レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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すごかった
ちょうどイタリアやフランスがコロナで大変な時期に見たので、冒頭のサッカーの応援で濃厚接触しているのを見て、これはひどく感染が広まるはずだと思う。
一番意地悪な刑事が、自分にも子どもがいるのに団地の子らに対してあまりにひどいので一体なぜなのか、そこまで想像力がないのは一体何なのか気になる。
ゴム弾で顔を撃たれた子が死んだり、失明していなくてよかったようなもので、なぜ病院に連れて行かないのだ、薬局で済ますなんてどういう神経をしているのだ。その上ライオンの檻にまで入れられて気の毒としか言いようがない。
クライマックスの団地の階段の攻防がすごい。
タイトルなし
結末がどうなるかなというところで終わる。
奥行きが出てて良かった。
人物像が詰められてて、リアルだった。
グアダ役(黒人警察)の人間としていい人なんだろうなという魅力が忘れられない。目がきれいな人だった。
人類の悲劇の縮図のようなこの街
パリ郊外のモンフェルメイユ。荒れ果てた団地、移民たち、人種と宗教の問題、貧困。環境が人を育てる。ハードな環境で育つ子供たちの善悪の境界は曖昧だ。
秩序を守るためにあるはずの警察による理不尽な暴力の蓄積。子供たちの鬱屈の爆発は必然だった。
いい人も悪い人もいた。群れる人も群れない人もいた。それが微かな救いか。『事件』を撮影したあの群れない少年がラジ・リ監督なのかも知れない。
ラストシーンの意味
「子どもはいいもんだ」と前夜にいっていたステファン。
「あそこはやばい。盗んだだけで人を焼くんだぜ!」と故郷を笑っていたイッサ。
そのふたりが銃と火炎瓶をもって向かい合うラストシーン。
どちらか、いやどちらもが絶命しかねない瞬間に、映像は暗転して修羅場を離れる。いわば、観客を〝安全な場所に置く〟俯瞰映像をもたらしてくれるのだ。
とはいえ観客は、完全な意味での安全な場所にはいられない。結末はどうなるんだ?と気になり、発端は〝子どもらしい〟悪戯だったことを思い出し、猛獣のエサにされてしまう少年の恐怖を思い出し、自我ともいえるチップを奪われた少年の喪失感を思い出し、それぞれの家族の営みを思い出し、大人の事情で翌日にはなかったことのようになる名ばかりの正義を思い出す。ステファンが同僚にいう「やるべきことをやれ」という一言は、ラストシーンのステファン自身に必要な言葉だ。その瞬間、スクリーンの中の世界が自分たちの現実の象徴であることに観客は気付かされる。
ラストシーンの続きは観客それぞれの現実世界なのだ。
ヴィクトル・ユゴー作「レ・ミゼラブル」でも描かれた、些細なことから悲劇をもたらしてしまう人間の愚かさは、21世紀でも変わらない。本作でラジ・リ監督は、登場人物の誰にも肩入れしない。解決策は、俯瞰力ではないか。ドローンを効果的に使いながら、監督はそう言っている。アパートを上空から俯瞰した映像では、子どもたちの遊びも決定的な事件が起きてしまう瞬間も、どちらも戯れにみえる光景なのだから。
当事者にならずにその場を理解する力、俯瞰力を観客の手にじかに握らせてくれる作品だ。
もう若くないさと君に言い訳できない
『ぼくらの7日間戦争』風に観るか、
『デトロイト』や『シティ・オブ・ゴッド』風に観るか、その岐路にある@フランス、@世界中、というように観客に選択肢を与えるように優しく描いてある。
ゴム弾を子どもに命中させて、
オロオロするオトナたち。
子どもたちにとっては、
めんどくさいホウキは折る、
うるさいチリトリは壊す、
オトナなんてその辺に転がってるホウキやチリトリと変わらない。
なぜなら、ゴミ以下の扱いを受けている、
または、いたから。
そんな子どもたちもオトナになると、
髪を切って、もう若くないさと言い訳をしたのは、昭和のはなし。
時計じかけのオレンジのディムは警察官、
ワンダラーズのテラーは海兵隊、
ガキ帝国のポパイは機動隊、
三島と一緒に900番教室にいた奴らも、
多くはサラリーマン。
昭和のガキには受け皿があった。
クニ全体がもう若くないさと、
言い訳をしても、
対岸の火事はすでに足元まできている。
君も観るだろうか?
オトナ帝国の逆襲風の作品を。
ミゼラぶる余韻
書き忘れてた。
良かったですよ。スクリーンに釘付け🔨とはいかずとも強めのクリップ付けで、常にこの後の展開はどうなるのかな~?と見守る緊張感があって。
あんなチーマーのチーボスみたいな市長が仕切ってるような町には住みたくないなぁ‥ と率直に感じてしまうのですが‥内容はチームの縄張り争いみたいなもので、アフリカ系移民を連れて来て働かせた仏🇫🇷のそのへんのややこしい図式は、日本の被差別部落の問題と近い感じか。
お話には前半ちゃんと食い付いていましたものの、大きなトラブルを一旦収束させたあたり以降で不覚にも寝落ちしてしまい、目が覚めたら🔥の🔥ラストシーン。
一緒に観た同伴者に事の成り行きは聞きましたし、最初からラストは観客への投げ掛け系なのは監督の談話を目にして知っていましたが、まあそこらの物をかっぱらっても構わないというDNA持ちの人種と、そうでない民度民の争い交わりに、クソ真面目な正義感で正論を説いて相手とすんなり和解できるほど、人類もまだ物分かりのいい生き物ではありませんですね🤨
勧善懲悪な世界でもない限り、ライト or ダークサイド判定も、誰かのある時点のある視点からの判断になりますので、立場やTPOによって変わりかねないものですし。
まあ私は単純にライオンをパクるなど調子コイて何かとトラブルをメイクするあの悪ガキにムカついてしまうのですが😠
惨めなのはどっちだ?
博物館、美術館は閉まってるし、ジムにも行けないし、私を救ってくれるのは映画館だけ。どうか、営業し続けてくださいませ。
レビューでけっこういい感じだったので、見てみた。ほんとに良かった。やたら音楽を付けないのも好き。硬派だね。
演技はつけてるだろうけど、たぶん素人で地元っ子らしい子どもたちが自然でいい。この子たちがあっという間に大人になって、サラーや市長みたいなゴッツい男になっちゃうのかしら。やだわ〜。
警察官も含め3グループの男たちが睨み合う場面なんか、むさ苦しいというか暑苦しいというか…。複数の男達が大声で早口でやりあうと、ほんとに怖いわ。
しかし、治安の悪い中、圧力をかけるやり方しかないと信じていた古参警察官。新参警察官が対話を用い、いったん騒動を収める。優位に立っていたはずが、簡単に立場が変わり焦る先輩、急に落ち着きがなくなってしまう。対話だけで解決はしないけど、少なくとも負のエネルギーは高まらないと思った。
ちょっとしたいたずらだったのに、想定外に痛い目にあったイッサ少年。憤懣やる方ないのは理解できる。でも、きっと話せばわかってくれると、期待しているよ。
世界が羨む街の陰
怒りにも正義がある。手にした権力を振り翳す、時局を甘じた横暴なる威圧者に投石する者は、時に、予想外な存在で有り得るものだ。無垢な存在が復讐に懸ける身となり襲い掛かる様と、善良な扉を開かんとする様が、極限で交差するクライマックス。幕が静かに閉じる瞬間に、脈打つ鼓動の速さに気がつくだろう。
コソ泥少年が悪魔に変わるまで
暴動に至る病、みたいな貧民窟の1日(だっけ?)の話。陽気な貧民街のコソ泥少年が悪魔に変わるまで、みたいな。いいところでスパッと終わる。
なんでしょう。面白いのだけど、たぶん、なんとなく、シティ・オブ・ゴッドみたいなのと比べちゃってるのかな、もうひとつケレン味があるほうが好きみたい、自分。
移民社会が生み出す格差、貧困
「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ」 『レ・ミゼラブル』覚書その6第一部ファンティーヌ 第五編下降 。冒頭のユゴーの格言が心に響きました。移民、貧困が生み出す分断、格差社会のフランスでは移民1世、2世などが人口の4分の1以上を占め本作の舞台のような殺伐とした社会で生まれ育った人達のやりきれないお話です。いずれ来る日本での話でもあります。日本でも少子高齢化社会を迎え、AI社会による単純労働のロボット化による労働者大幅削減が予測される中でも目の前の労働力不足から工場作業員、建設現場、コンビニ店員、飲食店店員、海外労働者などの現場では主にアジア諸国から実質的な移民受け入れが進む中で他人事ではありません。現実的に大阪市生野区20%、長野県川上村15%、群馬県大泉町13%、長野県南牧村11%と人口に占める外国人流入が進む中で今後2世、3世が増加し国籍や肌の色が多様化する社会が進んでくるのは必然ですよね。光と影でいう光の部分ではダルビッシュ、大高なおみ、八村塁、サニブラウン、ケンブリッジ飛鳥などスポーツ部門ではハーフ、クオーターの活躍はすでに当然の流れです。今後、日本でもアーティスト、俳優などでも純粋日本人ではない肌の色の違うスーパースターが生まてくる日も近いでしょう(戦後から芸能界における朝鮮系の方々の活躍は周知の通りですが)影の部分として本作のような殺伐とした社会が点在していく社会も出てくると思います。
あまりの展開に、観客は唖然とするしかない。
フランスの貧困を描いた映画は、ダルデンヌ兄弟がまず頭に浮かぶ。彼らの厳しい現実の中にかすかにも希望を見出そうとするのとは対照に、ただあるがままの現実を目の当たりにさせ、結論は観客に委ねる展開に唖然。
たった2日間であり得ないほどの急展開を見せるストーリーに全く違和感がなく、観客はただ傍観するしかない。
序盤、目まぐるしいカメラワークに、アップの連続が多く、力業で押してくるかと思いきや、盗みを働くイッサが、故郷のアフリカで「泥棒が焼き殺されるのを見た。盗みは重罪だ」と語る場面が最後大きな意味を持つなど、伏線もしっかり張ってあり、見終わった後に胸にズシリとくる。
全編を通して感じたのが、なぜ誰も冷静に話し合おうとしないのか。大人たちは絶えず不機嫌で威圧的で、怒鳴り合い責任をなすりつけ合う。子供が犯した罪を言い聞かせて嗜めるのではなく、威嚇し力で押さえ込もうとするばかり。
鬱屈した負のエネルギーは、いつも身近な弱者に向かう。
日本の通り魔事件などでもそうだけど、自身を苦しめる人間では無く、自分が力を振るいやすい人間に憎しみが向くのは、なんて悲しい事だろうと思う。
この映画で、騒動の原因を作ったイッサが復讐の相手に選んだのは、騒動を沈めるべく奔走した警察官たち。警察官たちにも大きな落ち度はあったけれど、大きな抗争さえ起きかねなかった事態を発生させた自分の行為は棚に上げた逆恨みに、地域の子供たちを巻き込んで凄まじい暴動を起こしていく様は、まさに地獄絵図。
さらに怖いのは、子供たち一人一人に明確な意思がなく、集団心理で暴走していくこと。
最後に流れる、「世の中には悪い草も悪い人間もいない。ただ育てるものが悪いだけだ」という、ユーゴーの言葉があまりにも重い。
正当ともいえる爆発
見ていてヒリヒリしました。
目まぐるしく動く画面に酔いそうになるが、気持ちよくなる映画じゃないですからね。
「憎しみ」の1995年から変わらぬ現実。
植民地支配からの歴史、グローバル時代の格差固定、世代間の意識。
色んなグループに分かれ分断された中、関係を取り持つ事はもはや不可能なのか。
日本ではテレビなど相変わらず、フランスといえばオシャレで綺麗なパリでそこには白人しかいない。
実際は、歓喜に沸いた18年も98年当時もフランス代表において白人は少数なのに。
我々日本人もいつまで他人事でいられるか。
終わりはあれしかなかったでしょうね。
大人からの暴力を受け少年は、悪のカリスマになる。
夏のパリ郊外の犯罪多発地区モンフェルメイユに転属されて来た警官のステファンが、同地区出身のベテラン二人とトリオを組んでパトロールに出る。
スラム化した高層団地地区では、ジプシーのサーカス団から赤ちゃんライオンの盗難が発端で地元ギャングと一触即発に。
アメリカやブラジルの話しかな?と思うほどに荒れた雰囲気で、近年イエローベストデモなどがある2019年のフランス・スラムの実態をドキュメントタッチだが、緩急のある演出と映像でリアルを見せられる。
右往左往の末とりあえず、騒動を収めたと思った警官達と我々観客も、最後の数10分で少年イッサから、凄まじい復讐を受けて、奈落に落とされるラストは、結構な衝撃。
日本の女性層向けに入ってくるシャレオツなパリ物映画の裏側で、起こる格差と貧困と犯罪に鋭い視線があり、若干もたつくところもあるが、今見るべき作品
ジプシーサーカスの子ライオンを、ある種の無邪気さから連れ出した少年イッサは、父親やジプシーや警官などの大人達から暴力や抑圧を受けて、驚くほどの統率力と巧みな戦術で、復讐を開始する姿が、悪のカリスマの誕生物語を彷彿させる。
絶望の闇
闇が深い。
小説「レ・ミゼラブル(あゝ無情)」の舞台として知られ、現在は犯罪多発地区の一部となっているパリ郊外のスラム街の現在を描く。
小説は愛に生きる人々のすれ違いと時代が生んだ不幸を描いたが、ここには一切愛がない。
権力と暴力を振りかざす悪徳警察官、市長とは名ばかりのチンピラの元締め、元ギャングのボスでモスクの運営者、粗暴で無学なサーカス団、そしてすべての大人に虐げられる子供たち…
移民と低所得層だけが暮らす街の混沌で、悪意と暴力と愚者しかない無情。
小説「レ・ミゼラブル」の六月暴動に相当する暴動シーンがあるが、それはそこに生きる者たちの「怒り」そのものだった。
創作であり、実際に起きた事件ではないが、ラジ・リ監督の実体験がベースになっているということで、一定のリアリティを感じた。
多様性を認めた理知的に話し合いで解決したいと考える警察官ステファン(ポマード)の存在はおそらく監督の現身(うつしみ)であって救いであると感じた。
それと同時に、彼であってもどうにもならないほど、すでに人にも街にも絶望するしかないことが無残であった。
圧倒されるとともに、問題提起のみで解決方法がない現実の重さがのしかかり、陰鬱な気持ちになった。
北風と太陽
不安や恐怖が生む不自然な抑制
そこで保たれている均衡は、噴火目前の巨山のよう。
こういう映画を観た後に洩れ出る、自分の境遇への感謝は陳腐な感想だけど。
でもやはり、基本的な暮らしがおくれる日常があり、根底に安心があり、大小あれど精神に余裕という太陽が照っていて。
自ずと主体的に他者を思いやれること。
その輪が自然と拡がること。
秩序なき正義より
規律ある自由
これが健全。
そんなことを、ドローンのように俯瞰。
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