「計画・無計画、圧倒的な対比と展開」パラサイト 半地下の家族 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
計画・無計画、圧倒的な対比と展開
一見、裕福な家族と半地下の貧しい家族の対比で、世界にも蔓延する格差をテーマにしてるようにも思える。
しかし、この作品には、それだけに止まらない圧倒的なストーリーと展開があった。
前半。
コントか、落語かみたいな馬鹿馬鹿しい話の展開の中で、半地下の住人キム一家が、山の手の裕福なパク一家の使用人として次々採用されていく。
実は、この山の手の家族が行き当たりばったりで、他人の情報に影響され、思い付きの感情丸出しで行動するのに対し、半地下のキム一家は、細心に計画を練り、そして大胆に計画を実行していく。
格差、計画性、凡庸と細心、大胆さの対比に引き込まれていく。
そして、観る側も、この状況は必ず変化すると、きっかけを待ちわびる気持ちが膨らんでいくが、それは、パク一家がキャンプを切り上げて帰ってくる前に、元家政婦の登場でストーリーは一変する。
ここからは、前半の少し落ち着いた展開から、怒涛の渦に巻き込まれていく。
それまでの計画性や、細心さ大胆さが一変、人間の感情剥き出しの生への欲求や、匂いなど、客観性や計画性とはかけ離れたものが、行動のきっかけや主体となって行くのだ。
エンディング。
計画は状況によって変化するので無意味だ。
だが、計画なしでは何も成し遂げられない。
色即是空空即是色。
まるで禅問答のような思考が巡らされる。
そして、父に向けたメッセージの中で、計画を立て実行し、父の潜む家を手に入れる様子を夢想する。
だが、それは、実行の伴わない思い描くだけの計画と成功だ。
誰かの成功体験を読んで、計画は大事だと知り、計画の重要性を人に説いても、実は具体的な計画など示せない。
僕達の生きる世界に重なる。
前半の馬鹿馬鹿しくも、計画性に富んだ展開から、エンディングの夢想するだけで実行の伴わない計画へ。
まるで、具体的な示唆などない自己啓発本に踊らされて、グランドデザインだけ夢想するような僕達の生きる世界。
AIだ、自動運転だ、自動翻訳だ。
でも、僕達はどうやって生きて行くのだろう。
何が大切なのだろう。
プラットホームの重要性は説かれるが、その中でどう生きるのか、そんな議論はずっと放置されっぱなし世界。
閉塞感の漂う、僕達の生きる世界。
画一的ではない、それぞれが目的を見つけられるような世界は幻想になってしまったということだろうか。
作品の対比の中で、そこを突きつけられている気がして、少し背筋が寒くなった。
今晩は
ここ、5年程思う事。
邦画と韓国映画の熱量の差はどこから来るのかな?という素朴な疑問。
法規制の違い?
邦画の良さを世界に発信できる監督は是枝監督だけではない筈、と信じております。
コメントありがとうございます。
ドストエフスキーを読むのは苦行なので、僕もおすすめできません。😂
それにしても、この映画は、社会性、芸術性に加えて娯楽性も兼ね備えているとんでもない映画ですね。
こんな衝撃を受けたのは、デミアン・チャゼル監督のセッション以来です。
ワンコさん、こんにちは。
鑑賞後に溜まったビデオを見ても、思い出すのはパラサイトばかり。かなりインパクトが強かったです。
怒涛の展開はブラックコメディさながらの冷たい空気感が漂って、両家の破滅的な顛末に圧倒されてしまいました。未だに嫌韓思想が蔓延する日本で、これを見て日本も安心できないと感ずる人はどれくらいいるのだろうかとも思いますが、やっぱり韓国はひどい国だな~という感想で終わる人が多いのでしょうね。まぁ答えは東京オリンピックが終わってみないとわかりませんよね・・・