「前半が三重映画でびっくりした。」浅田家! だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
前半が三重映画でびっくりした。
浅田家!は中野量太監督作であること、二宮和也と妻夫木聡が出演することだけを前情報として鑑賞しました。
見始めてびっくりしたのは、浅田家は津の人達なので、津がめっちゃ写っていたこと。
津新町の駅とか、めっちゃ懐かしい…三重大の最寄駅やんなー。
私は津ではないが三重県出身で、津とか鈴鹿とかあの辺の方言が懐かしかったです。
伊勢弁ともいうらしいが、私はいせことばと思っているあの方言。
そやもんで、とか、~するんさ、とか、友達が話していたことを思い出して懐かしくなりました。
が!!~やに、って誰も映画の中でゆってへんかったけど、あの辺の人らは毎日やにやにゆうんやで?
なんなら私は、~やにだけは、職場が津市なのでやにやにゆってた父の言葉がうつって、三重をはなれたいまでも時々~やにってゆうんやに(~やに、は、ほかの関西弁でいうところの~やで、とか、~やろ?に相当)。
映画でも聞きたかったなー。と、どうでもいいことを思いました。
これまで映画・ドラマの関西弁ポリスとしてしゃしゃり出ていた私ですが、ポリスは引退しました。
そもそも、その地域だからといって全員がおなじ方言を話すわけでもないです。
自分を省みても三重→大阪→和歌山→奈良→京都と転居し、関西系方言が独自のブレンドをなし、どこの方言しゃべってんのか自分でもわかりません。
もはやいずれの地域にいても「純粋な」〇〇弁話者でないです。
そもそも関西にいる関西出身者だけど基本は標準語を話す人もいます。
おうちでは両親の方言を、そとではその地域の方言を使い分ける方言バイリンガルもたくさん知っています。
言葉は道具であって、道具で人を規定するのはおかしいです。
なので、役者が慣れない方言を使い、その習熟度が物足りなかったとして(思うのは自由ですが)やいやいいうのはせんほうがええやろな、と思うようになったのです。ほめるのはいいと思うけどね。
さて、浅田家!ですが、前半と後半で全く違う話みたいな構成でした。
前半は主人公政志が写真家になるまでのクロニクルです。
印象的だったのは、次男でまさしっていうのが、わが弟2と同じ…というのと、
お兄ちゃんが「お母さんは(まさしを)心配している」といい、
お父さんも「お母さんが心配している」といい、
お母さんも「お父さんが心配している」という、
「心配をかける家族に対し、別の家族を引き合いに出してたしなめる話法」が多用されていたことです。
この「心配をかける家族に対し、別の家族を引き合いに出してたしなめる話法」は、私の母が多用する話法で、彼女の場合は自分の意見を言えないので別の家族を引き合いに出して私(や弟妹)を叱る・諭すというもので(私はそう思ってる)、実際の「別の家族(我が家の場合ここには父が入る)」は母に心配とかの意見を伝えていない(両親は意思疎通不全40年)ので、母による願望・想像なんです。
なので、私と母の間では、母に「お父さんもあんたのことを心配してた」と言われると、また出た、父はそんなことほんまにゆうたか?あんたが言いたいことを人に代弁させずにあんたがあんたの意見として言え!とキレ返す、という流れになります。私のキレに対して、母は言い返せないので、図星なのだろうと踏んで生きてきました。
が、映画の中で、何度も出てきたため、他の家庭でも「心配をかける家族に対し、別の家族を引き合いに出してたしなめる話法」が多用されているんだな、もしかしたら三重あるある?やろか、いやごく一般的なんかな?、いずれにしても浅田家での「心配をかける家族に対し、別の家族を引き合いに出してたしなめる話法」は、嫌な感じがしないな…と思いました。
でも更に考えると、相手をたしなめるときに自分の側にインビジブル味方をたたせるっていうのは、やっぱ数に物言わせようとしていて卑怯な感じがするな…私は使わない話法だな…というところに行き着きました。浅田家の人達が使う場合、嫌な感じがしないのは、発言者をいい人だと私が思っているバイアスのせいなのかな?というか、私は自分の母を思考停止した卑怯者と思っているので、そっちのバイアスのせいで母の発言を反射的にはねのけるんかなと思いました。
あかん、作品自体についての感想が遠い…
全体的に面白かったです。いそいそコスプレするおとうちゃんとおかあちゃんは可愛いですし、つんつんの若菜ちゃんもかわいいし、工業高校卒で学校推薦で手堅い地元企業に入社した(←私の予想)であろう「The 地方都市の長男」・妻夫木お兄ちゃんもよかったですし、もちろんまさしもよかったですし。
二宮さんはヒゲと長髪がびっくりするほど似合わないのには、笑いました。
後半の東北パートもね、写真に写ってないお父さんは、写ってないけど撮影してた、インビジブル出演してるって思えた。
よかったねって思いました。
もう会えない誰かと写真の中で再会できる。流された過去の欠片が手元にある。絶望の中で、かき集めた希望。
いけめんオーラを消して登場する菅田将暉もよかったです。
死期が迫る息子との家族写真を撮ろうとする一家のエピソードは、特に切なかったです。