マティアス&マキシムのレビュー・感想・評価
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ホモソーシャルな関係の中の繊細さを、カナダの今とともに描いた意欲作
賛否両論で注目を集めた「たかが世界の終わり」「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」を撮り終えたドランが、友人たちと作ったリラックス感に溢れる青春ドラマ。「キスをしたら関係は変わるのか」をテーマに、それを男性同士に設定して描いた意欲作。地元のいつものメンバーによるパーティの騒々しさと、一方では各キャラクターが直面している外見、人種、階級などの差別や、複雑な家族や仕事などのリアルが描かれる。移民の国、フェミニズムの国で知られるカナダのケベック州が舞台だが、しばしば若い世代に向けられる「英語を使うな」という主張は、カナダ伝統のフランス語を使う人々=フランコフォンの矜持とこだわりが感じられて興味深い。LGBTをことさら意識させずに、男性同士の関係性の変化をスリリングかつ温かく描くドランの腕前に舌を巻きつつ、「ダークナイト」のベインの物まねをさりげなく挟むマニア向けの遊びにも感心させられた。
何もかも違う二人の長い初恋
序盤こそ「フランス映画か?」って感じてしまったが(言語は別にして印象がフランス映画っぽいと感じた)、徐々に登場人物たちの現実的な輪郭を捉えることができる。
格差ある2人の無自覚な恋
無遠慮なようで踏み込みすぎない男の友情
そういう言語化しにくい部分の表現に筋が通っていて等身大さを感じる。
無自覚かに思われたマティアスは実はずっと自分のマキシムへの恋に自覚があり、7歳の頃から現在に至るまで、彼のオーストラリア行きを妨害するほどに欲を持っていたことが分かる。
2人きりの納屋でキスをするシーンでもラインを突破するのは毎回マティアスから。
農場を2人で経営するっていうのは割とよく見かけるキーワードなんだけど、これって同性愛のテンプレートみたいなものなのだろうか?
本作では過剰に修飾された同性愛表現はなく、監督がゲイであるからこその目線で描かれた在り方であり、ようやくこの表現が出てきたか、という感じ。
もう少し知識が必要だなと感じたのは以下の2点。
・マティアスの婚約の扱い
・カナダ、ケベック州の知識
(私のケベックの知識は公用語フランス語であり、少し前に独立がギリギリ阻止されたことがあるのを知ってるくらい…)
???な展開
監督が自ら出演する作品は、両刃の刃!
他の人では表現できない部分も絶妙に演じうまくいく場合と破滅的な駄作になる場合とで別れる。
これは前者!
監督自身の体験や想いが、目の動き・仕草・言葉の使い方等、細かいところにまでこの作品に表現されていていい作品だと思った。
マティアスの揺れ動く葛藤も見事に表現していると思う。
体の関係(快楽)だけを求めてゲイ行為に走る人はいるらしい。
でも相手のことを、愛しいと思い堪らずに禁断のディープキスをしてしまうという状況は、その範疇を超えている。
それがたとえもうすぐ会えなくなるという差し迫った状況下であったにしても。更には自分がもう少しで結婚してしまうという状況下であったにしても。
果たして男性と女性を両方同時に心から好きになるということが本当にあるのだろうか。
もちろん、色々なカテゴリーの同性愛者はいるだろうし、それは男女間でも言えることだろう。
ただ、好きになった人を振り返ってみると、少なからず傾向があると、拙い自身の経験からは言える。
好きなタイプの顔・体型・性格というのは全てではないにしても一貫している気がしてならない。
弁護士の卵のマティアスの性格は、昔も今もかなり問題アリ。しかも忘れっぽい。弁護士として成功するのか、信頼を得ることはできるのか?
私自身に何か問題が起きた時に、彼のような弁護士に担当してもらいたいとは思わないだろう。
主人公たちは、だいたい30歳という設定だが、そこに大きな無理があったと思う。
揺れ動く思春期、せめて20代前半の設定ならまだわかるけれど、高校時代から12年もの時が流れているのに………
マキシムは、ゲイかどうかもわからない人を、婚約までしている人を、一人だけをずっと思い続けていたというのか。
マティアスが渡さなかった推薦状
出発当日に玄関前に現れたマティアス
顔のあざのことをみんなの前で呟いてしまうマティアス
自分の婚約者が、女性ではなく男性に思いを寄せている事実を受け止めるだけでなく、応援さえしようとしている彼女
自分のお金を確保するために優しく息子に接する偽善者の母親。そしてその豹変ぶり
顧客として登場する男性もかなりやばいナルシスト。
???が多すぎる!
自分が経験・体験したことのない人達、そしてその言動に思考が停止してしまう。
結末は観た人にお任せのスタイルは、好きではないので星も1個減らした。
34歳で惜しまれながら監督業から身を引いたドランさんの他の作品を観てみたいと、この映画の余韻に浸りながら……
複雑な感情をうまく描いた作品
ひょんな事から映画の撮影でキスをすることになった幼なじみの2人。それをきっかけに2人の感情が揺れ動く訳だけど、キスの後しばらく2人の接点がなく、お互いそれぞれの生活が描かれていく。ずいぶん接点がないまま物語は進行し、マキシムのお別れパーティーでようやく2人が一緒になる場面に。しばらく2人が離れていた(そしてその間お互い想いを募らせていた)だけに、ここで2人がどういう行動に出るのか見ているこっちはドキドキ。で、遂に2人は燃え上がる感情を抑えきれずに...このドキドキの展開は、やはり中盤あえて個々の描写を中心に描いていたからこそ盛り上がるんだと思う。
ドラン監督の作品は、キラキラの世界とは対照的な日常の泥臭さだったり人間のどうしようもなさだったり、退廃的な部分を直球で描いているからウソがないし、だからこそ映画に引き込まれるんだと思う。あとやっぱり音楽がいい。
誰かと語りたくなる映画
見つめ合うだけで全てを語る説得力。
大元のストーリーは二人のもどかしい恋愛ストーリーかもしれないが
二人の関係性よりも、30歳↑の独立した2人の生活に重点を置いたストーリーになってるので、ストーリーにより深みを増している。
切欠になったキスシーン以降、二人の絡みはとても少ない。
ラブストーリーとしては異例の少なさ。
30歳にもなれば、その人生において一時の感情で失くせないものも増えていく。
それを言葉ではなくズシリと語りかけるエピソードの数々。
側にいなくてもそこに在る存在感。
そして、雨の日のラブシーンのなんと美しいこと…
エンドロールには驚いたが(笑) えっここで?
すべてご想像におまかせします。ってのも
ハッキリとした"正解"という台詞が極端に少ない、この映画らしいと思った。
とても大好きな映画です。
いくじなしと純粋さの相関
よくできた映画でした。久々にドラン監督のユーモアを見ました。いろんなエッセンスが凝縮されていてお腹いっぱいです。
・人の弱さ(いくじなしと純粋さの相関)
・友情(愛情)
・ユーモア(言葉遊び)
・語法(映像とカット割り)
・想像で補わせること(シーンの省略)
・家族の葛藤(母親と食べ物にフォーカス)
・モラトリアム(ぼんぼん)
・諷刺(色んな意味で現代を嗤ってる)
・細部へのこだわり(大胆に省略するくせに)
...
監督が、映画に登場するあのガチャガチャした年代(アラサー)だと思うと凄い完成度ですね。
大人の恋
結構な頻度で目を押さえるシーンの数々に油断も隙もなくラブ・ストーリーは突然に。序盤はそればっかりに気を取られるけど、淡い人間模様として物語が成立している構成が巧妙で。きっかけがこんなにも2人を悩ませるとは。シネコンでも上映していたことの意義。そのメッセージ性にうぉっと。
消せないあざ・・・みたいな恋心
2019年(カナダ)
グザヴィエ・ドラン監督が自作への『トム・アット・ザ・ホーム』以来、
6年ぶりの主演作。
舞台はカナダのケベック。
マックスとマット(マティアス)は30歳の幼なじみ。
いっそ仲間とつるんで遊んでいる。母親たちも巻き込んで仲がいい。
エリートサラリーマンのマット。
バーで働いてるマックスは仲間の母親に言わせると《悲惨な人生》だとか。
母親が薬物依存症で、成人後見人が必要なのだ。
介護やサポートの必要な母親を置いて、マックスはオーストラリアに働きに行くつもりだ。
そんなある日、友人の妹の大学の課題の映画に無理やり出演させられたマックスとマット。2人は男同士のディープキス・シーンを演じることとなる。
このひとつの事件がマットを劇的に変化させる。
別荘の敷地伝いの湖に泳ぎに行ったマットは帰り道を迷って、とんでもなく遠くまで
行ってしまったり、ほとんど自分を失ってしまう。
なぜならマットには美しいフィアンセがいる身なのだ。
(この辺のマットの気持ち・・・たった一度のキス(高校の時に一度キスした過去があり、)で、そこまで動揺する気持ちが私にはわかりにくい)
マットの動揺を激しいピアノ曲が盛り上げて、いつもながらBGMが絶妙なのだ。
男の子と男の子の《初恋から15年後》みたいなビタースウィートさ!!
グザヴィエ・ドランが幼く見える。
(世界的な人気の監督さんの片鱗も見えない)
マットの動揺は、昇進を受け入れない態度、
フィアンセが命じる買い物や用事や結婚にまつわる準備にも、
きっと不安と戸惑いが隠せないのだ。
演出の手ぶれカメラの多用や、仲間たちのゲームシーンを早送りする手法。
俺たちはまだ大人社会に組み込まれないぞ!!
自由でいたいんだ!!
そう表明しているように見える。
一見、良さげなラストにも、なんの将来の展望も描けないけれど、
もう少し時間を、マティアスとマキシムにあげよう。
監督の全作品を観てる私には「大人になれや!!」と、物足りなさの残る映画だった。
友情の中の2人
ドランらしい同性愛の話。
同性愛と言うか、お互いコイツじゃなきゃと言う話
だった。
ずっと友だちだった同性に、
映画の撮影でキスをしたきっかけで気持ちに気付く
と言うフックはわかりやすくキャッチーで良かったのに
そこからダラダラ進展もなく
お互いの環境に話が行ってしまって、
もう少し深く入り込んで欲しかったと言うか
二人の関係性を描いてほしかったけど、
ドランが分かりやすいエンタテイメントした作品を
撮るわけもなく、ドランらしい作品だなと
思いました。
前半の鬱憤を晴らすようなキスシーンとか、
気付いてしまった感情をイライラでしか表現出来ない
マティアスとか、
フランクとのケンカシーンからの仲直りとか
良いシーンもあっただけに残念だなぁと
思いました。
フランクがとても良いキャラでした。
おしゃれ
友人達といる時が本当に楽しそうに見える
2人の気持ちを皆薄々気付いてるんだろう(彼女も含めて)
本人達は撮影でのキスで自覚したのかと思ってたけど最後の推薦状?を内緒で渡していなかった所からずっと気付いていたのかな?って思う演出なかなか好きでした。音楽も映像もおしゃれ。フランス映画はおしゃれなのが多いのかな…?
多くは語らない。けど映像から伝わる雰囲気がすごく好きです。
友情か愛か
冒頭は罰ゲームでキスをさせられただけの幼馴染の悪友2人。
しかし次第に彼らが置かれた格差を浮き彫りにしながら映画は進む。一流企業に勤め、婚約者もいるマティアスとバーテンで精神疾患を抱えた母を持つ母子家庭のマキシム。
視聴者の想いがマキシムへの同情に傾斜する一方で、真に彼と彼の未来を応援すべきマティアスの態度は冷たい。
ラストへ進むにつれ、友情を保てないほどの屈折した思いが彼の中で膨れ上がっていく。
グザヴィエ・ドランの映画は多くを語りません。しかし、窓・色・登場人物の名前・ライトの点滅など、感性豊かな演出で実に明快なメッセージを視聴者に伝え、説明的な解説を脚本から取り払い、リアリティを維持したままストーリーを展開しています。
ジョン・F・ドノヴァンの生と死は、そのリアリティの部分が欠けてしまったように感じていましたが、本作ではしっかりと復活していたようで安心しました。
I miss you .
今年ももうすぐ終わる。
春になればそこは新しい旅立ちと、
そして別れの季節だ。
男の子ふたりが しょうもない罰ゲームからキスを無理強いされて、
でもあれしきのことでマティアスはゲイの心に火が灯るものかなと。
この冒頭。あまりに唐突で説明不足な、なんとも製作者の独りよがりな物語のスタートだと思ったのだけれど、
マキシムの出発の日に向けて、スクリーンは日を追いながらゆっくりと彼ら友人たちの生い立ちやその親たちの暮らしを見せてくれて、
さようならまでの切ない時間が、ここまで繊細に、ナイーブに描き出されることに僕もだんだんと胸が一杯になってしまった。
[ I miss you ]というフレーズが途中から思い浮かび、ずっとその文字がこのまぶたに重なり映って、マティアスの表情から目が離せなくなる。
[ I miss you ]
直訳すれば「あなたが足りない」。
ニュアンスは難しいが、それは
会いたい、恋しい、寂しい、ここにいて欲しい
・・の、ない交ぜ。惜別の感情だ。
いや、直訳のほうが本意に近い。
スーツケースのジッパーを引き、忘れ物はないかと考え、
「Mの農場」のクレヨン画に落涙するところなんて、これこそが引っ越しのクライマックスだよね。
それで「マティアスとマキシム」のここ数日の不自然さのすべてが、ようやくさかのぼって解き明かされるんだ。
ドラン。
いいなぁと改めて思った。
・・・・・・・・・・・・
キャンディーズ の「微笑がえし」も引っ越しの荷造りを絶妙に歌っていて、大好きな曲です。
作詞:阿木燿子
春一番が掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を踊らせてます
机 本箱 運び出された荷物のあとは
畳の色がそこだけ若いわ
お引っ越しのお祝い返しも
済まないうちに またですね
罠にかかったうさぎみたい
いやだわ あなた すすだらけ
おかしくって涙が出そう
1(ワン)2(ツー)3(スリー)あの三叉路で
1(ワン)2(ツー)3(スリー)軽く手を振り
私達 お別れなんですよ
タンスの陰で心細げに 迷い子になった
ハートのエースが 出てきましたよ
おかしなものね 忘れた頃に見つかるなんて
まるで青春の想い出そのもの
(略)
私達 歩いて行くんですね
歩いて行くんですね
.
そうだったのか…
オーストラリアに行かせたくなかったから推薦状を渡さなかったのか。となると、時間軸が定かでないが、自主映画でキスする前から、ずっと好きだったんだろう。そこから我慢できなくなってきてという感じ。男性同士の激しいキスシーンもあるけど、互いを想う気持ちが一気に噴き出したシーンだった。音楽が良かった。
友情と愛情と!
グザヴエドランらしい映画。お互い彼女はいるけれど、幼い頃からの変わらぬ友情とそれ以上の気持ちを友達の妹の制作する映画の出演をキッカケに再確認してしまう。どうやら高校生の頃キスをしていたのを仲間に見られていたようで、その頃からお互いに気持ちがあったようだが、マキシムの旅立ちを前に再び燃え上がった。
マティアスがマキシムに頼まれていた父親の紹介状を何故渡していなかったのか?オーストラリアにいかせたくなかったのか?向こうで上手くいかず、諦めて帰ってくることを願ったのか?マティアスの心の内が描かれていてほしかった。
青春の一コマ。ドランのトラウマだろうか。 ドランの痣は衝撃的だった...
青春の一コマ。ドランのトラウマだろうか。
ドランの痣は衝撃的だった。
「痣野郎」と言ってしまう攻撃性。二人の抱擁に至るシーンは切ない。抱擁の場所、雨。
じれったい、私小説的なベタな物語だけど、叙情的。
ドランを見てるだけで切ない。
母親役がよかった。
うわー好きだーーっ!
この気持ちは一体何。
切ない。
この胸の締め付けは何。
切ない。
見た目は大人、中身は子どもみたいな…
大人だか子どもだか分かんない中間の人間みたいな男の子たちがわちゃわちゃしててずっと何かが始まる予感はしてたんだけど…
人の気持ちが理解できるって、人間として立派だとおもう。
君たちの未来は輝いているぞ!
がんばれ!
マティアスをどう見たいか。
【あらすじ】
フランス。秋のある日を馴染みの友人たちと過ごす休日。知的で有望な勤め人(弁護士?)であるマティアスと、精神を病んだ母親に苦心し、自身はこれからオーストラリアでの新しい人生を始めようとするマキシムは、友人の妹が自主制作する映画に出演することになる。しかしその内容は、男同士のキスシーンだった。内容に動揺する二人。その一件から胸のそこにある感情から目を反らせなくなっていくが、マキシムの出発の日は近づいてくる。日を追うごとにマティアスのマキシムへの想いは、日常生活や、それまで付き合っていた友人たちへの接し方にも影響が現れ、ついには心無い言葉で彼本人をも傷つけてしまう。しかしその勢いのせいか、二人はお互いの欲望をぶつけ合い、お互いの感情が通じていることを確かめあうが、冷静さを取り戻したマティアスがその場を去る。
マキシムの新天地での仕事のあてはまだない。弁護士であるマティウスの父親の推薦状をもつことで、身持ちの硬さを証明する心算でいた彼であるが、その推薦状はマティアスから一向に渡されない。いよいよ出発というタイミングで直接マティアスの父に電話をすると、代理人から帰ってきた答えは「すでにマティアスに送っている」というものだった。その言葉を聞いて涙するマキシム。スーツケースを持ちドアを開けると、そこに待っていたのはマティアスの姿だった。
【感想】
意図せず同性愛を取り上げた映画が続きました。
この映画は友人と視聴したので、鑑賞後から感想を言い合えたのでそこのあたりも含めてここに書こうと思います。全体を通して、考えてみるとそれも伏線か?みたいなものが多い映画の様な気がします。それと、これは個人的な好みですが、こういった映画の場合、ちょっと映像が汚いくらいのほうが人物の心理描写に集中できるような気がしています。湖で泳ぐ彷徨えるマティアス、綺麗な音楽とともに流れている映像がきっと何か示唆的なものがあるのだと感じさせるのですが、ぬらぬらと動く水と腕の動きに気を取られ、どこか滑稽な印象でした。前半は他にもそう言った細かいところに疑問が浮かびましたが、後半にかけては入り込めた様な気がします。ストーリーがいくつか読める物語かもしれません。それはすごく面白いことですね。
○ラスト、マキシムの涙の意味?
まず、最後のマキシムの涙の意味について。これはかなりこの映画全体の印象を左右するところだと思いますが、僕がはじめに受けた印象は悲しみの涙でした。一度は気持ちが通じたと感じたはずのマティアスですが、金曜日のフライトを日曜にずらして一緒に週末を過ごすという提案は、おそらく実現されていません。その時にマキシムがしたかったのは気持ちを「確かめる」ということだと言っています。それが出来ずに終わった出来事は、これはお互いにですが、拒否と捉えられるものではないでしょうか。それから出発まで疎遠になったマティアスとの関係を考えると、3週間前に渡してあった推薦状を渡さなかったマティアスの行動は、マキシムとの関係を断ち切ろうとする意思と読めるのではないかと思ったのです。推薦状を渡さなかったからと言って、マキシムの出発がなしになるわけでもなし、初めはキスのことがあり距離を置いていただけだったのが、それが愛情であると気づいたころには、すでに婚約者もいるマティアスの中には大事にしたい生活がありすぎて、その状況から「推薦状を渡す」という優しさを彼に見せることが、彼自身怖かったのだと思うのです。距離を置かれていたことを察したマキシムが見せたのが、あの涙ではないかと思いました。
けれど。一緒に鑑賞した友人は、喜びの涙と感じたようです。というのは、推薦状を渡さないことが、彼をフランスにとどまらせることができる方法ではないかと考えていた、あるいは行かせたくないから、推薦状が渡せないでいたというものです。推薦状がないからと言って出発をなしにするとは思えないので、そこは分からないのですが、行かせたくないから、という理由はシンプルですが説得力はあるように思います。やらなくちゃいけないと分かっていても、それが出来ない時があるのが人間なのだと思いますが、それが彼の様な真面目で理性的に描かれた人間がとった感情的な行動だと思うと、またそれがマティアスという人間性の魅力を増すような気がします。マキシムは、マティアスが見せたそのある意味での幼さに、愛情を感じたということでしょうか。
マティアスという人間をどうみたいか、というところに関わってくる様な気がします。もっと大きく言うと、どんなジャンルの映画が好きかにも左右されるのかもしれません。「無常」みたいなものが好きだと、僕の様な見方になるのかもしれないですね…。
なので、最後にマティアスが登場する時のマキシムの感情は、いずれにしてもハッピーなものだとは思いますが、照れ臭そうに立つマティアスの気持ちは、果たしてどんなものでしょうか。
○会話のリアリティ
この映画で印象的なのは、談笑のシーンではないでしょうか。冒頭からの男性数名のいかにも若者ノリの談笑。マダムたちの談笑。同じメンバーですが、パーティの夜のゲームをする若者たち。時にはあまりにもノリがすごすぎて、やや誇張された明るさがあるような瞬間を感じてしまいましたが、会話のテンポ、接続詞などに少し英語を混ぜて話す感じ(これも現地の若者風なのかな?とか考えました)には説得力があったと思います。映画全体がそうですが、語弊のある表現を恐れずに言うと、ときおり自主制作風?のチープなカメラワークを感じる時がありました。しかしそこがまたその場の空気感を再現してくれてるような気がします。
抗えないほどの好きを体験してみたい。
マティアスとマキシムと、お友達が楽しんでいた言葉のゲーム?は全然よくわからなかった。
グッドウィルハンティングの小ネタがちょろっとあった。
マティアスとエリカの兄の家はなんか裕福そうだけど、マキシムは違う。過去は裕福だったのかもしれないけどそこまでは読み取れず。
マキシムは家族を顧みない弟がいて、多分ジャンキーの母がいて、母に貶されて育ってる。
マティアスは妻か婚約者がいて、弁護士らしい。
マティアスとマキシムの間に生じたような好きを、わたしも体験してみたいと思った。
大変だろうけどね。
マキシムが母に作ってた料理でキッコーマンの醤油を使ってて、おぉ醤油ってグローバル調味料なんやなぁと思った。
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