パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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良質なコメディかと思いきや…
ほとんど前情報なしで観に行って、最初はのコメディかと思いきや、、、後半からの急転直下…とてつもない展開が用意されている。前半のコメディ部分も非常に面白くて、時より客席から笑いが起こっていた。前半のフリがしっかり効いてるだけに、後半の怒涛の展開に息を呑んだ。しっかり社会風刺(韓国の実情がわからないからそうでもないのかもしれないが…)織り込まれているように感じた。
邦画も頑張れ!!!!
見終わった後にポスターを見ると…なるほど…
期待しすぎ?
全く情報なし、ポンジュノが好きなだけで鑑賞。
とてつもなく期待し過ぎていたという感想です。
映画途中までは貧困家族のただついていないだけの
天才一家(兄妹)感はすごく爽快感もあり
痛快に見てられたが、キャンプ、大雨という
フラグ立ちまくりの状況で
馬鹿になれちゃうキャラ設定で心が離れていってしまった。
あの登場人物たちは、決してバカではないはずなのに
あんな失態はあり得ない。
そして、そこから一気に物語が加速する。
ただただ、あの馬鹿騒ぎが装置の様にしか見えず
冷めた気持ちは最後まで引きずってしまった。
絶賛には値しない
ゴジラモンスターズとか、そういう
登場人物バカ映画と全くの同類。
楽しい事は楽しい。
いい映画でもある。
でも、本当に乗り切れなかった。悔しい。
面白かったけどちょっとだけ長い
一応のクライマックス、パーティでの無差別殺人で、臭いを嫌った雇主を殺す父親は、何故そこまでの狂気にたかぶりを感じたのか、イマイチピンと来なかった。
前家政婦の夫と自分の姿が重なったのかなとは思ったけど、大富豪に上から目線で見下されるのって殺したい程怒る事なのかな?
伏線はありました。テーブル下であいつ臭いんだよと本音を聞いてしまったり、家が浸水し大変な状態でパーティに呼び出され、これは仕事の一環だからと無理やりインディアンごっこをさせられる事になったり。でも、割とうまいことやってたお父さん、なんでそのタイミングで刺した??というビックリ感をはじめに感じてしまった。そもそもアンタ達の方が詐欺師だし良い寄生先だと思ってたはずなんだけど、そんな怒る?身バレ気味な展開があったからそれでいてまえー!ってなったのかな?その位しか思い付かない。
その後の逃走と潜伏、息子による発見と救出計画の夢想の展開から、最後にそれが計画であることを示す事で決して実現しないであろうことを示唆しているのかなと受け止めたけど、正直この辺りの話しは無くてもよかった気がした。
才能はあるがコネもカネもない人達の詐欺的反逆劇?とでも言うんですかね、就職もままならない世の中への警告も含まれる監督からの韓国社会へのメッセージ的な作品なのかな。富豪の家に入り込むまでの展開は面白く、コメディタッチな演出も好意的に見ることが出来た。その後はスリラー&サスペンス要素が強くなると共に計画にボロが出て最後は長女死ぬしお父さん雇主殺しちゃうしなんだかなぁっていう展開でした。
ユートピアの住人として描かれたからか、金持ち馬鹿すぎだし、もうちょっと骨がある相手だとよかった。
あと金持ちの子供達。なんかキャラ付け割としっかりしたのに活躍しなかった気がします。頭割られたお兄ちゃんをおぶって逃げる長女が唯一の活躍だった気がする。まあ、この長女、お兄ちゃんにベタついてたけど前任者にも同じ事してんだろと金持ちの遊び的なやつかなと思いきや、おぶって逃げる辺り意外と本気だったんだなと
不思議な演出に感じた。
ストーリー展開的にはどんでん返しというかビックリ展開が多く割と飽きずにみられる映画でした。
【”半地下の匂い” 格差をテーマにしながらコメディ、サスペンス、ヒューマン要素を絶妙にブレンドした秀逸な社会派エンタメ作品。ポン・ジュノ監督、どれだけの才能を秘めているのだろうか。】
韓国では、北朝鮮の攻撃に備えて”半地下”が多いのは、知っていた。
が、そこから今作の洗練されたアイディアを出し、見事な作品に仕上げたポン・ジュノ監督には、脱帽である。
ジメジメ感が画面からも漂ってくる”半地下”に住む、キム一家。家長はギテク(ソン・ガンホ)だが、妻チャンスク(チャン・ヘジン)には頭も腕力も負けている。
長男ギウ(チェ・ウシク)長女ギジョン(パク・ソダム)も愛想は無いが、家族4人で内職しながら仲良く暮らしている。
が、ギウがパク社長一家の娘の家庭教師を引き受けるところから、キム一家の驚異的な知力、体力を駆使した、パク社長一家への寄生が始まる・・。
[今作の印象的な、暗喩、隠喩に富んだ映像、台詞の数々]
・半地下と地上の優雅な豪邸とのギャップ。
・シンプルで覚束ない”イングリッシュ”の台詞への入れ方・・。(絶妙)
・豪邸の大きな窓から映し出される、全面芝生の庭の風景。晴であったり、豪雨であったり・・。
・北朝鮮のあの大仰な女性アナウンサーをまねる妻チャンスクの姿。私の脳内”爆笑”であるが、大丈夫か? ”親北ギャグ”って・・。
・半地下で暮らす、ギテクの”金持ちなのにいい人たちだ・・”妻チャンスクの返す言葉の”金持ちだから、いい人なのよ・・”
・ボーイスカウトで覚えたモールス信号・・。点滅する階段の照明・・。
・”計画”と”無計画”について話すギテクと、前半、後半の物語の構成。
始まって直ぐに映画に一気に引き込まれるが、後半の更に予想を遥かに超えていく展開と可笑しみのあるスリリングなシーンの数々・・。
・息子の誕生日パーティの華やかさからの驚くべき展開・・・。
もう、圧倒的である。感服である、ポン・ジュノ監督・・。
<ラストの、長男ギウ(チェ・ウシク)の未來への決意にも聞こえた台詞と、暗闇から浮かび上がる”幻のような”映像は暫く忘れられそうにない・・。>
<2020年1月10日 劇場にて鑑賞>
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ー2020年1月30日 追記ー
今作鑑賞後、公開館がどんどん”増殖”しているようで、(実に喜ばしい)
地元のシネコンの大スクリーンで鑑賞する。
”前半の台詞の後半での回収の仕方”と
この映画の大きな魅力であると思われる、幾何学的な構図の美しさ(背景の二階からの階段を下りてくる人物と手前の広大なリビング、庭のショットなど・・)
と、それに合わせた音楽とのシンクロ度合を再び観たく、レイトショーにて鑑賞。
矢張り、ハイレベルな作品は再鑑賞に耐えうるどころか、更に面白みを増す事を確認して、大満足で帰宅した。
<2020年1月29日 劇場にて再鑑賞>
山水景石
貼付いてくるその凶器は、自分の死を暗示しているかのような啓示だったのだろう。「責任を取る」という台詞に、伏線回収が成されているのは韓国映画としての矜持か、それとも『カンヌ』流の作家性の“臭い”の攪拌なのか・・・。それ以外は、とにかく“オトボケ”色満載の作品である。その煙に巻く展開は、観客の好みがハッキリと分断される問題作でもある。かなりの寓話性が伴うプロットなので、このフィクションを如何にリアリティに映像化できるかに監督の力量が試されるのであろうが、ポン・ジュノ監督、または俳優達のレベルの高さが“問題作”としての引き上げをたらしめたと強く感じた。
但し、後半の唐突な展開による第二幕の畳み方が、少々拙速気味なのが感じられてしまったのが寂しい。勿論、スリルとサスペンス感は充分演出されているのは体験できたが、クライマックスの激しさと、その顛末及び、ラストの兄貴の妄想?シークエンスを見せつけての現在時間に引き戻すオチは、“計画”と“無計画”というテーマ性故とはいえ、一筋縄ではいかない観客への忖度ゼロ度の宣言をぶつけられたようで、そこに何処まで監督の意図を汲み取ることが出来るか、リテラシー力のリトマス試験紙的作品なのかも知れない。文学性、作家性のみで構築されている今作に於いて、単純に経済格差、貧富の問題を引合いに出すのは簡単である。実は別の“地底人”が住んでいたなんていうオカルト色も驚愕した。唯、その大掛かりな仕掛けをしなければいけない程の訴えが、前述した“格差社会“へのアンチテーゼ、そしてルサンチマンへと結びつけるだけだとしたら疑問であり、もっとそれ以外の何かを”隠しテーマ“として訴えている筈である。それがどのようなものであるのか、頭脳が覚束ない自分では解明できる訳もなく、解釈の難しい今作の真意を、その都度考え続ける事になるであろう。それこそが狙いなのかも知れないのに…。
死んだ人、生き残った人、それぞれの境目にヒントが隠されていると睨んでいるのだが、ハテサテ…韓国の大学入試並の難易ということだけはハッキリ理解出来た。
PS.何故だか、翌日からずっと今作品の事ばかり気になり出し始める。何故、妹のみが犠牲になったのか、何故あの洪水の翌日も又、性懲りもなく金持ちの家に仕えたのか、兄がモールス信号を偶然発見した時期には、もう警察は尾行していなかったのか、そして最後の演出である、金持ちになって父親を救出するあの荘厳な場面を所謂”妄想オチ”としたのか、緻密で複雑且つ数多の伏線回収の施しにより、観た直後よりもこうして数日経った時に不意に脳裏をかすめてしまう今作品の底力に改めて驚愕するので、点数を上方修正することとする。
PS2.芥川龍之介著『蜘蛛の糸』を思い出して、今作のモヤモヤ感の一端は解消されたように思えた。今作の割り切れない最大のキモは、正に”弱者同士の醜い争い”に尽きる。この問題に”芯を喰った”概念の映像化が、今迄のどの映画作品よりもより鮮明且つ押し出しの強大さによって観客に揺さぶりを掛けているのであろう。本来ならば弱い者同士、連帯するのが清々しい。しかし現実は、圧倒的に覆すことが不可能である経済格差によって、人権そのものが停まる寸前のコマのように芯がブレてしまっている現代である。そして生存競争の対象は”施しを受ける神”ではなく、隣にいる同じ弱者なのだ。そのさもしさは、人間の本質として蓋をしてしまっておきたい”恥”なのである。パンドラの箱を開けた今作のアカデミー作品賞受賞を祈らざるにはいられない。
面白いというには複雑すぎる
あーどうしてこの監督はコメディをとってくれないのかな、と思うほどコメディ的な面白さもいっぱい。でも貧富の差というほど単純ではない抜け出ることのできない泥沼の世界と、こちらも決まりきった豊かな生活の人々の心の動きがうまく描かれていて、かなり苦しい。
考えてみれば、最もお金のある人の家に住み込みで働くのは最もお金に不自由している人たちとも言えて、私などは普段決して垣間見ることのない二つの極端な世界が接点を持っていることに人生の憐れがある。
3つの家族、は共に少しの思いやりと をもっていればこの惨事はなかったところがなんとも皮肉。軽蔑しているものに興奮を覚える下卑た人間、匂いへの嫌悪感、ずる賢さには頭は回っても大きな図の書けない矮小な人間、外国かぶれ、誰もが少しは思い当たる人間のちょっとした嫌さがほんとに上手に描かれていて、物凄く複雑。
どの国も問題多い
紹介から会社社長の家庭教師へ入り込み、前に働く人たちを解雇させて家族を職へと結びつける様は面白くて、家族の頭の回転の良さに驚いた。
しかし、やはり金持ちと金のない人との差が激しく、表面的には優しくしているが、結局は見下している。
金持ちの匂いと半地下の匂いはかなり違うらしい。
最後は定番の貧乏人たちの殺し合い。
親父は腹の立つ金持ちを殺し、家政婦夫婦が暮らしていた、完全地下へもぐる。
ずっと暮らして行くことになり、半地下から本当の地下へ。
『周囲には多少なりとも匂いに気を配ろうと思った』
ご贔屓の監督最新作。前半はブラックコメディの様なテイストだが、両極化する格差と加速する金権・拝金主義、見棄てられ孤立化する核家族、経歴詐称・身元不明失踪者、大雨による自然災害等、現代が抱える社会問題が盛り込まれており、中盤以降一挙にストーリーが加速すると不穏な空気を残した儘、突如幕を閉じる。全体としては監督のキャリア初期の佳作『ほえる犬は噛まない('00)』に似た印象で、過不足感が無い反面、物語的に着地点を模索していた様な後味も残る。随所に監督独自のセンスフルでアーティスティックな画面が窺え、一筋縄ではいかない珍作と云えよう。65/100点。
・この物語のそもそものきっかけを作ったパク・ソジュンの“ミニョク”から託された盆石が重要なアイテムっぽく意味有り気に描かれていたが、何を意味する物だったのか、或いは何かの象徴だったのか今一つ判らなかった。恐らく作中内での扱われ方が中途半端に思えたからであろう。
・チャン・ヘジンの“キム・チョンスク”が元ハンマー投げのメダリストの設定だったが、“キム・キテク”役のソン・ガンホが水没する我家から大切な私物をピックアップする際、手にしてたメダルがそれであると思われる、そう云えば、ペ・ドゥナが演じた『グエムル -漢江の怪物-('06)』に登場する“パク”家の長女“ナムジュ”はアーチェリーの選手であり、矢が重要なアイテムを担っていた。
・道路以外はほぼ全てと云う大規模なオープンセットにて撮影は行われ、登場する“ナムグン・ヒョンジャ”なる建築家は架空だが、この豪邸は映画の為に一から建てられた。尚、撮影は77日間に亘り、総製作費は約130〜150億ウォン(11.8憶~13.6憶円)だと云われている。'19年6月24日に公開されたインドネシアでは、'19年7月28日の時点で、50万人以上の観客動員となり、韓国映画として過去最大となる興行収入を記録した。
・パク・ソダム演じる“キム・ギジョン”が偽造するチェ・ウシクの“キム・ギウ”の入学証明書等、大学関連の書類は監督の出身校である延世大学を基にしているらしい。亦、“キム”家が水没するシーンでは大量の泥パックを使い、水を濁らせ汚水に仕立てたと云う。
・豪邸の新しい所有者がドイツ人だとされているが、冷蔵庫に附けらているマグネットは、ベルンの旗、スイスの旗、カペル(ルツェルン)橋、ユングフラウ山名とスイスに由縁する物ばかりである。
・監督によると、本作の構想は『オクジャ/okja('17)』の準備をしていた'15年頃からあったらしいが、乗り気になれず遅れたと云う。その後、一念発起しハン・ジノンと共に約三箇月半でスクリプトを書き上げたらしい。尚、エンドクレジットで流れる「A Glass of Soju」と云うナンバーも監督の手によるもので、唄うのは“キム・ギウ”を演じたチェ・ウシクである。
・脚本を書き乍ら監督がイメージしたのは、“キム・キテク”に過去四度(『殺人の追憶('03)』、『グエムル -漢江の怪物-('06)』、『スノーピアサー('13)』、『オクジャ/okja('17)』)使ったソン・ガンホと“キム・ギウ”には同じく『オクジャ/okja』で一緒だったチェ・ウシクを最初にキャスティングしており、この二名のみ所謂“当て書”である。“パク・ヨンキョ”のチョ・ヨジョンは『情愛中毒('14)』の演技が監督のお眼鏡に叶い実現した。
・某サイトに載ってた評が本作を端的に語ってたので以下、引用──
> 或る瞬間から映画のジャンルが変わった。歴代級におもしろい映画。
> ポン・ジュノというジャンルだ。
> ホラー映画でもないのに、どうしてこんなに心臓がドキドキする?
> 不快で残忍な映画だった。
> 時間が経つ程、心苦しくなっていく。
> 家族悲喜劇の様に見えても、子供連れで見るのはお薦めしない。
> サイダーみたいにスッキリ爽快なのを期待してたけど、焼酎を三杯注がれた気分だった。一杯目は楽しく、二杯目はめまいがして、三杯目はとっても苦いネ。
> 映画と云っても、私には殆どドキュメンタリーに思えた。この映画を観てスタンディングオベーション出来るなんて、私は胸を押し潰されて、暫く立ち上がる事が出来無かった。
2010年代格差社会映画の集大成にして20年代への希望
エンタメや芸術は一種の時代の写し鏡である。
中でも映画が現代をえがこうとすると、
時代の象徴そのものになる。
人間、街、社会を直接扱わなければならないナマモノだからである。
だから時代を代表する作家たちの問題意識は底通している。共同的無意識のように。
そして映画作家のトップに君臨するポンジュノが、10年代の貧困問題にトドメをぶっ刺しにやってきた。
近年、脚本の中にあえて「これは象徴的なものである。」といった旨を直接説明する、メタ的なセリフが多々見られるように感じるが、
(「バーニング」、「聖なる鹿殺し」なんかがそうだった)本作でもそれが見られる。
半地下に住む父と息子が劇中「象徴的だ。」と、何度も呟く。
映画には当然、映像表現としてのメタファーが存在して、普段はそれを言葉ではなく映像として観客に悟られないように見せてきたものだが、それらがわざわざ自ら我々に語りかけてくるのは何故なのか。
何故ならば、それらの映画では「メタファー」こそが主人公たちを振り回す諸悪の根源そのものであり、物語を掻き乱すストーリーテラーだからだ。
そこで、本作に登場するメタファーが超重要なのでそれについて話そうと思う。
〜以降ネタバレ〜
この映画は格差社会をだいぶ直接的なメタファーを用いて象徴的に描く。
「丘の上の高級住宅」⇨「長い長い階段」⇨「半地下の貧困住宅」といった風に。
「スノーピアサー」の電車のメタファーが、更に洗練されてシンプルかつ印象的になったように感じる。
とにかくメタファーが洗練されているのだ。
今回は「家」「窓」「階段」「石」「雨」「ネイティブアメリカン」「匂い」など様々な「メタファー」が彼らを振り回す。
そもそも彼ら自体が現代の韓国の対極的な家族の「象徴」に他ならないが、それらが混ざり合うきっかけになる「石」こそがやはり、本作の裏側で暗躍していた「悪魔」そのもののように感じる。(石のおかげで貧困から脱出するが、それとともに彼らは徐々に人間性を失っていく。元は金持ちの家にあったもので、金持ちからおこぼれを拝借しようとする精神そのものの象徴か?)
「家」は生活空間の対比を表し、「窓」から覗く景色の対比は社会背景の対比である。
本作で「階段」はマーフィーの法則が働く空間になり、「雨」は黒澤明的映画言語で言えば「物語の転機(悲劇の訪れ)」である。
ネイティブ・アメリカンは略奪の象徴またグローバリズムや資本主義社会への風刺のようにもとれる。
父が発する匂いは「こびりついた半地下生活の悪臭」や「加齢臭」「貧乏臭さ」「古臭さ」などを彷彿とさせるが、「学習性無力感」やら「向上することへの諦め」といった、精神的に根付いた「負け犬根性コンプレックス」を生まれついての金持ちが本能的に「見下している」ことへの表現のように思える。(度を越した匂いがするのは父親と地下に住む男のみ、二人は起業に失敗した過去と金持ちに媚びへつらう様子が共通〔父は息子の金持ちの同級生にさんづけする様子などから推測できる〕)
そういったものを積み重ねて、全てが悪い方向へと、上から下へと物語は流れていく。もうなるようにしかならない。
物語は予想外だが全て必然的に作り込まれているのだ。(全然ちゃうけどヘレディタリーぽい)
ポンジュノ作品はラストシーンが極めて印象的だが、本作の場合はどうだろう。
まず息子は石を川に帰す。(運や金持ちに縋るのをやめる、自分の力で幸福を手に入れることの決意)
最後に半地下の部屋で、父への手紙を書く。
「就職も大学も結婚も諦めるけど」という韓国の7放世代と呼ばれる若者になる宣言をしてしまうが、次に「金持ちになる計画をたてます」という夢も固く決意する。
そして家を買って親父を救い出すと。
彼の背景の半地下の窓からは雪がしんしんと降り積もり続ける。
これは現在の若者の苦しい現状を表現しているとともに、やがて彼らにも春が訪れることを意味しているのではないか?
厳しい冬はやがて終わり、徐々に雪は溶け、やがて春は訪れるはずだ。
7放世代の絶望の時代に生まれた息子は、本作で格差社会の現状を痛感して、愛するものの犠牲を通して、これからようやく立ち上がろうとしている。
そして地下から出られなくなった親父世代を救おうとしているのだ。
これはなんとも、希望に満ち溢れてはいないか。
これが、若者が既存の価値観以外の手段を模索して立ち上がろうとしていることを暗喩しているとしたら。
努力が意味ないことだと伝えられ、学習性無力感で厭世的だった10年代若者が、悲劇の果てにある一つの目標を立ち上げて再び社会に立ち向かおうとしている、そんな「匂い」を、あの半地下の窓から覗く「雪景色」そして息子の決意の「目」がこちらを見つめるあのラストシーンから、感じ取れてならないのだ。
そんな強い思いが込められていると、信じていいよね、ポンジュノ?
5億星つけたい
『グエムル』は、在韓米軍が下水に流した薬品により誕生した怪物と家族で戦う物語でした。
今回の『パラサイト』は家族で格差社会と戦う物語です。今回の敵も怪物と同じくらい厄介です。家族は「プラン」を立てて上流階級の家族に順調に侵入していきます。しかし、思わず聞いてしまった社長の匂い発言。 自分では完璧に演じきっていると思っていたのに、匂いという内面から発せられる自分ではどうしようもできないものによって「プラン」が破綻していくシーンは悲しく絶望的な気分になります。そのあと父親は、「プラン」を立てることを放棄する、ある種の敗北宣言をします。しかし、そこからのラストに息子から父への手紙で「プラン」を語るところにかすかな希望を感じました。
『パラサイト』は、格差社会を扱っているといっても堅苦しさはなく、格差社会という主題の面白さのほかに、勝手に家に上がり込んでるのがばれるかもという単純に娯楽映画としての面白さもあると思いました。『母なる証明』で、母親が息子の友達の家に侵入したときもそうでしたが、ポン・ジュノ監督はこういうハラハラドキドキを撮るのがうまいです。
家の造形が適度に死角があって、隠れている主人公家族と、それを知らずに行動する裕福な家族のそれぞれの様子が、観客には手に取るように分かりハラハラさせられます。こういう映像が撮れるのはやはりさすがだと思います。
最後に蛇足ですが、裕福な家族の末っ子の男の子の存在が一番怖いです。姉に言わせれば奇抜な行動も演じているだけ。そして地下の男のモールス信号も読み取っていたのになにもしない。彼はなんだったのだろう。
恐らく、一回観ただけでは分かってないことも多々あると思うので、また映画館に行きたくなりました。
生きる世界とプライドと
アパートの半地下の小さな部屋で暮らす全員失業中の4人家族の長男が、友人の紹介でIT社長の娘の家庭教師をすることになり巻き起こる話。
友人の留学に伴い大学生と偽った長男が娘の家庭教師として入り込み、その知人という体で紹介された妹が息子の家庭教師の職にありつくという流れからことが起こって行く。
確かに身分や経歴を偽ってはいるけれど、一応それなりには働いている訳だし、「パラサイト」といえばそうだけど…なんて思っていたんだけどねw
おバカな家族のドタバタ劇で気を抜いちゃってアホやな~。そこからこうなって行くのかなー?
なんて想像していたら、まさかまさかの展開で!!!確かにそれもありだなーとは思うけど、ちょっと油断してましたw
ふざけた設定や出来事の連続ではあるけれど、けっこうしっとりというかシリアス目なテンションで描かれていて、一応ドラマをみる作品という感じ。
ちょっとクドい感じは否めないものの、良い意味でモヤッとを堪能できたし、なかなか面白かった。
ラストのクドさと白々しさでちょっと減点。
計画・無計画、圧倒的な対比と展開
一見、裕福な家族と半地下の貧しい家族の対比で、世界にも蔓延する格差をテーマにしてるようにも思える。
しかし、この作品には、それだけに止まらない圧倒的なストーリーと展開があった。
前半。
コントか、落語かみたいな馬鹿馬鹿しい話の展開の中で、半地下の住人キム一家が、山の手の裕福なパク一家の使用人として次々採用されていく。
実は、この山の手の家族が行き当たりばったりで、他人の情報に影響され、思い付きの感情丸出しで行動するのに対し、半地下のキム一家は、細心に計画を練り、そして大胆に計画を実行していく。
格差、計画性、凡庸と細心、大胆さの対比に引き込まれていく。
そして、観る側も、この状況は必ず変化すると、きっかけを待ちわびる気持ちが膨らんでいくが、それは、パク一家がキャンプを切り上げて帰ってくる前に、元家政婦の登場でストーリーは一変する。
ここからは、前半の少し落ち着いた展開から、怒涛の渦に巻き込まれていく。
それまでの計画性や、細心さ大胆さが一変、人間の感情剥き出しの生への欲求や、匂いなど、客観性や計画性とはかけ離れたものが、行動のきっかけや主体となって行くのだ。
エンディング。
計画は状況によって変化するので無意味だ。
だが、計画なしでは何も成し遂げられない。
色即是空空即是色。
まるで禅問答のような思考が巡らされる。
そして、父に向けたメッセージの中で、計画を立て実行し、父の潜む家を手に入れる様子を夢想する。
だが、それは、実行の伴わない思い描くだけの計画と成功だ。
誰かの成功体験を読んで、計画は大事だと知り、計画の重要性を人に説いても、実は具体的な計画など示せない。
僕達の生きる世界に重なる。
前半の馬鹿馬鹿しくも、計画性に富んだ展開から、エンディングの夢想するだけで実行の伴わない計画へ。
まるで、具体的な示唆などない自己啓発本に踊らされて、グランドデザインだけ夢想するような僕達の生きる世界。
AIだ、自動運転だ、自動翻訳だ。
でも、僕達はどうやって生きて行くのだろう。
何が大切なのだろう。
プラットホームの重要性は説かれるが、その中でどう生きるのか、そんな議論はずっと放置されっぱなし世界。
閉塞感の漂う、僕達の生きる世界。
画一的ではない、それぞれが目的を見つけられるような世界は幻想になってしまったということだろうか。
作品の対比の中で、そこを突きつけられている気がして、少し背筋が寒くなった。
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