劇場公開日 2020年1月10日

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「ミニョクの石が持つ本質」パラサイト 半地下の家族 milnlnさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ミニョクの石が持つ本質

2020年2月11日
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悲しい

「計画を立てると
人生その通りにはいかない」

寝転がり頭上を見つめて息子に言い聞かせる父親の表情は後悔不安恐怖、期待する少しばかりの希望が現実味なく貼り付いていた。

例えば半地下家族の長女ギジョンが八百屋から桃を一つくすねて華麗にその場を後にする姿。桃の産毛はアーティスティックで、香りを嗅ぐギジョンの白い肌と茶色い髪の毛が陽の光を浴びてふんわりとしたフォルムを生み出し、後ろ姿は光の中へと消えてゆく。

窓の外に見える地上で立小便をする酔っ払いを追い出すギウが放つ水しぶきはスローな躍動感で、コバルトブルーの海を臨む砂浜に寝転んだ時に水面で水かけ遊びをする者の立てる水しぶきのようなキラキラとした美しさの描写のそれに似ている。

欲なのか防衛なのかもうわからない掴み合いの中にに見える愚かな幻影のような醜さ
そして流れる皮肉にも美しい音楽

美と悪、美と醜
紙一重の描写はリアリティに溢れている。

半地下の薄暗くジメジメとした
カビ臭さや生活臭で澱んだ空間に身を寄せながら生きる4人家族。

長のギテクの人柄だが、
それは気さくでユーモアもあり、
また頼れる父親という印象だ。

母親の気迫に押され気味だが、
妻を思い、子を思う。

家庭教師の後任のための面接に行くためにスーツ姿で決めた息子を呼び止め、
おまえを誇りに思う、と言う姿がとても優しくまた寛容で美しく見える。

困る家族のために常に「計画」を考える姿。

運転手食堂で、たくさん食えと息子に自分が取りに行った肉を嬉しそうに分け与える姿。

大雨の洪水の夜に、惨事に混乱する子を誘導し、早く帰って風呂に入るんだと諭す姿、

不器用ながらにも愛情を表現する姿が、
ブラックコメディながら心を揺さぶられる。
愛おしく、大きな父親だ。

それでいてあらゆる対策に順応できる柔軟さもある。

全ては長として家族を守りたいという気持ちからくるものだろうと映った。

母のチュンスクは気が強くしっかり者、賢さが際立つ。劇中の彼女の動きを追っていると要領の良さと動きの素早さが爽快に映る。
劇中にホーガン投げの写真とメダルが出てくるが、国体のホーガン投げの選手である。

長男のギテクの頭は冴えるが共存している幼さを兼ね添えた頼りなさが長女ギジョンの計算高さとシュールさを目立たせている。

物語の鍵を握るのはギウの友人ミニョクの祖父が贈り物として持ってきた「石」

ギウは時にそれを眺め
水の中に沈む石を拾い上げ大切に抱え
時にそれを抱きしめながら寝て
そして最終的な手段の道具として
それを用いようとする

本質を揶揄するような展開に
はっとするのである。

物語は先が読めない。
気づけば物語に入り込んでいる。
観客がたくさんいる映画館の中で、
誰一人として音を立てず、
誰一人の気配もしない。
いや、違うかもしれない。
少しの音や気配はあるが、
それに気づかなかったのかもしれない。
それくらい物語に入り込んでしまうのだ。

格差社会はどこにでもある。
ふとしかきっかけで見えた打破の扉は
希望という幻影をまとった絶望の始まりなのかもしれない。大事な家族を守るために踏み出す道の不確かさは加速を増した欲のせいで姿を現すことなく、共生することへの抵抗として正体を晒すことになる。

なんと愚かで、滑稽なことなのだろう。

しかし人は反芻し、後悔する動物だ。
だが逆を返せば、致し方ない。

生きる意欲と生き抜く力が携わる者であれば、変えることのできない現状を飲み込み、腹を据えて、地下の階段を駆け上がり、高台の芝生を踏み、寝転び、空気を思いきり吸うように「生」の喜びを再び噛み締めることができるのだろう。

寄生することなく
共生しながら自存するために。

milnln