フリーソロのレビュー・感想・評価
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紙一重の感覚
人にはそれぞれドラマがある。
ただ岩山の壁を登るだけの人にも。
ラスト、心を決めてヨセミテのエル・キャピタンへ挑むアレックス・オノルドの心境は、もちろん本人しか分からないが、それでも命綱なしであの975mの絶壁を登る決心が着いたのだからすべてを覚悟の上で受け入れられたのだろう、という予想は何となく分かる。
まあ、どう見てもあんなロープなしのクライミングは正気の沙汰ではない。
トミー・コールドウェルも友情出演している。
凄いドキュメント映画
ロープや安全装置など一切使わずに、山をただひたすらよじ登る、ロッククライミング。
その映像の迫力はもちろんの事、命を掛けたクライミングと向き合う姿や、恋人とのやり取りなど、生きる目的や、価値観のぶつかり合いなど学ぶポイントが多い。
絶対にマネしないでください(笑) 人は失敗から学ぶもの。失敗したら...
絶対にマネしないでください(笑)
人は失敗から学ぶもの。失敗したら死だなんて…
亡くなっていったクライマーたちのご冥福を祈ります。どこかで見切りをつけることはできないのでしょうか?死ぬまでやめられないのでしょうか?撮影者の1人が言った「俺はもういい、2度とやるもんか」に一番共感できました。
ラストのクライミング、もちろん結果はある程度予想できているのですが、掌の汗がすごいことに。ホラーより怖いドキュメンタリー作品です。
心臓に悪いドキュメンタリー映画
これは終始目が離せない心臓に悪いドキュメンタリー映画です。
命を懸けてまでのチャレンジにけして共感などできるわけもありませんが、しかしひとつの生き方として応援せずにはいられません。
命懸けのチャレンジを撮る映画だからこそ撮影する側も少しの油断も許されない、そんな緊迫感がフィルムから伝わってきました。
マックのOS
アメリカの写真家、アンセル・アダムスが撮った、ヨセミテ国立公園内の美しい山々。その険しい峰のひとつ、エル・キャピタン。まさかここを、ロープもなしに素手で登ろうと考える人がいるとは!
命を保証する道具を持たずに、単独で登るスタイルを、フリーソロと呼ぶそうな。初めて耳にしたわ。その奇特な挑戦に密着するドキュメンタリー。
何度も何度も練習して、頭と体にルートを叩き込む。恐怖を乗り越えるには、万全の準備をする。無事に登頂した時には、ホッとした。
信じられない体力と根気
ロープや安全装備を使わずにクライミングするアレックスオノルド。高所恐怖症には全く理解出来ない自殺行為だ。フリーソロでヨセミテ国立公園エルキャピタンの絶壁に臨むのは究極の夢と言う。フリーソロをやる者は皆死んでいる様だ。挑戦とは精神を管理する事と言う。恐さが消えるまで練習する。ケガも尽きない。進めなくなって途中で止める事もある。信じられない体力と根気。カメラも良く追えたものだ。尊敬する事は出来ないが、勇気は讃えよう。
極度の緊張!生きていることの再確認!
すごいドキュメンタリー!
下手なホラーよりドキドキ。手のひら足の裏にじわじわ汗が…。
死と隣合わせになることを通じて強い生の感覚を掴むことができる、ということは体験的にも理解できる。
それを映像として観ているだけで、自分が生きていることのすごさを実感できてしまうくらいの強度がこの映画にはある。
挑んだアレックスはもちろん、撮影クルーにも惜しみない称賛を送りたい。
・ 常人と違うのでは?と脳の検査をするシーン…
・ 環境のために菜食主義
・ 「人はいつか死ぬ。だったら、やりたいことをやる」
*
映画 MERU に似ていると思ったらディレクターとカメラマンの一人が一緒だった。
フリーソロ
この人はなんのためにこんなことをやっているのかというと、全て自分のためである。それがすごい。世界の未来や誰かのためにやってるわけじゃない。その思考が常人とはかけ離れてるし、考えられない。
彼自身には共感できないけれど、彼の周りの人に心底共感できる。その構成にしたのも良かった。
登る前と登っている時の緊張感が伝わってくる。
死と隣り合わせの極限の状況。それに立ち向かう主人公と同じ体験ができるというよりは、その周りの撮影クルーや家族、恋人と同じ体験ができるという映画。
フリーソロ(命綱なしでのロッククライミング)に挑む主人公アレックス...
フリーソロ(命綱なしでのロッククライミング)に挑む主人公アレックスさんが、ヨセミテ国立公園の断崖絶壁エル・キャピタンの登頂に挑むドキュメンタリー。監督は 「MERU」 の監督。
2016春から季節毎に追い続けて2017夏まで続く。
フリーソロという登り方に関しては、信じられない。登頂した場所で立っている映像だけで怖い。なぜ登れるのか、俺にはピンとこない。
主人公は、"戦士" だ。証拠に、そのセリフは戦士の神髄を貫く。「ただ、最善を求める」、「やれるまで準備し、そして、やりきることだけだ」 ・・ 「日本の侍が好きだ」 というのもよくわかる。
妻 「どうして挑戦するの? そのゴール(垂直に縦900m)は異常よ」
妻 「寿命を全うする義務はないの?」─ 「ない」
妻 「少しでも長く生きようと思わないの?」─「思わない」
挑戦意欲 > 生存意欲
すごい例だと思う。こんな風に生きている人がいるのだということに驚く。
おまけ
撮影自体も危険にさらされているし、かつ、「撮影していることが本人にプレッシャーを与えるリスクがあるので、なるべく視界に入らないところから撮影しなければいけない」 など様々な制約があることも、よくわかりました。撮影者たちもまた、圧倒的な技量をもつ登山家たちなのね。
山岳ドキュメンタリーここに極まれり
ザイルなしのフリーソロは登山界でも異端だとされ、名だたるクライマーでさえ彼らには一目置いている。
そりゃあそうですよね。だって一回のミスで即死しちゃうんだもん。
ビレイをとった高所のクライミング映像でも心臓が縮み上がるというのに、この映画を見ている間は落ち着いて座っていることができず、見終わった後は疲労困憊。
究極の恐怖をどうして克服できるのか。万人が思う疑問に答えるかのように、劇中でも主役のアレックス・オノルドの脳の反応を調べる場面がある。彼の脳は「異常ではないが恐怖を感じる部位が常人よりも活発化しない」状態だった。それはトレーニングのたまものなのか、それとも先天性なのか。
彼の生い立ちやエピソードからは両方だと思われた。
一流のクライマーになれた理由は、最適の特性をもった人が、最良の道を選んだ結果なんだろう。
知られざるフリーソロの世界を垣間見ることのできる貴重な映像のオンパレード。
私はクライミング技術もないただのテント泊縦走1週間レベルのものですが、それでさえ大変な準備を要する。「季節と山域・各ルートのコースタイム・登山口選び・バスの時刻表・テント場の選択・宿泊のタイミング・登山ルートの最新情報・食料の内容と補充・ウェア選択・道具の動作確認とメンテナンス」、仕事しながらだとこれに2週間は要する。天気が悪く季節がずれるとさらに練り直し、休みの兼ね合いでなかなか行けなくなることもある。
フリーソロは基本空身で上るため、一日で登れる岸壁にアタックする。その準備のため、ビレイを取りつつ細かく岩の状態を調べ、丹念にメモを取り、何日も何日もシュミレーションする。一流のクライマーがルート選びをサポートする。一流の山岳カメラマンがアングルを決める。誰もが、アレックスに最高難度で難攻不落の壁に成功してもらいたいと思っている。
数ヶ月たって準備が整っても、アレックスはいつ登攀するかを決めない。告知してから登ると気が散るため、集中度が最大限に高まったときに好きなタイミングでひっそりと始める。そのため、撮影隊は野生動物を待ち受けるように彼が動き出すのをひたすら待つ。
そこには無言の命のやりとりがあり、まるでその一帯が静謐な精神世界に変容したようだった。
失敗したら、アレックスは自分の死をさらけだすことになる。撮る側は彼の死を目撃することになる。双方とも相当な覚悟が必要だ。本当にこの人たちおかしい。
でもひっそり初めてひっそり終わるフリーソロの偉業を、一流のクライマーでもある監督たち以外に、一体誰が収められるというのだろう。
ゴールに誰も待っていない。広く世間から喝采も賞賛も浴びることはない。記録がなければ誰も知ることがない。誰にも伝えてなければ、死んだことすら暫く気づかれないかも知れない。アレックスは望まないだろうが、登山に興味あろうとなかろうと、あまりにも孤独で極限の挑戦を続けている人がいることを、もっと世間に知ってもらいたいと思った。
それにしても登山に取り付かれた人って皆が住所不定になりがちですね。
彼に安定と安心をもたらす女性は、結果、彼の集中を削いでしまう。愛は獣性を殺いでしまうのか。
恋人ができたとたん怪我を重ねるアレックスの姿を見て、悲しいかな、彼にとって家族を持つことは向いていないのであって、冒険者としての生き方の難しさも感じた。
生きるとは
ただただ平和な暮らしで毎日穏やかに大切な人と暮らす、そんな普通と言われる生活とは正反対に死ぬまで止まらないほどの刺激に身を置き続ける人間の心の中を少し垣間見ることができるだけでも、この映画には価値があるだろう。
献身的な彼女に心許すも、自分のやりたい事は決して邪魔させない、誰よりも自己中心的な主人公の辿り着く先とは。
常に死と隣り合わせの主人公を通して生きることの尊さと、生きる意味について考えさせられる。
こうして自分の思うがままに生きるのもまた人生なのだ。
エクストリームな生の実感
まさにクレイジージャーニーだ。いったいそれに何の意味があるんだろう。正直そう思わざるを得ない。
そこに山があるからどころではない。撮影クルーが集中の邪魔になるというやりとりもあるが、本当に孤独でただただ断崖絶壁の岩山をクライミングするだけだ。
それは常に死と隣り合わせ。愛する人の心配をよそに、それだけに没頭し人生を捧げる。家庭を大切にしたいと考える(一般的には普通と言われる)彼女の価値観も理解できないという。
自分は当たり前のようにやりたいことをやり、挑戦という生きがいを味わいたい。人生という時間はただそれだけのためにあると。
鳥になりたいと飛行機をつくったライト兄弟のように、思いを寄せる女性に近づきたいとFacebookをつくったザッカーバーグのように、自分の素直な欲求にしたがっているだけか。
自然の一部としてバンで生活する彼の生き方にも強く感銘を受ける。
人生にとって大切なものはなにか。それを問いかけてくれる。
圧倒的なリアリティと手足が震えるほどの臨場感ある映像に引き込まれる、素敵なドキュメンタリー作品。
挑戦し続ける
WOWOWにて。
これは傑作。ドキュメンタリーとしてもおもしろいし、ストーリー性も素晴らしい。
テーマは「生きる目的」かな…。
フリーソロ自体は知っていたが、あれほど大きな岩を登るとは知らなかった。そして登る理由も興味深かった。検査にて扁桃体が特別という事が分かり、より多くの刺激を求めていく…。
「命知らず」と言うことは簡単だが、それだけでは済まない。挑戦することが生きる目的そのものだということ。
『長生きすることは義務?』という言葉が出るが、皮肉でもなんでもなく本心なんだろうな。かと言って死にに行くつもりもない。
矛盾しているように思うが、彼(彼ら)にとってはそれが自然なのか。
鎧で覆うことで集中し壁を登れるが、雑念があると集中が乱れてしまう。恋愛との両立が出来ないのはそうなんだろうな…。何かを達成するためには何かを捨てなければならない。両取りは出来ない。どちらを取るかとなれば「挑戦」を選択するんだろう。
集中を乱さないために撮影クルーが葛藤しているのもドキュメンタリーとしておもしろい。何のための撮影か、結果として映画になっているが、挑戦を記録するためのもの。
撮影班がハラハラして目を背けたり感情的になっている部分も共感できる。練習途中の落下やギブアップなどを乗り越えてきたからこそ登頂した際の感動もひとしおとなる。
そのまま脚本を書いて映画化しても成り立つようなストーリーで、それが全てリアルに起きていることで、今も日々彼は何かしらの形で挑戦し続けている。
山は好きだけどさ〜
心底取り憑かれたらもうそこから二度と離れる事はないのだろう
映画『ディア・ハンター』のクリストファー・ウォーケンも映画の中だけど生と死のギリギリから抜け出せない人であったけどアレックス・オノルドは自ら選んでこの道を進んでいる
気持ちは分からなくはないが親や恋人、友人らの存在を無視とまでは言わないけど切り離して考えている
凄いなとは思うけどどうしても喜べない
もしもの時が来たら必ずみんな後悔するだろうけどそれをみんなが承知でいることの自由さがある意味羨ましくも思います。
日本の三浦雄一郎さんだってもの凄く凄いことをやってるけどここまで見ている側がハラハラすることもないのだろうしやっぱりこの作品は凄いのだ
ハラハラ度で言ったら200%以上でしょうね
作り物じゃないんだもの
カーレースとかなら少しはハプニングを期待しちゃうけどフリーソロはとにかく成功を祈りながら食い入るように見てました、ってか二度ほど目を背けちゃったけど
もう一度見たらどんな感じで見れるのだろう
またそのうち試して見たいものです
彼が身近な存在じゃなくてよかったと思いますよ。
命綱のないクライミング
命綱のないクライミングなんてスポーツがあるなんて知らなかった。
観ている方もドキドキで時々は目をそむけたくなる。
カメラが入ったことで新しい次元に入ったようだが、ビジネスとして成り立っているのに驚く。
全88件中、1~20件目を表示