「政志と同じニンマリ顔」浅田家! ppポッケさんの映画レビュー(感想・評価)
政志と同じニンマリ顔
主人公の政志は幼い頃から被写体を理解してからでないと写真が撮れない。
物語の前半、20代の政志は鏡越しの自分自身を撮ろうとするが、撮れずにいた。
政志自身が自分を理解できていなかったから。
そして物語終盤、40代の政志は鏡越しの自分自身を躊躇なく撮り、ニンマリ顔をする。
政志の言う通り、なりたい写真家になれた証。
映画を見終わった私もこのときの政志と同じようなニンマリ顔。
冒頭の父親の葬式が家族写真の設定と明かされたからだ。
そしてエンドロールを見ながらでもうひと笑い。
「ああ、なんか良かったな」
映画館を出るときはふんわりそんな気持ちなれる映画だった。
特に印象的だったのは堤防のシーン。
政志は悩みごとなどがあると堤防にて海を眺める。そこに現れ政志と会話するのが父親か恋人の若奈。
まず、この「堤防の上にいる」ことは浅田家の家に入ることでもあるように思えた。
政志や父親や母親は最初から堤防の上にいるのに対し、若奈は違う。
若奈は一旦の別れを政志に告げるが、そのとき堤防の上にいる政志を見上げて会話している。
その後、政志と同じ堤防の上から現れる若奈は結婚の約束を取り付ける。そして政志の母と兄はやはり堤防の上で新たな浅田家の一員を歓迎する。
そもそも、若奈の初登場シーン自体が浅田家の2階のベランダにいる父親を見上げて会話するところから始まっている。布石はもうそんなところからあったのかもしれない。
また、政志が堤防の上で父親と会話する場面では「海のうねり」もまるでそのときの
政志の現状(何になりたいのか何を撮りたいのか分からず悶々とした日々を過ごしている)や
心情(父親のなりたかったモノを撮ろうと閃いて心が躍動している)
とシンクロしているようで面白かった。
堤防の上に政志がいて悶々としているのは知っているのに、自分からは決してそこへは近寄らない母親も政志との関わり合いがどういうものなのか見て取れて楽しい。
仲良し家族と言えども、家族全員それぞれ自然とどう関わるのかは役割分担のようなものができてくるのではないだろうか。
そんな様子が堤防のシーンだけでも現れていて可笑しく愛おしかった。
政志は事あるごとに定期的に堤防の上で悶々としてほしい…笑