ひとよのレビュー・感想・評価
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長く長く曲がりくねった道。
まーつーおーかーさん?君一人に、今年だけでも、どんだけ泣かされた事か。また添い寝でしたね。やられた。今年の邦画一番、最有力候補だった、オレ的には。
撮影は鍋島淳裕さん。「楽園」に引き続きカメラを構えてます。瀬々→白石で連投とか凄くないですか?まぁ、画を観れば鍋島氏を使いたくなるのも納得ですけど。いや、前日観たシュナーベルのゴッホの画が散々だったので、余計に素晴らしく思えました。
子供達を助けるために。子供達の未来のために。それが母親の想い。三人の子供達の想いは三人三様。いや、15年の時と、その間に経験して来た事が、三様の成長をもたらしただけなんだと思うけど。
私達を守ってくれたと言う娘。子供達の人生をめちゃくちゃにしたと言う次男。感謝と嫌気が錯綜する長男。「愛する人は失いたくない」。直ぐに気付かない、気付けないのは、離れて歩んで来た道が、余りにも余りにも、長く曲がりくねっていたから。by Paul McCartney なんつって。
ハッピーエンドで良かった。ホントにホントに。家族の記念写真撮影シーンが、ポール・ダノのワイルドライフと、全く同じ意味合いで使われます。「家族の門出」の象徴。良かった。とーっても!
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11/13 追記
若松孝二監督の「映像塾」の塾生、白石和彌らしいドスの効いた重さ。脚本は「トリガール」「坂道のアポロン」「ごっこ」などの高橋泉。やっぱ、どっか一か所だけ「へっ?」な所があるんですよね、高橋さんの脚本。佐々木蔵之介が、泥酔して田中裕子を誘拐し無理心中を図ろうとする、ってのが引っ掛かるんだけど。
劇中、「現在の姿」に「15年前の体験」を重ねると言う演出が数回。「子供3人の追跡劇」のオーバーレイの為の設定にしては、くどいと思いました。埠頭での大立ち回りは白石和彌らしかったです。
個人的には、冗談抜きにして「蜜蜂と遠雷」とこの作品で見せてくれた、松岡茉優の振れ幅のでかさに拍手したいです。「万引き家族」で共演した樹木希林さんから、確実に何かを引き継いでる気がします。また、感動できる芝居、見せて下さい!
更に死ねっ!!
父親の暴力から子供達を守る為、母親が父親を轢き、服役~ほとぼりが冷める15年後に帰って来ると言って自首した15年後の話。
突然帰って来た母親を迎え入れつつ、殺人犯の家族として暮らし鬱積してきたものに戸惑う兄妹達というストーリーで、そこに展開の切っ掛け要員として堂下のオマケストーリーが載っかってくる。
今に至る苦労や本当に救われたのかという疑問等、それぞれが抱えてきたものを振り返り、葛藤し、ぶつけ合い、向き合っていく様は、とてもじゃないけど共感出来るとは言えないが、痛さと哀しさと強さと優しさが伝わってきてとても良かった。
それにしても表情とかちょっとした目線の持って行き方まで、松岡茉優が上手くて感心する。
とにかく役者さんが素晴らしい
容赦ない
田中裕子を見れて満足なのだけど、、
なんとなく赤堀さんの映画みたいなものを豪華キャストで金をかけてやる、といった趣向の映画。でも白石監督の作品はだいたい「一生懸命やる」というのが全面に出ていて赤堀作品のような繊細さはない。繊細さって押し引きだと思うんだけど、押せ押せなのがいつも残念に感じる。
で、今回は主演の佐藤健がとにかく繊細さがない。メイクもキメキメなんだけど芝居がメラメラ感いっぱいで、この人こんなに芸域狭かったっけ、と思えるほど。松岡莱優はまあ見たことのある松岡茉優で、田中裕子は何をしてても素晴らしいが、舞台劇原作らしいけど、個人的にはチラ見せだけで終わる、そのDVの父親との日々の抑圧があまり家族のキャラクターに落ちきってるように見えなく、田中裕子は素晴らしいのだけど、あと一歩感があった。
観終わって、なぜか「スリービルボード」って素晴らしい作品だったな、と思った。
安心して見られる家族再生の物語
父に暴力を受け続けるのと人殺しの子と言われるのとどっちが良い?
ちょっと色々アラが見えてなんかやるせないのだ。白石和彌は昨年も今年も3本撮っている監督である。映画を年に3本撮るのはやはりダメでしょと思うのだが、どうだろうか? 今回は日活が製作のメインということもあってどうしても私が大好きだった藤田敏八と比較してしまうのだが、彼が一番乗っていた73年には4本。74年にはなんと5本も撮っているがそのうち3本は秋吉久美子、あと梶芽衣子と沢田研二で良くも悪くもいわゆるプログラムピクチャーの時代なのだ。タクシー会社で雨の日に親父を殺すというシチェーションはどうしても「青春の殺人者」を想起してしまい、長谷川和彦は生涯で2本しか撮っていないのに、そんな職業映画監督でいいのかい白石さん!(撮りたい気持ちはもちろんわかるが)と思ってしまうのだ。松岡茉優の演技が素晴らしい。彼女に救われた映画である。
ツッコミどころはあるけれど
泣けました。
15年、どうやって暮らしていたの?
DV父(夫)はいつから?
タクシー会社を守ってきた人達、なぜそんなに献身的なの?
とか、いろいろツッコミどころはあったけど、泣きましたね〜。
田中裕子はやっぱりすごいな〜と。
どうしようもない・・
人間って、ほんと、どうしようもない生き物です。他の生物と同じようにエゴイストの癖に中途半端に心というやつを持っている。
この・・心が曲者で、やたら傷ついたり、悔やんだり、悲しんだり、憎んだり、勝手に自分にプレッシャーをかけたり、疲れてしまったりする。
だから、人間は何でもかんでも、やり直そうとする。それを再生と呼ぶけれど、それは再生じゃなくて、本当は創出(全く新しい生き方)と呼ぶ方が相応しい気がする。
なぜなら、人は沢山心にダメージを溜めながら、そのダメージを下地に、ひとりの人間を形成していくものだから、過去をやり直すなんてできません。
この映画はそういう心に多大なダメージを負った人たちの未来への希望を表したお話なんじゃないかと思う。そういう人間のどうしようもなさに涙が出ました。
ひとよ、一夜、人よ
優しい映画だと思う。
「あの夜は一体何だったのか」
悲しみや途方に暮れた夜もある。
希望に満ちた夜もある。
「他の人には、どうでも良くても、自分にとって特別だったら、それで良いじゃないか」
でも、いつか皆にとって特別な夜も来るかもしれない。
そして、そんな夜は必ず明けるのだ。
埠頭の朝日のようにキラキラ輝いて。
DVによって引き起こされる悲劇的な事件を背景にしながらも、ひとりひとりの異なる葛藤を大切に描いている。
ともすれば、エゴとも捉えられかねないような行動も、心の揺らぎを暖かく見つめているように思う。
雄二は、母親に買ってもらったICレコーダーでたまたま母親の父を殺した告白を録音してしまって、それを何度も何度もひとりで聞き返して、その呪縛で悩んでいたのだ。
愛情なのか罪なのかと。
優しく、人の弱さや強さも見つめた映画だと思う。
過度に事件に寄らず、嫌がらせの張り紙やタイヤのパンクも、さもありなんと乗り越えるような様。
逆に、いかにもありがちな大樹と二三子の家族の問題は感情の振れ幅をやや大きくしてみせる対比。
弓の抱える家族の問題も実は、皆が抱える悩みのはずだ。居なくなって、ついでに死んでくれたら良いのにという弓の独白を聞くと、この問題の社会での大きさが分かる。
そして、園子と真貴の存在や行動が全体に凛とした前向きな雰囲気を与えている。
僕は、「巻き込まれようよ」という丸井の、決してカッコよくはない言葉で涙が溢れそうになった。
この映画には、世の中の縮図があるような気がした。
観賞後の心が軽くなるような映画だった。
最後に加えて、田中裕子さんはじめ、俳優陣が本当に素晴らしかった。皆んな、大好きになった(笑)←単純。
峠を越えたらまた峠
3人の子供を守るためにDVの夫を轢き殺した母が出所ししばらく経ってから家に戻る話
予告編ではもっと暗い悲しい話だと思っていたが本編を観たらそれほど感じなかった
だからといって暗さや悲しさがないわけではない
決してコメディーじゃないけどなぜかところどころ笑えるシーン多い
笑えるって言ってもおっさんずラブみたいに観客が大笑いするような笑いではない
微笑むようなクスッという笑い
それでいて悲しい
個人的には長男の「母さんは母さんなんだぞ」というセリフが好き
細川たかしが歌ったおそ松くんのオープニングテーマを思い出しおかしかった
松雪泰子芦田愛菜ダブル主演で話題になったテレビドラマ『Mother』でも同じような役をやっていた田中裕子が今回はそれ以上にいい味出している
家は大洗のタクシー会社
殺人事件以来続く正義の押し売りで3きょうだいやタクシー会社の人々は苦しんでいる
長女は美容師の学校を途中で辞めスナックのカラオケで『夢をあきらめないで』を歌っている
長男の嫁役にMEGUMI
リアルでも母親だけど事務所が無能なためか千秋や坂下千里子みたいにママタレントになれなかったMEGUMI
それなら女優になろうというのは突飛な発想だが結果オーライそれも悪くない
今年は役者としての活動をあちこちで見かけるが今後もMEGUMIの活躍に期待している
散髪のシーンなど必要だったのかもしれないが浅利陽介のあの長髪はとても不快だ
田舎のスーパーでたまに見かける親がやんちゃだとついやってしまうちっちゃな息子の後ろ髪
なんだよあれ鬱陶しい
次男と度々衝突する長女役の松岡茉優の熱演が良かった
今まで観てきた松岡茉優のなかで一番良かった
ハマリ役だった
元ヤクザのタクシードライバー佐々木蔵之介も良かった
カーチェイスあり
最後は家族で記念撮影し出版社で働く次男が東京に戻るシーンでこの作品は終わるがそれがまたいい
セックスの2シーンはいらない
どうしても必要なら15禁か18禁になるくらいやれ
そうじゃないなら必要ない
惜しいマイナス0.5
余談だが韓英恵がときどきキンタロー。に見えてしまうのがちょっぴり笑えて悲しい
あと斎藤洋介さんが思いのほか普通にジジイになっていたのがちょっぴりショック
役者さんの実力に安心して、ちょっとお座なりに作ってしまったのでしょうか。
素朴な疑問。
❶出所の日まで情報開示されているのに、時間は不明、というのは法律的制度的に実際にあることなのでしょうか。或いは迎えにきた家族の待機場所などはないのでしょうか。だとすればヤクザの親分の出所などのニュース映像は子分たちもテレビ局も朝から張り込みをして撮っている⁈
出所した日が刑期を何年務めたあとなのか不明ですが、その後15年目に帰ってくるまでの期間、母親は職と場所を転々としていたと語ってましたが、約束、というよりあの夜に宣言した〝15年〟に拘ったが故に帰らなかったのか、だとしたらその拘りの理由は何なのか。守ったはずの子どもたちの〝今現在〟は気にならなかったのか。他に理由があって帰りづらかったからなのか。長女が手ぶらで帰ってきた後、兄弟3人は出所後しばらく経っても母親が帰って来ない理由についてあれこれ考えたはずですが、その間のことについてあまりにあっさりスルーし過ぎではないでしょうか。
宇治金時のネタのためだけの空白期間だとしたら、誠意の感じられない演出に思えてしまう。
❷母親は15年に渡る逃亡生活の果てに戻ってきたわけではなく、犯罪後、直ちに自首して裁判を経て収監されています。従って、裁判において改めて説明される父親の暴力やそれから子どもを守ろうとした母親の心情の詳細などの弁護側証言を聞いているはずです。結審後は刑務所での面会など(当然親代わり的な丸井社長や弁護士や子どもたちは母親との接点は継続的にあったはずです)を通じてお互いに慰めあったり、励まし合ったり、子どもたちへのいじめなどがひどければ、転校したりしたのではないでしょうか。
仮に転校などが経済的制約で具体的に何も対応が出来なかったとしても、母親が、誇らしいと自己満足してその後の子どもたちの苦労を何も知らないくせに、という次男の思い込みは生まれなかったということになります。
それに、事件当時、無免許であっても自動車の運転ができるほどの社会適合性を持っている子どもたちであれば、経済的援助がなくても弁護士や丸井社長の人脈も含めたアルバイト先斡旋やその後の進路の相談環境は相応にあったはずです。そして、どう生きていくべきかについても兄弟3人で思索することで(それができる3人であるように描かれてますよね)、平和な環境にいる同年代の他の子供たちよりも早い速度で成熟していきます。それでも卑屈な精神状態に追い込まれる状況ができるとしたら、それは母親への一方的な恨みという形ではなく、進路選択や就職などのタイミングで差別があった場合などに、機会均等という面でアンフェア且つ非寛容な社会への憤りを抱くということのほうが原因としては大きいと思います。
❸15年前の事件や報道を基に、わざわざ中傷ビラ配布やタイヤパンクなどの犯罪を(単なる嫌がらせではなく、れっきとした犯罪です)自分が起訴されるリスクを冒してまであんな嫌がらせをする人がいるのは不自然ではないでしょうか。個人的にあの母親やタクシー会社を恨んでいる人がいるなら別ですが、演出過剰気味だと思います。可能性としては否定しませんが、映画におけるリアリティとしてはやや興醒めです。不謹慎かもしれませんが、最近発生したエアガンによる幼児虐待のニュースを聞いて、野田市の児童虐待のことを思い出す人がどれほどいるのか、ということです。批判で言っているのではなく、世の中の実相として15年前の殺人事件はそれほども遠い出来事なのです。
あの規模の会社で防犯カメラやSECOMなどの装備が無いのも非現実的なように感じます。
役者さんの実力に依存して、色んなものがお座なりな気がしました。
【気になることについて備忘のため、追記 2019.11.10】
本作も『楽園』も私の中では、『怒り』とか『64ロクヨン』と同じ〝慟哭系〟だと思っているのですが、私がこのタイプの映画に期待するのは、まどろっこしいほどの個人の内面の葛藤です。その点、『怒り』は見事でした。綾野さんと妻夫木さん、宮崎あおいさん親子、広瀬すずさん、だけではなく、すべての登場人物が狂おしいほどに自己の内面と闘っていました。勿論、勝ち負けや正解などありません。鑑賞後、それぞれの登場人物が絶望的な状況の中でどう居場所を見つけていくのか、映画で描かれた出会いや関係性はどうなるのか、などを想像することで、いつのまにか普遍的なテーマ(例えば、自分の判断や責任や覚悟など)に向き合うことになります。
ところが、『楽園』の村八分とか本作の冷たい世間の嫌がらせ、は内面の葛藤の前に、外部に明確な悪意(敵)を設定してしまうことで、自己責任が曖昧になります。自己の弱さや過ちを外部要因のせいにできてしまいます。鑑賞後、観た者にのしかかってくる疲労感が『怒り』に比べて遥かに軽いのはそのためだと思います。
外部要因に依存した葛藤で映画を作った結果、本来深く思索しなければいけないことまで、スターウォーズのトルーパーやダイハードなどで片っ端から殺される敵側の子分たちのように、軽量化されてしまったのではないか。
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