慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ
劇場公開日:2019年6月8日
解説
「春の夢」などで知られる韓国映画界の名匠チャン・リュル監督が描く男と女の物語。北京大学教授のチェ・ヒョンは、親しい先輩の訃報の受け、久しぶりに大邱の地を訪れた。先輩との7年前の旅を思い出し、大邱からほど近い慶州へ足を延ばしたヒョンは以前と変わることのない美しい緑に包まれた古墳が並ぶ町並みを懐かしんでいた。また、ヒョンは慶州で、ある茶屋にある1枚の春画を確認したいと思っていたが、すでにそこに春画はなく、茶屋の美しい主人ユニによると、7年前から茶屋に春画は存在しないという。その後、ヒョンはかつて一夜をともにした後輩の女性をソウルから呼び出し、彼女から驚きの秘密を打ち明けられる。主人公のヒョンとユニを「22年目の記憶」「天命の城」のパク・ヘイル、「私の愛、私の花嫁」「火山高」のシン・ミナが演じる。
2014年製作/145分/韓国
原題:Gyeongju
配給:A PEOPLE CINEMA
スタッフ・キャスト
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2020年3月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
不思議な話だった。雰囲気のある話だった。そしてヒロインを演じるシンさんはきれいだった。なんか、何度でも観たくなる作品だった。変な話なのに...
観て2日経った日に書いているのだが、これはみんなに観てほしい映画だという思いが日に日に高まっている。機会があったら、ぜひどうぞ。
主人公が、昔行った慶州へ行き、壁に春画が描いてあった茶屋を訪ねる話。主人公が何も考えていなくても、周りのペースで事が進み、本人はけっこう楽しい。そうして茶屋の女主人といっしょに過ごしたというだけの話しなのに、観客の我々は、主人公が時間の狭間にでも落ちたかのような経験をする。
これから観る人がいるなら、前半で次のシーンは、よく観て記憶しておくとよいと思う。
・慶州に着いた場面での、観光案内所のシーン。特に川の音の話。
・主人公が昔の恋人を慶州に呼び出した場面での、易者のシーン、ミネラルウォーターを渡す店。
それらを記憶しておいて後半を観れば、自分のように二度観ることなく、すっきりするかもしれません。いや、すっきりはしないか。不思議な感じが増すだけかも。でも、それはそれで価値だと思う。
以下、観た感想を書いてみようと思うけれど、まとまった内容を書ける気は、全くしない。疑問の羅列になってしまうが、自分のためのメモとして書き残しておく。
--- ここからネタバレのリスクあり。ご注意ください ---
主人公は、主人公が非常に高く評価されている東アジアの政治学を、いくら自分が評価されても、クソみたいな学問だと思っている。戦争の恐怖が、主人公を、より安全な中国へ赴かせたのだろうか。北京大学の教授にまで昇りつめたとはいえ、東アジアの政治学はそのための手段に過ぎないということだろうか。戦争の恐怖によって、雷が北の砲撃に聞こえ、暴走族の爆音にさえビクビクするのだろうか。主人公が本当にやりたかったことは、茶屋の女主人が、何の教授なのか予想した際の回答だった、「美術の先生? 違うの? じゃあ哲学の先生?」という辺りが、やりたいことだったりするのだろうか。
「前のオーナーは美人でしたね」とあなたは言ったが、前のオーナーもあなただったのか、とわかって笑わずにはいられなかったのだろうか。
女主人は主人公との会話中に予約の電話を受け、「はい。明日、3人ですね」 と答えているが、この予約は、7年前の主人公を含む彼ら3人からの電話だったのだろうか。
妻の歌う「茉莉花」が、彼を、時の狭間から呼び戻したのか。
写真に写っていない、写りたがらない女主人。見えない壁にでもぶつかったかのように、突然転倒した暴走族。
主人公の願望が、妄想として現れるのか。たとえば、死んだ先輩の若き妻が突然茶屋に現れるシーンは、死因はこうであってほしいと主人公が願ったのだろうか。
「人々が散らばった後、三日月が浮かび 空は水のように青い」
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この映画に通底するテーマ
それは、人間(登場人物)の行動原理について、だと思う
主人公の男の行動原理は極めて希薄である
昔の女を呼び出したシーンでは、別に計略や下心を持っていたわけではない。わざわざソウルから出て来ている女に対して、とりあえず飯に行き、とりあえず酒を勧める。ガツガツもしてなければ、飄々ともしているわけだ。女は酒と彼の過去に対して深い行動原理があるのとは対照的に。
権威的な立場にある、自身の学問分野に対してもクソだと云い捨てる。田舎の大学から出世したい、地元の大学教授の行動原理とは対照的に。
お茶屋の娘の行動原理は、死んだ夫と似た耳をした主人公に対する、失ったものを求める情愛から。なんの行動原理もなくただ家について来たから、彼女を求めることもしないのとは対照的に。そして、彼女がその耳に触れた時、夫のそれとの違いに気づいた彼女は彼を求める行動原理を失うのだ。
そんな彼の行動原理は何か。それは、ただ気になったお茶屋の春画であり、昔の女友達に会うことである。目の前で起きた交通事故とその怪我人よりも、観光案内所の女に否定された、自分があると信じた川の音が彼を突き動かすのだ。
自分の妻への疑いから自殺を遂げた友人の苦悩が、わかろうはずもない。彼はただ妻の歌声を聴くのみである。
生気のないような出で立ちと、立ち振る舞いになるのも当然と言える。
これはそんな、人にとっての行動原理のお話なのかなと思いました。
2019年6月24日
Androidアプリから投稿
間違いなく喪失の物語ではある。
ただ、ユーモアにくるまれている。
映画館がたびたび笑いに包まれた。
喪失に直面したものが持つ「おかしさ」ゆえなのか。
喪失は魂の渇きでもあるのだと思う。
潤いを失った魂は、ときどき立ち止まってしまう。
無理矢理背中を押すこともできないし、無言でそんな渇いた魂に寄り添うことも簡単なことではない。
お互いを気にかけながらも、脈絡の説明がつかないやり取りになるのだと思う。
ユーモアにくるまれて当然なはずだ。
喪失なんてよくあること。
愛する人との不条理な別れからおのれの出世欲の喪失や、喪失の予感におののくことまで、世の中には、人生には喪失の物語があふれている。
韓国の喪失の物語、実に読後感が豊か。
孤独感を表すかのようなユーモアの数々が面白かった。
そして旅人と茶屋の女性主人のある夜のめぐりあいの時間がとてもやさしくて美しいシーンだった。おバカ中年のような旅人のやせ我慢のようなユーモラスさに救われる思いだった。
もの凄く良かった…!! 現時点で今年一番の作品。登場人物は悲しみや後ろ暗い所を持っているのが垣間見れるんだけど、それがユーモアと隣り合わせにある。館内で何回も大きな笑いが起きた。
慶州の、古墳が街中に普通にある感じが面白い。すっと異世界に入ってしまう。プレイボーイみたいな主人公同様、物語も飄々としてるかと思ったら、すとんと暗い現実の穴に落ちたりする。丁寧に作られている映画なんだな、と思う。
『春の夢』も最高だったし、チャン・リュルの作品をもっと見たい。日本語も中国語も普通に出てくるのも面白かった。