家族を想うときのレビュー・感想・評価
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観るべき作品なのに好きになれない映画〜
誰も不幸なろうとは思っていない。
真面目に働いてなんとか幸せになろうとしているのに
なぜこんなことになるのだ!!
一番きついのは、この話は作り物では無く
実際に同じ状況の人たちから集めた
真実の実態の集積であること、
そして、日本でも同じことが起こっていること、
それが果てしもなく怖い!
ああ、それと宅配はできるだけ一回で受け取れる様に
受け取る方も配慮しろよ!!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ケン・ローチ監督の今の経済社会システムへの怒りが
前作、前々作からも伝わってきていた。
本人が悪いのではなく今の経済社会システム自体が
弱者を救済することを全く計算に入れていないということ。
それはよく解る。
もちろんシステムの問題が一番なのだけど、
映画の冒頭、お父さんは色んな仕事を転々としてきた経歴を話す。
そんなに色々やってきたのなら
何か他に続けられなかったのだろうか?
仕事を辞めた理由を、ガミガミ言われて嫌になったとか
奥さんの仕事に不可欠な車を売って
自分の仕事のための車を買ったり、
私には焦り過ぎて周りが見えてない人に思えてしまう。
そこを云々する映画ではない事は
重々承知の上で、
やっぱり、
このお父さんは最後まで好きになれない
と感じるのは私だけなのかな?
前作も前々作も、経済社会システムの被害者である主人公自体に
どうもいまいち共感しきれなかった〜
鑑賞後、少し経ってから監督のラジオインビューとか
「ザ・ビッグイシュー」に掲載された文章を観ると
人間にはいろんな面があるから
主人公を無条件にいい人には描かないとのこと。
確かにあまり主人公を良い人にしてしまうと、映画そのものが
あまりにも絵空事になって本当の恐ろしいことが伝わらない〜
でも、痛い!!痛すぎる!!
複雑だな〜
今の世界を変えるために観るべき映画なのに
好きになれない映画って〜〜
で、一般ピーポーがこんな痛い思いを堪えて
良い映画だとこの映画を讃えているのに
こんな歪んだ資本主義システムに胡座をかいて
ぼろ儲けしている搾取している側の資本家が
おそらく一人もまとものこの映画を
観ていないであろうことが一番、腹が立って、
資本家たちを蹴り倒してしまいたい衝動にかられる。
お父さん、行かないで!と子供達が言う。
子供達は
一緒にいてくれるお父さんが好きだったんだね〜
子供達が本質までは歪んでいない事が唯一の救い。
@お勧めの鑑賞方法は?
映画館で観た方が、まだ切り替えができるかも〜
自宅とかで観ちゃうと人生が殺伐としてしまいそう〜
希望への灯火を・・
「下流」「負け組」・・私はこの言葉が嫌いだ!
年収や不動産で人を計りにかける・・
そんな国に誰が生きたいか、そんな国だったのか・・
しかし、産まれる国は選べない、ましてや国を変える事は個人では出来ない・・
だが、家族には支え合い変えられる力が有るはず!
今は結果が出ない日々が続き
情けなさや悔しさ寂しさが伴うこの家族だが
・・目に見える紙幣は無くとも両親の頑張りや家族愛そのものが
「心の貯蓄」となり子供達に蓄積されるはず
両親が貯めてくれた「心の貯金」を
いつの日か子供達が「目に見える貯蓄」でマイホームを両親にプレゼントしてくれるから!
そんな未来が私には見える・・
だから、この家族は大丈夫!絶対に!
携帯を置け
農耕を覚えた人類が逆に穀物のために人間性が虐げられたというのは、サピエンス全史にあった解釈であったが、この映画でのスマホの描かれ方はそれに似ている。技術の進歩はそれ自体便利ではあるが、その便利な世の中での競争の意味するところを予見し得ずに、いつのまにかそうなってしまっている環境に隷属する。UberがTaxiを駆逐し、フランチャイズが小売店を駆逐する。規制するしかないのかと思わせるケンローチの手腕。
雇用主のクソ資本論、父と息子の葛藤、娘の意外な行動、妻が吠える展開など見応えのあるシーンが数多く盛り込まれ、行き場のない絶望感が重くのしかかる。最後は政治的な決裁しかない。しかし、政治自体も何かが駆逐されてはいないか?
ケン・ローチの視点
ケン・ローチ監督は前作に続いて、厳しい環境の中において、必死にもがいて生きる人々や家族を描いている。そこにあるのは弱者に対するまなざしを通して格差社会に対する糾弾だ。観ていて非常に息苦しい映画だった。
#122 悪循環と空回りのかたまり
日本でも重労働として嫌煙される宅配ドライバーと介護士夫婦のお話。
歩合制が厳しいところが日本よりも状況がハードな気がした。
介護士のほうはまだ心が救われる部分があるけど、ドライバーは酷い。
ネット通販は便利だけど人間の心が失われるなら昔の不便さに戻るべき。
救われない世界の中で慎ましく生きることは「美」ではない
ヒューマントラストシネマ有楽町。最近公開となったケン・ローチ監督の新作「家族を想うとき」を観てきた。人間は突如としてリアルな世界を見せられたとき、身につまされるよりも先に唖然としてしまい、どう対応して良いのか分からなくなってしまう。それが例え映画だとしてもだ。ワーキングプアを生み出す「社会システム」と、その社会システムに翻弄されていくしかない家族。この救われない世界の中で精一杯に働き、慎ましく生きることは、けして「美」ではない。美であってはならない。この映画は、個々の人間も、家族愛も、全てのことを美化して描いていない。だからこそ余計に父、母、息子、娘、それぞれの愛情が、鋭利な刃物で肌を刺すような強い痛みを観客に感じさせる。2019年の今、この物語のような出来事は、イングランドのニューカッスルに限らず、日本を含む世界のあちこちで起こっているのである。観た人が『これ、俺たちの国も同じだよね』とみな感じるのではないかと思う。それこそがケン・ローチの問題提起なのだと感じた。
頑張っているのに、空回りする日常
当たり前の毎日、普通の人たちを描いたら最高の監督ですね。
すごい出来事が起きているわけじゃないのに、その日常にグイグイ引き込まれていく。奇をてらうことなく、淡々と、そこにはまさに、真面目に真摯に生きている人たちの姿がある。
みんな、頑張ってる。
家族全員が、それぞれの想いを抱えながら、精一杯頑張っているのに、うまくいかない。
え?これ、うちのこと?って思わず言いたくなる現実。
いい子すぎて、みんなが頑張りすぎてて、時間とともに切なくなる。
ごめん、自分を見失ってたってことなのかな、お互いに。お互いを見失ってたって、ことなのかな。
一緒に路頭に迷うのは、駄目なのかな。
親は弱みを見せちゃいけないのかな。
子どもだけど、頼ってくれてもいいのにな。
家族だから、本音が言えない?
家族だから、我慢するの?
大人が思うよりも、子どもは成長している。
人間の尊厳を問う
資本主義がもたらすはずの人々の幸せなど、とうの昔に消え去り、もはやそのツケは弱者の普通の生活を壊しながら支払われている。
全ては自己責任と切り捨てられ、人々はすでに沢山の未来をあきらめ、それでもなお懸命に追い求める。
平凡な日常すら手に入れることができない人々。多くのものを求めているのではない。ほんの小さな温かな灯火をも手に入れることが許されないのだ。
そこにはもはや人間としての尊厳はない。蔑まれ、辱められ、日々を惨めな思いで過ごしていく。それは新たな分断を生み、世界は荒んでいく一方だ。
なんとかせねばならない。人々の尊厳を守らねばならない。ケンローチの普通の人々を想う温かな視点と、社会を省みることのないぬくぬくと生きる者たちへの静かな怒り。心揺さぶる映画だ。
ケン・ローチ
「わたしはダニエルブレイク」以来のケン・ローチ。
社会の矛盾、不条理を鋭くあぶり出す、彼の手腕は相変わらず。
救いがあればいいのだけれど・・・・。
日本でも、働く環境の劣悪さを言われて久しい、宅配業の夫と訪問介護士の妻の家族のお話・・。
映画で描かれる、オーナー制の宅配もそうだが、コンビニ、派遣、介護関連の仕事・・、すべからく、上手く造られた現代のタコ部屋。タコ部屋から逃げられないような環境を政治が作り出し、安い労働力でも働かざる得ない奴隷を生み出している・・。こんな生きづらい世の中どうにかならないか!と声をあげたのが「わたしはダニエルブレイク」だったが・・。この作品では、どうにもならない現実を突きつけられちゃう・・。せめてもの救いが、優しい家族・・。家族のためを思い実直に働こうとすればするほど 蟻地獄の如くタコ部屋から抜け出せなくなる、地獄のような社会。
いわゆる、企業の株価は、利益に支えられ、そのためにコストを抑える、すなわち、人件費を削ることで保たれている・・。言い換えれば奴隷制の上の楼閣。ほんと、なんとかしなきゃ・・だ。
ケン・ローチ サッカーが好きなんだろうなぁ・・。ニューキャッスルのユニのお客と、マンチェスターユナイテッドファンの主人公の蝶々発止のやりとりが、英国っぽくて楽しい♪
実は、ケン・ローチ作品で一番好きなのが「明日へのチケット」。
複数の監督による、ローマに向かう鉄道の旅の列車内での出来事のオムニバス。
ケン・ローチのパートが、FCローマとスコットランドのセルティックスのチャンピオンズリーグでの試合をローマまで応援に行くスコットランドの若者と、たまたま乗り合わせた難民の家族のお話。セルティックス サポーターだから、スコットランド人の魂だけでなく、アイルランドのハートも加味されていると想う・・。そのハートがとても素敵な物語。「ダニエル・ブレイク」のハートもそれに通じるものがある。
人は、組織やら狭い社会の理不尽な論理に身を任せる前に、人としての倫理感や情を上位のモチベーションにしなければ、やがて滅びる。
良い作品だがお勧めはしにくい
家族全員が思いやる気持ちはある善人なのだが、忙しい労働や日常の中で徐々に疲弊し疲れ切って荒んで行く姿がリアルでした。
娯楽作品では全くないので、見て欲しいとは言えないが、今生きてる日常の大切さは十分感じる事が出来ます。
ラストは当然ハッピーエンドとはいかないが、この一家の数年後に全てを乗り越え明るい家族になって欲しいと本気で想いました。
Sorry We Missed You ご不在で届けられません(ごめんなさい。あえなくて)
ケン・ローチはやっぱりすごい!
ウーバーやアマゾンの配達に象徴される、奴隷のようなグローバル労働管理に本気で怒り、一方で家族の分断をなんとかしなくては、と訴える。
Sorry we missed you. we weren't able to deliver your package today.
原題の”Sorry we missed you”
運送屋の不在連絡票に書かれた形式的な常套句に深い意味(「もっと一緒にいたい」という家族への切実な想い)をもたせているところも、ケン・ローチらしい。
「こんな家族がいて君は幸せなんだ」と息子に諭す警察官の言葉もケンの本音だが、家族のために働けば働くほど家族を不幸せにしてしまう労働者のジレンマを厳しい目で見つめている。
孤立した労働者は、誤った強制労働に対処できずに、隘路にはめられてしまう。
よく、考れば、子どもが大変なときに仕事を休めないなんて不当なことは許されないはずなのに……。巧妙な自営業者という契約が自由と尊厳を奪っている。先進国でも、ブラックな奴隷労働が生き延びているのは、英国も日本も同じです。
私達も、ケンのように怒りを持って発言しなければいけないと強く感じました。
シビアで、救いのない物語
家族のためにマイホームを持つことを夢みる父親は、配達員としてフランチャイズ契約を結び、1日14時間労働を週6日続けている。それを支える母親は、介護士として朝から晩まで”お客様”に尽くし、気持ちが休まる暇もない。家族を想った選択が、逆に家族の時間を奪っていく。
格差社会、ギグワーカー、ゼロ時間契約、ワーキングプア…ここに労働者階級という独特の社会構造が絡む現代英国を、映画はシビアに切り取っていく。父親も母親も決して悪い人間ではない。親に反抗する息子も本当に家族が憎いわけではない。ただ、日々の生活に精一杯で、表面張力で保たれている水面は、ほんの少しの刺激でコップの縁から溢れてしまう。最後まで救いのない物語。でも日本も人ごとではない。
容赦ないリアル
前作も観られなかったので、おそらくは初めてのケン・ローチ監督作。
いゃぁ、それにしても容赦ない。ということはつまり、我々の生きる社会がことほどさように容赦ないということ。
グローバル資本主義がポリティカル・コレクトリーにいかに庶民を搾取するのか、その方法が事細かに描き出され、その結果家族がいかに軋んでゆくのか、ホントに容赦なく描く。
が、それは日本でも同様に進行していること。
僕らはどうやってソレから逃げ出すのか、考えなくてはならない。マジで…
そうしないと、お父さんのように自ら進んで家族の声に反して破滅することになる…
ホントに切ない…
ターナー家に幸あれ
心からこのような家族に幸せになってほしいと願う。
こんな家族が日本に、世界中にいて、特に小学生の娘の健気な姿に涙した。
よりによって何でこんなにも問題が次々と起こるんだと。
疲れ過ぎて夫婦の営みもできなかったり、食事は冷蔵庫のパスタをチン、子どもたちにしっかり向き合えなかったり、、、
日本の共働き家庭も似たような状況だ。
ラストの終わり方がまた切ない。この先ターナー家はどうなるのだろうか?
とにかく深い。重い。そんな映画だ。
これと言った音楽もなく、淡々と物語は進んでいく。
だけど飽きる事なく集中して鑑賞できた。
【社会的弱者を苦しめる管理・官僚主義が蔓延る世に鋭い警鐘を鳴らし、”全ての人は尊重されるべきである”という信念を貫き続けるケン・ローチ監督の揺るぎない姿勢に敬服した作品。】
- 家庭を持つ者にとっては観ていて辛い映画である。
邦題はキレイだが、原題は”Sorry We Missed You"である・・。-
・日本でセイフティ・ネットの綻びが指摘され始めて、早や数十年。
厚生労働省も色々頑張ってはいるのだろうが、負のサイクルはリーマン・ショック以降凄いスピードで回っている。
- 私は、以前から厚生省と、労働省は分けるべきであると言っている。何故なら、厚労省の激務は霞が関で働く友人から、詳細を聞いており数字でも掴んでいる。コロナ禍が蔓延してからは、更に状態は酷いと聞く。厚労省で働くお偉いさんではなく、平の職員さん達には本当に感謝である。-
・現政府は、アベノミクスの効果を強調しているが、モノづくりを生業にしている者から言えば、景況感は明らかに悪化している。(2019年12月13日現在:数値は出せません・・。)
・で、企業が手を染めるのは、安い賃金で効率よく利益をあげるシステム、簡単に言えば非正規雇用の比率を上げることである。
・現宰相(当時の安倍さん。)は”人生100年時代、健康に70歳まで働きましょう!”などと国会で度々連呼しているが、これは、誰もが知っている年金問題とのすり替えである。
確かに日本人の健康寿命は70歳前半まで伸びているが、彼が言っている言葉は”皆さん、死ぬ直前まで働きましょう”と同義である。
ついでに、政府の財源を圧迫している健康保険料も減るのだから、まさに一石二鳥である。
・日本がこのような国になってしまった理由は何なのか。色々あるだろうが、管理・官僚主義の横行もその一つであると思う。
・では、イギリスはどうかというと、日本に輪をかけて経済情勢は悪化の一途を辿っている。(英国から撤退する日本企業は、増加の一途である。)
・で、ジョンソンみたいな変な人が首相に選ばれ、保守党が過半数を獲得し、(保守党を全否定するわけではないが。)EU離脱を決め、不寛容な保守派がのさばる事になる。
・その背景としては、深刻なイギリスの経済状態がある。
・マクラが長くなったが、今作はイギリスの労働者一家が、負のサイクル(正規労働者→”ある業界の個人事業主=非正規労働者”という名の経済的弱者)に巻き込まれていく姿を、哀切に描いた物語である。
・低賃金にあえぐ一家の長、リッキーがフランチャイズ制を導入している運送会社と契約し”個人事業主”の宅配ドライバーとして独立する所から物語は始まる。
フランチャイズ制度は日本でもコンビニ業界のオーナーの苛烈な働き方が、新聞紙上を連日のように賑わせているが、この制度を考えたレイ・クロックという男は頭は良いが、罪深い輩である。
・心優しき母、アビーは介護福祉士として休みなく働く日々。
長男セブは反抗期とも重なり、色々な問題を起こし、只でさえ多忙なリッキーとアビーは疲弊していく。(セブ、お前高校生ならば、家庭の事情を察しろよ!と鑑賞中、心の中で厳しくお説教。)
小学生の可愛い女の子ライザは家族中が悪化していく中、一人心を痛める。(で、ある行為をしてしまう。。)
・観ていて、本当に辛い場面が続く・・・。
・ラストシーン、この家族の行く末がどうなるのかがハッキリとではないが描かれており、少し涙する。(解釈は観客に委ねられる・・。)
<イギリスの一般的労働者、社会的弱者の目線で”官僚制度の瑕疵”への怒りをエネルギーに変換し、世の不条理、矛盾に鋭く切り込む映画を作り続けるケン・ローチ監督の揺るぎない姿勢に深く敬意を表する。>
<2019年12月24日 劇場にて鑑賞>
■2022年6月28日追記
日本が誇る是枝監督が、ケン・ローチ監督を深く敬愛している事は、周知の事実である。
是枝監督が様々な家族の姿に拘り、映画を制作し続けているモチベーションになっているのが、ケン・ローチ監督であると言う事を、先日「ベイビー・ブローカー」を観て思い出した。
怒鳴る男の罪深さ
俺は家族を支えるために働いているのに、そのために時間を惜しんで働いているのに(だから、家族のことになかなか時間をかけることもできないのに)、なんで分かってくれないんだ‼️
と思ってキレてしまう男性は、日本だけではないんですね。この映画で描かれる経済的な問題(例えば格差や極端なコストダウンや効率化が構造化したことによる中間層の疲弊)はイギリスの場合、移民問題やEU離脱なども絡んで日本以上に大変な面もあると思いますが、それはさておき、とします。
私にはもっと大きな問題が目につきました。
それは〝怒鳴る男〟の罪深さ。
もちろん世の中には色々な人がいて、考え方もそれぞれ違うわけで、この父親の姿をもって、一般化するつもりはありませんが、家庭を舞台にした人間ドラマにおいて、怒鳴る男って多いと思いませんか。
『ひとよ』で殺された虐待男に限らず、日本のホームドラマや朝ドラなんかでも結構出てきます。
大きな誤解がありますが、怒鳴る、とか、キレル、という情動は決して、元々生理的・瞬間的に起こるものではありません。少なくとも、針で刺されたら痛い、という反応よりは後天的に身に付けた反応です。
自分の理解の及ばない、或いは自分の感情では受け止めきれないような相手の言い分や考え方に接した時、咄嗟にそれを拒否するために、いつの間にか身に付いた反応なのです。
学校の先生や会社の上司などでも、その人にとって未知の考えや反論をする生徒や部下に対して〝怒る〟という反応しか出来ない人。とにかくそれは許されない、と根拠なく否定することしかできない人っていませんか?
冷静で利害関係が絡まない人なら、あ、この人とは話ができないな、と諦めるだけで済むかもしれませんが、生徒や部下、子どもという弱い立場の人にとっては最悪です。これからも続くのか、という恐怖と絶望感に苛まれます。
怒鳴ることしかできない人は自分の情感の多様性を広げる可能性を、自分を守るシールド作りに追われているうちに自ら閉ざしているのです。
【怒鳴るな!というのは分かった、じゃあどうしたらいいの?ということについて書いてなかったので追記します】
もちろん対処法的に行うこととしての正解なんてありません。
ただ、どうしてそんなことになってしまったのか、を一緒に考えることしかできないと思います。怒鳴るのではなく、ただ話を聞いて一緒に考える姿勢を見せるのです。それですぐに息子が素直に語り始めたり、急に態度を改めたり、なんてことはないでしょう。
それでも、この親たちは想像力を働かせて、自分のことを分かろうとしている、という姿勢が伝わればそれだけで十分だと思います。その姿勢が伝われば今度は、息子自身も想像力を働かせるようになります。
今は気まずいけれど、次に親に話しかける時なんて言おうか、と考え始めれば、親たちの働いている状況や苦労している姿も見えてくるし、自分を取り囲む環境や人との繋がりなどが朧げながらも浮かぶようになります。そういうことに想像力が働くようになることが、人の成長であり、優しさに繋がるのだと私は思っています。
(追記分、ここまで)
この映画では幸いなことに、聖母のような妻(被介護者への接し方までルールを作るほど自己制御ができる素晴らしい人)のおかげで、なんとかあの父親も気付き変わることができそうなので、一見おやっと感じるラストですが、父親の成長に向けての苦しみ、それはすなわち希望の見える終わり方だと、私は思いました。
綱渡り
FC契約でエリア配送を行う宅配会社で働き始めた父親と、民間の訪問介護をしている母親が家族の為、家庭の為にと働く中で、家族で過ごす時間が減り、掛け違いに至っていく話。
高校生の息子と小学生の娘を持つ共働き夫婦。
金融危機に際し家を手放し借金生活。
1000ポンドが捻出出来ずに車を売る始末。
父親も母親もマジメに働いているが…。
日本ではそれ程多くはないかも知れないが、どこの国にもどこの家庭でもあり得ることを題材にした負の連鎖のストーリーで非常に重いし、一歩間違えたら自分だってと身につまされる。
甘えといえば甘えだけど、息子のそれも娘のそれも寂しさによるところはあるわけだし、家族みんなで出掛けると言った息子の提案をみるに、息子も救いの芽はあるし。
もう高校生の長男が家庭の事情を少し覗き、これで変わってくれれば良いが、兆しの様にもみえるし、まだ何も始まっていないようにもみえるし、もう一声欲しかったかな。
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