ある女流作家の罪と罰のレビュー・感想・評価
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すべての伝記映画に不安をおぼえる
主人公リーは、出版社の編集長のような人に名前を売れと言われる。要は面白い本より売れる本を書けという。
もちろん誰しもはじめは無名なのだから、ある程度面白いものを書いて名前を売る必要があるが、有名になってしまえば本の内容にかかわらず売れるというわけだ。
今回のキーアイテムである「手紙」は、小説や映画ですでに名前を売っている人たちの、とるに足らない、いわば創作物ですらない物なのに価値がある。売れる。
ここから更に、内容が平凡なものより刺激的なものの方が価値が高いという。それを知ったリーは、加筆し、終いには自ら手紙をでっち上げていくわけだが、刺激的なリーの手紙は高値で売れていくことになる。
有名人の名を冠した、リーの創作した手紙という、名前に価値があるのか内容に価値があるのかわからないあやふやさが、皮肉に満ちていて面白いよね。
そして、それを正しく判断できない人々もまた笑える。
リーは、やりすぎた為に偽造が発覚したが、最初の数通でやめておけばどうなっていたかわからない。
それでも、伝記作家のリーが本人よりも本人らしく手紙を書き、それが売れることは、自分の創作物が評価されていることに他ならず、作家としての喜びに満ちた今をやめることなど到底できなかっただろうと思う。
悪行だが名前は売った。ことの顛末を書いたリーの本は出版され、この映画にもなった。
本作は面白いから作られたのか?名前が売れていたから作られたのか?
正直にいうとあまり面白くなかったんだけど、それも皮肉がきいていて、一種の社会風刺なのでは?と思い星4つをつけることにする。
偽ったのは他人と自分
元ベストセラー作家という過去の栄光を捨てられないリー・イスラエル。
世間の動向を読まない書きたいものを書きを続けることでどんどん時代に置いて行かれ、一方では、同性愛者という価値感に時代が追い付けいていない。おおっぴらに世間にPRできない自分の性格とアイデンティティをなんとか世間に知らしめたい、自分にはそれができる、なぜならベストセラー作家だから。「元」ですけど。
とあるきっかけで「有名人が書いた手紙」が金になると知ると、その執筆に力を注ぐようになる。
ゲイの友人(ジャック・ホック)と飲み友達になり、そばに置いていた理由は、自分の心のよりどころにするため、常に自分は上だと感じるため、手紙を売る手伝いをしてもらうため、利己的な理由の中に紛れてその実、マイノリティ同士「本当の友達」になりたかったようにも思える。でも、そのなり方がわからなかった。
猫だけが唯一の家族で、裏切らない。いや、動物だから「裏切っているかどうかもわからない」から、病院にも連れて行くし、熱心に世話をする。猫に注がれた愛は、結果的にリーの中で良心を生み、なんとか完全な嫌な人間にはならなくて済んでいた。
その猫が死んだので、良心が生まれることはなくなった。猫を媒体(冷めた言い方で大変申し訳ないですが)として、注いでいた愛が自分に返ってきていた、結果的に「自分を愛していた」部分がなくなり、自暴自棄になり、唯一の友人にも暴言を吐きちらす始末。当然、自業自得で警察に捕まり、御用となる。
リーが、「あなたのことも本に書いていい?」と許可を得るために、バーにジャックを呼びだしたラストシーン。個人的に(あ、リー謝るのかな)と思ったけど、今までと変わらぬ調子で、ジャックに悪態じみた言葉遣いで話す。重病になったジャックは、リーのことは許してはいなくて怒ってるんだけど、リーに対する仲間意識のようなものは薄れていない。
結局、リーはジャックに一言も謝らなかったが「ありがとう」と言っていた。
時代にそっぽ向かれている者同士、通じ合う者、生きていくつらさを共感しあい、「強がらなけれないけない」という姿勢をくずさなかった。それは、まもなく死が迎えに来るとしても、毅然としてそのスタンスをジャックは保ち続けた。それを見てリーも感化されたと思う。
きっと2人は、あえて「友達」という選択肢や言葉を使わなかったのだと思う。それをすると依存しあいって強くなれそうになかっただろうし。それでも、傍から見れば「友達を傷つけた」リーの罪は、ある。さらに他人を偽ったではなく、自分を偽った罪がある。
それらの罪の罰として、リーは友達がいなくなり、ほんとうに一人になった。
でもきっと、自分を愛せるようになれば一人ではなくなるはず。それは、本屋のオーナーのアナが、その希望をわずかに含んで映画は終わる。ちゃんと希望を見せてる部分が、映画としても好感が持てる。いい映画でした。
大人な感じ
人付き合いを嫌い、猫しか愛せない落ちぶれた伝記作家メリッサ・マッカーシーが古い手紙を偽造し、金を稼ぐ。金を稼ぐことより、そこで知り合う人々、病気の猫を助けられたことから、エスカレートしていき、結局は逮捕される。実話というのが良い。大人のドラマ
切ないね
以前はベストセラー作家だったが、いまでは落ちぶれてしまい、有名人の手紙を偽造して高値で売る犯罪者になってしまう。
途中、犯罪者ではあるが善の気持ちまではなくしていなく、また手紙を偽造する事にはプロ意識があり、なんだか憎めない部分もある。
その微妙な具合を、見事に演じきっているメリッサマッカーシーが素晴らしい。
デンジャラスバディやゴーストバスターズでももちろん素晴らしいですが、今回の演技は特に素晴らしいです!
リチャードEグラントもその演技に華を添えるように名演でした。
裁判官の前で自分の気持ちを曝け出すメリッサマッカーシーが切ないんです。
自分が最高の仕事をしてると思っていたけど、それは自分の悪いところにはフォーカスせず、自分と向き直った時には、自分が作家ではないと認識してしまう。
それを人前で話すことがどれだけの事なんでしょう。
切ないですね。
映画の終わり方も良かったです。
メリッサマッカーシーの他の出演作品ももっと見てみたくなりました。
そんな簡単に騙されるとは・・・
何か映画を観たいと思いレンタル屋へ向かったらこの作品が
目に留まった。他のレビューを観たらなんと劇場未公開作品だとか。
実際のあった話と言うことでますます興味を持った
有名人の手紙を偽造してお金に換える売れない作家のお話だ
一冊は売れたものの他はさっぱりでお金がなくかと言って
職にはつかず 本を書いて名声をえたいのだが書きたい者は
出版社(なのかな?)からはそれはダメだとつっぱねられる
人とのつきあいは苦手だし 仕事なんて無理
しかしお金がないと暮らせない そこで彼女の選んだ選択は
手紙を偽造しコレクターに売ることだった
しかし よくもまあ簡単に騙されるものかと観ていて思った
手紙はタイプライターで書いていたようで 騙すには確かに
うまくいく確率は高いかも
落ちぶれた女流作家とやはり落ちぶれたゲイの作家との
交流が良かった
「一寸でも私を赦してくれる?」
評論家町山智浩のレコメンドということで、DVD化していたので鑑賞してみた。確かにこれは日本では配給つかないだろうなぁというのが最初の感想。台詞やストーリーに登場する人物名がアメリカでは有名らしいが、日本ではさっぱり分らない人達ばかりである。勿論、自分の無知が前提なのは自覚しているし、もし日本の水準として『キャサリーン・ヘップバーン』、『ファニー・ブライス』、『ドロシー・パーカー』などが既知として当然なのだとしたら、今作品は間違いなく日本での上映が実現されている筈である。有名人の私的な手紙を収集するコレクターの世界自体も日本では馴染みの少ないものも手伝って、一本も観たことがないウディ・アレンのようなスノッブと皮肉、風刺を効かせた台詞劇は、その知能の高いブラックユーモアに鼻持ちならないイメージを持つ身として、苦手意識が過ぎる作品に仕上がってしまっている。批評家には絶賛の品質らしいが、その辺りが下々の世間との乖離を如実に現わしている建付けかもしれない。そしてそれはネットでのレビューサイトでの評論ではっきり理解出来た。そのレビューサイトによると、今作のテーマは『自分の個人的経験、主観的見解VS “誰かから借りた”見解』というプロットであり、実際、クリエイターの人生を歩んだことがない、自分を含めた大多数の鑑賞者には響きづらいテーマであることに合点が入ったのである。有名人の手紙を偽造する犯罪に対して主人公は法廷で、裁判長に対しその行為自体には誇りを持っていたと語る。それはその有名人達に成り切って、しかしその言葉自体は紛れもなく主人公自身から産まれた創造物だったからなのである。“人のふんどしで相撲を取って”いても、取ってる主体は自分である。批評に晒されるのが恐く、故に本当の作家ではなかったと反省していても、やはり犯罪に手を染めている間は本来在るべき姿の自分というものを発見できていたということであろう。そして、そんな自分に対し、ネコではなく気を掛けてくれる友人や恋心を抱く人の存在の有難さを再認識させられるという裏テーマのパラレル性の複雑さも、なかなか気付けない難しい作品なのである。そしてこの罪を犯した流れを自分の伝記として書くことにより、初めて自分の言葉を紡げることを喜ぶという、実に遠回りなインスピレーションであると感じた次第である。自分にはかなり高レベルな作品であり、映画に対する評論の重要性をまざまざと身につまされた作品であった。
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