カニバ パリ人肉事件38年目の真実のレビュー・感想・評価
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これこそ、「ラスト30分の衝撃!」映画
1981年にフランス・パリで起きた、通称「パリ人肉事件」の犯人・佐川一政の現在。
車いす生活を送る彼は、今もなおカニバリズムへの興味を隠さず吐露する。
「異性に対するフェティシズムの延長線上にカニバリズムがある」と言い切る一政。
そんな彼を介護をする実弟もまた、兄に負けじと劣らぬフェティシズムを持つ。
それが明らかとなるラスト30分間は、まさに衝撃。
なぜ、「ラスト30分の衝撃!」と宣伝文句を打たないのか不思議なぐらい、ラストにはありとあらゆる要素が詰まっている。
撮影協力してくれたお礼とばかりに、スタッフは一政にプレゼントを贈る。
終始フォーカスの合わないカメラの前で、彼が見せる恍惚の表情。
ドキュメンタリー映画を観たはずなのに、ホラーもしくはヒューマンドラマを観た感覚に陥ってしまった。
うーん
劇場で観なくて良かったと思う劇場上映作品があろうとは。
元々、ドキュメンタリーは好きな方だし、カニバリズムの心理描写も好きな方だけど、
この事件のことを知らなかったので、
アマプラで観ながらwikiっていたけれど、
なんでこんなに見づらい撮影方法を取ったのか、
そして恐らく嘘臭くならないように接写したのは良いけれど、
元々乱視なのにこういった表現は更にイライラするので、
もはや主要なところだけ見て、
あとは声だけ聞いていた。
愛する人を食べたいという欲求は、スカトロジーにも共通するけれど、
やべえのは兄だけではないと後半で解る。
カニバリズムの初期段階は唇から入り、お尻に移行するのが多く、
この人もまた右に同じ。
そして猟奇殺人犯の生家が裕福なのも共通している。
つまり、そうなる条件がいろいろ整っていたということか。
しかしフランスで不起訴、日本でも退院出来たりと、何らかの力が加わっている気がしてならないけれど、
こうして人の目にさらされる事で、世界がどう捉えるかと、こちらに問題を突きつけられている気がする。
事件の詳細にクローズアップした作品ではないのが残念。
イマジネーションはピンボケに世界を紡ぐ
忘れかけそうなので投稿しておく。
ドキュメンタリーとして見たとき、私はこの映画を見たつもりになっているのではないかと
反省する。
作り手は、分からない日本語のインタビューに付き合う撮影の意識をボケた映像で表現した。
私はそのピンボケに何を見ていたのだろうか?
佐川やその弟の言葉、執筆された漫画、そこには社会性を欠いた生物としての人間のサガ(性)を映像にあぶり出している。
果たして我々は何を見せられている、いや自ら望んで見ているのだろうか?
恐ろしく奥深い、人間の心の淵があるとすれば、それは人間のイマジネーションの欠如でしかない。
だか、そこにこの映画が成り立っている。
どんなものにせよ、
社会にあるものは一人のものにしてはダメな結果を生む。
佐川兄弟、もう少し気づけよ!
後半の展開がなきゃ、星1.5だった
基本カメラがずっとズームで佐川を写している。
しかも、フォーカスをあえて合わさずにぼやかしているので、途中人間の顔が抽象画のように見えてくる。
佐川は病気で途切れ途切れにしか喋れない、一行話すのに1.2分かかるレベル。
過去の資料に比べると、思ったより反省しているようにも感じられるのだが、彼の言葉から得られる情報量にはあまり期待できない。
前半はそのような長回しが延々と続くので、正直寝てしまった。
後半の弟さんの告白はなかなか衝撃映像。
資料としても価値があるのではないか。
よくぞ言ってくれた、という感じ。
最後はかつて共演した女優との邂逅で終わり。
正直、後半のための映画。
1時間で収められる。
兄弟愛
どうやら私は顔で人物像を把握することが得意ではないらしい。映画を見るときは、登場するどの人が誰かを確証がないまま推測を重ねて物語についていかなければならない。最近になってそれはある意味ハンディキャップではないかと思うようになった。そういう視点でこの作品はとてもわかりにくい。見えない、わからない。なかなか関係性が把握できない。それを狙っているにしても不親切さに腹が立つほどにわからない。題材はものすごくいいのに、見たいものが沢山あるのに、見えなくて歯がゆくて仕方がなかった。
それでも、横で喋っている男性が佐川一政氏の弟の純氏なのだとわかった瞬間は混沌の中に光が見えた。純氏の自傷シーンは比較的よく見えたので衝撃的だった。一政氏にどう思ったと聞くところはまるで恋人に甘えているような印象を持った。あんなに歳をとっても逃れられないものがあるのだと思った。
彼の今の状況を公開しただけの作品
特に解説ナレーションは無く現在の私生活での独り言のみ事件による影響 説明 彼の経歴等の説明もなくぼそぼそと独り言を弟が補助して説明するだけの作品 演出なのかわざと映像をボケさせたりしたのも観づらい!
本人の話も詳しく知らないまま見たので、のっけから一人ぼそぼそ話され...
本人の話も詳しく知らないまま見たので、のっけから一人ぼそぼそ話されても何のこっちゃとなる。
漫画の部分で何が起きたか理解できる!と期待したものの、画面は相変わらずぼやけてて読めない。
2500円もする漫画買わせるためにわざとかと、勘ぐっちゃいますね。
一政の理解できぬまま、兄弟の性癖暴露されてもなぁ...
有刺鉄線とか最初何してんのか意味不明でした。
そして最後のメイド服での介護。
メイドがながながとゾンビの話してるけど、一政に理解できるわけないやんと思いながら自分は一生懸命聴いてたら、途中でブツッと切られるし、最後までため息だらけの作品。
席立ちたくなった映画no.1です!
血脈なのか原体験なのか
徹底的に顔に終始し、ピンの合わないカメラ。不快な咀嚼音や「これが人を食べた口だ」といわんばかりの口元に終始したカメラワークに辟易。
人間の欲求は説明しようとすればするほど、朦朧としてつかみ所のないものだと言いたいのかもしれないが、そこが狙いすぎ。
徹底的な顔のアップが功を奏したのは、仰向けになった佐川と目があったとき。
それまで枠外に目を向けていた佐川が、カメラを直視する。
人を食べた人という先入観があるからか、つい目を背けた自分がいた。
驚くのは弟の性癖が明らかになったとき。
「ほかにも同じような症例があるかもしれない」と冷静に自分を分析する弟。これは血のなせるわざと片づけていいのだろうか。
それとも佐川の幼い頃に人肉への憧憬を抱かせてしまった叔父の怖い話を、弟も一緒に聞いていて刷り込まれてしまったのか(Wikipedia参照)。
裕福な家庭での仲むつまじい幼い頃の二人の姿には、将来人肉への強い欲求を覚えてしまうようにはとても見えない。
しかし息子たちが注射をされている姿を、わざわざホームビデオにおさめる行動からして、親もそのけがあったのかもしれない。
一体人はいつ欲求を抑えられなくなってしまうのだろうか。
「かぶりつきたいほど可愛い」という表現がある位なので、愛しいものを食べたい噛みたいという欲求は本能に備わっているものなのだろう。
弟のいうように合理的な手段で欲求を発散していれば、殺人にいたることはなかったのかもしれない。
それにしても、勇気を振り絞って性癖を告白したのに淡白な反応にがっかりしたり、兄の描いた漫画に「こんなものを出版したら兄の評価が落ちる」などと憤る弟の姿に、妙ないじましさを感じたり。
しかし全体的に内容が希薄。
佐川の口から語られることは多くなく、映画館でみるほどの作品ではなかった。
というか、配給があのTOCANAだって。一番の驚きはそこ。
もう2度と観たくない。 異常な性癖も個人の自由であるとは思う。また...
もう2度と観たくない。
異常な性癖も個人の自由であるとは思う。また、異常とみなすのは大多数の「普通の人」であると思う。
自分を普通だと思っている人間から言わせてもらうと、やはりこれは異常で、全く共感は出来ない世界だが、これに共感する人たちが存在するんだろうなという事は想像出来るし否定もしないが、
己の欲望のままに人を殺す、その人の人生を奪うという事は到底理解出来無いしあってはならない事だと思う。
ああ、フィクションならいいのに。と、思いながら観ていた。
「途中退場続出」の触れ込みであったが、この謳い文句で本当に退出したいと思ったのは初めて。
文字通り『 “人を食った”ような話』
監督は外国人なのだが、この日本語の慣用句を知っていたのだろうか?もし存じ上げていたのならば、相当シャレの分るクールな人達かもしれない。それ程、このドキュメンタリーは大変好戦的なプロットに溢れている。意外性が突然放り込まれることや、顔のアップの多用、そしてわざとピントを暈かす撮影手法、あくまでも主人公の喋るタイミングを待ち続ける事での長い長いロングカット。特に前半の弛緩は、その異様な事件にも拘わらず一体何を訴えたいのか皆目検討もつかないと思考も諦めかけ、そして淡い眠気が襲ってくる頃、場面転換での唐突のストーリー展開で、益々作品に翻弄され、正にジェットコースターそのものである。勿論不快と思うところもあるのだが、ファイーストインプレッションが激しい程、そのよりもどしというか、カウンターとして何故だか穏やかさも徐々に訪れる、凪と時化を繰り返される構成なのである。
こういう作品なので、細かい説明や解説はない。テレビのドキュメンタリーとは違い、アート作品に傾倒しているイメージだ。思いつきや突拍子もないアイデア等もふんだんに入れ込まれているらしい。ネットで検索してみると、主人公と以前にAVとして共演していた女優さんを作品後半に、介護のようなイメージで出演させた際に、何故だか。女優がメイド服を着ていた理由は、ピンク映画でその女優が衣装として着ていたことを鑑賞してのアイデアとのこと。誠に侮れない、小馬鹿にしたような内容に、そのウィットさを却って面白がる自分もいたりする。主人公弟の鉄条網での衝撃の性癖や、事件の詳細を描いた自作漫画、出演AV、それ以上に驚く、幼い時分の鮮明な家庭用フィルムでの映像。そのどれもが想像する斜め上からの虚を突かれたアプローチに、ビックリする程の心地良さを抱いたのも事実である。異常性欲でありサイコパスである主人公の希有な現在をそのままカメラに収めたい、この稀代の人物をアーカイブ化したいという制作陣の欲求も又、強く惹き付けられるところだ。それは決して解き明かされることのない人間の深淵という謎を、それでも突き止めたいと思う純粋な“欲望”なのであろう。人を殺してそれを食し、そして幸運にも刑を科されずに社会に存在しているこの人物を、社会はどう向き合うのか、そんな感傷を吹き飛ばす痛快さも魅力である。
何を見せられた?愛を見せられた?
パリ人肉事件について、この映画を知るまで知らず、付け焼き刃な浅い知識で鑑賞しました。人を食べるひとはどんな気持ちなんだろうと。
人食についての善悪はひとまず置いていて...
人間一人が、一生のうちに使うエネルギー量は決まっているとして。
エネルギーを使い果たして、とっくに欲を満たして桃源郷に行ってしまった兄と、(犯罪を犯さないという意味で)真っ当に生きてるおかげで、欲を満たされきれない弟と?
だったら、もしかして、兄の方が幸せなのかな、って思っちゃいました。
三半規管に情け容赦ないカメラワークのなかで、ちゃんと二人にピントがあってたの、幼少期の動画だけだったような気がして。
お互いが、どこでどういう選択をしたせいで、二人一緒にピントが合わせられないような人生になったのか。うーん、めちゃくちゃ興味深い。
佐川兄は、好きだったから、女を食べたとおもって良いんでしょうか。そんな兄に、「自分を食べることは考えなかったか」と聞いた弟は。
まさか、人肉事件のドキュメンタリーで、こんな強烈な兄弟愛に触れるとは思わなかった。
30分の長さで十分。中身がない
佐川一政という人物に興味がある人なら観ればいい。しかし、怖い物見たさの人はがっかりだろうし、人肉食事件をケーススタディとしたい人にもほぼ無意味かもしれない。人肉食そのものの扱いは乏しいからだ。
90分だが、異常に希釈されているので、この長さになっているだけ。短くまとめて、30分で十分な内容である。馬鹿馬鹿しいホラー仕立ての映像を、延々と見せられてうんざりした。
やっぱり衝撃作
1番驚いたのは弟さん。
何なんだ…
血? DNA?
初めノロノロとスタート。
アップ過ぎてピンボケの画面や、一政の無言のシーンが延々と、、
編集する気あったのか?などと心の中で悪態をつく。
退屈…
と、思いきや突然、一政が描いた生々しいマンガ&彼出演のAVシーン。
無罪になって帰国後、発表した作品の一部。
マンガ、稚拙だが細部の描写などリアルでグロテスク。
「好きな人の唇を舐めたくなる…その延長線上にカニバリズムがある」と一政。
そのページをめくる弟さん。
ガシャガシャ…という謎の金属音が。
大アップの画面が引いてゆくと、、
えっ!?
弟さんの秘密が!!
ピンボケアップ多用の理由が分かったような…
昭和30年代の白黒8ミリが流れる。
坊ちゃん刈りの仲の良い2人の男の子。
裕福そうな家族親族と共に幸せそうに移っている。
あの時の男の子がどうして…
ラスト、一政の介護のお手伝いをする、天使のような女性が登場。
彼女は一体何者?
一政のつぶやき、
「こんな綺麗な人が、、奇跡だ」
やっぱり衝撃作だった。
いまも夢の中
一切の状況説明なく、
ピントも合わせない佐川一政の顔を
延々と大写しで見せられ、
息の抜きどころも、見かたも判らず進む。
結果、序盤からダレにダレたが、
中盤の衝撃の展開からトップギアで面白く。
何という兄弟愛(しかも変態)。
渾身の愛の告白もしくは共感の渇望を
夢うつつのふりで流す兄。
現実の歪みや不合理や不条理を
澱みにぷかぷか浮かべながら
人生は続いていく感がまた夢の中のような作品だった。
酔った
カメ止め以来の画面酔い。
三半規管、やられました。
普段、ドキュメンタリーあんまり見ないので比較できないけど、この手の作品の中では、面白かったと思う。
狙いがハッキリしているし、変態性を晒した作品というより、兄弟の血と絆をテーマにしたように思える。
越えるか、越えないか
「パリ人肉事件」も佐川一政がメディアに出ていたことも、リアルタイムでは知らない。
人肉を食べたい、人を殺したい。
自分を含めきっと少なくはない数の人が抱いたことのある興味や欲望を、倫理観の壁を越えて実行しちゃった人。
佐川一政とはどんな人間だろうと、悪趣味は承知で鑑賞。
どうせならと、実弟の佐川純も登壇したトークライブにも参加し、「まんがサガワさん」も読了。
皮脂のにおいまで感じられるような映像の距離の近さに少し戸惑った。
フォーカスが当たったり当たらなかったりするカメラワーク。
視界いっぱいに顔面のどアップが映し出され、すぐ目の前に佐川氏がいるような感覚に。
感情の見えにくい、まばたきを全然しない一重の目にジッと見つめられて、居心地が悪くなる。
別に今はただの身体の自由が利かない初老の男だけど、この人が、本当に実際に、女性を殺して食べたんだよな、と思うとどうしても緊張してしまう。
いくらホラー映画を観ていても、実感としてまた違うものがあった。
脳梗塞により衰弱してまともに立ち歩きもできず食事も補助を必要とし時折咳き込むその姿は、哀れに見えるし老い先短いようにも思える。
しかし、食べ物をムシャムシャと食べ水をゴクゴクと飲み好きな女性との再会に喜び、自分の性癖や死への恐怖を話すその姿からは、強い生命力すら感じた。
「サガワさん」を読んだときに感じた、突き抜けたテンションはあまり感じられなかったけど。
ちょっとした後悔の念と、それでもどこか悪びれない態度。従うしかない衝動についてもっと聞きたかった。
事件当時とメディア露出全盛期と映画撮影時では彼の考え方や精神構造も全然変わっているんだろうな。
2015年の撮影当時は人肉食への興味が凄く薄くなっていた時期らしい。
今はまたせん妄状態の時に人肉への欲求を零しているらしい。(トークライブより)
自分が死ぬのも他人が死ぬのも怖いという言葉に心底共感する。
欲望を満たすために人殺して喰っといて何を言うか。
でも、この人でもそうなんだな。
自分の手で他人に死をもたらし目の前で経験したこんな人でもそう思うのか。
なんだか安心した。死に対する価値観が共通しているのは、相手が誰であっても嬉しい。
何の前触れもなく突然頭を打たれて死ぬなんてもう恐怖でしかない。それをやったのがこの人なのか。うーん嫌だな。
自覚を存分にして自らの意思で犯罪者になった佐川一政と、自分の意思とは関係なく突然「カニバの弟」になってしまった佐川純。
その葛藤や苦しみは直接的には描かれないけど、彼の半生が易しい道ではなかったことは容易に想像できる。
家族として話すトーンのリアルさが心地良かった。事件に関連する話の延長線上で日常会話があるアンバランスさ。
「チョコレートくれる?」のやり取りがとても好き。いや今かよ!っていう。「チョコっとね、フフフ」と笑う純氏の口調もなんだかかわいらしい。
そして失礼ながらも「さすが佐川家!」と言いたくなってしまう佐川純の秘めたる性癖。
先日のトークライブ時に目の前で実践されていたので(ネタバレじゃないか!とちょっと思った)、その中身は知っていたけど、なぜかナマで見るより映画で観るほうが強く迫ってきた。ヒェェ〜
カメラの前で、集まった人々の前で、それを披露する時のイキイキとした表情。
気持ち良さそうで何より。なんだかちょっと嬉しかった。
おそらく驚きや仲間意識的な反応を期待していただろうに、それを裏切る兄のシレーッとした態度に笑ってしまう。
フラれたみたいな純氏の声色が少し切ない。
それを知ってどう思ったんだろうな。どう思うのが正解なんだろうな。
目の前で見た時に私はあまりのことに笑っちゃって、めちゃくちゃ写真を撮ってしまった。
他人の性癖を笑うなよと少し反省。いやでもさ…ちょっと想像以上に斜め上のインパクトでさ…。
でも本人はそうやって見られることにまた快感を見出していたようだし、まあいいか。いいとして頂戴。
理由不明の衣装を着せられた里見瑤子と佐川一政のツーショットは、二人の関係性を踏まえて観ると結構面白いものがある。
もうちょっと違うアプローチは無かったのかなと思いつつ。
せっかく家族以外でプライベートの付き合いがあった人の登場なのに、もう少し色々会話して欲しかった。まああの状態じゃ難しいか。
「牛です。」でまた笑う。絶対犬だと思う。
ゾンビの話も面白くてもっと聞きたかった。
トークライブにて聞いた話では、佐川一政は里見瑤子に、「ルネの家族を知っていたら実行はできなかった」と話したらしい。
向こうの目線を意識すると自分の目線はやっぱり霞むものなのか。
佐川一政は危険なサイコパスというよりも、衝動的な欲望を突き通してしまった、ただの人間だなと思った。
頭のネジは明らかにぶっ飛んでると思うけど。
実際にこの人に殺されている人がいる以上、若干の後ろめたさと罪悪感を覚えながらの鑑賞。
若くして理不尽に命を奪われ喰われた被害者の無念、今もなお苦しんでいるかもしれない被害者遺族や交友のあった人たちの悲しみ、犯罪を犯罪とする真っ当な倫理観はとりあえず脇に置いておくとする。
私の好奇心や興味や欲望を最優先とする。
でも、彼女彼らのことを考えずにはいられなかった。
どうしても抗えない自分の欲望やフェティシズムを優先する視点で見れば、佐川一政は大成功を収めているんだろう。
しかし、人を殺めた人間が正当な罰を受けることなく注目され書籍を出しメディアに出演し、月日を重ねてもなお映画になり何らかの利益得ることについて、被害者側の目線で見たらどうだろう。
欲求を抑えることが自分を大きく苦しめたとして、他者の命を奪ってまで叶えなければならないことなのか。
創作物とは全く別の話。
私は越えない。
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