「人生=ロールプレイング」ドラゴンクエスト ユア・ストーリー つばめーるさんの映画レビュー(感想・評価)
人生=ロールプレイング
「人生はロールプレイング」に尽きる映画だったと思う。
この映画はどちらかというと否定的なレビューが多いわけだが、否定派の人はシンプルにドラクエ5を完コピしていないと満足しない方々が多分にいることを頭に置いておかないといけない。
私自身もドラクエ5はスーファミ版を何回もやり、その後の全てのハードでも一通りやったくらい好きである。完コピなら完コピでありがたい気持ちもあるが、果たしてそれで満足して良いのだろうか?記憶の通りのストーリーを映画が辿ってくれただけで満足するのであれば、自分自身がもう一度ドラクエ5をやれば良いわけだし、時間がない大人たちは動画サイトで人がプレイしている最短動画でも見ていれば良い。
これは映画なわけで、映画にはメッセージが必ず入っている。それに触れて、賛成だ反対だ言うのは映画を正しく観ていると思う。そこを無視して、完コピかどうかだけでジャッジする人は、もう一度この映画のメッセージを考えてほしい。
冒頭に戻って、私が受け取ったメッセージは「人生はロールプレイング」である。私は恐らく、自分が老衰して死ぬ間際になると、この映画のラストシーンのような場面に遭遇すると想像する。今まで経験した人生は何だったのだろう、と。妻や子供も出来たが、あの世までは一緒に連れて行けない。(そのうちあの世で逢える、とかそういう思想は置いておいて)趣味も仕事も人並みにこなして能力や技能を身につけてお金も稼いだわけだが、死ねば全てがリセットされる。
死ぬとはつまり、人生から目が醒める、と言い換えると、まさにこの映画の終わり方に沿っていると考える。それでも、全てが無に還る「死」を迎えようとも、それまでに積み重ねたその人の人生は全て本物で、がむしゃらに頑張って人生を全う出来て良かった、と思う人が一人でも増えてほしいとこの映画は後押しをしているわけだ。
メッセージとは少し離れて、完コピではない中身についても触れよう。私が楽しんだポイントで挙げると、
1・BGMが良い。全てドラクエ5のBGMではなく、ドラクエ6の音楽も割と入っていたが、それはそれで良い。6を多めに入れたのは、結局6も名曲が多かったと理解できる。映画館は耳でも楽しむべきだ。私は映画料金の半分は音響代金だと思っている。大好きなドラクエ音楽が素晴らしい音響で聴けるだけでも御の字だ。家のテレビで満足する耳を持ってはいけない。
2・結婚ストーリーが良い。しっかり時間を割いて、ビアンカとフローラの心境を描いていた。ビアンカが幼馴染みの気持ちを押さえて押さえて、しかしとうとう押さえきれなくなったあたりの心境の表現はたまらない。主人公のプロポーズで気持ちが押さえられなくなる瞬間が素晴らしい。
3・キャラクターが会話していることそのものが良い。ゲームのキャラが自由に喋ったらどうなるんだろう?というワクワク感がある。マンガや小説などでもそういうのは為されているわけだが、堀井雄二さんも監修として絡む中で、オフィシャルな性格や会話はこうなんだな、と楽しむことが出来る。
ドラクエは映画まで良い作品で大変満足した。あと何回ドラクエに出会えるか分からないが、死ぬまで楽しんでみたいものだ。ドラクエも私の人生の一部でリアルなのだから。
人生観が痛すぎますね。人の命を何だと思ってるんでしょうか?易々と人の名言を借りて偽善を語るのも大概にしなさい。あの映画はただの自画自賛。それを評価するのはお客様であり、「結果がすべて」です。
同じようにドラクエを基本的なイベントは全てなぞっておきながら、ゲームを超える感動を与えてくれた久美沙織さんの小説が存在します。今回の映画との決定的な違いは、ゲームをしっかりプレイして、何がドラクエVの感動要素なのか理解してノベライズしている事です。残念ながら今回の監督さんは誤解したまま薄い総集編にしてしまいました。そもそも一本にした事が間違いで、過去を丁寧に描けないなら、せめて前後編に分けるか、完全オリジナルにすれば良かったのです。ストーリーの完コピどうこうなんて分析を、もし製作者サイドがしていたら、おそらくまた何かの原作を映画化する時に失敗しますよ。勇者ヨシヒコとか、今日から俺はの映像化に学んだ方が良い。大切なのは完コピじゃなくて作品への理解力です。