主戦場のレビュー・感想・評価
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フェイクニュース作成のお手本
良く出来ていました。フェイクニュース作成のお手本です。なのでメディア・リテラシー啓蒙のための格好の教材です。 人は自分に都合のよいものばかりを集める「確証バイアス」に陥りやすい。その典型です。編集テクニックの成果ではあるが、よくもまああそこまで醜悪な右翼の論陣を集めたものだ。監督に気を許したのか、思わず前のめりに興奮気味だった。なんとも侮蔑的・差別的な物言いで、普段ならあそこまでは言わないような表現が多かったように思う。学術的価値よりもこうした言説を好まない人達に向けたエンタメとして消費されることを狙っている。反対にリベラル側の物言いは淡白で、対比から誠実そうに見えた。考え方や数値の非合理性が薄められたように思われる。 一方で「歴史修正主義」のレッテル貼りが陳腐というか、公平性を欠く。 戦前は売上のためアテンション・エコノミーに走り、満州や中国大陸の租借地利権に飽き足らず、中国内地への進出まで後押しして軍の尻を叩いて煽っていた新聞メディアが、戦後は「一億総懺悔」などと一般国民に責任を押し付け、軍をその気にさせた責任を知らんぷりして軍国主義の弊害を非難し、全てを天皇制と軍国主義の責任として擦り付けた。戦後すぐの左派勢力が決めつけた「歴史観」のみが正しく、それに異を唱えるとまたもや今度は「歴史修正主義」とレッテルを貼る。間違った認識は検証して丁寧に根気よく修繕していくべきで、それが学会やメディアの責務なのだが、絶対にそこには手を付けさせない傲慢さ、不寛容さ、歴史に対する「謙虚さ」の欠如がこの映画からは感じ取られる。その意味で万人が見るべき映画だと思う。
言葉の力
2時間、知識が薄いなりに必死で内容についていくために、集中しました。 家族に勧めてもらって鑑賞するまで、こんな凄い映画が作られていたことを知らず。この映画ができてから今日までの間にも、日本、世界の状況は変わっていて、それがとても良い方向だといえるわけではない現実。 戦争が終わって今年で78年。 その間に何度も何度も歴史についての論争が行われてきた。事実は一つなのに、何故それが180度違う事になって話になるのか? 不思議で仕方ないけど、対比されている本作を見ていると、とても良くわかる。 事実をそのままにしておくと、都合が悪い。 謝ることが出来ない(正しく) ※政府は謝罪しちゃだめなんだって言ってた藤田さん。ビックリしたわ。そんな政治家いらんわ。恥ずかしないんかな、そんなおかしなこと真顔で発言するなんて、、、 立場が変われば歴史の捉え方が変わる。 でも、事実は事実。 日本の戦争に関する重要な書類の7割が焼却されたこと、これだけでも大事なのに、正直初めて知りました。 日本◯議のリーダーて言われてる加瀬さんも初めてみました。言ってることが気持ち悪すぎて理解できないし、こんな人をTOPにもってきてる団体を相手に議論しなければいけない世の中って???マジ?ってなった。 言葉の力ってすごいなって。 一つのインパクトのある言葉が独り歩きしてしまう。その言葉を利用する輩がいる。 発言に責任を持たないくせにべらべら喋る杉田議員とか、ほんま、言葉がない。 女性、差別、奴隷、人権、いろんな言葉が一つ一つもっと丁寧に考えて、捉えて、扱わないといけないことをひたすら感じた。 一度見ただけではとてもすべてを理解することが私にはできなかったけれど、今まで知らなかったことを一つでも知ることができてよかった。 世界のどこの国とも仲良くできる、敵のいない国にいつか日本がなるように、しっかり今の子どもたちに平和について伝えていきたい。
日本資本の作品じゃないことが悲しい。
観終わって思うのは、慰安婦の有無はフリで、日本に巣食う病魔の正体に迫ろうとしたものの、もっと踏み込んで欲しかった。 アメリカ資本で作られるこの作品は、いわゆるマニアックと呼ばれる単館でしか公開されなかった。きっと劇場にも日本のメディアと等しく政府の監視による圧があったのだろうか。あるいは日本のメジャーや劇場が腰が引けたのか。かつて、とある議員が自ら担当する省庁のことを伏魔殿と称した。そのお父さんの時代は経済的にもイケイケドンドンだったので金権政治が話題になったが、今の時代は思想を背景にしているからこそややこしい。 「騙された奴が悪い」は性悪な親や口の悪い近所のおじさんが教えてくれた。全国の学校の先生の口癖は「みんな仲良く」。今こそ万国共通のスローガンなのでは。
鳴り響く音楽や扇情的な字幕などの演出は、ちょっとね・・・
従軍慰安婦問題に関心を持った日系アメリカ人のドキュメンタリー作家ミキ・デザキ。 関心のきっかけは、日韓から遠く離れた米国に「平和の少女像(慰安婦像)」が建てられるようになったこと。 さて、強制連行、性的奴隷といった実態は、あったのか、なかったのか。 双方の主張をインタビューして、デザキなりの実態に迫っていく・・・ といった内容で、2本立てで先に観た『i 新聞記者ドキュメント』が「ひとに迫るドキュメンタリー」ならば、こちらは「コトに迫るドキュメンタリー」。 個人的には「ひとに迫るドキュメンタリー」の方が断然好きで、「コトに迫るドキュメンタリー」はどちらかというと好きな形式ではありません。 「コトに迫るドキュメンタリー」でも科学分野ならば、客観的に冷静に、さらに「ほぉ、なるほど、これが真相か!」となるのですが、こと政治が絡んだコトになってくると、どうしてもイデオロギーが全面に出ちゃう。 そうすると、演出が押しつけがましくなりがちで、鳴り響く音楽や扇情的な字幕などが多くなりがちで、観ていて疲れてしまう。 ということで、この映画もそんな演出の呪縛からは逃れられず・・・ もう少し、淡々と演出した方が、コトの本質がわかりやすかったと思うのですが、いかがなものかしらん。 それにしても、「なかった」派のひとびと、目が笑ってませんね。 笑える内容ではないですが、どことなく死んでいるというか・・・そんな感じでした。
よくできてる〜
日本映画大学ドキュメンタリーコース公開講座で鑑賞。 そんなに期待してなかったんだけどすごい面白かった! 監督ははっきりと結論を持っていて、そこに向けて完璧にストーリーが構成されていた。編集とか音楽の使い方とかもすごく上手くて、見てると気持ちが盛り上がる。映画としてのクオリティが高い。 「愛国者」の人たちはこれを見てそりゃ気持ちよくないだろうけど、それならこれのカウンターとなる作品を作ってほしい。もしくはこれに対する真摯な回答を見せてほしい。 それが提示されるなら、私はすごく見たい。
歴史修正主義者のみなさんに好き放題喋らせて、それをひとつひとつ理詰...
歴史修正主義者のみなさんに好き放題喋らせて、それをひとつひとつ理詰めで潰して、「その前にお前ら人としてダメやん」とトドメをさすという展開なので、歴史修正主義者のみなさんが「騙された」と怒る気持ちはわかりますが、よしりんコピーのいつもの主張はしっかりと伝わってましたよ。
政治になった
従軍慰安婦問題について、主張の隔たる双方の意見を呈示する映画なのね。 「実際はどっちなんだろ?」と思って最初は観てたんだけど、どっちかは解らないね。同じ素材使って、編集で、どっちにも結論もってけそうだし。 たぶん自分で調べたら、一目瞭然なんだろって気はした。でも、従軍慰安婦問題を、一次資料にあたって調べることをするより、他にやりたいこと一杯あるからね。 それでそうなってくると、両陣営とも、「実際にどうだったの?」よりも、皆を自分の陣営に引き込むのに有利な話を探すよね。うまく整理して主張すれば、自陣を利することができるもん。これ、もう、政治なんだよね。史実・事実・真実は関係なくなってんの。 「こちらの陣営の論理の組み立ては、ちょっと甘いなあ」ってのはあったよ。だからといって、そちらの陣営を全否定しようとも思わなかったけど。 最後の方で、ケネディ日砂恵の「国の誤りを見つけたら、もうナショナリストではいられない」って発言は、そうだろうと思ったね。そうなると、ナショナリストは、国のやったことを全肯定するしかなくなるね。
時は金なり
いい言葉だと思います。 時間はお金に変えられますが、お金は時間に変えられません。 コメントが映画と関係ないですって!? だったらこの映画の最後30分も「慰安婦」とは関係ないことをデザキさんが語っています。 この映画を見て、「慰安婦問題」が理解できた!と考えるのは間違いです。 そこがこの映画の騙しの手法です。 なぜならば、保守と言われる人たちが否定している「強制連行」「20万人」「性奴隷」について、デザキ監督は何一つ反論していません。しかし、演出によって小気味よく保守派が斬られているように描かれているのがこの作品です。 この映画の演出と同じ手法を使えば、リベラル論者に「慰安婦問題」を否定させることも可能です。 全体の文脈を捉えずに、コメントを切り貼りすればよいわけですから。 あなたの大切な時間とお金は、あなたのもっと大切なものに使って欲しいと思います。 でも、予告編で櫻井よしこさんが、「It's very complicated」と言っている部分、「It」がどういう意味なのか知りたければ本編を見なければなりません。
さよならレボリューション
歴史修正主義者たちの呆れた妄言は、もはや一顧だにする価値などないことは今さらながら明白なのだが、彼らがこれまでいかに虚言を弄し、誇張し、糊塗してきたかを客観的に、根気よく解きほぐしていく過程が小気味いい。 名古屋や大阪での慰安婦像の展示をめぐる騒動に暗澹たる思いを抱いてきたが、あの問題にどのような立場をとるのかが、その人の民度をはかる一種のリトマス紙となる(芸術作品としての良否はこの際措く)。要するに、品性下劣な政治家に最高権力を与え続けているおめでたい国に住み、せっせと働いて彼奴らを食わしている現実が腹に据えかねるのである。人間の尊厳を徹底的に踏みにじってきた過去の過ちに真摯に向き合わず、あまつさえなかったことにしようとする悪魔の所業に非を唱えることは、極めて真っ当である。映画は、この点を指摘しているに過ぎないが、それをすらリスクと捉える勢力が中枢にいるという日本の現実。そして飼いならされている衆愚。さよならレボリューション。
映画監督とは呼びたくない
前振りの文章と中身が違いすぎる。 私は右派でも左派でもないが、作品の偏向が度を過ぎている。 新しい事実を研究するでもなく、右派対左派の議論をするでもなく なんの新しい視点もない。 最初から作者の思惑をひとの手を借りて表現しただけ。 ドキュメンタリーにもなっていない。 政治的プロパガンダにもなっていないし、それほど考えられた作品 にも見えない。 人生に失敗し教員をかじっただけで知ったような気分になり、出たがり屋の 自己満足でしかない。 こういう作品が評価されるなら津田大介のほうがまだマシ!
これ絶賛できる人ってどんな人達なんだろ
予想だけど反基地・反改憲・反原発・反アベのヒトたちの割合が高いのでしょうね。 人権擁護のためならこういう編集を平気でする監督ってのは、とんでもないヘイト野郎なんだが、どーも人権擁護派は誰一人その理屈を理解できるだけの脳味噌を持ち合わせていないらしい。 かくしてこの映画はだれにも「さすがにひどいんじゃない?」と指摘されることなく完成し、今もこうして彼らに絶賛されている。その評価こそが彼らの差別者としてのレベルの高さを物語っていることにも気づかずに。
「帝国の慰安婦」と秦郁彦の本数冊を読んで観た。狭義の強制を認める文...
「帝国の慰安婦」と秦郁彦の本数冊を読んで観た。狭義の強制を認める文書は無いが広義の 強制を認める事実はある。例えて言うならホロコースをヒトラーが命令した文書は無いが、 その時代の彼の機能、構造として彼らが関与と承認によって進行したとするのが有力. (ナチズムの時代山本秀行山川出版社)と言う。
日本vs韓国ではなく人権vsヘイト
本来は人権 human rights の観点から語られるべき慰安婦問題。 それがいつのまにか国家間の対立のように捉えられていることに対して、それがいかに危険で、人権侵害であるかを大変正しい注意喚起を行なった作品。 また右派として登場する人物を意図的に選別しているという意見があるが、そこにどんな意図があったにせよ、作中に右派として登場した人物の多くが今日の日本に影響力があることも事実。
反日マンセー炙り出し機
色々な意見を認めるべきだとは理解している。だが言わせて貰う。この映画をほめたたえる声は多いが、どれ一つとってもマトモとは思いがたい。「どうだ見たかこれが右翼だ!」といった差別的な空気を受けて、この人たちは喜びを感じている。これには、ただただ恐怖を禁じ得ない。 おまけに、証拠もなく証言だけで罪を認める気概こそ必要で、日本の首脳はその素養を欠いている?どういう教育を受ければこのような世迷い言を主張するように育つのか。。。 私は大学院の教授ではないが、子供の教鞭に携わる職に就いている。子供たちに班別で色々な時事問題について議論させたりもする。そのときに必ず伝えるのだが、議論をする上で必要なことは「議論を終えた後は後腐れなく、お互いを尊重できるようにしよう」「関係ない話題につなげないようにしよう」だ。 このディベートはどうだったのか? はっきりいってむちゃくちゃだ。 どうにも、片方の派閥だけは「編集して映画化する」と把握しているような動きをしていたように思える。 通常、反論できずに激高するのはリベラル側の特徴だ。今回のディベートは保守側が煽られて悪辣とした態度をとるパターンが多く見られた。要は「煽れ」と事前にやりとりしているように感じるのだ。 また、話の持って行きかたもむちゃくちゃだ。 私の教え子が議論の司会進行をするときは、決してディベートに関係のない話題と結びつけさせはしない。 あのディベートからその結論に持って行く子が居たらキチンと注意してあげると思う。 この監督の担当教授、ひいては大学院の底が知れるぞ。出身大学院の名まで汚して、彼はなにを成し遂げたのか?
全く無名の新人監督の作品。過去にYouTuberとしていくつか動画...
全く無名の新人監督の作品。過去にYouTuberとしていくつか動画を投稿した経験はあるが、それらの動画を見ても、素人がスマホで撮影しただけの未編集動画のようにしか見えなかった。どういう経緯で映画監督になったの?映画の製作資金はクラウドファンディングで集めたらしいが、なぜ無名の素人が映画作りますと言ってそんな簡単にお金が集まった?デザキ監督は経歴そのものが胡散臭すぎます。映画の内容の偏向ぶりは今更語るまでもないでしょう。注目は、果たしてこの映画をDVDで発売する勇気があるかどうかです。DVDで出せば、たちまち映画の嘘を暴かれてyoutubeで告発されることでしょう。
素材に語らせることに徹底できなかった点はダメ
評価が1か5の両極に分かれるこの作品 スクリーンに高精細で映し出される話者の表情は圧倒的だ。 それは認めなければならない。 例えば杉田氏の表情から、人はおそらくその人格まで読み取ってしまう。 彼女を香港政府のスポークスマンに見立て、香港民衆は外国人勢力に金で雇われたテロリストであることは明らかだ、と英語の字幕をつけたら、英語圏の人々は違和感なく受け止めるのではないか。 後半、取材した素材が大きく変わり、取材対象に語らせるより、製作者自身が話し始めてしまう。 これでは、ドキュメンタリーとは言えない。 自己と「国家」、「民族」を無自覚に一体化して、それらに対する一切の批評的言辞を自己に対する攻撃であるかのように反応してしまう風潮が、日本に限らず、韓国にも、アメリカにも、中国にも見られる。 それは、やはり病理というしかない、と私は思う。 この映画には欠点がある。 と同時に、今を抉り出す力も、ある。 古今東西を問わず、人は弱点を指摘されたとき、ヒステリックになる。 批判が正鵠を射ていなければ、平然と受け流せるものだ。 ☆4は甘いかも知れない。 しかし、杉田氏をはじめ、一部で「識者」などと囃されている人物の軽薄で歪んだ精神の在りようを抉り出したところに、私はやはり映像表現の威力を見た。 彼らがする取材態様云々の反論は、本論に対する傍論、主幹に対する枝葉末節に過ぎない。 次に期待されるのは、冷静な反論だ。できれば、同じように映像で観たい。
テザキこそナンバーワン
レイシストで間違いなかろう ナレーションはディベートを改変し、対等な立場であるべき論客達を初めから差別して扱っているのが不愉快極まりない。 このディベートに加えられた改変こそが、最も問題とすべきこの映画の欠点でもあり、汚点でもある。テザキを修正主義者と呼ばずには居られない。 あと、『いわゆるりびじょなりすと』口汚いのは明らかに『いわゆる慰安婦問題』を無理矢理女性の人権にこじつけようとしてる連中に苛ついての事だろう。議論する気がない連中と議論するのは苦痛だ。
私は認めるわけにはいかない。
公開からだいぶん経ちますが、いまでも高い総合評価を維持しており、鑑賞者からはとても勉強になったと高く評価する声が多く見受けられる映画です。 楽しまれた皆様には残念かつ申し上げにくいことですが、この映画を勉強に使うのは危険だと私は思います。皆様はあまりにも純粋無垢でいらっしゃり、その点ではインタビューの中で女子学生が「(慰安婦問題を)知らない」と言い放つシーンに通ずる虚無感にさいなまれました。 これだけ連日話題に上っている問題なのに、詳しく知らない人がこんなにも多いとは思ってもみませんでした。それどころか、歴史認識を巡る理論武装のやり方からして知らない人たちがこれほどに多く、そしてそんな皆様をこの映画はことごとく虜にしてしまっている点には驚きました。 歴史認識は国家間の利益に直接的に響く、重要な学問分野です。決してこの映画のように「かもしれない。きっとそうだ」といった論法で論じるべきではないと考えています。 テザキ氏も皆様も、認識と事実の違いが曖昧であるように思えます。 歴史認識には日韓それぞれの認識が存在しますが、事実はひとつだけです。 韓国では大勢が性ドレイとして日本軍に強制連行されたという認識がありますが、それを裏付ける証拠はこの映画で出てくる程度のものです。あの程度で事実たりえるなら、私は今からでもあらゆる国家犯罪をねつ造できると考えています。 そうならないために史料が存在します。それがみつからないなら、勝手に「事実」にしちゃだめです。 北朝鮮は首相級同士での会合で日本人拉致を国家的な犯罪行為として、「事実」だと認めたがために、今なお厳しい立場に置かれています。 北朝鮮は、日本側も北朝鮮の優秀な人材を国家主導で日本に拉致したに違いないと「認識」し、世界に向けて発信しています。国家に与えうる影響度はどのくらい差がありましょうか。 相手の認識をかんたんに事実と認めれば、ものすごいことになります。 日本はいわゆる慰安婦問題について、一度は国内の誤報を信じて事実でないものを「事実」と認めた後に撤回したせいで国際的な信用ががた落ちしました。このようなことを繰り返さないためにも、事実確認は慎重かつ確実に行う必要があります。 南京大虐殺しかり、慰安婦しかり、相手は数を誇張して責めたてて、微量だけでも事実として認めさせようとする手法をとります。何故か?それで十分だからです。日本が国家主導でそれをやったと認めれば、20万人だろうが1万人だろうが日本をバッシングする材料たりえるのです。 さて、これは慰安婦たちにとって、ものすごく失礼な姿勢だと思いませんか? あったかなかったかは、この通り大変に重要な問題なのです。しかし、この映画では、その点について述べることはありませんでした。それどころか、差別者でないなら罪を認めることこそが真摯な姿勢だとでも言いたげな論理展開をしていました。 つまり、そういうことです。 利敵行為といわれるゆえんは、この論理展開にあると思います。
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