「愛撫は時計回りに・・・。」パラサイト 半地下の家族 HALU6700さんの映画レビュー(感想・評価)
愛撫は時計回りに・・・。
日本での全国公開日の1月10日(金)から13日後の1月23日(木)に、いつもであれば観客も空いて少なそうな、イオンシネマ京都桂川の午後4時台の時間帯に自分独りきりで鑑賞に行きましたが、それでもクチコミ効果からなのか、かなりシアター内は混み合っていました。
韓国映画界を代表するポン・ジュノ監督の新作映画で、昨年の第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初となる最高賞のパルムドールを受賞した作品という以外には、劇場で流れていた予告編を1度のみ観ただけで、ほぼ何の事前の予備知識も無く観たので、てっきり、格差社会を描いた終始に亘って社会派ドラマっぽい映画かと予想していましたが、結構なエンタメ作品でもあり、面白く観る事が出来ました。
ただ、本作品に対しては、「ポン・ジュノ監督からのお願い」と題して、パンフレットの3ページ目に、監督から直々に、「本作をご紹介頂く際、出来る限り、兄妹が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください。みなさんの思いやりのあるネタバレ回避は、これから本作を観る観客と、この映画を作ったチーム一同にとっての素晴らしい贈り物になります。頭を下げて、改めてもう一度みなさんに懇願します。どうか、ネタバレをしないでください。みなさんのご協力に感謝します。」との旨を懇願なされている作品でもあるらしく、また、実際にも、出来る限り事前の予備知識を入れずに観た方が面白いかとも思いましたので、ブログ記事化するのに一体どの様に書いたら良いのかと相当に頭を悩ましていて、こんなにまで時間を要して、現在にまで至ってしまいました。
但しながらも、昨年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』の際の様に放置状態になってしまってもいけないと思い、本作品についても、出来る限りネタバレに気を付けながら以下にブログ記事をまとめたいと思います。
窓から地べたが見える半地下の住宅で暮らす貧しい一家が、高台の豪邸に暮らす裕福な一家と接点を得たことから始まる、格差社会が織り成す濃密なる悲喜劇でした。
お話しの流れ的には、
様々な事業に失敗してきたキム・ギテク(ソン・ガンホ)はその半地下の家で、妻チュンスク(チャン・ヘジン)、大学受験に失敗し続けて学歴はないが受験経験だけは豊富な長男ギウ(チェ・ウシク)、美大志望の長女ギジョン(パク・ソダム)と四人でピザ屋の箱作りの内職をしながら、ぐだぐだの日常を生きていたのでした。
だが、そんな或る日、転機が訪れるのでした。長男ギウの友人ミミョク(パク・ソジュン)から、運勢が変わる縁起物らしい山水景石のプレゼントと共に、彼が米国に留学する間に、おいしい家庭教師の代打の口を紹介されたのでした。
教え子の女子生徒は、成功したIT企業のCEOパク・ドンイク氏(イ・ソンギュン)の娘ダへ。
この山水景石が実に暗喩めいた象徴として、その取り扱いにより、その後のキム一家の生活を一変させていく事になるとは露とも思ってはいなかったのでした。
長男ギウは一流国立大学生を装って、高台に建つ、家政婦(イ・ジョンウン)付き豪邸を訪れ、パク社長夫人である奥様(チョ・ヨジョン)の面接を受けるのでした。
そして、IT企業社長パク氏の幼い息子ダソンの独創的な絵画のセンスに目を付けたギウは、美大志望ながらも予備校に通えずスキルだけが上達している妹ギジョンを、あたかも海外留学経験もある指折りの有名な美術講師と装わせ、まんまとダソンの美術家庭教師として紹介するのでした。
ギジョンは、奥様からの当初の「どの家庭教師も1ヶ月も続かなかった」という言葉を覆し、恐るべき早さでダソンを手なすけて、ギウとギジョンの二人は急速にパク一家からの信用を得ていくのでした。そして、ギジョンは次にある仕掛けをするのでしたが・・・。
パラサイト=寄生虫。
「下流」は「上流」にとりつこうとするのでしたが・・・。
展開もスピーディーで、一瞬一瞬が描写が実に濃密。台詞、風景、また、チョン・ジェイルの音楽、そしてソン・ガンホはじめ極上の役者たちの人間的な魅力。すべてが最大限に活かされて、有機的に結びついて物語を力強く構成していくのでした。
あらゆる情景、言動が観客の喜怒哀楽のいずれかを刺激し、同時に登場人物の本性や社会の構図を物語っていました。
ふと会話に入り込むひとくち英語、例えば「Smell(臭い)」ですら、後でジワジワ効いてくるのでした。
圧巻は、高台からの坂道、階段、そして雨・水が作り出す風景でしょうね。
上流で生まれたねじれは奔流になって下流へ押し寄せます。
格差社会をめぐる黒い戯画のさらに、さらに、その先へ。そして深淵がパックリと口を開き、世界が裏返しになって見えてくるかの様でした。
あの高台の豪邸の内部も、そして坂道から続く半地下の家も、直接製作費を、1.100万ドル(約12億円)を要して作った全部がセットによるものらしく、日本の映画でも近年巨額を投じた作品の最高金額は約10億円を掛けた『キングダム』くらいですから、この韓国映画の本気度具合が分かるというものでしょう。
この点でも、第92回アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)の他にも、美術賞にもノミネートされているのも理解出来ます。
パラサイトが一旦完了するまでは、なんとなく多くの観客も想像するに難くはないかとは思うのですが、本当にそれ以降の後半が先読み予測不能な映画で、如何にも、実に、映画的な作品とでも言いましょうか、脚本が完璧過ぎて、机上の空論っぽくも感じてしまうほどに、韓国の格差社会をシニカルに描いた社会派ドラマでもありつつ、ブラックユーモア満載でサスペンスフルでスリル満点な映画で、既成のジャンルの枠には収まらないような、玉虫色の様な、もの凄く面白味のある映画ではありました。
しかしながら、ただ私的には、非常に良く出来た映画で有り過ぎて、事が上手く運びすぎで、かなりのご都合主義的な点から、ここのところの同じく格差社会を描いた、日本の是枝裕和監督の『万引き家族』(2018年)やイギリスのケン・ローチ監督の『家族を想うとき』(2019年)や、同じポン・ジュノ監督の過去作品の『母なる証明』(2009年)などの作品に比べると、あまりにも現実味が感じられない点が、ちょっと社会派ドラマとして観ると、物足りなく感じて、やや首を傾げてしまう部分なのかも知れないですね。
なので、この作品の後半部分については、全くのエンタメ作品として観るべきであって、映画ならではの独自の世界観なんでしょうね。
人の底知れなさを、社会の残酷性を鮮やかに描き出す、謂わば、フィクションという戯画・寓話としてみれば、全くのオリジナル脚本の作品としては、非常に良く出来た映画ではありました。
国際長編映画賞は確実視されているようですが、作品賞、監督賞などが無理でも、ぜひ脚本賞でオスカーを獲得して欲しい作品ですね。
ただ、終盤の最後の最後になって、やや説明口調でクドくて蛇足気味だった様にも感じられましたのが少々残念でした。
出来れば、私の好きなポン・ジュノ監督の中でも特に衝撃を受けた作品でもある『母なる証明』(2009年)の様に余韻を残しつつも、無駄な説明台詞を排したもっとスッキリした感のある終わり方にして欲しかったです。
私的な評価としましては、
エンタメ映画として格差社会を皮肉った作品として観るか、それとも格差社会を問題提起する社会派ドラマと観るかで、この映画の感じ方や受け取り方は人ぞれぞれになるかとも思いますが、私的には『万引き家族』(2018年)やポン・ジュノ監督の『母なる証明』(2009年)の時の様なガツン!と頭を強く殴られたような衝撃が感じられる不条理な世界に涙してしまう映画ではなく、むしろ、笑いありスリングでもあるブラックユーモア満載の文字通りの悲喜劇であって、鑑賞前から、当初想像していた映画とは違っていたのもあり、嬉しい誤算でもありつつ、ちょっと残念でもありました。
ですので、私の場合には、ちょっと本作品が浮世離れし過ぎな点から、五つ星評価的には、あいにくと、満点には届きませんが、ほぼ満点の四つ星半の★★★★☆(4.5点)の評価とさせて頂きました。
最後に、なんとかネタバレ回避でブログ記事をまとめられて良かったです(汗)。