罪の声のレビュー・感想・評価
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ノンフィクションかと思わせる作品
原作からして、これは真実なのでは?真相?と思わせる内容である。
しかし、当時、警察が相当大規模で捜査したにも関わらず、キツネ目の男は結局割れなかった訳ですよ。
それが新聞記者が探って、あっさり見つかるんか?って話ですよ。
似顔絵は報道されてるのだから、警察には相当タレコミがあったはずで、それらを全部当たってるはず。
見終わった後で考えたら、おかしい、やっぱりフィクションだなって。
今、探っても犯人には辿り着けないでしょう。
映画ならではのテンポの良さはありますが、
そのテンポが逆にウソくさい。そんなにとんとん拍子で進む訳ないです。
後半、子供の声の1人が、TVに名乗りでた辺りで、「あ、これ完全にフィクションだ」と。
これが真相だと、ノンフィクションだと思ってる方々が世の中いるようです。マジで。
ヤバいですね。
主役2人の関西弁がイマイチで、その辺り、大阪、京都の人はイヤだろうなぁ。
ただそれらを引っくるめて、面白い作品ではありました。
登場人物多過ぎる(笑)。
登場人物が多過ぎて、誰が誰やら。
細かい設定や背景は話の流れでカバー出来るから問題ないが、その細かい所の話に付いて行けなかった。場面転換、接する相手が変わっていくが、その理由を見逃していたようで理解できなかった。
小栗旬は素晴らしかった。あと、宇野祥平も良かった。宇野祥平はこの役のために10㎏の減量をしているのだとか。
映画冒頭で、星野源演じる曽根俊哉が自宅から父が生前に残したカセットテープを見つける所から、一気に関心を引き込んだ。
グリコ・森永事件をモチーフとしたギンガ・萬堂事件に使用された子供の声が、カセットテープに録音されてたのだ!
この事件では3人の子供の声が使用されている。1人は曽根俊哉。残りは生島姉弟。姉は事故死しているが弟の生島聡一郎は生きていた。
何も知らず幸せに暮らしていた曽根俊哉と対照的に、ボロボロの生島総一郎。生島総一郎は最後に母と再開出来た。ハッピーエンドだけど必要だった?それに比べて、曽根俊哉は入院中の母が家に戻って来てカセットテープを処分しようとしていたことから、この声のせいで今苦しんでると言ってたけど、生島総一郎に比べたら大したことなく、余り感情移入出来なかった。
また、母親が過激派の社会運動家で、その夫の兄がそのリーダーって設定も凄い偶然だ。曽根達雄らの犯罪グループには、株価下落を狙った利益獲得の狙いがあるが、この母には得るものが何も無い。それなのに子供の声を利用させるとは、非常に軽い奴だ。浅過ぎて、アホかと。余命半年程度で、その後死んでしまうけど。
学校にて、生島望の友人の子(おばさん)の話を聞く曽根俊哉。望みが姿を消した頃に電話のやり取りをしていたとか。そこで、犯罪の声が自分であるとおばさんに伝えているのに、何故、警察に通報しなかったのか?もしかしたら犯罪グループは当時捕まっていたかもしれないし、望も死なずに済んだのかもしれないな。
エンドロールに流れるUruさんの振り子も良い。
11月14日と15日の件は、付いていけず理解出来なかった。
たんたんと進んでいくが…
すごくよくできた脚本でした!
虚しい人生とは(2020/10/30鑑賞)
小栗旬演じる阿久津が追い詰めた主謀人に放った言葉が印象的だ。
「あなたのしたことは、たった3人子供の未来を変えただけだ」と。
あれだけ大掛かりで行った劇場型犯罪の目的には、この国のあり方を世に問い直すという大義があったことはその通りだと思う。
しかし本作の最後の阿久津の一言で、全ては虚しいことであることが鑑賞者に問いかけられたのではないかと思う。
この世界を変えるためにとった強硬手段、暴力的で脅迫的な手段がいかに虚しいことであることを我々は再確認させられた。
本作は思想的に見れば、マルクスが提唱した暴力革命の思想を無力にするかもしれない。
もし共産主義を掲げる国に大々的に上映されれば、体制崩壊の力ににもなりうるだろう。
これが”罪の声”であるかは、受け取る側の立場によって変わってくるだろう。
真相はいかに!なやつをさすがのいい脚本と役者で
役者の「声」も素晴らしい
何度か観て確認したい
fossil
泣いた・・・
それぞれの家族の想いが胸に迫った。
そして、エンドロールで流れるのはUru。
エンドロールは涙を乾かし、
一般社会に戻るためにリセットする時間だ
と思っているのだが、止めようもなかった。
そして、エンドロールの最後
毎日新聞
朝日新聞
初めにTBSが出てきたので前者は想定の範囲内だったが、
後者は全くの想定外!
涙は止まるどころか、引っ込んだ。
劇中にも出てきたが、
マスコミは優しい顔をして近づき、
用済みになると加害者同様に被害者を踏みにじる。
その最たる存在が○日新聞だろう。
どの面下げて、この映画に協賛したかね(-_-#)
一瞬反省したかのように謝罪記事を出しながら、
臆面もなく繰り返し自国までをも貶める。
何も変わらない!
彼(女)らこそがfossilだと強く感じた。
☆4.5と思っていたが、これで-0.5。
それでも、上記のように家族愛には
こみ上げるものがあったし、
人間の弱さ、葛藤も垣間見えた。
小栗旬演じる記者は勿論、
星野源にしても家族のためにはすぐに燃やすべきだし、
梶芽衣子演じる母親は自らのエゴを捨てきれず、
弟や母親を見捨てざるをえなかった子どもたち。
本当に見応えがあった。
原作を十分に凝縮されたものと思う
まず、私は原作小説を読んだことはありません。
しかしながら原作をもとにしたコミックを全巻読んだ経験があるため、大まかな内容は承知しています。内容に関しては、小説>マンガ>映画の順に内容がそぎ落とされてしまっているのだろうと推測します。
そのスタンスで鑑賞しましたが、エッセンス(原作において最重要とされている観点)が十分に凝縮された映画だと評価しました。監督そして脚本家の力が素晴らしいですね。
それはそうと、実際に起きたグリコ森永事件の声の主たちは、いったいいまどうしているのか。
小説の世界とこの現実世界とが地続きに感じられて、想像力をかきたてられる。真実を知りたい気持ちになる。そんな思いを鑑賞後に抱きました。
原作の良さを引き出せてはいる
新聞記者
昭和は遠くなりにけり
例年、秋シーズンは力作ぞろいの日本映画ですが、それにしてもことしは多い。
本作も2時間20分超の長尺。
35年前に起きた菓子メーカーを標的とした「ギン萬事件」は、警察やマスコミを翻弄し、日本中を狂乱に巻き込んだ。
犯人たちは逮捕されることなく時効を迎えた。
そして、元号が平成から令和に変わろうとするいま、時代の総括として、大日新聞は特集を組むこととし、新聞記者の阿久津(小栗旬)も取材の一翼を担うことになった。
一方、京都でテーラーを営む曽根(星野源)は、ふとしたきっかけで、父親の遺品の中から古いカセットテープを発見する。
楽し気に歌う子どもの頃の曽根の声が途切れ、たどたどしく文章を読む声が流れ出すが、その文章は、ギン萬事件で使われた犯人グループからの指示文章。
事件で使われた3人の子どもの声のひとつが、自分の声だったことを知る。
そして、テープとともに発見した英語で書かれた手帳には「GINGA」「MANDO」も文字もあった・・・
といったところから始まる物語で、阿久津と曽根、それぞれが事件を追う中でふたりが出逢い、事件の真相へと近づいていくというスリリングな仕立て。
で、事件の真相に近づいていくのに、何人もの人々と出会い、彼らの言葉の端を頼りに次々と核心に近づいていく様子はスリリングなのだけれど、事前に、宣伝材料のひとつである新聞の登場人物紹介を読んでいたので、ほとんど事件の全容は予想がつきました。
新聞に書かれていた過激派とヤクザ・・・
そうねぇ、そういう落としどころね。
だから、事件の真相というところよりも、事件にかかわったひとびとがどうなったのか、というのがスリリングなのだけれど、映画の発端となる曽根一家よりも、もうひとつの家族のほう、事件をきっかけに転落していく様があわれである。
とはいえ、1985年当時、過激派の残党が「世間に一発、かましたれ」と思ったというのは、どうなのだろうか?
そんな時代だったのか。
もう世間はバブルへまっしぐら。
たしかに世間は浮足立っていたかもしれない・・・
気になって調べてみたら、1985年には「国電同時多発ゲリラ事件」という東西日本で国鉄のケーブルが多数、同時に切断される事件があり、その中心が新左翼だったようです。
当時は、まだ国鉄だったんですね。
現在の価値観で過去の過ちを断罪することは簡単だけど
あの闘争もあの事件も
あの動物を産み出したことも
おそらく当事者なりの正義があって
私が、あなたが、今正義だと信じていることが未来からみれば「罪」なのかもしれず
そんなことを考えさせられた映画でした。
事件後に俊也がつれていってもらった今はなき遊園地。私も幼い頃からよく行ったし、その動物を見ました。私が小学生の頃にはもう人々から注目されることもなく最後の一頭が余生を送っていました。人間のエゴから作られた動物がその種を繁栄させることなく閉じようとしていた姿だったことは大人になってから知りました。それは、大人のエゴによって重い運命を背負わされた子供たちの姿と重なります。
巻き添えとか遺族とか
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