17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスンのレビュー・感想・評価
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自分の生き方の選択を強制的に迫られる戦争というもの
少年は少しだけ広い世界を知り恋をして自分の生き方を選択する。
生きるために媚びる人、生きるために逃げる人、生きるために戦う人。どれを選んでも責められるようなことではない。人にはそれぞれ生き方がある。仕方ないこともある。選ぶ余地のない人もいる。
主人公フランツは魂の高潔さを求め、魂が生きるために名誉ある死を選んだ。
もしかしたら迫害される師、不当な扱いにより亡くなった恩人、彼らの復讐でしかないかもしれない。
それでも、逃げることなく正義だと思える選択をしたことは、折れることを嫌がったフランツの生き方の選択としては同じようなものだろう。
まだ十代の若者にそんな選択を迫らなければならなかった出来事、いわゆる戦争は、未来を摘み取るだけの最も生産性の低い愚かな行為なのだと改めて感じた。
主要人物の一人フロイト教授といえば夢判断だろう。著作の内容に関して全くの無知だが、夢を用いた映画的演出は面白い。
フランツが見る夢、そして妄想は、フランツの心に眠る望みを表現するのに上手く作用した。
理想と現実の間で揺れる若者の心といった感じだろうか。
フロイト教授から見た夢について直接的な助言はなかったけれど、フランツの想いを探るのにそんなものは必要ではなかった。
あとはオマケで。
作品冒頭に、嵐の中、川に入るシーンがある。メチャクチャ寒そうなのにヨーロッパの人はガンガンいくよな。なんて思っていたら、中盤では雪の中を全裸のシーン。
もう寒さに強いとかそんなんじゃなくて、きっとアホなんだと思った。
雪で寒そうだけど実は寒くない可能性もある?
難しいというか、どうよ?
タイトルに惹かれて見た。
でも思っていたのとはだいぶん違って。
フロイトの「人生レッスン」部分は、後半に出てくるだけで。
ウイーンのナチス侵攻の話がメインで。
主人公の少年が、人生の大先輩たちに色々教わるところは好感度大。
男性として、セクシャリティ的に成長するところも、経過としてまあ必要なシーンか。
フロイトの言葉はメモしておきたい部分もあったけど。
あのラストは、どう捉えれば良い?
みんなどうなったの?。
なので辛口。
そう、女性は葉巻に似ている。強く吸うと快楽が逃げてしまう。
混沌の時代。ヨーロッパ、しかもウィーン。世界の文化がここに結集して終末を迎え始めていた時代。しかしどんな時代にあっても男の17歳は変わらない。頭を輪切りにして開けば女性の裸が95%詰まっている。この時期をどのように過ごしたのかによって人生の大半は決まってしまう。人の手助けを嫌ったりもするが本音は泣き出してしまいたいほどに人の助言に飢えたりしている。僕には"フランツ"のように頭を治す医者に巡り合えなかった。いや、あの頃「夢判断」を読んだ記憶がある。しかし糞の役にもたたにかった。たぶん、目覚めたときに見た夢を書き留めなかったからなのだろう。ちっとも心が穏やかになったりしなかったから・・・・。と言ってフロイト先生を責めている訳ではない。過ぎ去った面目ないことばかりの事柄を思い起こし、「ああああああああ!」と声に出してしまうだけだ。
タバコ屋は何でも売っていた
第二次世界大戦前のオーストリア、主人公の青年は田舎からウィーンに出てきて、タバコやに見習いとして住み込む。
そこで葉巻を通じて知り合ったのが著名なフロイト教授(ブルーノ・ガンツ)で、恋の悩みを聞いてもらう。
ナチスの波が押し寄せつつあり、翻弄されるのだが・・・。
こんな時代は二度と来て欲しくない。
何が友情だったのか?さっぱりだった…
精神分析学の始祖ジグムント・フロイト大先生と家庭の事情で丁稚奉公にウィーンに出てきた17歳の青年とがタイトルにあるような素晴らしい友情物語を結ぶと思いきや、深い関係が築かれることもなく、とてつもなく軽い関係のまま終わる。
あるとき、青年がフロイト先生に軽い恋愛相談にのってもらうと、凡百の人でもアドバイス出来そうな軽い深みのないアドバイスでがっくり。
好きな女の子に相手にされないからってくよくよしないこと、夢で見たことを書き記しておくこと、そしてその女の子を諦めるか、探すかのどちらかだと言われ、自力で探しあてる。大したストーカーぶりだ。
青年は夢を書き記すようフロイト先生に言われた件に関しては、フロイトの精神分析手法で有名な夢判断がなされるかと思いきや、たいして見てもらうこともなく、何も起こらない。
青年に人生は忍耐だとかいうが、なんともジジ臭くて味気ないアドバイスしかできなかったフロイト大先生がつまらない人であったことをこの映画は言いたかったのか?全世界に精神分析学のみならず、哲学や芸術やらに言葉では言い表せないほどの影響を与えたあのフロイトだよ?少しはフロイトの本を読んだことある人なら地味なただのどこにでもいる優しいおじいさんでしたじゃあ、納得いかないでしょ。クローネンバーグもきっとがっかりだよ。
ナチスがオーストリアを併合し、ユダヤ人であるフロイト先生に身の危険が及ぶ前にロンドンに逃げるようにと青年に言う。そして、フロイト先生はロンドンに向かうが、頑固もののフロイトを青年の忠告が助けたとでもいいたいのか?いやいや流石にそんな忠告をされずとも自分の身が危ないことくらいはわかっていたはず。
あの展開もフロイトが本当にウィーンから離れたくないなかで、青年が強く説得するくらいの激しさがあればよかったが、高級な喫茶店で高級なコーヒーをおごってくれたお世話になった先生にタバコを届けに行ったついでにちょろっと言ってみた程度の淡々として地味な感じだった。
冒頭、母親は義理の父親のハゲおやじと真昼間からセックスしてるし、その稼ぎ手の義理の父親がいきなり死んで、食い扶持がなくなり母親に無理やりど田舎から丁稚奉公に出されて、 17歳でタバコ屋で働く、言ってみれば学もなく愛情もなく育った青年。そんな惨めな青年をグレさせずに精神分析で立派になるように導いてくれる話だと思いきや全く違う。青年も不思議と悲愴感がないし、恋人(娼婦)を家に連れ込んでセックスしたりなかなかたくましいし、学校に通ってないわりに頭もそれなりに良さそうに見えるが、それが余計に物語をわかりづらくしている。実はこの映画、フロイト先生とこの青年との友情物語がメインテーマではなく、ナチ時代のオーストラリアの惨状がメインテーマだったのか?だとしても、いつの間にかハーケンクロイツの垂れ幕が街を覆うようになってて、何がどうなったか観客は何もわからないから、ナチスものとしてはかなり中途半端。
ユングやアドラーなんかとけんけんがくがくやり合って忙しいフロイト先生は見知らぬ青年と友情を結ぶなんて暇はなくそそくさと亡命先のロンドン行き汽車に乗って去っていくのだった。
水の底に沈み身を潜めた人々への批判。的な。
まずは、丁寧な造りと絵画のように美しいアルプス山間の風景が好き。
ドイツとの併合の道を取らざるを得なかったオーストリア。自ら生き残りの戦略として無血開城したオーストリア。ナチ迎合がマジョリティとなる中での、ささやかな無暴力レジスタンス。
水の中に逃げる変わった子。彼がウィーンで経験する、凡ゆる事がナチへの反発につながって行きます。
無言の反抗はナチのプライドを汚すもの。悪戯では済まないと。
彼の見る夢が、どんな深層心理を表すものなのか、解説するのも野暮っちゃ野暮なんでしょうが、チョビっとネタバレしてくれても良いのに。彼の深層心理は、すなわち当時のウィーン市民の心理状態である、との描写でしょうか。
フロイト博士の周辺のエピソードをスルーしてるのは意図的なんでしょうね。激動波乱の晩年だもんねぇ。フランツの物語が霞んじゃうw
ビールが呑みたくなる映画。
田舎から出てきた男の子の恋あり、成長ありの映画かと思いきや、なかなか重い仕上がりの映画。丁度、朝ドラ(エール)も戦局に突入していく日常を描いているのでなんとなくリンクしてしまいました。隣人がいきなり、ナチの籏を掲げたらやっぱりビックリしますよね。日常が非日常になっていく過程がよく理解できる映画。別にフロイト博士は出なくてもいいような!今年はジョジョラビット、この作品、これからの異端の鳥‥ナチが出てくる映画が多いような。気のせいかな。フランツも彼女さんも美味しそうにビールを飲んでいて、そこは救われました。
何か当たってる。褒められてる気分だわ・・・
オーストリア激動の時代、1937年。山と湖に囲まれた田舎から、オットーが営むタバコ店に見習いとしてウィーンにやってきた17歳のフランツ。常連客を覚え、やがてフロイト教授とも懇意になる。教授には恋愛相談もするし、夢を書き留めるという勧めも受け、一目ぼれしたボヘミア出身の女性アネシュカともいい関係を築くようになるが・・・
冒頭から母親の恋人が感電死するという笑えないコミカルなエピソードで始まるし、性欲も旺盛になってきた17歳のフランツの心情もちょっとコミカルに描かれていた。夢を見たら、ノートに書き留めることは最後まで貫いていましたが、フロイトの夢判断には役立ったのでしょうか?彼の夢は必ず故郷の湖が中心だったし、教授の死、アネシュカが赤いバラを吐き出しながら沈んでいく様子など興味深いものがいっぱいありました。
夢以外でも、フランツは暴力的な妄想も繰り返していましたが、これはナチ一色になりつつあるウィーンでの不安や抵抗の現れだったのか、夢よりもわかりやすかったです。オーストリア併合の直前だっただけに、ユダヤ人や共産主義者排除の思想が蔓延して、店の常連客の抗議自殺も目撃したり、フランツの心配はユダヤ人であるフロイト教授にも及びます。イギリスに逃げて!
アネシュカとの恋愛模様も青春映画の一コマとしてとても良かった。雪の中に裸で寝そべるなんてのも印象に残ります。そして小動物や蛾の死骸といった不気味な映像、対する蜘蛛の映像がそのままナチスを表していたんじゃないかとも思え、かなり反ナチの色合いも強かったと感じます。残念なことに、フランツ、フロイト、アネシュカがどうなったのか・・・かなり丸投げで鑑賞者に委ねているのが勿体なかったかなぁ・・・
尚、葉巻やタバコの夢は、自分を縛ってる事柄から解放され、自由になることを意味してるらしいです。
7月の第4週、体育の日に鑑賞。 久しぶりに、渋谷Bunkam...
7月の第4週、体育の日に鑑賞。
久しぶりに、渋谷Bunkamuraル・シネマに行ってきました。以前はJR渋谷駅からハチ公口からスクランブル交差点を渡ってBunkamuraに行ってましたが、地下鉄の出口からショートカット出来るをつい最近知り、人の多い交差点を渡らずBunkamuraへ行くことが出来ました。
さて、作品ですが、
主人公は17歳の青年フランツ。
彼がウィーンに仕事を求め上京し仕事場となるタバコ店でフロイトと出会う、、
副題が「フロイト教授の人生レッスン」
なんですが、“なんとかレッスン”と聞くと、ちょっとエロなことを想像してしまうのは自分だけですかね・・(^^;
で!フロイトを演じているのはブルーノ・ガンツ。「ヒトラー 〜最期の12日間」のヒトラー役は記憶に残る演技でした。
本作「17歳のウィーン」は1937年、
ナチスドイツの併合に揺れるオーストリアが舞台。そしてフロイトはユダヤ人。
迫害を受けることになるユダヤ人を演じ、かたや迫害する側の張本人も演じられる。
幅の広い演技の出来る方だったのですが、惜しくも昨年亡くなっていたんですね😥
本作でのフロイトと青年のフランツのやりとりもとても良かったですが、
タバコ店の店主オットーを演じた
ヨハネス・クリシュの演技も良かった。
一見頑固オヤジ風ですが、青年フランツを見守る優しさが伝わってきて、、
そして、青年フランツの妄想と現実の描写。
映画を観初めた時は、その描写に戸惑いも感じたんですが、恋、時代の流れ、辛い現実、17歳の揺れる心を描いていくところに徐々に惹かれていってしまった。。
地味ながらも、悲しい時代の波と青年の成長を感じることのできるなかなか良き作品でした。
ブルーノ・ガンツを観に行く
本当にどんな役にも入り込んで、その役として
スクリーンに生きている。彼の存在感がこの映画を生きたものにしている。
フランツの夢のシーン、自殺するコミュニスト、ナチスの旗がオットーの片足が短くなったズボンに替えられている所、重苦しさと幻想が入り混じり、タバコのような苦さを感じた。
【”心の自由なくして、民族の自由なし!”美しい湖の畔から雲行き怪しいウィーンに来た無垢な少年と、フロイト教授等、彼の地で暮らす人々の”交流”を幻想的なシーンを織り交ぜ描き出した美しき作品。】
ーナチスの忍びよる影が色濃くなってきた、1930年代のウィーンが舞台ー
■印象的なシーン
・”坊や”フランツが働くことになった、オットーの芯の通った男振りと、キオスク店内の装飾に惹かれる。
ーえ、タバコ屋なのに、文房具も、”そんなもの”まで、売っているんですか!。
オットーの”タバコ屋は、味わいと悦楽を売る場所だ・・”に少し、納得・・。粋なセリフでもある。-
・フランツの数々の夢想シーン。美しい。海中を漂うシーンが好きかなあ(胎内にいる胎児のイメージかなあ・・。未だ、何物でもない、フランツ。)-
・アネッシュとの出会い。タバコ屋での行為。その後、雪上で、全裸で燥ぐ姿。
ーフランツ、一目惚れですね・・。フロイト教授の恋のアドバイスにキチンと従う、フランツ。-
・劇中、頻繁に現れる蜘蛛。
ーナチのイメージかなあ・・。アネッシュのイメージかなあ・・-
・ゲシュタポたちの愚かな数々の行為。
ー権力を笠に着る奴らは、大嫌い。それに便乗する連中も。
そもそも、人間のそのような習性を狡猾に利用したのが、”アドルフ”なんだよなあ・・。-
・アネッシュとの別れのシーン。
”生きるため・・”
<17歳の無垢な少年が、ウィーンで経験した数々の出来事により、一人の男になっていく姿を美しき東欧の街並みを背景に描いた作品。強烈な反戦映画でもある。>
■あの、美しき石畳、石造りの街並みも印象的。
ドイツでは、映画とは言え、ハーケンクロイツを街中で掲げることは禁止されているはずだから、オーストリアでロケーションをしたのかな。チェコかな・・。>
これがキオスク
わけがある悲しみよりも、わけもなく悲しくなる方が辛い。
17歳の「坊や」が、母から離れて見習いとして働きに、大都会に出てから経験することの数々。
第二次世界大戦を背景に、自由が失われていくオーストリアの民と、この時代の心理学者フロイトを絡ませながら話は進んでいく。
17歳で、こんなにも成長し、男になり、自分の考えを一途に貫くことができるようになるなんて、「かわいい子には旅させろ」なんでしょうかね。
フロイトも良い味を出してました。本当にこんな出会いがあったのかはわかりませんが、すごい博士だと知っていても、臆せずに懐に入っていくところが、若さなのか真っ直ぐな性格なのか。
いろんな視点で、考えさせられる映画でもありました。
夢と衝動と人の業
原作は未読。話題はちょっと聞いたなーくらいなもんで。
フロイトとユング、発達障害へのアプローチなんかをざっくり知ってると、あの湖の中へ少し入り込めるのかもしれませんね。この映画の評価の難しい所はソコで、僕は主人公を軽度の発達障害であると認識してからのウィーンなので「なるほど」となるのに対して、17才の多感な田舎の少年が都会に出て成長する物語と捉えると「むむむ?」が増える気もしたりして。
正解がどうという事ではなく、見えてるものをどう捉えたか?が大事になる、そう考えると極めて興味深い作品ですよね。そこに静かに絡んでくるドイツのオーストリア侵攻。ナチスの赤い旗が無機質に禍々しくはためく姿は、怖くもあり美しくもありました。
悪くない
戦前であろうと、戦中であろうと、現代であろうと、17歳と言う多感な年齢の考えることは、いつの時代も変わらないという事ですね。現代はやや語弊があるかな?
にしても原題は「キオスク」。邦題との乖離は、甚だしいな。
妄想坊や
1937年ウィーンのキオスクで見習いとして働き始めたザルツカンマーグート出身の17歳の少年の話。
フロイトと少年の友情を描いた云々とあるけれど、そこがメインという感じはなく、恋やその時代のオーストリアの情勢に戸惑う少年の相談相手になってくれるフロイトという存在。
彼の感情を映した様な妄想シーンや、不思議な夢のシーンが時々差し込まれながら、初めて仕事、初めての恋、ナチスドイツによる併合での変化をみせていく展開で、少年の成長と決断をみせる作品という感じかな。
序盤の雷なんかは悪ふざけにもみえるし、重い内容もあるけれど、空気感は重くなく、不思議と引き込まれた。
キヨスク(煙草屋兼新聞屋)は、知識と教養の砦
1937年のウィーンにあるキヨスクに田舎の若者が住込みで働きながら、初期の頃は独裁者に対する風刺も出来た世間が、徐々にナチスドイツに侵食されてゆくオーストリアの悲劇を静かに体現。
冒頭の故郷の湖に潜る少年は、まだ幼くて母親の羊水に溺れるかのごとく頼りないが、知見のある父の様な店主と働き、愛を知り裏切られながらも青年となる。
その過程で知り合った、心理学で有名なフロイト教授(ユダヤ人)の交流にも涙。
特に原作にはない幻想的なイメージと落ち着いたトーンの撮影が不思議な余韻醸し出して魅せる。
劇中の舞台となるキヨスク(煙草屋兼新聞屋)は、知識と教養の砦として機能していると思う。
それは、差別と偏見を煽る連中に対する鎧であり、過去のことではなく、現在の世界と日本も例外ではないと感じる。
独創的な作品
戦時中の17歳となる少年の心の描写をアートチックにそして詩的な表現とともに描かれた独創的な作品であった。
初恋、友人、母親との関係をウィーンに来てからあらゆる経験をしそしてそこで自我が育まれ、その成長過程をフランツと共に楽しむ事はできた。
ただ緩急があまりなく、独創的な表現、描写が多い為、所々ウトウトしてしまい退屈に感じてしまうこともあった。
コアな作品を扱い上映してくれるキノシネマにはいつも感謝しているが、その中でもこの作品は中々コアに感じた。
物凄く観ていて楽しいと思う作品ではないが、中々触れることのないオーストラリア映画を観ることができたのは貴重な経験となった。
キオスクは大人のおもちゃ箱
ナチスドイツに併合される暗雲立ち込めるオーストリアを舞台に、ウィーンから来た多感な少年の成長を描く。
少年が働くキオスク(煙草屋)は、大人になるためのツールが詰まった、ある意味“大人のおもちゃ箱”。戦乱に突入していく情勢ゆえ、否が応でも大人にならざるを得ない。それでも少年は、その現実を受け止めていく。
少年が妄想の中で好きな女子の前でカッコよく振舞ったり、憎々しい相手に強くなったりするのは、同じ男としてよく分かる。ただ、その妄想インサートが若干しつこく感じる点は否めず。
ヒトラーやナチ党員を何度か演じてきたブルーノ・ガンツが、こちらではユダヤ人のフロイト役というキャスティングが効いている。彼の最後の名演に合掌。
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