「これはわたしたちのいまの姿」家族を想うとき りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
これはわたしたちのいまの姿
前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』で監督引退を表明していたケン・ローチ監督だが、昨今の労働者階級の社会的立場に憤りを感じての新作です。
英国ニューカッスルで暮らすリッキー(クリス・ヒッチェン)。
介護福祉士の妻アビー(デビー・ハニーウッド)、16歳の息子セブ(リス・ストーン)、12歳の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)の4人暮らし。
10年前の金融危機で働いていた建設会社が倒産した後、職業を転々とするも暮らしは良くならない。
一念発起して個人事業主の宅配ドライヴァーとしてフランチャイズ契約するが、配送に使用する白いバンは妻が訪問介護で使用している自動車を売って購入、1日14時間の労働と過酷な状況がつづく・・・
といったところから始まる物語。
はじめに断っておくが、ここ数作のケン・ローチ監督作品では、厳しい環境の中で暮らす市井の人々にも映画の最後にはささやかな希望のようなものが描かれることが多かったが、本作ではそんなことはない。
働けど働けどわが暮らし楽にならず・・・というのがどこまでも続く。
ただし、家族の絆は映画が始まるときから比べると強くなっているが。
この最後まで明るい希望がみえない物語は、現在、ローチ監督が実感していることだろう。
初期~中期の作品では、このような救いのない、厳しい映画を撮っていたので、本家帰りともいえる。
映画的には、息子のエピソードが余計な印象。
反抗期であるとしても、家庭の状況を悪化させる方向にしか進まないような行動をとる姿は、観ていてイライラしました。
ま、セブのような若者にも未来が見えない閉塞感があって、自暴自棄になっているとも受け取れるのですが。
原題の「SORRY WE MISSED YOU」とは、宅配の不在通知票の定型句(知らなかった!)。
ですが、リッキーが妻に宛てた短いメッセージを書くのにこの用紙が使われ、言葉どおりに「あなたたちがいなくて、寂しく、恋しく思います」という意味に変化する映画の終盤は見事。
しかし、そのように想いながら、傷ついた身体のまま白いバンのハンドルを握らざるをえないリッキー・・・
その姿は、英国の市井のひとびとのみならず、我が国の多くのひとびとの姿に通じるでしょう。
そう、これはわたしたちのいまの姿なのです。