「善人達による狂気」パラサイト 半地下の家族 superMIKIsoさんの映画レビュー(感想・評価)
善人達による狂気
本作を観賞してまずストーリー展開の見事さに舌を巻いた。物語は大きく二つに分かれており、一つは平民の主人公一家がいかに富豪の家庭に入り込んでいくのかをコミカル且つ、緻密に描いていく。もう一つは前家政婦夫妻の意外な登場により、物語は混沌とした世界へと突き進んでいく。
その展開が絶妙で、その間の登場人物の意識の推移を見事な演出技術と、俳優の演技力で丁寧に描いていく。心理描写は韓国映画が得意とする分野で、それが本作でも遺憾なく発揮されている。
本作を観て気が付くのは、登場人物に悪人が一人もいないことだ。平民で失業中の主人公一家は、生活の為に詐欺行為を行って職を手にする。それでも仕事には決して手を抜かず雇い主に献身的に尽くす。富豪一家も彼等を丁重に扱い、卑下するような態度は取らない。
普通の映画であれば富豪が貧民を馬鹿にして虐め、それに対して貧民が怒りを爆発させるような展開にするだろう。しかし本作はそうではない。登場人物は全員善人なのだ。
そのキャラクター設定が観客に意外さと、戸惑いを与える。従来のこの手の作品展開とまるで違うからだ。その部分こそ脚本と演出を担当したポン・ジュノが狙った部分なのだと思う。
その善人がふとした言動で相手を傷つけ、少しずつしかし確実に不満と怒りを蓄積させていく。例えば富豪の家に隠れることになった主人公に、彼が居るとは知らずに富豪が妻に体臭の話をする。その時でも富豪は彼の働き振りを誉めた後で、彼の体臭が気になると言う。
同じ夜、豪雨に襲われ山の手に住む富豪宅は、子供のキャンプゴッコに振り回される。しかし山の手から流れ落ちる豪雨は主人公の住む平民街に流れ込み、彼等の半地下の住居は完全に浸水してしまう。
富豪達はこの災害に何ら関与していないが、知らぬ間に主人公は怒りを溜め込んでいく。同じ四人家族で、互いが家族を大切にした生活をしているにも関わらず、その差は大きい。彼等の違いは一体何か? それは富の違いだけだ。状況が入れ替われば主人公も富豪のような生活が出来るかも知れない。
前家政婦が現れ、誰も知らない地下シェルターに夫を隠していることが分かった時もそうだ。彼女は投資に失敗して多額の負債を抱え、借金取りから逃げる為に夫を匿っている。
この三家庭に共通しているのは、喩え問題がある夫婦であっても相手を捨てることはしない。妻が家事下手でも、夫が失業しても、夫が借金を背負っても、夫婦で助け合いながら生きている。そしてその問題解決に、この三家庭が関わっている。それぞれの上下関係は富の差による。富豪が主人公の家族に自分の家庭の問題点を解決させ、借金を抱えた夫婦は主人公の家族に支配される。
この支配構造はまさに現在世界の縮図である。私達先進国に住む人間は、後進国の人々から知らぬ間に様々な物を取り上げている。そして彼等は私達が知らぬ間に怒りを溜め込んでいる。その怒りはテロ集団を生み出し、世界を混乱に陥れている。
先進国の人は援助をしていたはずなのに、テロを仕掛けられたと怒りを露わにする。しかしその援助は彼等が本当に求めた物なのか? 彼等の誇りを傷付けていないか?
本作のクライマックスは、その怒りが爆発するシーンだ。地下室夫婦が主人公の息子に重傷を負わせ、娘を殺害する。主人公は富豪を殺害する。そして地下室へ隠れる。その父親の為に、一命を取り留めた息子は大金持ちになって富豪宅を購入し、父親を地下室から救出しようと決心する。何をするにも全ては金次第。本作は世界の歪みをこの三家庭を通して描くことで、身近な問題として観客に突き付けてくる。
20年ほど前、シュリという韓国映画が公開されて話題になった。シュリは朝鮮民族の抱える南北断絶の悲哀を中心にした緻密な物語と、ハリウッド映画並のスケール感で世界的にも高い評価を得た。その後も韓国映画界は非常にレベルの高い作品を発表し続けたが、何故か世界的な評価を得られることはなかった。何か意図的に排除されているような気がして釈然としないところもあった。しかしその偏屈した考えも、この作品の登場で改めざる得なくなったようだ。
本作はカンヌで最高位のパルムドールを受賞し、アカデミー賞の外国映画賞も確実視されている。見事な脚本と演出、演技、カメラワーク等、本作はまさに一級作品として、その世界的な評価も当然の傑作だと思う。