も涙も全て相手に流させて奈落に堕とす絶対悪魔としての建付けとして描いている。流行りの伏線回収的レトリックもない、というか、それさえも悪魔にしてみればお見通しであり、アッサリ躱され藻屑と化す。とにかくカタルシス含有量ゼロな清々しい内容なのである。主人公の男の子の年齢故の短絡さ、浅はかさも拍車がかかり、益々地獄絵図が華やかに彩られる。”阿鼻叫喚“”一切の正義と倫理排除“の構図が描かれるのは、或る意味、現代社会で起こっている数々の縮図を表現しているのかもしれない。1か0のデジタル、極右の台頭、富の格差、行き過ぎた正義感、そんな”生きにくい“世の中に於いてのテーゼとしての位置づけを今作品に過度に重ね合わせてしまう。勿論、極端な視点だろうということは自覚しつつ、アンチヒーロー作品が表舞台に登場する現代社会の病巣を感じざるを得ないのだ。
もしこんなことが現実に起こるとしたら、その絶対性に逆に、敢えて自ら人身御供になることも厭わないと諦観してしまう自分もいたりする。
馬鹿馬鹿しいと考える観客もいるのは当然だし、あくまでも空想モノなのだから真剣に受け取ることは愚とはいえ、それこそ今作品を現代に投入することで“混ぜるな危険”になりかねない劇薬であることは、単純さも相俟って、間違いない作品である。
ps.ビリーアイリッシュ『バッドガイ』の今作の親和性の異常な高さも又、驚愕である。