ポルトガル、夏の終わりのレビュー・感想・評価
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人生の黄昏を象徴するラストショットが美しく味わい深い
これも「グッバイ、リチャード!」と同様、死期を悟った主人公をめぐる物語。ただしリチャードが自らの生き方を変えた結果として周囲の人々に影響を及ぼすのに対し、本作のフランキーは家族らの今後に積極的に関与しようとする。この対照が興味深いし、自分が終活するならどっちだろうと考えてみるのも一興。
イザベル・ユペールが演じるのは自身に重なるようなフランスの大女優で、ゴッドマザーよろしく欧米に散らばる家族と親友をポルトガルの風光明媚な避暑地シントラに呼び集める。国際色豊かなキャストのアンサンブルが楽しく、フランキーの思惑通りに事が運ばない皮肉っぽさも悪くない。
世界遺産に登録された地域だけあって、ロケーションのあちこちが魅力的。とりわけ、登場人物が一堂に会する山頂と夕陽で黄金に染まる大西洋をロングショットの長回しで見せるラストは、美しくも物悲しく、感傷的な気分とともに脳裏に残像が焼き付くようだ。
往生際の悪い尊厳死なんかもっての他のカトリック様々映画だった。
3年くらい前に川崎のチネチッタで見た。
ポルトガルっぽく無いなぁと思ったことを思い出した。
勿論、行ったことは無い。
アマリア・ロドリゲスの『暗いはしけ』って曲をク●ガキの頃から親父に無理矢理聞かされていた。だから、もっともっと暗いヨーロッパの端っこで干し鱈の美味いところだと思っていた。偏見は怖い。でも、ファドは今でも大好きな音楽。
但し、干し鱈は日本の方が絶対に美味い。
死んだ事はないが、死にそうになった事はある。明け方4時頃、病院の看護する女性と頭脳明晰なお医者様が僕の運命に右往左往しているのが、朦朧とする中で良くわかり、峠を超えた早朝に朝日を浴びる中で、懇意にしていた看護師が曰く『血圧40はやばかったね。良かった良かった』と気軽に話してくれた。その直後寝返りも出来ない位激痛が背中に走った。その痛さは、あのまま、アッチへ行ったら良かったか?と思う位だった。モルヒネが効き始めてからは、瀬尾まいこさんの小説に夢中になり、生きていて良かったと思った。彼女の本で感動したのはあとにも先にもその時(頃)だけであったが、『弱り目に祟り目』のときには抜群だと思う。『バトン・・・』は映画で充分だ。
思い出したこの映画を。笑い者落ちも無いショートコントの寄せ集め見たいなストーリー展開だ。眠くて眠くて、ウトウト映画だったのを思い出した。
マダム・クレモン(フランキー)が死期を悟ったのでしょ?
そう、見えないが。
この女優さんは韓国映画にも出ていたのも思い出した。わからない言葉でまくしたてられて、知らんぷりする演技が、得意なのだろう。ここではポルトガル語。韓国映画では韓国語。どちらも、自らは一言も現地語を喋っていなかったと記憶する。
情景美
景色が美しく、
それを邪魔しない会話量
説明が多く情報量が多いエンタメが増えてる中、
これくらいの受け取り手を信頼した情報量は
とても心地よく感じた。
夏が終わる切なさと
誰かが居なくなることの寂しさ
そしてポルトガルの空気の美しさが重なり
美しかった
冒頭の 日差しとプール
太陽と水色
泳ぐ音と タイトルの入り
海のブルー
家の構図 キッチン
ラストの夕陽
最後まで何も起こらない
退屈なのだけれど、不快でもないから最後まで見てしまった。最後に何かが物語があると思ったが、結局なかった。
フランキーは自分の恋人から子供たちの恋人選び、家族仲良くなることと何もかも自分の思い通りにしようとしてきたのかもしれない。
今回、家族や友人(アイリーンだけだが)をポルトガルに集めたのも全て自分がいなくなった後も、彼らが自分の思うような人生を歩むため。
ここに出てくるフランキーは口数も少なくて、物静かで、観ている側には何を考えているのか分からない人物に映る。そのキャラクターと、何もかも思い通りにしようとするところとが何ともミスマッチで違和感。
息を呑む世界遺産・・・女優は死後も家族を意のままに、したい!?
2019年(アメリカ/フランス/ポルトガル)
監督 アイラ・サックス
大女優フランキー(イザベル・ユペール)は家族一同を、ポルトガルの世界遺産・シントラに集めます。
癌で死期の近いと自覚するフランキーは、残される家族の今後の生活の段取りを進めたいと、内心思い家族を集めたのですが・・・
ポルトガルの世界遺産・シントラ近辺の映像が息を呑むほど美しいです。
“この世の楽園“と呼ばれていますが、ビーチも近く、寺院や、遺跡そぞろ歩く街並み、
素晴らしい映像で、半分はこの景観にもたれかかった映画ですね(笑)
去りゆく人・・・フランキーは、長く家族に君臨する女王でした。
前夫のミシェルは奇しくもこう言います。
「フランキー亡き後、すべては変わる」
現夫ジミー(ブレンダン・グリーソン)との間に生まれたのがシルヴィア。
シルヴィアの夫と娘のミア。
元夫のミシェルとの間に生まれたポール(ジェレミー・レニエ)
そしてフランキーの旧友・ヘアメイクのアイリーン(マリサ・トメイ)
フランキーは長男ポールとアイリーンの中を取り持とうとしているけれど、
そうは簡単にはいかないし、シルヴィアは離婚したがっている。
やはり物語はお金が絡むと俄然面白くなる。
フランキーが推定300万ユーロのアパルトマンを俳優学校に寄贈すると決めていた。
長男ポールの顔色が変わる。
遺産の殆どを寄付してしまう母親に怒って、貰った4万ユーロの価値のあるブレスレットを
森に放り投げてしまう。
慌てて這い回って探すフランキー。
ここがこの映画の唯一人間臭いシーンです。
イザベル・ユペールが、アイサ・サックス監督作に出演を熱望して実現した映画です。
ユペールの一瞬の表情・・・眉ひとつ動かすだけで、思いが伝わる。
いつもは怪演のユペールの抑えた演技。
病を抱えながらも、死後の家族を思い遣り、導こうとするけれど、
現実の方が勝手に動き出す様は皮肉です。
親って凄く愛していても、亡くなって暫くすると開放感を感じませんか?
人間の営みは、次世代へと受け継がれるのでは?
この映画はまるで観光ガイドブックで巡るポルトガルの旅・・・
そんな映画ですが、不思議と静かな諦観が心地良いです。
家族とは、
思うようにいかないのが人生らしい。先の短い女優や、成熟した大人たちが、淡々と語っていく。
海のシーンと、ピアノが印象的。
なかなかポルトガルに行く機会もなさそうだから、旅行した気持ちになるかも。
群像劇。
静か。
俳優さんたちの演技もじわじわ系の演出。
画面構成が美しく、
一人一人の物語のアンサンブルもいい。
目新しいネタではないにしても、
詩的な画面、素敵な脚本に、
俳優さんの存在感ありきの演技で、
大満足。
ずんずん歩くイザベル・ユペール、一転してのナマ背中とピアノ。 ラス...
ずんずん歩くイザベル・ユペール、一転してのナマ背中とピアノ。
ラストの表情が良かった。いや見ていかないんかーい✋とは思ったけど。
人生の終わりに会いたい人は誰?
何だか複雑な人生を送ってきたらしい=女優フランキー。
「相関図」が難しいのだ。国籍も人種も入り交じるし。
(どなたかのコメントにあったが「予告編」での事前学習が◎かと)。
で、
余命いくばくもない自らの「終活」の一大プログラムとして、
彼女は縁者たちを世界中から我が元に集めた、そういうバカンスなのだが・・・
死を目前にすると、人は何を成しておきたいと願うのであろうか、
・最後に食べたいものを味わい、
・最後に行っておきたい街を歩き、
・親友や、特別に心通わせた肉親、それも選りすぐりに愛情を交わした少数精鋭の縁者だけを枕元に呼んで、別れの言葉を遺すのであろうか。
ところがフランキーは違う。
せっかく集めた家族とは、行動は一緒にしない。
フランキーはひとりで森の小径を歩く。そしてひとりで旧市街の坂道を巡る。
フランキーは食事さえ、一度も家族とは取っていない。
何のために彼女は家族を呼んだのであろうか。
人は孤独だ。
ひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。
(参加者たちも似たもんだ、
ポルトガルのヴィラに集まったけれど、それぞれメンバーは自分たちの生活と懸案で頭が一杯。
心そこにあらず)。
たったのひとつも思い通りにはならなかった家族をば、フランキーは主役として舞台の上から眺めて観察し、嘆息もし、
“共演者”たちを置き去りにしてとっとと舞台に登り、そしてステージを降りる。
ポルトガル・シントラへの旅は、
走馬灯のように、《己の生きてきた道とはどんなものだったのか》、それをフランキーは確かめておきたかっただけなのかも知れない。
海の見える丘の頂上で振り返ったこの女性の目をあなたは見ただろうか、
彼女は、家族を見ていない。
あの目の光は自分の人生を振り返っている。
強烈に印象に残るシーンだった。
・・・・・・・・・・・・
樹木希林
ドヌーブ
そしてイザベル・ユペール。
大女優は老いてなおその存在で周りを圧倒すると知った。
・・・・・・・・・・・・
最後に食べたいものは何だろう。
最後に枕辺に呼びたい人は誰だろう。
会いたくはないけれど、心にかかった人と言えば誰だろう。
人生の千秋楽を迎えるとき、このフランキーのように、輝き燃え上がる終演を迎えたいと、僕も思った。
日が沈み、白い砂浜に砕け散る波音。誰が誘惑に抵抗できる?
映画「ポルトガル、夏の終わり」(アイラ・サックス監督)から。
ポルトガルの世界遺産の町、シントラの美しく幻想的な風景は、
会話に「アダムがイヴ」が何度も登場したことからもわかる。
それほど、愛を語るには絶好の場所なのだろう。
「パパがりんごを取り出し、ママに見せて言った。
ここでアダムがイヴを誘惑した」と。
そして誘惑に成功したその理由は、
「日が沈み、白い砂浜に砕け散る波音。
誰が誘惑に抵抗できる?」とロマンチックさを売りに、
日本全国各地にありそうな「恋人岬」を彷彿とさせる。
また初めてこの地に訪れた人に、地元の人たちはこうガイドする。
「あれは『ピーパーの泉』、『結婚の泉」と呼ばれています」
「タイルは18世紀のマリア一世時代のもの。
当時は各地から未婚の女性が巡礼に訪れました。
噴水の水を飲むと・・結婚できると信じられていたのです」と。
こういった名所って、世界中、どこにでもあるんだなぁ。
いきなり脱ぎだすからびっくりしたー!
おまけにまさかのラブシーン。眼福なり、ブレンダン・グリーソン。
一種の終活なんだけど、ちっとも思い通りにいかないという。人生とはままならぬものだが、ぼちぼちでいいのではないかな。
全体としてはあまり面白いとは思えなかったが、ブレンダン・グリーソンで和んだので。
死期を悟った女性が自らの死後も周りがうまくいく様に考えお節介をする...
死期を悟った女性が自らの死後も周りがうまくいく様に考えお節介をするが
どうにもうまくいかない
そんなものだよね、誰もが人の事は意識しても自分の事を考えてるからねぇ
何かあと一歩脚本で何か作れたらもっといい作品だったかもね
映像はなかなかいいし、キャストも悪くない気がした
けど何かが足りない感じだったな
悪くないけど良くもないんだよねぇ
何か消化不良で終わった感じだな
同じ一人の死を悟った人間の物語の『たかが世界の終わり』の方が緊張感あって
面白かったな
比較してもどうしようもないけど
もう少し良い映画にできたのは明らかな気がした
人生は思い通りにはいかない、でも思い通りにいかなかった結果の後に、思いもしなかった人生の奇跡が待っているような、ふとそんな気にさせる或る家族の物語。そしてその中心にイザベル・ユペールがいる。
①ほぼ家長と言ってもいい女優フランキーのある思惑によりポルトガルの美しい古都に集められた彼女の現在の家族と縁ある人々(一人予想外の人間が付いてきたが、途中で消える。グレッグ・キニアも老けたね。)。②彼らの人生もそれぞれ悩みや問題を抱えていてフランキーの思惑通りには事は進まない。不思議なのは、自己主張の強い筈のヨーロッパ人達(それも家族)が集まっているのに、何故か彼らに昔の日本映画の登場人物の様な奥ゆかしさを感じたこと。お互いに微妙な距離感を持って接しあっているように感じられること。それは思いやりであるようだし、やはり個人主義でもあるようだし。それとも古都を舞台にしているからだろうか?③マリサ・トメイは意外なキャスティングに思えたが、ラスト、フランキーの思惑通りには行かず然しある未来を予想させる人物としてピッタリの人選であることに納得させられる好演。⑤達者な演技陣の中で、マヤが海に行く途中で知り合うポルトガルの青年を演じた俳優の未熟な演技が目立ってしまったが、反面微笑ましくもあった。⑥そしてイザベル・ユペール。『エル』に比べると大分老いが目立って来ているが、顔の表情ひとつ、唇の動きひとつで内に有るものを表現しつくす演技は流石である。
【”イザベル・ユペールの若さ維持の秘訣とSWの脚本は守秘義務あり・・。”人生の末期を悟った映画大女優が神話の街で取った行動とは・・。水平線に落ち行く夕陽の長い光が海面に映る様が印象的である・・。”】
ー舞台は、”ここに地終わり海始まる”と刻まれた石碑が建つ、ポルトガルの避暑地シントラ。アダムとイブの伝説が残る神話の街でもある・・。
映画女優フランキー(イザベル・ユペール)は、ステージ進行が進んだ癌を抱えている。彼女は、友人、家族たちをシントラに集めて・・。-
■印象的なシーン
・冒頭、フランキー・・ーと言うか、脳内では完全にイザベル・ユペールとして観ている・・ー が、優雅に邸宅のプールで泳ぐシーン。リラックスチェアを広げ、ゆったり昼寝かな?と思ったら、さっさとトップレスになりプールで平泳ぎ・・。
<メイドとの会話>
”誰かに見られます・・”
”誰もいないわよ・・”
”写真に撮られたら・・”
”写真映えがするじゃない・・”
-流石でございます。イザベル姉さん。-
・中盤、フランキーが息子と友人を結び付けようと企んだこととか、町の人達との細やかな交流とか(フランキーのファンの80歳の女性の屋外での誕生日パーティー)、日常を離れた彼ら、彼女らの会話が心地よい。
フランキーの夫の孫の少女が、バスの中で知り合った少年と浜辺で口づけを交わすシーンとか・・。
神話の街での幾つかの出来事がさりげなく、描かれており、この作品の優雅さに華を添えている。
<ラスト、フランキーが”行くわよ‥”と、皆と近くの山の上まで足を運び、沈みゆく夕陽を断崖の上から皆で見るシーン。
”ここに大女優は終わり、海始まる”・・ということを無言で示すフランキー。そして、さっさと先頭を切って下山する姿。人生の終末を迎えてこの姿・・。
実に潔く、恰好が良い。
- 夕陽が水平線に落ちる瞬間を見せずに、夕陽の長細い光が海面に映る様を写し取った構図も絶妙に良い。- >
<2020年9月30日 ユナイテッドシネマ豊橋のレイトショーにて鑑賞>
チューバッカのヘアメイク・アーティスト(あ、それは内緒か)
ちょっとした観光映画でもあり、家族の本音がさらけ出される家族映画でもあった。最も印象に残るのが世界遺産の街シントラの海岸線を走る路面電車。赤くて小さくて可愛い電車でした。
最初は登場人物の相関図が分かりにくかったのですが、それは終盤になってフランキーの息子ポールが全て説明してくれていた。最も面白い人間関係はわざわざ息子とくっつけるために呼んだヘアメイクのアイリーン(マリサ・トメイ)。いくつになっても美しい彼女ですが、カメラマンと付き合っていて、息子とのお見合いなぞ知らずに彼氏を連れてきてしまう。
ほとんどが英語を中心とした会話劇であり、役者さんみんなバイリンガルなんだな~と尊敬してしまう。最初に出てきた水道が奇跡の泉なのかと思ってたけど、いったい泉はどこにあるんだ?森の中を散策したり、最後の丘の美しさとか、全てはフランキーの心象風景であったかのようにも思われるし、シントラの町が後々問題を残す場所だと知りながらも人生最期の場所に選んでしまったことなど、世界の中心にいるかのような大女優ぶりは興味深い存在。振り回されつつもフランキーに従う家族や友人たちも、やっぱり不思議な魔力によって引き付けられてるんだろうなぁ・・・と感じました。
フォトジェニックな終活
がんが転移しており、余命僅かな主人公フランキーが、大切な人達を集め楽しい一時を過ごそうとするドラマ作品。
・・・というのは名目上で、フランキーにはある考えがあるようで。。
登場人物達は皆、それぞれの問題を抱えており、終始続く会話劇からその様子がみえてくる。
みえてくるものの、それ以上の話は特になく、ひとつの物語を除いて、他は特に事が進んではおらず。。
ただ、皆の抱える問題はそれぞれリアルだし、何よりポルトガルの絵に書いたような風景と、幾つもの悲壮感のコントラストが美しい作品だった。
・・・結婚にご利益のある泉ね。
男でも効果はあるだろうか。
真綿紬みたいな映画
シントラの景色の中に、登場人物のスタイリングの色が散りばめられ、美しい映像。
説明らしい説明は、唯一ポールがキッチンでアイリーンに語ることくらい。それでも、それぞれが若かった頃のドラマまで見える。フランキーは何か企んでいるのか否か…
言葉も英語フランス語ポルトガル語が入り混じり、誰が誰の子で、みたいなのも全部、山頂でのイザベルユペールの表情に集約された気がした。
下山していく画もピアノ曲と相俟って素晴らしい。
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