「起起承承転結転結結のストーリー構成」Winny あさんの映画レビュー(感想・評価)
起起承承転結転結結のストーリー構成
Winnyの実話としての物語性は素晴らしいものです。そのために本作の題材は悪くはありません。
しかし、監督が金子勇さんという人物を理解しようと努力して、敬意を払い、観客に伝えようという意思は全く感じられませんでした。
本作は金子さんを逮捕した警察の裏の意図を観客に伝える役割として、仙波敏郎さんという実在の方を用いていますが、“観客にそのことを伝える実力が監督には無く”、作品の中に金子さんを主人公とする物語と仙波さんを主人公とする物語の2つが、重なることなくそれぞれ独立して存在します。
そのために起承転結が2つ存在し、合間に挟まる仙波さんの物語が、金子さんの物語に集中しようとしたときのノイズにしかなっていません。
また金子さんの物語の「転」の後、急に時間が飛び別の1つの「結」が現れます。
さらに最高裁の判決という本作の本来の「結」の部分を過程を省略して表現していて、さらに非常に簡素であり、なんの感慨も生まれません。
そのためにタイトルのような起起承承転結転結結のストーリー構成になってしまっています。
結論としては、この作品は監督の描写、脚本によって表現したいことを観客に伝える能力が求められる能力に達していないことによる力不足と、過去に実際に起こったWinny事件を理解しようと努力しない怠慢による金子さんへの冒涜です。
無論11日に観賞してます。
その上でコメントをしました。
観てないのにコメントなんかする訳がありません。
あなたが結論として書かれていた最後の3行の表現に少し閉口して、それだけ仰るのであれば、あなたがこの案件を題材とした場合、万人が文句の付け所の無い、さぞや素晴らしい脚本を書かれるのだろうなと思い、あなたが書いてみては如何でしょうかと申し上げました。
あさんの考えとしては、金銭を払って観たのだから、どんなに貶そうとそれは完全に金を払った消費者の自由、こういう映画を作った者が至らないのだから仕方がないです、よって冒涜なのですと言いたいのだろうなと、そのように理解できました。
gokuzyunさんへ
前置き
まず根本的に本作は金銭のやり取りが発生する有料の作品であり、その額も個人の「趣味」の域を超えるものです。またその評価を下すのは消費者であり生産者ではありません。ですので、その理論は私が金銭の伴わないところで脚本を作り発表することを前提にしているところで意味不明です。(何か文句をつけるにしても一度本作を見てみては?)
本文
起:Winnyを金子さんが作るが警察に起訴され、第一審で有罪判決を下される。
承:第二審において著作権侵害が発生することの蓋然性の調査と、中立的行為における幇助犯の定義を行い無罪判決を下される。
転:警察が上告。(文献を軽く探してもどのようなことが行われていたか不明だが、第二審の判決から最高裁の判決まで2年間の時間がある。)
結:最高裁の無罪判決。そして金子さんの急死。
私が脚本を仕立てるとしたときの起承転結は以上です。最高裁において弁護団がどのような動きをしていたのかは軽く調べても出てきませんでしたが、私は脚本をつくる責任も、それに伴う報酬もありませんのでわざわざインタビューなどで調査する必要性もないのでこのままにしておきます。
結論
最高裁の判決でも言われていた通りのことを最後まで映画で表現しようとすれば良かったのでは?
「本件Winnyの持つ法益侵害性と有用性とは,「法益比較」といった相対比較にはなじまないともいえよう。本件Winnyの有用性については,幇助犯の成立について,侵害的利用の高度の蓋然性を求めるところでも配慮がなされているところであり,改めてこの点を考慮しての実質的違法性阻却を論ずるのは適当ではないように思われる。」
一応弁護団のWinny事件に対する評価と課題を載せておきますね。
幇助犯の曖昧さと萎縮効果
技術立証の困難さ
捜査過程、特に取調べ過程立証の困難さ→取調べの可視化の必要性
そこまで言うなら、あなた自身がWinnyと金子勇を題材としたストーリーと脚本を書いて、発表してみて下さいな
映画を撮って発表してよとは言わないからさ
批判だけなら中学生でもできるし、その粋を超えないわな