「上手く臭いものを並べたとは思うが残るのは虚しさ」主戦場 トゥヴォック副司令官・八百万神解放戦線さんの映画レビュー(感想・評価)
上手く臭いものを並べたとは思うが残るのは虚しさ
ひとことで言うと慰安婦について、ああだこうだ言う主な論壇の人物を並べました所、非常に香ばしい事になりました。と言った処でしょうか。
慰安婦問題について、取り敢えず何だかわからんと思っている人には参考になる映画かと思います。
でも結局、どういう立場の言論人であってもほぼ政治なんですよね。
自らを保守、右派だと思っている人は、左派のプロパガンダ映画だとレッテル張りをするだろう。そもそもそういう奴らの思想は自分で思っているだけで、本来の保守でも右翼的でもない。困った事にこの保守、右派を自称するナラズモノでしかないエセ右派の奴らが世間一般的に保守派、右派などと認識されてるんだから困る。靖国で民兵的なコスプレで行進する映像も出て来るが、エセ右派の本質とはこのコスプレ右翼と同じである。想像の中にある輝かしい過去の栄光の大日本帝国を勝手に着飾って同化し、自分の足りない隙間を偉大な国家イメージで補完しているに過ぎない。そして自分と同化した輝かしい国家にキズは許せないのだ。国のキズは勝手に自分のキズと認識するバカなナラズモノである。勝手に国家をお前のモノにするなと言いたい。
そして恐らく、自分が左派だ、リベラルだと思いこんでいる人たちの殆どは、憎き右派が顔を表し、本性の一端を出したか!この野郎。って盛り上がった感じだろうが、そんな感想では浅い。エセ右派に怒るインチキ左派に偽リベラルとしか言いようがない。
なお、出演している一般的に左翼レッテル貼られそうな学者先生一同は論理的で、冷静で、誇張もなく、極めてマトモである。南京大虐殺についての件では中国の誇大な人数を肯定する人もいない。
エセ右派の奴らは人種、性別に差別的である。映画で徐々にその部分が滲み出てくる。インタビューと言うのは恐ろしいモノだ。運動家に女性が多いと言うのが気にかかるが、以前国連か何かのレポートでも日本の女性は自分たちの存在を否定するような保守派を支持し、それは抑圧的な日本社会が逆にそういう女性を育てるのだと結論付けていた様に覚えている。
私の目から見ると、元慰安婦は置き去り。
映画にも出てくる一部の慰安婦の傍にいる挺対協でさえも、本当に慰安婦の事を想って傍にいるのか私は懐疑的だ。元慰安婦の傍には、ほぼ彼女らの事を思っている人など誰もいないのだ。でも頼る人も、取り返せない時間も、酷い過去も消えない、寿命が目の前に迫っているだけ。
見る人にも依るとは思うが、私にはそういう救いようの無さが見えた。
偉そうな上から目線的な感想としては、
よくまあ学生がこんだけ丁寧にインタビューを集めたなという事。
そしてまたしても、こういう日本の問題を描いたのが日本人では無かったと言う映画が一つ増えて悔しく思った。
とはいえ日系米国人という微妙な距離と怖さを感じない知識の薄さが功を奏しているのかもしれない。いずれにしてもどういう立場でも日本人にはこうは描けない。
あえて苦言を言うと、卑怯にも過去から逃げるクソ野郎を右派とか保守と言うのをやめてもらいたいし、先の戦の失敗を失敗とも思わず全肯定とする者を国士と持ち上げ、先の戦で事実上軍の公報紙だった朝日を、戦後の謝罪広告一つとその後のペンを向きを左っぽくしたことで左翼の親玉みたいに持ち上げ、紙相撲の双方の力士に仕立てた状態を土俵の基本とするのはやめてもらいたい。
この映画でも右派という言葉は出て来るし、朝日があたかも良心のような感じであり、その右派とか言う奴らに対する好敵手の役者として当たり前に存在している。
この構図にはうんざりだが、仕方がない部分もある。
登場人物がこの土俵で戦う事の前提の頭しかないので、このまま話が続くしかないし、多分見ている観客がこの土俵で認識するので、この土俵のままで進めざるを得ない。
事を単純化して一見分かりやすくなっているんだろうが、レッテルとスローガンだけがビラビラ中に舞い、思想の中身がどこかに行ってしまっており、知らないうちに八百長相撲を取らされているようなものだ。
私は概ね反米主義者だと思うが、あの国民が自国の問題を自ら暴き、告発する姿勢には敬意を表したいし、「Born in the U.S.A.」の曲を代表とするその姿勢は何しろかっこいいと思うし、日本にはその姿勢が感じられず、悔しく、情けないと思っている。
反省と言えば萎れる事であり、過去を全否定し、黒く塗りつぶして、軍に全責任を背負わせて決別し、生まれ変わる事であり、それが生き辛くなったら、拗らせて今度は過去を全肯定で劣化コピーだ。結局本来あるべき前向きな反省は誰もしていない。
しかし国士面した奴らはやたらと武士道精神や美しい日本を取り出すが、何処が武士道精神で美しいのだろうか?
心やさしく、言い訳をせず、人のせいにせず、常に自らの行動を心に問いかけ顧みて、知識を増やして更に自らの行動に照らして工夫と改善の目を養い、常に自らを厳しく律し、例え刀を鍬に持ち替えても変わらずに平時より自らを磨き、心から足の裏から明日へ備え整えるのが武士の姿なのでは無かったのか?
それにしても、描かない事が悔しいのに増して、ケツを自分で拭かずに人のせいにする事を良しとする自称国士さまは何とかならんのか。国賊以外の何物でもない。
映画でも語られるが、なんだか慰安婦について、その言葉が最近生み出されたとか、その反論も何だかマニアックな話になって、更に韓国に利用されてあたかも日本に対する韓国の問題に特化してしまい、そこしか話が広がらず、エセ右派論壇もそれに対する抵抗というか、単に嫌韓のツールでしかない。なんだかおかしいことになっている。
昔は慰安所、慰安婦について、その中身の問題意識についての認識は薄いが、その存在自体の事実は普通に語られていた。
私は50歳手前ですが、子供の頃に慰安所、慰安婦の話は普通にその頃の映画の中でも描かれており、単に戦場の悲しい話の一つであり、連行とか匂わせ程度しか描いてはいないが、その存在は普通だった。皇軍の規律を守るためのツールであり、暴行を防ぐ皇軍ならではの画期的な福利厚生システムだと言われていた。TVで中曽根元総理が海軍主計時代に行った慰安所の設置予算割り当ての自らの手腕・実行力を自慢していた。元総理が言わなくとも中曽根主計官の慰安所の予算を割く為の要望書も残っている。
なぜ今になって無いとか嘘を言うのだ?
嘘だと本当に思っていないのであれば思考能力低下を心配した方が良い。
証拠がない?
軍が出入り業者に任せて最初から証拠つもりが無いと思うのが普通だと思うんだが、間違っているだろうか。桜の会も名簿が無い事になっているのにさ。
慰安所・慰安婦に関しての証言は個人的に実際の当事者でもあったが、それを否定する人たちが結構居て、彼らの証言が結果的にその事実を語っている事が多く、結局「軍による強制」という意味が実際に命令し、軍が徴用を実行した事のみを言うか、出入り業者に口約束でやらせている事を含めるかとか、言葉遊びでしかない。
性奴隷と言う使い方に関しても、金銭が発生したから、息抜きの時間があったから奴隷では無いとか、映画でも語られるが、私から言わせれば「女郎」「くるわ」の言葉をはじめとする公娼制度や人身売買システム自体が恥ずべき行為で、性奴隷で、慰安婦だけに収める問題ではない。
更に昔は仕方がなかった。では明らかにダメで、今は全部犯罪である事が出発点でなくてはならないのに何でであろうか。
慰安婦問題が韓国発の政治問題化された事も全てはこの部分の初期認識、行動が間違っているから、収まる訳がない。ましては日本政府と皇軍は与り知らぬなどとシラを切り、逃げるなんぞは恥知らずの売国野郎だ。
映画では語られないが、そもそも慰安婦の半分弱は日本人なんだぜ?
ところが日本人の慰安婦の語り部がいると言う話は余り聞かない。
映画では韓国社会の構造的差別が慰安婦の供出に結果的に協力した様や、戦後なかなか言い出せなかった原因、証言内容がなかなか定まらない原因として語られる。
では日本は何であろうか?
全員本心で立候補した稼ぎ手だから?強制されていないから?そんなの有る訳ない。
最近になってやっと満州引揚前のソ連兵の性の防波堤に村から供出させられた婦女の証言が少しづつ出始めた。
日本人は慎ましいから。とか言う奴までいる。どっかのレイプ問題で炙り出てくるクソ野郎どもと同じ土壌がそこに見える。その土壌は深すぎる。
誰も考えないし、日本人は日本人自らをバカにしている。
この問題自体を韓国から言われてあたかも韓国に対する問題だと思っている。
情けないことだ。
映画は最終的に香ばしさの原因の解明と分析に入る、この辺はドキュメンタリーと言うよりはレポートになるかも知れないが、概ね正しい内容かと思う。安倍、麻生を筆頭とした日本会議との繋がりが影響力を発揮し国家が妄言を発するバカげた世の中。
自民党の河野さんが公式に語った河野談話に否定的なんぞは、もはや自民党でもないのに党名も変えずイケシャアシャアと国会でふんぞり返っている。
最後に映画で出てくる日本会議の幹部の香ばしさと言ったら堪りません。だれの目にもイッちゃってます。かなりの収穫でしょう。
日本政府は今後、慰安婦を含めた公娼制度、人身売買システムとその社会を許しません。日本の過去・現在だけでなく、世界の何処に存在するものでも許しません。それを撲滅するためには日本政府は汗と援助を惜しみません。の一言でも言えんものだろうか。
慰安婦問題は日本の糧に宝に出来るはずなのに、勿体ない。長期的には世界的な支持も得られるだろう。
と、自分も政治問題化しようとしている。。。
あらかた映画の内容は自分にとっては知っている内容であったが、あまり知らなかったのは朴裕河さんの内容と韓国内の評価とその構造である。なんか韓国の裁判になっているな、挺対協が批判の中心らしい、やたら産経が取り上げ、その割には朴さんを助けているのは日本の左派陣営で話の構造が変だなとは思っていたが、これまた深刻な話だった。戦中の外地時代の朝鮮が元々持つ差別構造を利用して朝鮮の社会が日本の女郎作成システムや慰安婦募集システムに組み込まれていく様を冷静に説明し、慰安婦の問題を正しく広く知ってもらおうとする事が、日本の右派に協力したと言うような感じで非難されるのだ。
慰安婦問題は抗日パルチザンとしてヒステリックに叫ばないとダメなのだ。恐らく元慰安婦が隠れずに自尊心を持って韓国社会で生きるにはこの方法しか選択肢が残されていないのではないだろうか。また挺対協とは左派の面を被った韓国に措けるエセ右派ともはや同じだ。これまた日本のエセ右派の喜びそうな餌である。
またしても元慰安婦の心は置き去りである。
被害者、弱者は利用し尽くされて、市井の人々の娯楽に、生き甲斐に消費されていく。
むなしいばかり。