レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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人も正義も何一つ信じられなくなるのが差別
若い世代に何を残すのか問う、今この世界中に刺さる映画。ひたすらに胸が痛い。負の連鎖はここで止めなければと強く思う。
ビクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台で、パリから17キロの郊外にあるモンフェルメイユは移民が多く住み犯罪多発地区。この街で生まれ今も暮らしているレジ・リ監督が現状を伝えるために作ったという。
モスクを作り子供たちを指導して自治を進めたい移民に対し、警察は支配者のように自分が法だと横柄な態度をとる。政治家はどちらにも良い顔しながら隙あれば弱みを握ろうとする。
そして誰も幸せそうに暮らしていない。誰もがストレスを抱え、行き場のない現実から逃れるためにつかむのはドラッグか武器か人を貶めることか。
なんのことない小競り合いから、ドローンが撮った一部始終をめぐって一触即発の緊迫。
差別と格差、衝突、負の連鎖の末に見る心臓の止まりそうになる光景。
アメリカでの事件から世界中にBlack lives matter運動が広まる今こそ、ここで私たちの世代でこんなことは必ず終わらせると、身をもって感じられる映画。
ラストシーンに残された一縷の望みに賭けたくなる。少年イッサのまなざしが目に焼きついて離れない。
ラジリ監督、長編デビュー作とは思えぬ熱量
一つの街で起こった小さな事件が発端となって、全ての出来事が悪い方向へと進み、悲劇のドミノ倒しが最悪のゴールに向かって倒れていく様を描いた構成の見事さ。
登場人物一人一人がその街に根付いた徹底的リアリティ、街に孕むさまざまなトラブル、社会問題や思想、思惑の入り乱れ、大人と子供のカーレース、とまぁあっという間に映画のカオスに飲み込まれる。
これって多分、子供たちの視点から描いたらもう少し単純な勧善懲悪ものに見えると思うんだけれども、主人公の視点を善良な新米刑事にしてあえて警察側から描くことによって見事にその単純さを避けている。そしてそれが物語の緊張感やラストシーンに、見事に活きてくる。
この構成、長編デビュー作にしては凄すぎないか?と思っていたのだが、HPを見たところ彼は結構前から短編映画をいくつも撮っていたらしいことと、2005年のパリ暴動を経てからは自分の街をドキュメンタリー映画として数年間撮り続けているらしいことがわかった。
なるほど本作のリアリティは彼の長年のドキュメンタリーのキャリアによって培われてきた観察眼の賜物である。
言われてみれば新米警官の2日間の激動のドキュメントとして本作を見ることもできる。
そんで描かれていることも実際に起きたことに基づいているとのことで、そういった様々な街の現実をモンタージュのように切り貼りして映画脚本として物語を構成したものだと考えるとやっぱり構成は見事なものだが、前提としてこの人はドキュメンタリー監督としてとても優秀なんだなということがわかった。
今後、フランスのケンローチ的な存在になっていくのか、はたまた彼独自の作家性でまだ見ぬ怪物に突然変異していくのか、とても興味深い監督である。
新鋭の監督による「郊外映画」の傑作。
冒頭、鮮やかな三色旗の色彩と波のような群衆の只中に放り込まれます。この場面は本作のポスターなどのアートワークでも使われており、高揚感に溢れています。
だが本作の主要な舞台となるパリ郊外のモンフェルメイユは、全く異なった表情を見せます。荒れた住宅地に住む住民はすさんだ眼差しで肌の色の違う隣人を眺めています。主人公ステファンはこの地区の犯罪対策班(BAC)に配属され、二人の同僚と共に巡回に出発します。この(警察官としては無能な)同僚達に導かれて、彼はまるで地獄巡りのようにこの地区を体験します。
ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』と本作とは直接的な結び付きは少ないものの、「無情」を重要なキーワードにしていることは間違いありません。住民達の内実をよく理解しているはずの同僚が引き起こした事態、大人の暴力にさらされる少年達など、一つひとつの事態の積み重ねが、やがて大きな動きへ発展していきます。誰かが事態を操っている訳ではないのに、結果的に重大事件に関与してしまう、そこに大きな無情を感じさせます。
本作は大きく二部に分かる構成で、前半と後半である要素や関係性が反転する仕組みとなっています。その転換の幕間に挿入される短い映像が、後半のやるせなさを一層強めています。
フランスには本作のような「郊外映画」が分野として確立しているそうで、他の作品も観たくなりました。
社会の闇がリアルに
もっと早く見たかった作品だが、コロナ流行の影響で6月まで待ち続けた。期待通り、いや、想像以上にパリ郊外の貧しい町の悲劇が痛々しく描かれている。
移民、貧困、格差、憎悪などを、ラジ・リ監督は作品の舞台となった地域で見てきたという。そうでなければ、ここまで濃密な映画は作れないだろう。
国は違うが、米国で黒人男性が白人警官に殺害され大問題になっている今、おすすめの作品。
フランスの華やかさゼロのリアル
パリのオシャレで華やかな風景は全く登場せず、移民や低所得者が暮らす一部地域での数日間が描かれます。
見て見ぬフリしてオシャレなフランスだけを見てはいけない、こんな側面もあるのだと作品を通して訴えかけられているようで、非常にカロリーを使う作品でした。緊張感が続く中、後半20分がとても辛い。負の連鎖を止めるには、どこから手をつければいいのか…。
観ていて楽しい気分にはなりません。でも観て良かったです。
フランスはいつの時代も革命の地
民衆の力が一つになり権力と戦う地。ただ、現政権を選んだのも市民。力を持つと変わってしまう国民性なのか?アントワネットはオーストリア人だったね。日本人には無い声をあげる大切さがわかる。
暴動の起こし方
ヴィクトル・ユゴー校もあるモンフェルメイユという地域。転勤してきたばかりのステファンは犯罪防止班に加わることになるのだが、やがてクリスやグワダの言動に疑問を持ち事態を収めようとするのだが、少年たちのフラストレーションが爆発してしまうリアルな物語。
本家ビクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』ではジャン・バルジャンがパンを盗んだことにより始まるが、今作は移民街の少年イッサがサーカス小屋から子ライオンを盗んだことが発端だ。些細なことではないはずで、そのライオンを抱いた写真をSNS上にアップしたことから即座に捜査対象になり、荒っぽいクリス(木下ほうか似)や地元警官のプライドを持つグワダが事件をややこしくしてしまう。
アメリカを筆頭とする移民問題を抱えている国にはこうした状況が常に起こるのだろう。最初は生意気なクソガキがっ!などとも感じていたけど、グワダが誤ってゴム弾を発砲したことで見方が変わってしまうのです。威嚇でもないし、明らかにイッサに向けられた銃。それを盗撮趣味の少年バズがドローン撮影したものだから、さらに問題が大きくなるといったストーリー。
政治や行政の隠ぺい体質が叫ばれる世の中で、警察のものが最も怖い。誰でも監視対象、捏造逮捕という事態も起きるし、クリス自身は「俺が法律だ!」などと主張している恐ろしさ。こうなっては少年の犯罪が小さいことにも見えてくるのですが、根底にあるのは人種差別なのでしょう。こんなわずかの時間でも暴動が起きるということもIT社会が発達したためだと感じてしまいます。
このご時世ではコロナ禍の影響で、ギャングまでもが自粛しようと主張する動画もありましたが、終息が近づくと多大な失業者も増えることだし、このような暴動が起きるのかもしれません。
すべてに私が存在する
冒頭から展開される,民族,種族間の憎しみ・いがみ合いが頂点に達するかと思いきや,終盤にいたって世代間の断絶があらわに。日本人には理解しがたい,ある種,そう状態とも言える様相の人たち。これも一つの様式美か?そこからの粘り腰の交渉が・・・だからネゴシエーターって海外にはいるんだなあ。日本にもいるかもしれないけれども,困難度がけた違いだと思われる。
ロマのおじさんたちがいきなり凶暴なのにビックリ。「ジョニーを帰せ」で犯人を問答無用でぶち殺しそうな勢い。住人たちは警官におべっかを使うか,憎しみをぶつけるかのどちらかしかない。
こんなところで働いてたら,誰でもクリスみたいになると思った。
そして合間に挿入される,それぞれの生活。それぞれの人生。みんな人間で、みんなそれぞれの人生を生きてる。
イッサはどうしようもない悪ガキに見える。でも大人から理不尽に押さえつけられてさらにダークサイドに転落?
私は彼が火炎瓶を投げなかったと信じたい。投げたらジ・エンド。ステファンはイッサを撃たなかったと信じます。
お腹いっぱい食べさせてあげて!
何もリサーチなく鑑賞し、題名から
希望に満ちた作品かと思っていたので、
冒頭から、あら、ちょっとこれは
違うわ!で、え?んま!えー!の連続でした。
途中、お腹を空かせた子達が、
屋台のおじさんに、食べ物をねだる
シーンがありました。でも、お金が
ないので、邪険にあしらわれてしまいます。
わたしの経験上ですが、子供の心とお腹は
連動していると、つくづく感じます。
つまり、お腹がいっぱいになれば、
心も満たされるんではないかと。
できるならば、手料理であればなおよし。
料理そのものより、作る過程の
例えば、包丁でトントンとまな板を
叩く音や、蓋を開けた時にモワッと
たつ湯気の情景や、鼻腔をくすぐる
匂いがあれば、尚のこと、お腹だけどはなく
心も幸せで満たしてくれると思うわけです。
すると、不思議なことに、粗悪な
思いに負けない丈夫な心も育まれる
という図式になるよな気がします。
特別な事はしてあげられなかったけれど、
3人の野獣に近い笑息子達を
育てた、わたしなりの子育てで得た、
確信であります。
様々な状況があり、食べるに
食べられない子供達がたくさん
いると危惧します。
もちろん、親や周りの大人が
見本となる行動や振舞いを示すことは
大切ですが、その前に、どうか
お腹を満たしてあげて!
そしたら大丈夫!と、叫んだ作品でした。
人を育てる難しさ
映画の最後にテロップが出る。その言葉が全て。ここでいう「人を育てる」というのは教育だけではなく、大人が背中で見せるということ。
勉強ができるできないとか、運動が得意かどうかではなく、大人がしっかりとした行動や言動を行うことができるのか。子どもは絶対に見ている。
僕は日本人の優しさとか謙虚さが好き。でも、最近はそれが薄れているように感じる。こういう話のとき、よく若者が槍玉に上がるが、その若者を育てたのは今の大人。社会が悪い、他人が悪い、アイツは得してる、自分は損してる。いま一度、自分ができる良いことを積み重ねないと、この映画のようになるだろう。
映画としてはドキュメンタリータッチでPOVを活用したような映像でドキドキするが、主役の存在感が少し薄く感情が見えにくいため、キャラクターを応援しづらい部分はあった。
フランスの現状を感じ、日本の場合はどうだろうと考えたい方は是非劇場でご覧ください。
タイトルなし
結末がどうなるかなというところで終わる。
奥行きが出てて良かった。
人物像が詰められてて、リアルだった。
グアダ役(黒人警察)の人間としていい人なんだろうなという魅力が忘れられない。目がきれいな人だった。
人類の悲劇の縮図のようなこの街
パリ郊外のモンフェルメイユ。荒れ果てた団地、移民たち、人種と宗教の問題、貧困。環境が人を育てる。ハードな環境で育つ子供たちの善悪の境界は曖昧だ。
秩序を守るためにあるはずの警察による理不尽な暴力の蓄積。子供たちの鬱屈の爆発は必然だった。
いい人も悪い人もいた。群れる人も群れない人もいた。それが微かな救いか。『事件』を撮影したあの群れない少年がラジ・リ監督なのかも知れない。
もう若くないさと君に言い訳できない
『ぼくらの7日間戦争』風に観るか、
『デトロイト』や『シティ・オブ・ゴッド』風に観るか、その岐路にある@フランス、@世界中、というように観客に選択肢を与えるように優しく描いてある。
ゴム弾を子どもに命中させて、
オロオロするオトナたち。
子どもたちにとっては、
めんどくさいホウキは折る、
うるさいチリトリは壊す、
オトナなんてその辺に転がってるホウキやチリトリと変わらない。
なぜなら、ゴミ以下の扱いを受けている、
または、いたから。
そんな子どもたちもオトナになると、
髪を切って、もう若くないさと言い訳をしたのは、昭和のはなし。
時計じかけのオレンジのディムは警察官、
ワンダラーズのテラーは海兵隊、
ガキ帝国のポパイは機動隊、
三島と一緒に900番教室にいた奴らも、
多くはサラリーマン。
昭和のガキには受け皿があった。
クニ全体がもう若くないさと、
言い訳をしても、
対岸の火事はすでに足元まできている。
君も観るだろうか?
オトナ帝国の逆襲風の作品を。
惨めなのはどっちだ?
博物館、美術館は閉まってるし、ジムにも行けないし、私を救ってくれるのは映画館だけ。どうか、営業し続けてくださいませ。
レビューでけっこういい感じだったので、見てみた。ほんとに良かった。やたら音楽を付けないのも好き。硬派だね。
演技はつけてるだろうけど、たぶん素人で地元っ子らしい子どもたちが自然でいい。この子たちがあっという間に大人になって、サラーや市長みたいなゴッツい男になっちゃうのかしら。やだわ〜。
警察官も含め3グループの男たちが睨み合う場面なんか、むさ苦しいというか暑苦しいというか…。複数の男達が大声で早口でやりあうと、ほんとに怖いわ。
しかし、治安の悪い中、圧力をかけるやり方しかないと信じていた古参警察官。新参警察官が対話を用い、いったん騒動を収める。優位に立っていたはずが、簡単に立場が変わり焦る先輩、急に落ち着きがなくなってしまう。対話だけで解決はしないけど、少なくとも負のエネルギーは高まらないと思った。
ちょっとしたいたずらだったのに、想定外に痛い目にあったイッサ少年。憤懣やる方ないのは理解できる。でも、きっと話せばわかってくれると、期待しているよ。
世界が羨む街の陰
怒りにも正義がある。手にした権力を振り翳す、時局を甘じた横暴なる威圧者に投石する者は、時に、予想外な存在で有り得るものだ。無垢な存在が復讐に懸ける身となり襲い掛かる様と、善良な扉を開かんとする様が、極限で交差するクライマックス。幕が静かに閉じる瞬間に、脈打つ鼓動の速さに気がつくだろう。
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