「果たしてTRONの違和感は解消されたのか。」フリー・ガイ 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
果たしてTRONの違和感は解消されたのか。
ゲームの世界を映像化した作品として、もちろん思い出されるのは「TRON」なのですが、映像は衝撃的で引き付けられたものの、少しお話に違和感を覚えずにはいられません。ゲーム上で戦うキャラクターは様々な「プログラム」で、例えば事務処理計算の「プログラム」をゲーム盤に上げようとしていたのですが、よく考えれば、そんなことが出来るはずがありませんw プログラムなどというのは、さしずめ数式の羅列でしかなく、戦うロジックも特別に組み込まなくてはなりません。そして、この映画ではモブキャラが意志を持って活躍するというのがメインテーマとなっていますが、果たしてそんなことが有り得るのでしょうか。
そもそもモブキャラというのは、例えばRPGなどで「ここは○○の街です」と返事をするだけのNPC、言い換えれば背景や小道具でしか無いキャラクターで、意志を持つ仕組みなど組み込んでいてはファミコンやゲーム機に入りきらなくなってしまいます。先程のTRONの話と同様、そのような仕組みなど、到底有り得ないはずです――少し前までの話では。
次第に、それでは詰まらないということになったのでしょう。まずMMO、つまりマルチプレイヤーゲームが流行り出しましたが、つまりお互いが有人プレイヤーであるため、予測不能な行動をとるため、より一層複雑で面白いゲームになる、というのが総点ということなのでしょう。それでも、いわゆるネチケット(死語?)、つまりプレイ上のマナーが問題になったり、プレイヤーにとってストレスになってしまいます。であるなら、この映画のように害の無い人工知能が組み込まれていくのかも知れません。そして映画のような顛末なることは十分有りえる話なのですが……それでも、システム管理者に制御できなくなってしまっては、それは単なる「バグ」として簡単に処分されてしまうでしょう。ですので、ちょっと夢物語でしかないように思えます。
しかし映画として、ゲームの世界がバラエティ豊かに表現されていて、最初から最後まで非常に楽しかったです。現実とゲーム内が交差しつつ、ちゃんと内容も分かりやすく、最後は上手くハッピーエンドにまとめられて、幸せな気分で映画館を後にしました。
それはそうと、作中のゲームは(私の知る限りでは)まるでグランドセフトオートの様な世界観ですが、私も何処までもボートで海を渡ってみたことがあります。何処かに行き着くことは無いことが判っていながらも。あれでもし本当に何かに行き着いたら、メモリオーバーのバグになっちゃいますね。