「良くも悪くも、写りの良い家族写真といった感じ。 3.11をダシに使ったように見えなくもないかも…。」浅田家! たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
良くも悪くも、写りの良い家族写真といった感じ。 3.11をダシに使ったように見えなくもないかも…。
実在の写真家・浅田政志の写真集を原案とし、彼の目に映る東日本大震災と、それにより発見した家族の絆を描き出すヒューマン・ドラマ。
監督/脚本は『湯を沸かすほどの熱い愛』『長いお別れ』の中野量太。
主人公、浅田政志を演じるのは『GANTZ』シリーズや『検察側の罪人』の、「嵐」&「ジャにのちゃんねる」のメンバーである二宮和也。
政志の恋人、川上若奈を演じるのは『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』の名優、黒木華。
政志が東北で出会うボランティアの青年、小野陽介を演じるのは『帝一の國』『銀魂』シリーズの菅田将暉。
政志の兄、浅田幸宏を演じるのは『渇き。』『怒り』の妻夫木聡。
中野量太監督の過去作『湯を沸かすほどの熱い愛』が、世間の評判に反して個人的に全く刺さらなかったので、今作の観賞にはあまり乗り気ではなかった。
しかし、観賞してみると思いの外観易くて、割とスルスルと入ってきた。
『湯を〜』の時に感じた監督の作家性というかクセというか、そういうドロッとしたものを封印した、良くも悪くも優等生な作品であると感じました。
原案となっているのは、浅田政志の写真集「浅田家」と「アルバムのチカラ」の2冊。両方とも未読。
「浅田家」は作中でも描かれていた通りのコスプレ家族写真集であり、「アルバムのチカラ」は東日本大震災の被災地で写真返却のボランティアをしている方々を取材し撮影した写真集のようだ。
本作を観賞して思い悩んでしまうのは、やはり震災と映画の関係性。
東日本大震災による死者・行方不明者は1万8,425人。
あまりに数字が大きすぎて、書き出してみても全くピンと来ない。それほど想像を絶している。
今なお苦しんでいる方も多くいる、現在進行形の悲劇である。
震災を扱った映画も、現在ではままある。
直接震災を描いていなくても、物語の背後に震災が隠れ潜んでいたり、比喩的に震災を扱っている例もある。
悪い言い方をすれば、震災のエンタメ的消費が始まったと言えるのかもしれない。
こういった震災映画について回るのは、震災を直接体験していない部外者が利いた風な口ぶりで映画を撮っていいのか?という問題。
実際、被災者の中にはこのような映画に嫌悪感を示す方もおられるとか。
震災を作品として残すことで、それにより引き起こされた悲劇を風化させない、という志で撮影している監督もいるだろう。
正直このセンシティブな問題に、部外者の自分はどちらが正しいとか言える立場ではないので、特記することはしない。
大切なのはこの作品が真摯に震災を描いているのかどうか、ということ。
確かに震災直後の瓦礫と化した街や、避難所の描写にはリアリティがある。
写真返却ボランティア活動という着眼点も申し分ない。
家が流されて遺影にする写真がない、という展開には言葉を失うほどの衝撃を受けた。そういう事があるのか…。そりゃそうだよな。そこまで考えが及んでいなかった…。
ただ、問題は本作が浅田政志という写真家の半生を描いている作品であるということ。
氏の幼少時代から40代までを描くわけだから、当然物語の前半は震災に関係ない話が続く。
映画全体のちょうど半分くらいのところで、舞台が3.11へと移るわけだが、そこでも物語の中心は浅田家の家族愛にある。
つまり、浅田家の家族の絆を描くために、震災をトリガーとして扱ったように、見様によっては見えてしまうという事です。
浅田政志の前半生はすっ飛ばして、震災でのボランティア活動とそれを通して見えてくる家族の絆にのみ焦点を当てていればそんな風には見えなかった筈。
正直、ちょっと配慮に欠けていると思ってしまいました。
もちろん、被災者の方々が観て違和感がなければ問題ないとは思うのですが…。
『湯を〜』のクライマックスのような、ぶっ飛んだアクセントは今回見受けられないが、それでもなんか変だぞ、と思うところはある。
それはあの被災地で撮った家族写真!!
あんな春先で水着になったらそりゃ寒いわ。お風邪を召しますわよ。
いきなり知り合って間もない写真家が、季節外れにも拘らず水着になってくれ、とか言い出したらめっちゃ怖いわっ💦
こういうところのネジがぶっ飛んでいるのが中野量太節である。
映画としての纏まりがよく、全体としてはそれほど悪い映画ではない。
かなり胸に迫ってくる描写もあって、特に後半は物語にのめり込めた。
ただやはり前半が退屈だし、震災を描くにはもっと注意を払った方が良いのでは?と思ってしまう。
感動する人は大いに感動するだろうけど、自分向けの映画ではなかった。