パラサイト 半地下の家族のレビュー・感想・評価
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予告も見ないで観たのですが
ストーリーに引き込まれました。
社会の闇、人を騙すこと、詐欺
お金に対して汚れた考え方
低俗な場面が描かれていました。
韓国映画に賛否あるかもしれませんが
最近になって韓国の映画に個性的なものを感じました。
面白かったです。
騙せ隠れろ逃げろ怒れ
期待を裏切らない面白さでした!
キービジュアルを見てから絶対面白いぞ、とハードルをあげていたのですが、
「こういう映画かな?」
という期待と、予想だにしていなかった角度からの展開にハラハラしっぱなしでした。
それでいて社会問題もいや〜〜〜〜な感じに根底に横たわっていて。
日本の人々も刺さるんじゃないでしょうか。
刺さりました。
思わず笑ってしまうシーンも多々あり、あまり経験したことのない感情にさせられます。
客席も満席。
年齢層も様々で、注目度の高さがうかがえました。
狡猾な一家w
あらすじを知っておいた方が良い映画と、知らない方が楽しめる映画があるかと思うが、この作品は間違いなく後者だった。
自分は役者さんすら知らずに観たので、前半の展開はニヤニヤしっぱなしだった。
後半あんな事になっていくとはw
ぐいぐい引き込まれた!
ポンジュノ監督とソンガンホのタッグは間違いないと思いつつ、予想以上におもしろかった。2つの(3つの?)家族は一人一人魅力的なキャラで描かれていて、なんとゆうか、意地悪な人はいないんだけど、節々で貧富の差を突きつけられて、我に帰るような感覚を覚えた。半地下の住居、豪邸の地下、におい、大雨。印象的なシーンでした。
気づけば130分
一言、絶対観に行った方がいいです。とにかく面白いから。でも、このような作品を「傑作!」「素晴らしい!」「面白すぎる!」なんて称賛できるのは、“恵まれた境遇にいる側”の人たちなんだよね。
怖いよ
「万引き家族」のように格差社会の闇を、時にはユーモアを交えて描いてます。よくあるテーマではありますが、切り口が奇抜で「地下」という象徴が底辺の生活を表しているようで興味深いです。ユーモアのシーンでもどこか狂気を感じてしまうのは気のせいでしょうか?また、差別の問題も描かれています。
それと名優、ソン・ガンホがやるとなんか説得力ありますね。
ついにここまで来たか…
日本での公開前から話題沸騰のポンジュノ最新作。
面白いのだろうとは思っていたがここまでとは・・・
年明け早々年間ベスト級の脅威的傑作をみてしまった。
本作の面白さは無数に切り口があると思うが、個人的に一番素晴らしいと思うのは、全体を通しての様々なジャンルをエンターテイメント的に横断しながらメッセージ性を強く見る側に投げかけてくる点。
冒頭から中盤までの展開は言ってみれば オーシャンズシリーズとでもいうようなジャンルで、富裕層の家庭に巧妙に侵食していく家族の様は凄腕知能犯達の華麗な犯行と言った味わいで見ていてとにかく爽快。編集のリズムが絶妙で特に 桃のモンタージュシーン(ツイッターで回って来た解説を見たからというのもあるが)の完成度が凄まじく 今俺は面白い映画を見ているぞー!という幸福感で満たされる。主な舞台となる家の構造をこの前半部分で印象的にきちんと切り取っていることも後々の展開を見据えて非常に良く効いていると思う。
この前半のトーンだけでひたすら爽快に駆け抜けても十分傑作だったと思うが本作がとてつもない領域に行くのは中盤元家政婦が雨の中訪ねてくるシーン以降。
ここから途端に映画のトーンがぐっと変わり、個人的には ホラー とも言っていい領域に突入して行く。
まず、解像度の荒いインターホンのカメラ越しに映る元家政婦の表情の切り取り方からしてすでに不気味。何かが起ころうとしているという気配を表情一発で見せ切ってしまうのが本当にすごい。
さらにこれ以降の一連の流れが終わるまでに間、地下に続く階段の撮り方が完全に 異世界への入り口 としか思えない撮り方で、暗闇の中へ続いて行く階段がただただ不気味。
母親が地下に行った元家政婦の様子を見に階段を降りて行くだけでとてつもない緊張感だった。
さらにはその地下に降りるとそこには・・・
というくだり!!
お前なんだその姿勢は!!
という点がおかしくもあるのだが、それと同時にやはり心底恐ろしい瞬間でもある。
個人的には今作のベストシーン。
この とてつもない姿勢になった人間 の姿を通して自体がとてつもない方向に向かっていることを示すというのは、個人的にはものすごく エクソシストっぽい!! と思う。
やはりこの段階でこの映画は完全にホラーなのだ。
そこから急激に この映画の正体 ともいうべき全体像が急速に浮かび始めるのだが、そのテーマを描き出す手法の一つ一つが全て途方もなくエンターテインメント!
何かテーマに触れるような描写は必ず映画のエンターテインメント性とセットになっており、
例えば元家政婦を蹴り飛ばすシーンは階段の下 つまり地下へと転がり落ちる貧困層という象徴的な構図を示すと同時にやはり完全無欠のアクションシーンとなっているし(布施の劇場が爆笑に包まれていた)、机の下への潜伏シーンは、潜伏しているが故に浮き彫りになる富裕層と貧困層の埋めがたい溝を描くとともに、脱出シークエンスのスリリングさにも直結している。
脱出以降、すべてのしわ寄せが流れ込むかのように雨が地下へ地下と流れ込んで行く様は非常に印象的。
彼らは一つも正しくないが、それでもこの世界に確実にある問題を明確に見る側に突きつけてくる。
しかも超エンターテインメントな手法で。
まさかオスカー作品賞まで取るとは思わなかったが、これ以上映画に何を望むことがあろうか。
文句なく超傑作
強烈過ぎる自虐描写
これでもかというくらいの自虐描写が炸裂していて、まさに韓国の恥部を垣間見せています。
コメディタッチの作品なので、映画館でも所々で笑が起こっていて概ね万人に高評価みたいでまあまあ悪くはない作品だと思いました。
しかしながら個人的には少しも笑えなかった。何で笑えなかったのか?
主人公に全く罪悪感が感じられなかったから・・自分たちは悪くない。国が悪い。こういう怨みつらみがこれでもかと前面に押し出されてきているから・・日本人特有の罪悪感やそれでも前向きに真っ当に生きようとする感覚を持ち合わせていないから・・
国民性の違いかもしれません。
私には少し受け入れがたいです。
それに
身につまされましたね、
身につまされ過ぎたからかもしれません。
どうやら私はこの半地下家族を観察するような環境にいる人間ではなく、半地下家族とシンクロしてしまうような人間だから
絶賛の中、“隠れイマイチ派”としての解釈
「前評判」というのも“良し悪し”ですよね。
「カンヌでパルムドール受賞!」ってことで観客動員が増えれば、それは良い影響でしょうけど、「韓国の格差社会を問うテーマ性」みたいな評を耳にすれば「なんか難しそうな話かな」と敬遠してしまう人もいるかもしれません。
で、その“良し悪し”で言うと、僕はこの『パラサイト 半地下の家族』の場合は、前評判の影響がけっこう悪い方に働いちゃってるなぁという印象がありました。
カンヌのパルムドールといえば、特に日本の映画ファンにはどうしたって『万引き家族』が記憶に新しいですよね。なのでこの『パラサイト』が「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじを聞けば、やっぱり「全員失業中の一家」っていう方、つまり貧困家庭の要素の方に意識が行ってしまう。
それに加えて町山智浩や宇多丸さんとかの評論家が、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』とかジョーダン・ピール監督の『アス』なんかと並べて、「やっぱり現実の、世界規模での格差問題が、同時多発的にこういう映画を生み出させている」みたいなタグをつけて絶賛する。
そうすると、なんとなく、「貧困層vs富裕層」の二項対立という図式で、ストーリーが語られる映画なんだろうなと、予想して観ちゃう。例えば貧乏人が金持ちをスカッとやっつけるような話なのか、または結局貧乏人が金持ちにしてやられる後味苦い系の話になるのか、とか。
正直僕はそういう意識で観に行っちゃいましたし、その結果ですね、確かに面白かった。良い映画だったとも思ったんですが、一方、「え?これがカンヌのパルムドール??」っていう、違和感というか、不完全燃焼感みたいなものも、実は同時に感じてたりもしました。だからその後、ツイッターとか映画サイトで絶賛評を目にするたびにですね、
「あれっ!?自分の映画の観方って、何か間違ってるのかな?」
というような不安感すら、感じちゃったりもしたんですね。まぁ、映画の観方に合ってるも間違ってるもないんですが、それでもなんだかザワついちゃったということなんですね。
なのでこれから本作『パラサイト 半地下の家族』を観に行く人はですね、パルムドール受賞作品とか、韓国格差社会の現実とかっていう要素は、あえていったん意識の外に置いておいて、まずは1本の「なんか面白そうなコメディ」として楽しんでもらえるといいかなと、思います。
「全員失業中の一家が金持ち家庭に、あの手この手で潜り込む話」っていうあらすじの「あの手この手で潜り込む」の方の要素。それがうまく行くの?行かないの?っていう面白さを、ハラハラしたりヒヤヒヤしたり、ニヤニヤしたり、時にドン引きしたりして、楽しむのがいいんじゃないかなという作品です。
観られた方、いかがでしたでしょうか。絶賛派?隠れイマイチ派?いろいろでしょうけども。
僕はといえば鑑賞直後は、前述したような「期待したほどじゃなかった派」でしたが、その後に「この作品の別の捉え方」についてひとつ気がついたことがあったので、結果けっこう良かったなという印象になりました。
この作品ですね、ソン・ガンホ一家とパク社長一家の話、つまり「貧困層vs富裕層」の二項対立の話として観ると、やっぱりありきたりというか、「弱者がルサンチマンを爆発させて溜飲は下がるけど、相応の報いは受けなきゃいけない社会の厳しさ」みたいな既視感のある映画のように思えてしまいますね。
でも、この映画には“パラサイト”は2組出てきますよね。ソン・ガンホ一家の「半地下の家族」と、パク社長の家に前からいた「完全地下の家族」といいましょうか、その2組ですね。富裕層のパク社長一家を軸にして、「半地下の家族」と「完全地下の家族」を対比するっていう観方をすると、グッと味わいが深くなってくるような気がします。こういう対比の構図は、キアヌ・リーブス主演の『マトリックス』における、「目覚めてザイオンで戦う人々」と「眠ったままマトリックスの中に居続ける人々」の対比をイメージするとわかりやすいかもしれません。
「完全地下の家族」は、もう富裕層の飼い犬よりもさらに下の意識の低さというか、寄生させてもらってるパク社長を崇拝することでアイデンティティを維持してるわけですね。
これに対して「半地下の家族」は、チャンスやプライドを諦めきれていない。知恵や計画でパク社長一家を踏み台にして、上に行けるかもしれない代わりに、半地下の暮らしは大雨で水浸しの犠牲にされる層でもある。
ソン・ガンホ一家は半地下から始まって、上の暮らしに触れたり、完全地下に引きずり込まれたり、最後はまっとうに努力して上を夢見るけど、やっぱりまだ半地下にいたりしましたね。
強者が強者の立場にいるのはもう仕方がない。平等を求めようが不公平を指摘しようが、たまにルサンチマンを爆発させようが、もうここまで来た格差はひっくり返らない。
じゃあ、「弱者は弱者」が仕方ないにしても、それにどう折り合いをつけて、弱者の暮らしとしてどういう生き方を選択するか?そのへんのせめぎ合いの話として観ると、けっこう良かったのかなと、僕は思います。
とはいえそういう、格差社会問題に警鐘を鳴らすというメッセージではなくて、「貧乏一家が金持ち家庭にあの手この手で潜り込む」というオモシロ話をやりたくて本作を着想したっていう話を、ポン・ジュノ監督自身がアトロクのインタビューでも言ってましたけどね。じゃあやっぱりそういうコメディとして観たらどうかというと、人死が何人も出ちゃうのは、笑いきれなくなっちゃう重たさがどうしてもあるんですよね。何年か前の『レッド・ファミリー』という作品を思い出しました。
結局僕は“隠れイマイチ派”ということになりそうなんですが、この作品がカンヌでパルムドールを獲ったことについては何の疑問もないんです。ただ「カンヌのパルムドール作品なんだ」という前提で観たら違和感があったっていう話なんですけどね・・・。
やっぱり面白い!
「殺人の追憶」から韓国映画にはまったのでポンジュノ監督のおかげとも言える。笑いから全身鳥肌が立つような狂気へ変わっていく瞬間がやられた〜と思わず声を出しそうになる。観客がここでこう感じて、徐々にこうなって・・と物凄い綿密な計算をしているのではないかと思う。観客は思う壺なのだ。ポンジュノ監督の思う壺はまだまだありそうだな。買いますよその壺。もう次回作が楽しみである。
疑問点がいくつか
家族は半地下で、父親は全地下で、地上は富裕層。
殺し合うのは地下の住人たちで、それが時折、地上にも波及する。
なるほど、パルムドールは
ケンローチ、是枝、ポン・ジュノを選ぶ流れにあるんだ、と納得しました。
でも、この映画を見終わってしばらくすると
いくつかの疑問も残っていることに気付きました。
なぜ、妹ギジョンだけを死なせたのか?
妹も生きたまま結末を迎える、という展開もありだと思うけど
ポン・ジュノ監督は、
どんな意味でこのストーリーを選択したのでしょうか。
なぜ、2度目の殴打が必要だったのか?
2度目には全く反応のないギウを見て
私は「1度目で死んだんだ」と直感してました。
だから、生きている展開にちょっと驚き。
生きていてもいいけど、2度目の殴打を描く必要はあったのか。
なぜ、ダヘは地下の倉庫部屋からギウを背負って逃げてきたのか?
高校生の女の子が
大学生の年齢の男を背負って階段を昇る選択には
ちょっと無理がある。
あの惨劇の中に、そうした2人を登場させる必要はどこにあったか。
なぜギウは、回復直後、ヘラヘラ笑っていたのか?
そうした障害が残ったのかと思い
『ジョーカー』のアーサーを思い浮かべたのですが
最後の最後にはヘラヘラもどこかへ行き・・・。
あのヘラヘラに、どんな意味があったのでしょうか。
なぜ、パク夫妻の夫婦の営みを詳細に描いたのか?
実は映画館で、前の席が親子づれでした。
ちょっとヒヤヒヤ。
「左回りにして」とかの台詞など、半端ないリアリティー。
濡れ場の名作だとひそかに感動はしたのですが。
この詳細な描写は、ポン・ジュノ監督の趣味なのでしょうか。
何か分かる方がお見えでしたら
教えを請いたい気分です。
どうあれ、良い映画だとは思うのですが。
計画
序盤のパラサイト化が進む展開はコミカルであるが、法的にも倫理的に明らかにアウトで相容れず、スイスイ進むのは単調ですらある。
場違いな家族の団欒から、雪崩をうったような展開へ。それまでが指向していた方向性を客観化し、貧富や善悪や倫理とは遊離して、尊厳に焦点があたる。それにしてもエゲツない濡れ場シーンだ。こんな絵は見たことない。
刹那に見せるソンガンホの目が凄まじい。処したのは社会の価値か自分自身か?父は計画など要らぬと言い、息子はそれでも計画を立てる。世の無情に抗い生きるのは人の常。
期待しすぎたかも
裕福ではないけれど、映画を楽しめる身分なので、、、半地下の生活をしている人を想像したことはなかったし、臭い人は嫌いだし、パラサイトしなくても生活はできそうな人たちだよなーって思ってしまったり。
期待しすぎた気持ちが前半で覚めてしまって、後半部分盛り上がれなかったかな。
ソンガンホなのに、笑えないし、ほっこりもしない
昨夜鑑賞。終了12時近いのに、会場はほぼ満員。
同じ貧困をテーマに扱った「万引き家族」が擬似家族だったのに対して、こちらは本当の家族で、逆に他人のフリをして富裕家族(しかもかなり善人で、お人好し。人として責められる点はあまりない。)に家政婦やら、運転手やら、家庭教師として潜り込む。ありえない展開だけど、いつバレるか、ハラハラドキドキして面白い。でも笑えない。主演がソンガンホなのに、笑えるシーンがあまりない。
ネタバレは出来ないのであまり多くは語れないけれど、先日観た「家族を想うとき」も同じで、貧困という負のスパイラルに入り込んだらなかなか抜け出せない現実とどう戦うか、本当に難しいことだと思う。幸い私たち50代は80年代から90年代初頭を学生や新入社会人として過ごし、職にも恵まれてきた。逆にその下の世代はいわゆる就職氷河期で、努力した割に報われにくい環境にある。所得も少ないから結婚もできない。結婚しても子供を持つ経済力も見込めない。年金だってもらえるかわからない。
私たち年長者は、若い人たちが希望をもって暮らせる社会、環境づくりをしなければいけないのにとつくづく思う。気がついたら、今回も貧困をテーマにした映画ばかり観ている。
世界的に貧しくなってる
予備知識ゼロで見たのが良かったと思う
他の方が書いているように、「ジョーカー」や「万引き家族」を彷彿させる
個人的にはそれにプラス、「クリーピー 偽りの隣人」って感じ。
笑える前半から一転、後半の展開に「こんな事になるの!?」とグイグイ手に汗握り見入ってしまった。
こういうハラハラドキドキ、心臓に悪いが堪らない。
韓国映画というと政府への不信や怒り、そして復讐、みたいなものが多かったが、そういうストレートさは無いものの、静かな怒りは、やはり先に述べた2作品に通じる
世界的な貧困(格差)が拡がっているって事かな
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