「ホラーではなくヒューマンドラマ」デッド・ドント・ダイ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ホラーではなくヒューマンドラマ
ビデオゲーム「バイオハザード」のラクーンシティに出てくるようなゾンビが現実に出現したとして、普通の人が普通に対応したらどうなるか、そんなリアリティがある。人間は極限状況に直面すると無表情になる。喜怒哀楽や驚きの感情では対応できないからだ。状況を把握しようと脳が必死に回転して表情のコントロールにまでは手が回らないから無表情になるのだ。誤解を恐れずに言えば、その無表情が笑えるし、面白い。
ビル・マーレーとアダム・ドライバーという二人のコメディ系の俳優を配したことで、状況自体を笑い飛ばしてしまうような部分もある。散りばめられたギャグは笑えるところと意味不明なところが混在し、映画を正体不明な怪しい作品にしている。
中でもティルダ・スウィントンが演じた葬儀屋は登場人物たちにとっても謎の存在であり、彼女を中心に目の前で繰り広げられた信じがたい光景も謎であるが、普通の人らしく受け入れてしまう。そういえばコロナ禍の初期の頃、日本は武漢にチャーター機を派遣した。
センターヴィルで起きたのと同じ極限状況は地球全体に及び、もはや逃げる先はない。田舎町の生活者のディテールを描きながら、実は人類全体を描いているという、気がつけばスケールの大きな作品である。これまでもそうであったように、これからも人類の敵は人類なのだ。
それにしてもアダム・ドライバーは達者な役者である。本作と同じジム・ジャームッシュ監督の「パターソン」では詩人でありバス運転手である男の日常を飄々と演じ、スパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」では意外に勇気と行動力のある刑事をケレン味たっぷりに演じてみせた。
「パターソン」と本作品の共通する点を挙げるとすれば、人間というものはどこまでも愚かで救いがたい存在だが、同時に愉快で愛すべき存在でもあるというジム・ジャームッシュの世界観だろうか。
本作品を「バイオハザード」などと同じように鑑賞すると、多分面白くないと思う。同じゾンビものでも、サバイバルを目指している他の作品とは決定的に一線を画しているのが本作品であり、突如として出現したゾンビに戸惑い、右往左往してしまう人間模様を描くヒューマンドラマなのである。その観点から本作品を観れば、実に面白い作品であることがわかる。意味不明な出来事は謎解きではなくてメタファーなのだ。