「鑑賞者を愚弄する最低の作品」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー char1さんの映画レビュー(感想・評価)
鑑賞者を愚弄する最低の作品
最低の映画だと話題になっていたので鑑賞。最低だった。
映像・音楽は良い。携わった白組の技量はホンモノだし、音楽の使い方も絶妙でドラクエファンにはたまらない。しかし、物語部分があまりにも酷い。これについては何度も書かれているため、死に馬に鍼をさすようなものだが、それでも一編書きたくなるほど観るものを愚弄する最低の物語だった。
あの例のクライマックス。二つの意味で最低・最悪。まず第一にソースを嘲っている。まさかあんなメタ的な展開で「大人になれ」なんて言われるとは。鑑賞者を小馬鹿にしているのかとしか思えない。そして、もう一つは、それをクライマックスに持ってきた事。序盤・中盤でやるならまだ擁護できたが、クライマックスに持ってきた事で、作品のテーマが、本来のソースとは全く関係のない「それ」に集約されてしまった。
似た展開の例としてマトリックスがあがったのを目にしたが、ここでは序盤でやっている。したがって、それ自体がテーマにはなっていない。マトリックスで言うならば本作品は「最後の最後にネオがあのカプセルで目を覚まして、周りを見て、『うわあ』ってなってもう一度カプセルの中で寝て終わり」のような展開になる。
物語を語る上で「夢オチ」がタブーであることは広く知れていると思う。まさか2019年に夢オチの映画を見させられるとは。ソースのドラクエVだけでなく、メディアとしてのゲームを軽く見ている証左ではないかと思う。「原本がゲームだし、なんかひねりが足りないからこうしよう」っという軽い考えだったのではないかと推測される。それが許されて、僕たち鑑賞者の目に届いているのだから情けない。語り部としての自覚が甘すぎるのではないか。
加えてこのオチは、これまで語られていたストーリーがなぜ「駆け足」で「御都合主義」だったのか、という答えにもなってしまっている。答えは「ゲームだから」。所詮ゲームだから、ストーリーはなぞりさえすれば良く、主人公は負けることがない、という事なのだ。
時間を割いて、こんなことを書いてしまうこと自体、悔しく、やりきれない。鑑賞者を嘲り、愚弄する理由はなんだったのか。政治的な作品ならまだしも、嘲ったところでなにも生まれないだろう。こんな作品で「ユアストーリー」だなんて名乗ってるのが切ない。「物語なんてこんなものだろう」と考える愚かな人間のみ成せるものだ。この最低の物語を作った人間に言いたいーーもっと世の中の良い物語に触れ、「大人になれ」と。
○追記 2021/9/6
以上までが2019年当時に鑑賞した私のレビューだが、レビューを見返して思ったことがあるので追記しておく。(ちなみに映画自体を見返す気はさらさらない。)
レビュー内で私はあたかも映画製作者側が、原著であるドラクエへのリスペクトがなく、あくまで映画製作者側が悪い、というようなトーンで書いていたが、思い返せば、原著作者側(スクエニ・堀井雄二)に許可をとってないはずがなく、最終チェックも絶対しているはずなので、「映画製作者側だけが悪い」というようなトーンは間違っていた。これは私だけではなく、他の多くのレビューにも言える事で、なんとなく、視聴者も共犯的に原著作者側であるスクエニと堀井雄二を守り、その代償として監督製作者側を過剰に叩いていたのではないか、と反省した。
なので、この映画は「映画が悪い」のも勿論あるが、「ドラクエというフランチャイズ全体のクオリティコントロールが悪い」ことも大きく作用しているであろうことを忘れてはならない。
私個人の話をするならば、私はもうこのフランチャイズに期待することはなくなった。この映画含む最近の動向を見る限り、かつてのように「国民的シリーズ」として巻き返すのはとてつもない登り坂ではないだろうか。
なんであれ、お金払ってる観客やユーザーに向かって「大人になれよ」なんて吐き捨てるフランチャイズはもう、どこかで大きく道を踏み外してしまっているのではないかと思う。